第一章 (2)
“怠け箱”におが屑の塊を入れて、側面についているハンドルを回す。
カチカチカチカチ……。
ハンドルと連動している鉄の歯車が、連続的に火打石を叩いて火花を散らす。しばらくするとおが屑は熱を持ち、オレンジ色の火種に変わった。
教会の敷地内にある水車を見て、シャーロが思いついた道具。それがこの“怠け箱”だ。シャーロのアイディアを元に、手先の器用なダンが作成した。
本当に便利だな、とリーザは思う。
今までは火打ち石を握って、直接鉄の板に叩きつけていたのだが、この方法ではなかなか火がつかないし、手を怪我したり、火傷する危険もあったのだ。
火種を薪に移して息を吹きかけていると、リビングの扉が開いて、エルミナとメグがやってきた。
「リザ姉、おはよ!」
「……ザお姉ちゃん、おはよー……ごじゃます」
朝から元気なエルミナは、赤みがかった短髪と青石色の瞳。きりりとした目鼻立ちをしており、行動力もある。
一方、波打つ金髪を腰のあたりまで伸ばしたメグは、人形のようにあどけない。小さな顔に不釣合いなほど大きな瞳は、緑石色。まだ寝ぼけているようで、しきりに目を擦っている。
「二人とも、おはよう」
「ん~」
むずがるような声を出して、メグが抱きついてきた。
無条件で甘えてくる幼い妹を、リーザは愛しく思う。いつものように頭を撫で、抱きしめ返そうとしたところで。
――君がいたら、いつまでもあのままさ。
ふいに昨夜のシャーロの言葉が思い出された。
メグはエルミナと同じ部屋に寝ているが、三日に一度はリーザのベッドに潜り込んでくる。夜の闇に怖いものを思い浮かべてしまうらしい。メグにとっての姉はエルミナで、自分は母親のような存在なのだろうと、漠然とではあるがリーザは考えていた。
両親の顔も知らない末の妹を不憫に思い、いつも抱きしめてきた。
だがもうすぐ、そばにはいられなくなる。
リーザは腰を屈めて、メグの両肩に手を添えた。
「さあ、メグ。水を汲んで、顔を洗ってらっしゃい。早く朝ごはんの準備をしないと、みんなが起きてしまうわ」
「……む~」
抱きしめられなかったことが不満だったのか、メグが頬を膨らませる。
その手を、エルミナがつかんだ。
「ほらメグ。顔を洗って、卵集めにいくよ」
「たまご……メグがやる!」
「いいけど。転んじゃだめだかんね」
ともに手をとりながら、性格は正反対だが仲のよい姉妹は小走りに駆けていく。
「エル――」
「ん? なに?」
「あ、その……」
思わず呼び止めてしまったリーザだが、言葉が続かなかった。
しばらく迷ってから、不思議そうに首を傾げる赤髪の妹に向かって、微笑を浮かべる。
「……お願いね」
様々な思いを込めて、その言葉を口にした。
朝一番。エルミナとメグの仕事は、鳥小屋の扉を開けて鶏を放し、卵を集めること。そして、ヤギの乳搾りである。
ごくまれにメグが転んで、卵を割ったりミルクを零したりすることもあるのだが、そういうときには実に寂しい朝食になってしまう。
やがてシャーロ、ダン、マルコが起きて、全員が集合したところで、礼拝堂にある木彫りの神像に朝の祈りを捧げる。
教会に住んではいるものの、敬虔な信者というわけではない。神父が生きていたころから変わらない、それは家族の習慣だった。
朝食の後は、各自、それぞれの仕事に取りかかる。
家畜の世話をしたあと、シャーロとダンは作業場へ。マルコは倉庫で春の自由市場へ出す商品を確認する。リーザ、エルミナ、メグの三人は、掃除と洗濯を済ませてから勉強をする。エルミナとメグが生徒で、リーザが先生役だ。リーザは学校を出ていないが、神父から文字や計算などの基礎教育を受けていた。
そして、昼食どき。
「……まいったな。思ったより、修理に時間がかかりそうだ」
スプーンで水芋のミルクシチューをつつきながら、シャーロがぼやいた。
「え? じゃあ、春の自由市場は?」
「間に合いそうにない」
問いかけたのはマルコで、答えたのはダンである。
肩幅が広く体格のよいダンは、十四歳。髪を短く刈り上げており、頬と顎がふっくらしている。手の平が厚く指も太いが、見かけによらず器用で、壊れた戸棚や椅子もすぐに直してしまう。力もあるので、薪割りも得意である。
対照的に、背が低く肉付きの薄いマルコは、十二歳。癖のある栗色の髪を眉のところで切りそろえており、眼鏡をかけている。商売人らしく見えるということで、シャーロから渡された伊達眼鏡だったが、本人は密かに気に入っているようだ。
三人の兄弟が話題にしているのは、現在、作業場で修理している馬車のことだった。
雪も溶けきっていないこの季節に無謀な運転をしたらしく、チムニ村付近の街道で派手に転倒。泥まみれになった馬車の持ち主は、村で代わりの馬車を購入して、いづこかへと旅立っていった。
馬車の残骸は村人たちが回収したのだが、損傷が激しく引き取り手がいない。その話をシャーロが聞きつけ、譲り受けたのである。
「左車輪が潰れて、車軸にはひびが入ってる。木の部分はなんとかなるけれど」
「金属の部品はどうしようもない、か?」
シャーロの問いに、難しい顔でダンが頷く。
「パリィ親方にお願いするしかないな」
「うん。そう思う」
「いっそのこと、弟子入りしてみるか?」
さりげない口調で、シャーロはとんでもないことを口にした。
チムニ村で鍛冶屋を営んでいるパリィ親方は、頑固で酒癖がわるく、喧嘩っ早いことで有名だった。これまでも自分の息子を含めた数人が弟子になったが、みなひと月と経たずに辞めてしまった。息子は村を飛び出して、いまだに帰ってこないという。
最近のパリィ親方は酒場に入り浸り、荒んだ生活を送っているらしい。
「ダン、やれるか?」
自分たちでできることは、すべて自分たちでする。これが、四年前から変わることのないシャーロの方針だった。
そして、この家では家長の命令は絶対。「やれるか?」という言問いかけは、「やれるな?」という意味に他ならない。
丸っこい頬を引きつらせながらも、ダンは頷いた。
「――や、やるよ」
「ダン兄、ほんとにだいじょうぶ? あのおじさん、すっごく怖いよ。腕なんか丸太みたいだし、ひげもじゃだし」
からかうようにエルミナが言うと、メグが大喜びして「ひげもじゃ、ひげもじゃ!」とはやし立てた。
ダンは大きな身体をぶるりと震わせた。
「平気。あんちゃんのほうが、怖いから」
珍しく冗談を言い、食卓は笑いに包まれた。
さすがに心外だったのか、シャーロは首を傾げて、やや不自然な笑顔を作った。
「そうかな? 少なくとも俺は、大声で怒鳴ったり酒を飲んで暴れたりはしないぞ。そんなに怖くないよな、メグ?」
聞いた相手がわるかった。見慣れない兄の笑顔に、メグはびっくりしたように眼を丸くして、不安そうにリーザに身を寄せた。
「だめよ、シャーロ兄さん。怖がってるわ」
リーザがくすり笑い、エルミナが爆笑する。
ひとつ肩をすくめて、シャーロは無愛想な顔に戻った。
「まあ、パリィ親方は、確かに酒癖はわるいかもしれないけれど、腕は確かだよ。何人も弟子をとろうとしたんだから、ひとを育てる意思もあると思う。だから、死ぬ気で頑張ったら――きっと認めてくれるさ」
無言のまま、ダンは頷いた。
「それに、鍛冶屋の仕事は廃れることがない。鍋や包丁といった道具類はどこでも必要だし、ネジやクギがなければ、大きなものは作れない。どんなときでも食いっぱぐれることはないんだ。たとえ、戦が起きたとしても」
戦争になれば、槍や鎧が必要になってくる。戦争孤児である彼らにとってはつらい話のはずだが、シャーロは言葉を濁したりはしない。また、彼の弟や妹たちも、戦という言葉を聞いて塞ぎ込むほど弱くはなかった。
「あんちゃん。オレ、頑張るよ。だから、馬車が修理できたら、市場でいっぱいものを売って、稼いでくれよ」
「ああ、分かってる」
自分が鍛冶屋の技術を身につければ、家族のみんなの役に立つ。ダンは素直にそう考え、どんなつらい修行でも耐える決心をした。
そんな兄弟のやりとりを、リーザは複雑な思いで見守っていた。
彼女は――彼女だけは、シャーロがその先を見据えていることを知っていた。
昨夜、シャーロは言ったのだ。
十五歳になったから、家を出てもらうと。リーザだけではなく、他のみんなも同じだと。
ダンは今、十四歳。来年にはその年齢に達する。
シャーロはダンに、職人としての技術を身につけさせて、ひとり立ちさせようと考えているのだろう。
シャーロの考えが正しいのかどうか、リーザには分からない。
分かっているのは、兄がとても強い人間だということ。
リーザやダン、そして他の家族がいなくなったとしても、生きていけるほどに……。




