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第四章 (6)

 自由市場最終日の朝、開店前。

 すでに昨日の時点で、“豊穣の大地屋”は、売上げ目標を達成していた。

 ようやく肩の荷が下りたのか、店内でマルコはふにゃけたような笑みを浮かべている。


「野菜の売上げが急激に伸びたんだ。昨日なんか行列ができたんだよ」

「ルコ兄、やるじゃん」

「やるー!」


 エルミナとメグが喜び、リーザがほっとしたように吐息をつく。


「よかった。マルコ、よく頑張ったわね」

「ごめん、姉さん。心配かけて」


 ただひとり、シャーロだけは普段通りの様子で、商品の野菜の鮮度を確かめている。そのことに気づき、マルコはとある疑念を抱いた。


「まさか、シャーロ兄さんが何かしたの?」

「うん、野菜に魔法をかけておいた」

「――え?」


 驚いて硬直してしまったが、シャーロはすぐに「冗談だよ」と笑って解説した。

 南門前大通りでは、定期的に朝市が開かれている。近郊にある農家から野菜や果物、穀物などが持ち込まれるので、他の区からもたくさんの客や業者たちが訪れる。

 しかし、自由市場の開催期間中とその前後は、朝市を開くことができない。


「だから、野菜が品不足になって値段が高くなる。そうですよね?」


 同意したのは、“玉ねぎ娘”の料理人、レイである。


「ああ。ほとんどの青果物は南区に集まるからね。自由市場の期間中は、うちも仕入れには苦労するんだ。特に葉野菜なんかは、保存がきかないから」


 開店前ではあるが、彼女は今日も“豊穣の大地屋”で大量の野菜を購入して、紙袋をふたつ抱えていた。

 周囲の店を眺めながら、シャーロは「それに」と続ける。


「長距離の輸送があるから、自由市場に出品される食材は、どうしても保存食が多くなる。だから、普段は珍しくもない野菜なんかに、希少価値が出たりするのさ」


 日が経つにつれて、保存のきかない野菜の需要が高まった。

 どうやら、そういうことらしい。


「なぁんだ、奇跡が起こったと思ったのに」


 少しねたようなマルコの口調に、笑い声が起こる。


「気分を壊してわるかったけれど、マルコの頑張りがあったからこそ、今の結果が出たんだよ。胸を張っていい」

「シャーロ兄さん……」


 普段、シャーロに褒められることは滅多にない。嬉しさのあまり顔を赤らめたマルコだったが、妹のエルミナがにやにやしているのを見て、慌てたように表情を取り繕った。


「そ、それより、兄さんのほうは――“怠け箱”はどうだったの?」

「売れたよ」


 シャーロの答えはあっさりとしたものである。


「今は、先方による動作確認中で、それが終わったらすぐに契約できると思う」

「だれの活躍のおかげかな、シャロ兄?」

「……」


 にっしっしと笑うエルミナの頭を、シャーロはやや乱暴に撫でる。


「あ、ずるい。メグも!」


 末の妹がシャーロの足にしがみつき、同じように撫でてもらう。

 そんな家族の様子を見つめながら、リーザは胸が熱くなるのを感じていた。


「いい亭主じゃないか」

「……はい」


 レイの耳打ちに頷いてしまってから、真っ赤になって発言を咎める。


「レ、レイ! みんなには、まだ」


 ハンサムな王子はどこ吹く風といった様子で、シャーロの元で楽しそうに笑い合う少女たちを見つめていた。


「最終日の売上げは、次回の――秋の自由市場の序列にかかわってくる。値引き額を調整しつつ、できる限り商品を売り捌くんだ」

「あ、うん。分かってるよ」


 ふにゃけた表情を引き締めて、マルコが背筋をぴんと伸ばす。

 それからシャーロは、少し口調をゆるめて提案した。


「明日はリーザも休みだから、みんなでハルムーニを観光して帰ろうか」


 それは、当初からの計画。エルミナとメグは大喜びだ。


「やった!」

「メグね、ぱてぃえ食べる!」

「よろしければ、レイさんも一緒にどうですか?」

「え? 私もか?」


 シャーロの誘いに意表を突かれたレイだったが、ここ数日ですっかり懐かれたエルミナとメグにねだられて、苦笑交じりに了承した。


「じゃあ、とっておきの店を案内するよ。ハルムーニで一番美味しいパティエ屋とかね」


 最高潮をみせた盛り上がりは、しかし長くは続かなかった。

 間もなく開店時間のはずなのだが、売上金を金庫に取りにいっているはずのヤドニが、戻ってこない。


「あれ? どうしたんだろう。ちょっと見てくる」


 マルコは商売人たちで混雑する運営事務所へと向かった。担当の役人に確認すると、売上袋の持ち出しはすでに完了していて、帳簿にはヤドニのサインも書かれている。再び“豊穣の大地屋”に戻ったが、途中でヤドニに会うことはなかった。


「……あ、あれ?」


 店と事務所の距離は遠くない。迷うはずがない。

 にわかに、雲行きが怪しくなってきた。

 結局、開店時間になってもヤドニは戻って来ず、ここでようやく異変が起きたことが発覚したのである。

 表情を厳しくして、シャーロがマルコに聞いた。


「そういえば、ゴウとスジはどうした?」

「四日目くらいから、見かけてないんだ。別の用事で出かけてるってヤドニさんが言ってたから、特に気には留めてなかったんだけど」

「ヤドニはどうだ? どこか変わった様子はなかったか?」


 心当たりはあった。

 これまでまったく興味を示さなかった“豊穣の大地屋”の仕事を、突然ヤドニが手伝い始めたのである。まるでひとが変わったかのように、店の中から大声で呼び込みまでして、少しでも多くの商品を売ろうと、しゃにむに頑張り出したのだ。

 それはしくも、ゴウとスジが姿を見せなくなった時期と一致していた。


「あのどら息子が、簡単に心を入れ替えるはずがない」


 シャーロは断言して、店の隅でじっと座っている陶芸家に質問した。


「ソウ先生は、ヤドニたちと同じ宿だったはずです。なにかご存知ないですか?」


 期間中の売上げが未だにないソウ先生は、苦々しいため息をつく。


「……やつらは、壁の外へ行くことを相談しておった」

「“壁外側”へ?」

「花街がどうとか言っておったな。実にさもしい連中だ」


 まともな常識のある“壁内住人”であれば、まず“壁外側”には近づかない。立ち入ったとしても、比較的安全な区域のみ。つまり、地元の人間が絶対に近づかない危険な場所が存在するということだ。

 そのような情報を、田舎から出てきたばかりの三人が知るはずもないだろう。

 突然、姿を見せなくなったゴウとスジ。店の売上金を持ち出して、こちらも姿をくらませたヤドニ。


「……カモられたか?」


 その結論にシャーロが達したのは、一瞬のことである。


「ど、どうしよう、シャーロ兄さん。これじゃ店を開けられないよ」


 マルコが釣銭を入れるための籠を抱えた。


「両替所へ行ってる時間はない。とりあえず商品をまとめて、値引きを入れて、釣銭の出ない売値にするんだ。“釣銭不足”の看板もつけよう」

「う、うん」

「問題は、市場税だな」

「――あっ」


 自由市場の最終日には、売上げに応じた市場税を支払う義務がある。一週間分の売上げを一度に確認するのは時間がかかるため、一日一回、仕切人に報告するわけだが、それでも最終日には、運営事務所は大混雑となる。


「それだけじゃない。出店料や一週間分の滞在費、馬小屋や倉庫の賃貸料も払う必要があるし、帰りの宿代もある」

「は、払えなかったら、どうなるの?」


 怯えたようなマルコの問いに、シャーロは重々しい口調で説明した。


「“豊穣の大地屋”は、厳罰を受けることになる。こんな悪しき前例を、運営側が見逃すはずないからね。徹底的に追及されるよ。最低でも、自由市場からの永久追放。そして“豊穣の大地屋”を推薦した“森緑屋”も、同様の処置を受ける可能性がある。自由市場だけならまだしも、ハルムーニでの“業者登録”を取り消されると、まずいことになる」

「ぼ、ぼくのせいだ……」


 マルコが真っ青になり、肩と声を震わせた。


「シャーロ兄さんに、あいつがぽかをやらかさないように、監視しろって言われていたのに……。昨日までちゃんと事務所までついていったのに。売上げ目標を達成したから、気が、緩んで……」

「マルコ、顔を上げるんだ」


 震える心に切り込むかのように、シャーロは指摘した。


「俺がマルコに頼んだのは、あくまでも偶発的なことに対してだ。もしヤドニが、自らの意思で売上金を持ち出したのであれば、マルコに防ぐ手立てはなかった。そんな機会はいくらでもあるだろうし、喧嘩になったところで、勝ち目はないだろう?」

「……」

「どうしても後悔したいなら、すべてが終わってから。いいね?」

「は、はい」


 シャーロはやや俯き加減で考え込んでいたが、何かを思いついたように指を鳴らした。

 よい音は出ず、残念そうに指先を見つめる。


「マルコ、計算を頼む」

「……え?」

「今日一日で、どれだけの売上げを出せば、すべての経費がまかなえるかの計算だ。売上げが増えれば、市場税も上がっていくから、それも踏まえること」

「わ、分かった」

「あとは、俺がなんとかする。エルとメグにも手伝ってもらうぞ」

「うん。まかせて!」

「メグも、いっぱいお手伝いする」


 兄の表情からことの深刻さを察したようで、エルミナとメグも真剣な表情だ。その様子をどこか辛そうに見つめていたリーザに、レイが耳打ちをした。


「リーザも、手伝ったらいい」

「でも、お店が……」

「なめるなよ。私ひとりでも、余裕で回せるね」


 切れ長の灰色の目には、いたずらっぽい光が浮かんでいる。


「亭主が困ってるんだろう? 頑張って壁を乗り越えようとしているなら、それを助けるのは、妻の務めだと思うね」


 リーザは真っ赤になったものの、力強く頷いた。

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