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第四章 (5)

 ――ふざけるな!

 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ!

 口の中で呪文のように呟きながら、ヤドニはランプ灯に照らされた薄暗い石畳の道を荒々しく歩いていた。

 正面からぶつかりそうになった通行人が慌てて避けたが、気にする素振りすらみせない。

 そんな余裕など、今の彼にはまったくないのだ。


「あいつら、オレを騙しやがったな!」


 あいつら――の名前を、ヤドニは知らない。

 知っていることといえば、彼らが“壁外側”に怪しげな店を構えていること。そして、ヤドニの仲間であるゴウとスジを拘束しているという事実だ。


「ちくしょう! ナメやがって、オレを誰だと思ってやがる」


 人口三百ほどの小さな村。そこを治める村長のひとり息子。

 ようするに、少し裕福な家庭に育った田舎者である。

 だがしかし、ヤドニにはそういった意識はない。胸の内にたぎるのは、狂おしいまでの義憤ぎふん。彼にとっては、疑問を挟む余地すらない正当な怒りだった。

 数日前、お上りさんよろしくハルムーニへ到着したヤドニたちは、巨大な南門をくぐった瞬間、すっかり有頂天になっていた。

 季節の移ろいの他はなんの変化もない田舎村と、華やかな街の光景とのギャップに、まるで冒険の旅に出た主人公のような気分になっていたのだ。

 しかも今回は、ヤドニを代表とする“豊穣の大地屋”の、記念すべき第一歩でもあった。

 お供にしているのは、気の合う仲間たちと、使い勝手のいい小僧マルコ。そして、気難しそうな顔をした根暗な陶芸家。

 初日こそ店の仕事を手伝おうかと考えていたヤドニだったが、すぐに飽きてしまった。

 売り物をまとめ買いされたときのうっとうしさ。

 釣銭を計算して、相手の手の平に置くわずらわしさ。

 その点、ユニエの森の小僧は細かな作業が得意なようで、自分がいなくても店を回していけるようだ。

 まあいい、せこい仕事は、オレには向いていない。自分は店の代表として、堂々と構えていればよいのだ。

 そんな決意も二日目にはもろくも崩れ去り、ヤドニは他の店の偵察と称して、ハルムーニの街をぶらつくことにした。

 噂では、聞いていたのだ。

 ハルムーニの“壁外側”は、法の目が行き届かない灰色の領域。そこにはきらびやかな花街はなまちがあり、“壁内住人”たちも頻繁に訪れて、一夜の恋を楽しんでいるのだと。


「眉唾もんでね?」


 ゴウは茶化すように言ったが、興味を引かれているのは明らかだった。


「まあ、なかったら、すぐ戻ればいいし」


 スジが論理的な意見を出して、ヤドニが方針を決定した。


「じゃ、行ってみるべか」


 自由市場三日目。ひとの波に逆らいながら、三人は意気揚々と南門を出て、雑然とした“壁外側”に繰り出した。

 仕立てのよい、しかし流行遅れの服。お供を引き連れて得意げに歩く田舎者の青年。

 ひとはそれを、“カモ”と呼ぶ。

 法の外でしたたかに生きる“壁外住人”たちが、こんな獲物を放っておくはずがなかった。


「――おや、若旦那。お酒を楽しむ店を、お探しですか?」


 まるでネズミのような顔をした小男に声をかけられ、ヤドニは景気づけにと、彼の案内に従うことにした。

 最初は、“当たり”だと思った。

 胸元を大胆に開けた女性たちがソファーの左右について、猫なで声でヤドニたちのことを聞いてくる。

 ヤドニは自分がチムニ村の村長の息子であること、自由市場に出店している“豊穣の大地屋”という店の代表であることを自慢した。

 女性たちは感嘆の声を上げて、ヤドニとその仲間たちの偉業を褒め称えた。


「いい店だが、ちょっともの足りねぇな」

「気力、体力ともに充実した若旦那のことですからねぇ。お察しいたしますよ」


 ネズミ顔の小男は「明日、若旦那にとっておきの店をご紹介します」と耳打ちしてきた。

 会計時の支払い額は思ったほどではなかった。これならば、次もだいじょうぶだろう。魅惑の笑顔で手を振ってくる女たちに、にやけた笑みを返しながら、ヤドニたちは“壁外側”をあとにしたのである。

 そして、自由市場四日目――ヤドニたちは、完全に嵌められた。

 細かな路地裏を案内されたので、正確な店の位置すら覚えていない。ただ、薄暗いカウンターで目の前に突きつけられた請求書の金額だけが、ヤドニの頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。

 支度金として母親から渡されていた金を全部使っても、ヤドニひとり分にもならない。


「ざけんな! こんな金、払えるわけねーだろっ!」

「おや、若旦那。暴力はいけませんよ?」


 いつの間にか、ネズミ顔の小男の左右には、屈強な男たちが立っていた。

 腹を一発殴られて、ヤドニは完全に戦意喪失。嗚咽とともに涙を流しながら、いったい自分はどうすればいいのかと、小男に聞いた。


「そ、そうだ。村に帰れば、ママが金を用意してくれる。それまで待って――」

「チムニ村、ですか? 往復で約一週間。その間、飲まず食わずで、お仲間たちが生きていられますかねぇ」

「……っ!」

「あなたは“豊穣の大地屋”とやらの代表なのでしょう? なんとかなさい」


 三人のうち、ヤドニだけが開放された。


 ――ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ! 


 “閉門の鐘”の後、仕切人とかいう役人にその日の売上げの報告をして、金庫に金を保管する。それが“豊穣の大地屋”の代表であるヤドニの仕事だった。

 書類はマルコが作成するので、自分はその紙を提出するだけだ。

 おぼろげな記憶を、ヤドニは必死に手繰たぐりり寄せた。

 四日間の売上げの合計金額は、どれくらいだったか。正確には覚えていないが、おそらく、ぜんぜん足りていない。しかし、マルコの話では、少しずつ売上げが伸びているとのことだった。

 あと何日か頑張れば、請求された金額のすべてとはいえなくとも、そこそこの額まではいけるのではないか。

 ヤドニは生まれて初めて、己の使命感に目覚め始めていた。

 自分たちは罪のない被害者だ。そして自分が、三人のリーダーだ。どんな手を使ってでも、仲間を助けなくてはならない。

 田舎者の青年は、乱暴な足取りで石畳の道を歩いていく。

 頭の中にあるのは、ランプ灯が照らし出せるくらいの、ごくわずかな先。その向こう側に広がる闇のことなど、彼は何も考えていなかった。

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