第三章 (7)
カッ――チッチッチッチ。
くるくるとハンドルを回す。
三回転から四回転くらい。
鉄の歯車と火打石が接する分部。乾燥させた“油豆”の搾りかすにオレンジ色の光が移ったのを確認してから、“蝋燭ランプ”を火種ごと台座から取り外す。
そして、火種に息を吹きかける。
最初はそっと。息を切らずに一気に強くして、オレンジ色の光を広げていく。
やがて……パチパチと、小さな焚き火のような音とともに、新たな炎が生まれた。
最初のころは面白かったが、今はまったくの無感動だ。蓋をして、生まれたばかりの炎をすぐに消してしまう。
ちらりと視線を移すと、様々な部品が散乱している作業場の床には、シャーロがひとり胡坐をかいており、黙々と新型“怠け箱”を組み立てていた。
こちらの様子など、気にも留めてくれない。
「四百九十六ぅ~」
机の上にある紙に線を引いて、エルミナは気だるそうな声で報告した。
今からふた月ほど前。新型“怠け箱”の第一号機が完成したとき、この作業場にはエルミナたち家族の他に、パリィ親方とその娘のサナも見学にきていた。
「うわっ、お父ちゃん、これ、すごいよ!」
「ま、俺のアイディアも盛り込まれてるからな」
新型は初代のものよりも小型化され、特に横幅が狭くなっている。火打石を叩く鉄の歯車は、歯数を増やし、より大きな火花を出せるようになった。
そして一番の改良点は、火種の元となる“油豆”の搾りかすと、台座に設置可能な“蝋燭ランプ”だ。
“油豆”の搾りかすを天日干しで乾燥させると、細かな繊維質の塊となる。油成分が残っているため、とても燃えやすい性質を持つが、火種としてはすぐに燃え尽きてしまうという欠点があった。
そこでシャーロが思いついたのは、鉄の歯車と火打ち石が接触する台座の部分に、火種の元とともに、火をつける道具そのものを設置するという方法だった。
そして、新たに作られたのが、蝋燭の形状を模した小型の“蝋燭ランプ”だ。
細い筒状の胴体部分には、油が入るようになっている。頭頂部には火種の元――“油豆”の搾りかすを置くための、小さな皿がついている。そして、皿の中心部から芯を出すという構造だ。
これならば、火種が燃え尽きる前にランプに火をつけられるし、その後、かまどなどに簡単に火を移すこともできる。
素材については耐火性のある陶器がよいだろうということになり、陶芸家のソウ先生に作成を依頼することになった。
「我輩は今、忙しいのだ。帰ってくれ」
夏の自由市場へ出品するために、創作活動に没頭しているソウ先生だったが、そのあばら家は崩壊寸前で、村一番の貧乏人でもある。
シャーロの提示した金額に、「むむっ」と唸り、さらにシャーロから「前金を出します」とたたみかけられて、ソウ先生はしぶしぶながら同意した。
“怠け箱”の全体的な形状や部品化については、パリィ親方のアイディアがふんだんに盛り込まれている。この親方の協力がなければ、第一号機の完成はもっと時間がかかっただろう。
「親方、とりあえず、百十台分の部品の作成をお願いします。“瑪瑙商会”への販売が成功したら、さらに注文が増えるかもしれません」
感激するかのように声を詰まらせたのは、サナだ。
「ううっ、シャーロ君、本当にありがと。これで、お父ちゃんのツケを払うことができるわ。村のみんなに、白い目で見られることもなくなる」
「けっ、しみったれた話をすんじゃねぇ」
ひげ面を歪めて、悪態をつくパリィ親方。
サナのスカートを引っ張って、メグが不思議そうに聞いた。
「つけって、なあに?」
「ツケっていうのはね、お金を払わずに、お酒を飲むことよ」
「メグも、つけ、する!」
「ばっ――ちっ、やめろ。ガキに余計なこと教えんじゃねぇ!」
いつも酒を飲んで怒ってばかりいるイメージの親方だが、意外と照れ屋なところもあるらしい。沸き起こった笑い声をかき消すように大きな咳払いをすると、パリィ親方はやや口調を改めた。
「しかし、シャーロよ。“瑪瑙商会”に売りつけるんだったら、気をつけろよ。会長のじじいは、くせもんだからな」
「知り合いなんですか?」
「ああ。若いころ、俺はそこで働いてたことがあるんだ」
シャーロは春の自由市場で会ったという老人の風体を説明した。
「たぶん間違いねぇ、じじいだな」
パリィ親方は毛深い両腕を組むと、鼻を鳴らした。
「あのじじいは、別に腹黒くはねぇんだが、なんつーか、いたずら好きでな。俺も昔、痛い目にあったことがあるんだ」
シャーロは少し考える素振りを見せたものの、すぐに頭を振った。
「今の段階で考えても、しかたがないですね」
「まあな。とにかく時間がねぇ。おいダン! 工房に戻って、すぐに火を入れるぞ!」
「はい、親方!」
ダンはシャーロとひとつ頷き合ってから、パリィ親方の背中を追いかける。
帰り際に、サナがこっそりと教えてくれた。
「へへぇ。お父ちゃん、ダン君が来てから、ものすごく張り切ってるのよ。なんだか、お兄ちゃんが出て行く前に戻ったみたい」
パリィ親方の息子は、鍛冶屋の仕事が嫌でチムニ村を飛び出し、もう何年も戻っていないらしい。
後ろで結い上げた髪を左右に揺らしながら、サナは軽やかな足取りで二人のあとを追いかけていった。
そのときエルミナは、漠然とではあるが、何か大きなものが動き始めている予感を感じていた。
シャーロは毎日夜遅く、ときには朝方まで作業室にこもっている。
ダンは怖そうな親方のところで、鍛冶屋の仕事を頑張ってる。
マルコは夏の自由市場の調整とやらで、チムニ村を駆け回っている。
リーザもそうだ。ハルムーニからの手紙には「頑張って働いているから、心配はいらないです」と書かれていた。
メグだって、寂しいのを我慢して、みんなに元気な笑顔を見せてくれる。
だから自分も、家族のために何かを手伝いたい。
意を決してそのような趣旨のことを告げると、シャーロはひとつ頷いて、とある仕事をエルミナに与えてくれた。
「この商品が売れるとしたら。その“切り札”は、エルだよ」
カッ――チッチッチッチ。
……ひょっとして、自分は騙されたのではないだろうか。
身体をあまり動かさない単純作業が苦手なエルミナは、心の中で唸り声を上げていた。
彼女がシャーロに与えられた仕事。それは、新型“怠け箱”の耐久テストであった。
第一号機が完成してから約ふた月の間、一日五百回、ただただ火をつけては消すの繰り返し。火花の出がわるくなると、シャーロが歯車の位置を調整して、また最初からカウント開始である。
紙の上に本日最後の線を引いてから、エルミナは身体の中に溜まった鬱憤をすべて吐き出すかように、叫んだ。
「――五百ぅ~」
「ん、お疲れさま」
頑張ったわりには、ねぎらいの言葉が軽い。
作業場にはシャーロとエルミナの二人と、バスケットの中で眠っている子犬が一匹、「スピピピピ」と、奇妙ないびきらしきものをかいていた。
この家に来たころのハルは、毛並がわるく、ところどころ禿げていたが、いつの間にかふさふさになっていた。何故か毛色も変わって、褐色から光沢のある桃色になった。相変わらずのぶさいく顔だが、妙に愛嬌がある。四六時中一緒にいるメグに懐いており、先ほども玄関先で一緒に走り回っていた。
ふと気づいたように、シャーロが作業の手を止めた。
「そういえば、メグはどうした?」
「さっきまでハルと遊んでいて、今は昼寝中だよ。ちょっと見てくる」
作業場を出てリビングのソファーを覗くと、緩やかな波を打つ金髪と毛布に埋もれるように、妹がすやすやと眠っていた。小さな手に抱いているのは、桃色の犬のぬいぐるみだ。
ハルムーニで働いているリーザ宛に、メグがハルの絵を描いた手紙を出して、それからしばらくして送られてきたのが、このぬいぐるみだった。裁縫の得意な友だちができて、教わりながら作ったらしい。メグの絵がモデルになっているので、実物通りとはいかないが、特徴はかなり捉えられていた。当然のことながら、メグのお気に入りであり、ハルと遊んでいるとき以外は、片時も離そうとしない。
「昼も夜も、メグはハルと一緒だな」
苦笑とともに作業室に戻って、兄に報告する。
「そろそろマルコも戻ってくるだろうから、風呂でも沸かすか」
「あたしも手伝う。花、入れていいよね?」
教会の敷地内にはきれいな小川が流れていて、そこには古びた水車小屋が設置されている。自分たちがこの教会に来たときには、水車はすでに壊れていたらしい。
通常は水車が回る力を利用して、小麦粉を挽いたりするようだが、そういった機能はすでに失われ、ただ水を汲み上げては落とすだけの飾りになっていた。
そこでシャーロは、竹を使った水の通り道――樋竹を作り、水車から教会まで敷設したのである。
水車が汲み上げた水は、樋竹を通って、風呂桶、家畜の水のみ場、花壇など、水の必要な場所を通り、再び小川へと戻ってくる。
それぞれの箇所には蓋付きの注ぎ口が設けられており、必要な水を必要な場所で得られる仕組みになっていた。
シャーロは水車のほうへ向かい、エルミナは風呂桶のある場所で待機する。
「流すぞ」
「いいよ」
しばらくして樋竹に水が流れ出す。不純物が入ることもあるので、布を通して水を濾してから、風呂桶の中に溜めていく。そのときに、水が溢れないよう水量を調整するのがエルミナの仕事だ。
風呂桶に水が溜まると、乾燥させた森の草花を浮かべて、風呂桶の下で薪を燃やす。
シャーロによると、毎日のように“花風呂”に入るのは、贅沢なことらしい。
ハルムーニの街では個人用の風呂がある家は少なく、水も薪も貴重品。その代わりに公浴場というものがあり、大きな風呂桶にお湯を溜めて、多くのひとが一緒に入るそうだ。それはそれで楽しそうではあるが、公浴場を利用するにはお金がかかるとのこと。ケチな兄のことだから、毎日は入らせてくれないだろう。
「さて、風呂が沸くまでに、夕食の準備をするか」
最近はダンもマルコも家を出払うことが多く、エルミナはシャーロの手伝いをする機会が増えていた。
こうやってシャーロの後ろを歩いていると、少し切ないような、昔の気持ちを思い出す。
まだ神父が生きていたころ、幼いエルミナの面倒はシャーロがみてくれていた。優しい兄の後ろ姿を、いつも追いかけていたような気がする。
そんな兄が急に冷たくなったのは、神父が亡くなってからだ。作業場にこもって、ひとりで考え込む時間が増え、エルミナの相手をしてくれなかった。
当時の自分は、裏切られたと思ったのだろう。
それからエルミナは、シャーロに対して反発心を持ち、リーザへ傾倒していくことになる。
今だったらわかる。
兄は、裏切ったりなどしていない。
それどころか、誰よりも自分を、家族のことを大切に考え、そのために決断し、行動してきたのだ。
リーザをハルムーニへ追いやったことに対しても、最初は憤慨していていたが、リーザからの手紙を読んでいくうちに、少しずつ気持ちが変わっていった。
家族のことを心配しながらも、新しい街でしっかりと働いて、友だちを作って、姉は楽しく過ごしている。そう思える。
自分とメグがくっついていたら、そんな経験はできなかっただろう。だからたぶん、ハルムーニに行ったことは、正しかったのだ。
夕暮れ前、調理場でシャーロと野菜の皮を向いていると、少し疲れたような暗い表情で、マルコが帰ってきた。
「……ただいま」
「おかえり」
「おかえり、ルコ兄」
その様子を見て、シャーロが何かを察したようだ。
「調整が難攻してるみたいだな。みんながみんな、好き勝手なことを言ってるんだろう?」
「見てもいないのに、よく分かるね、シャーロ兄さん」
「あとで話を聞くよ。先に風呂に入ってくれ」
「うん。あ、ダン兄さんは、親方のところで泊まりだって」
「あいつも忙しいな」
このごろダンは、三日に一度は泊り込みで作業をしている。久しぶりに会うと、大きな身体がさらにたくましくなったような気がする。
エルミナはふと気づいたように、リビングのソファーに視線を向けた。
「そろそろメグを起したほうがいいよね? 夜、眠れなくなっちゃうし」
「そうだな。頼むよ、エル」
以前は兄がリーザにかけていた言葉。
なんとなく嬉しくなり、エルミナは内心うきうきしながら、かわいい妹をどうやって起そうかと、思案に暮れるのであった。




