第三章 (6)
運命の出会いを、絶対に見逃さない!
これは“ピエロ”ことサムジが自らの胸に刻み込んだ、自分への約束ごとである。
初めて彼女――リーザと出合ったとき、背筋に電流のようなものが走り、思わず「ビバラッキー!」と叫んでしまった。
喜び勇んで声をかけ、いい感じになりかけたのだが、彼女の兄を自称する偉そうな男が出てきて、引き離されてしまった。
しかしその十日後。サムジはリーザと二度目の邂逅を果たすことになる。
なんと、母親が経営する料理屋“玉ねぎ娘”の料理人として、彼女が雇われていたのだ。
これはもう、運命の出会いに他ならないではないか。
「うえ~ん、リーザぁ、ありがと~」
西区にある住宅街の一角。まだ二、三回しか会ったことがないはずなのに、ミリィは玄関先でリーザに抱きついた。
女の特権である。こういうところはうらやましいと思う。
小柄なミリィは金髪を頭の上でまとめ上げて、大きな桃色のリボンでくくっていた。フリルが多用された服は自作のもの。相変わらずの少女趣味だ。通り名は“パピィ”である。
「ぜ、ぜんぜん、終わらなくて、もうだめかと思ったよぅ」
ミリィの頭を撫でながら、リーザが元気づける。
「だいじょうぶです。わたしもお手伝いしますから」
「あんまり甘やかすと、その子、つけ上がるわよ」
続いて出てきたのは、マスという細身の少女だ。黒髪を片方の側面だけ大胆に刈り上げており、かなり人目を引く。男物の服を好み、スカートを履いている姿を見たことがない。通り名は“ボーヴ”である。
「わるいわね、リーザ。いきなりこんなことお願いしちゃって」
「いいんです。わたし、楽しみにしてたから」
「あんた、やっぱり変わった子だね」
サムジ、ミリィ、マス。この三人がグループとなり、指導教師から与えられた課題に取り組んでいた。
デザイン担当はサムジで、型紙の作成がマス、そして縫製作業がミリィである。
「だいたい、“ピエロ”のデザインが、奇抜すぎるのよう」
「――ふっ」
ひまわりの花を模した襟付きのワンピース。
我ながら改心の出来であった。
ぬいぐるみの大群に押しつぶされそうなミリィの部屋には、型紙と布切れと糸くずが、嵐の後の木の葉のように散らばっていた。
「えっと、リーザはね、こっちに座って」
「オレは? ベッドの上でいい?」
「手伝ってくれるの?」
「冗談、オレはデザイナーよ? イメージ通り出来上がるか監督するだけ。あ、リーザだけは別ね。手取り足取り教えてあげるから」
「けちんぼ!」
糸玉を投げられたので、すばやくよける。
リーザは家で裁縫をしていたらしく、縫い方の基本は身につけているようだ。
針に糸を通すところから教えたかったのだが、残念である。
ミリィとマスの指示に従って従って、マチ針を打ち、丁寧に縫い合わせていく。特殊な技術がいる部分は無理だが、それでも十分に戦力になりそうだった。
「こういう感じで、いいのかしら?」
「うん、かなりうまいよ。そう、そう。“パピィ”より器用かも」
「ううっ、わたし、縫製にがて」
「あんたがそれを言うな」
縫製は集中力と根気、それから意外と体力のいる作業だ。素人が長時間続けられるものではない。
だから、適当なところで作業を切り上げさせて、リーザをデートに連れ出す。これがサムジの作戦だった。
ベッドの上でぬいぐるみを抱えながら、彼は然るべきときを待っていたが、少女たちの作業とおしゃべりは、途絶える気配を見せなかった。
「ね~、リーザ。レイさまと一緒に住んでるって、ほんと?」
「はい。わたし、見習いですから、いろいろ教えてもらってるんです」
「“玉娘”の王子さまかぁ。かっこいいし、憧れるよね。モデルになってくれないかしら」
「あたし、一回頼んだことあるんだけど、断られちゃった」
「げ、まじ? あんた引っ込み思案なくせに、時々怖いことするよね」
ちくちくと針を動かしながら、器用におしゃべりを続ける。
「ね、ね、普段のレイさまって、どんな感じ?」
「え~と」
「どっちかっていうと、無口で、こわそうな気がするけどね」
「そんなことないです。レイはとても優しいですよ」
「レイ? 呼び捨て?」
「あ、はい。さん付けは嫌だから、そうしてくれって」
「きゃ~っ!」
「どうしたんですか、“パピィ”?」
きょとんとするリーザに、マスが呆れたようにいう。
「ほっとけばいいの。妄想爆発させてるだけだから」
――オレのときは、さん付けを強要したけどな!
今朝の出来事を思い出し、心の中で絶叫するサムジ。
あいつは王子さまなんかじゃなくて、人食い狼だ。自分よりも背が高くて、足が長くて、くやしいがハンサムで、“玉娘”のウェイトレスたち全員を手中に収めている。
店長の息子という特権もまったく通用しない。
昔、洗い物をしているレイに声をかけたことがあるのだが、「仕事のじゃまをするな!」と、フライパンで頭をぶん殴られたことがあったのだ。実に苦手な相手である。
あの女の本性を三人にも伝えたいところだが、発言のあとが怖いので、口を噤むしかないサムジであった。
昼食はミリィの母親が用意してくれた。切羽詰っている娘の状況をよく分かっているので、パンに野菜とベーコンを挟んだ軽食を運んできてくれたのである。
「あら、新しいお友だちかしら? 遠慮なく食べてね」
「あ、ありがとう、ございます」
恐縮するように顔を赤らめるリーザ。
めちゃかわいい。
「午後からは、オレも手伝う!」
「ええ? どういう風の吹き回し? 針を打たないデザイナーだって、自慢してたくせにぃ」
ミリィには心底驚かれてしまったが、サムジは自分の心情の変化をうまく説明することができなかった。何故か胸の中がもやもやとして、ベッドの上で座っていられなくなったのである。
ある程度縫製がまとまると、今度は木製のマネキンに着せて、細かな部品の位置を決めていく。特に襟元を飾る黄色の花びらが、今回のアピールポイントだ。
「リーザ、マチ針かして」
「はい」
ここからは、素人にはまかせられない領域。ミリィ、マスとともに作業を分担し、あるいは協力し合いながら、細かな作業を仕上げていく。これまで感じたことはなかったが、グループでひとつのものを作るとき、奇妙な一体感が生まれるようだ。
作品が徐々に形になっていくにつれ、期待と緊張感も高まっていく。
そして、日がかなり傾いたころ。
「――お、おわったぁ! しんだぁ!」
ミリィがばんざいをして、そのまま後方のぬいぐるみの上に倒れ込んだ。
「もうだめ。徹夜、しんどかった……」
マスも横向きに寝転んで、身体を丸くする。
どうやら二人とも、無理やりテンションを高めて、暴走気味に頑張っていたらしい。
「リーザぁ、“ボーヴぅ”、ついでに“ピエロ”も、ありがとう」
「感謝の気持ちが伝わってこないぞ」
茶色を基調としたチェック柄のワンピース。襟元を飾るのは派手な黄色の花びら。その出来栄えに、リーザが感嘆の吐息をつく。
「すてきな服ですね」
「そ、そう、かな?」
指導教師にほめられるよりも、百倍くらいめちゃうれしい。
ミリィとマスは起き上がることができない様子だったので、二人をまとめてベッドに放り込んで、家を出ることにした。
まだ日暮れには早い時間帯。“玉ねぎ娘”の方角へなんとなく歩いてみたが、リーザのこれからの予定を聞くと、特にないという。
ただ、日暮れ前には帰って、レイと夕食の準備をするらしい。
「あ、あのさ。このあと、時間があるんだったら……」
「あ――」
リーザが見つけたのは、住宅街の切れ目に現れた小さな空間。ハルムーニではよく見かけるタイプの公園だった。地面がむき出しになっていて、中央部分に、やや青みがかった葉をもつミムの木が植えられている。
「少し、寄り道してもいいですか?」
「え? あ、うん」
どきんと、心臓の音が鳴った。
いったいこれは、どういう状況なのだろうか。
雰囲気のよいおしゃれな店でお茶をして、そこで次回の約束をとりつける。それがサムジの女性攻略のスタイルだ。軽い感じでやや強引に、女性に後ろめたさを感じさせないように誘導する。
それなのに、気軽に誘うことができない。どういうわけかこちらがプレッシャーを感じてしまっている。こんな心境は初めて女の子に声をかけたとき以来だった。
リーザは公園の中に置かれたベンチに腰をかけた。
見つめる先には、五、六人の子どもたちが、ミムの木を中心にして走り回っている。
静かな喧騒、とでも表現すべきだろうか。子どもたちの甲高い声は、雑音ではなく、周囲の景色に溶け込んでいるようだった。
「子ども、好きなの?」
自分もベンチに腰をかけて、おそるおそる聞いてみる。
「はい。うちにも妹たちがいて、一緒にお勉強をしたり、遊んだり、家の仕事を手伝ってもらったり、とても賑やかだったんです。小さいほうの妹は、ちょうどあの子くらい」
赤色の服を着た女の子が、やや遅れがちに走っている。
子どもたちの様子を見つめるリーザの横顔は、穏やかで、透き通るようで、どこか大人びていた。隣に座っているはずなのに、なん故か大きな距離を感じてしまう。
「――あっ」
短い声とともにリーザが立ち上がり、走り出した。
視線を向けると、いつの間にか子どもたちの動きが止まっていた。
どうやら、先ほどの赤い服をきた女の子が、木の根に躓いてしまったようだ。
地面にうつ伏せになったまま、低い声で泣いている。
動揺したのか、他の子どもたちは女の子の様子をやや遠巻きに眺めていた。
リーザは子どもたちの中に飛び込むと、女の子を優しく抱え込んで、立たせた。
妹たちがいるというだけあって、実に手馴れた様子である。頭を撫で、土ぼこりを払って、元気づけるように話しかけている。
遅れてサムジもベンチから立ち上がり、ミムの木のほうへと向かった。
女の子は怪我をしている様子もなく、すぐに泣き止んだようだ。
「ねえ、お姉ちゃんも、“木守鬼”、やろうよ」
やや年上らしい男の子が、汗まみれの顔に得意げな笑みを浮かべて提案してきた。
“木守鬼”。木を挟んでふたつの陣地を決め、その間を移動する遊びである。
ただし、移動するには木の根が見える部分を必ず通らなくてはならない。そこには木をねぐらにしている鬼がいて、触れられただけで、その子どもは木になってしまう。静止して、奇妙なポーズをとらなくてはならないのだ。
少しずつ障害物が増えて、陣地間を移動するのが難しくなっていく。
女の子や小さい子にはハンデがあり、自ら木のポーズをとることにより、鬼はその子どもが見えなくなる。そういう設定だった。
ハルムーニの街には、中心に木が植えられた公園が多数存在するので、西区に限らず、どこの公園でも親しまれている遊びだ。
当然、十年くらい前には、サムジも近所の子どもたちといっしょに遊んだことがある。
しかし、“木守鬼”はけっこうな量の汗をかくし、先ほどの女の子のように、木の根に躓くこともある。山高帽にステッキ、そして革靴というおしゃれな姿では、ちょっと遠慮したいところだ。
白いワンピース姿のリーザにしても、同様だろう。
「いいわよ。やりましょう」
「やったっ!」
即答である。
「すいません。その、“ピエロ”さん。わたし、帰り道は覚えてますから、先に帰ってもらってかまいませんか?」
「え? あ、うん」
いつの間にか、リーザを子どもたちに取られてしまった。
「じゃあ、ルールを教えてね?」
「え? お姉ちゃん、“木守鬼”知らないの?」
「うん。でも、足は速いわよ」
「ちぇ、しかたがないなぁ」
再び、今度は十五歳の少女を加えた子どもたちの追いかけっこが始まった。
なんとなく立ち去りがたくて、サムジはミムの木から少し離れたところで、その様子を見守ることにした。
リーザ、けっこう足が速いな。
くそ、ませた鬼だ。リーザばっかり狙いやがって。
あ、あのガキ。“ポーズ”をとっているリーザに、わざと抱きつきやがったな! そのスピードだったら、止まれただろうが。オレも昔、好きな女の子にやったことがあるから分かるんだぞ!
あ、今のリーザの笑顔、めちゃかわいい。
……まただ。胸の中が、もやもやしてくる。
とうとう我慢できなくなって、サムジは山高帽と蝶ネクタイをとり、ステッキを地面に投げ捨てた。
「おい、頼む。オレも――まぜてくれ!」
「え~、兄ちゃん男だし、大人じゃん」
「ハンデをやる。オレだけ、片足けんけんで逃げるから」
子どもたちが相談し合い、なんとか仲間に入れてもらうことができた。
自分はいったい何をやっているのだろうか。
考えても答えは出ないので、とにかく身体を動かすことにする。
息をきらして汗まみれになり、木の根に躓いて土まみれになる。とてもナンパできそうにない姿で、サムジはひたすらけんけんをしまくった。
そして、西の空が茜色に染まるころ……。
子どもたちの騒がしい遊びは、終わりを告げた。
全員でミムの木の根元に腰をかけて、“木守鬼”のお礼にと、今度はリーザが子どもたちに教えた“草笛”を吹いている。
うまく鳴らせない子どもたちは必死だ。
「お姉ちゃん、どうやんの?」
「こうよ」
指で挟んだ草を口に当て、リーザは音だけでなくメロディを奏でる。それは、お日さまが隠れる前に家に帰ろうという趣旨の、懐かしい童謡だった。
リーザの膝の上には、赤い服を着た女の子。顔まで真っ赤にして草に息を吹きかけているが、音らしきものは出ていない。
「さあみんな、そろそろお家に帰る時間よ」
「え~!」
「やだ、もっと草笛する!」
「あたしも!」
子どもたちは大反対するが、リーザが「今度、また教えてあげるから」と約束すると、しぶしぶながら頷いた。
名残惜しそうな顔で、子どもたちが解散していく。
「わたしたちも、帰りましょうか」
「リーザ、待って」
山高帽とステッキを抱え込んだまま、サムジは呆然と突っ立っていた。
夕暮れの光に照らされているリーザは、汗をかき、髪はほつれ、白いワンピースも草や土で汚れていた。だがしかし、これまで見てきたどんなモデルよりも、どんなデザインの服よりも、完璧に調和しているように思えた。
この娘には、オレのデザインした“ひまわりの服”なんか、似合わない。
オレの服なんか、完全に負けてしまう。
「どうしたんですか、“ピエロ”さん」
「……サムジ。やっぱり、名前で呼んで欲しい」
「分かりました、サムジさん」
にこりと微笑む亜麻色の髪の少女に、サムジは目の眩むような酩酊感を覚えた。
運命の出会いなんてものじゃない。
こんな娘は、二度と――オレの前には現れない。
一歩距離をつめて、リーザに質問する。
「あのさ、リーザ」
「はい」
「その、なんていうか」
呼吸を整えて、話を切り出す。
「つ、付き合ってるひととか、いたりする、のかな?」
「つきあう?」
リーザは頬に手を当てて、小首を傾げる。
「ほら、恋人とか、そんな感じのひと、みたいな?」
たどたどしい説明に、リーザはしばし考え込み、少し頬を赤らめた。
この反応、どっちなんだ? 早く教えてくれ。
息がつまる。心臓が、破裂しそうだ!
「こ、恋人は、いませんけど……」
「よかった! あーびっくりした、ビバラッキー! いやごめん、突然こんなこと聞いちゃったりして。ほら、オレってさ……」
――なら、います。
かすかに聞こえたその言葉。
後頭部に片手を当て、口を大きく開けた状態で、サムジは硬直した。
「……へ? 今、なんて?」
「婚約者が、います」
リーザは恥ずかしそうに俯いていたが、やがて顔を上げると、空色の瞳を潤ませながら、これ以上ないくらい幸せそうな顔で言った。
「わたし、婚約してるんです」




