第三章 (4)
「……マルコ」
「なに、シャーロ兄さん」
「どら息子が好き勝手しないように、監視を頼む」
村長宅を出てしばらく夜道を歩いてから、突然シャーロが話を切り出した。
「か、監視?」
手にしていたランタンが、大きく揺れる。
「ああ。あいつはきっと、ぽかをやらかす」
田舎村でわがまま放題に育てられたヤドニには、一般常識や礼儀作法が欠如している。仕事どころか、家の手伝いすらしたことがないはず。言葉遣いもぞんざいで、すぐに感情的になるため、仕切人や客とトラブルを起す可能性が高い。
シャーロの推測に対して、マルコは反論することができなかった。
しかし、“豊穣の大地屋”が勝手に転んでくれるなら、それでいいような気もする。
そもそも今回の件は“森緑屋”とはなんの関係もない話だ。自分たちに対する仕打ちを考えれば、手助けをする義理はないはずだった。
「うちから自由市場の参加資格を横取りするなんて、ひどいよ!」
先ほどの打ちひしがれたような兄の姿を思い出して憤慨するマルコだったが、シャーロは予想外の言葉を口にした。
「それはいいんだ。もともと辞退する予定だったから」
「え?」
「“怠け箱”の改良と納品の件があるからね。当分の間、俺もダンも身動きがとれない。マルコにも家事の負担がかかっている。正直なところ、次の自由市場の準備どころじゃないんだ。“十回特典”がついたから、ちょうどいい機会だった」
――ちょっと待って。
何かがおかしい。
「え~と」
頭上に浮かぶおぼろ月を見つめながら、マルコは頭の中を整理した。
突然召集された商工会の寄り合い。
自分たちの目的は、“森緑屋”の商売に関するノウハウを死守することだった。裏帳簿を作ったのも、そのためだ。
作戦は成功したものの、タミル夫人の強引な策略により、夏の自由市場の参加資格を奪われてしまった。
さらに“豊穣の大地屋”に取り込まれそうになるところだったが、シャーロが道化役を演じて副代表の地位を断り、後事を自分に託した。
「……そういうことじゃ、ないの?」
自信なさげに聞くと、シャーロの答えは「半分だけ正解」だった。
「最初、タミル夫人が自由市場の“規約”を持ち出したとき、俺は第二十五条――“十回特典”の可能性を考えたよ。あのひとが抽選の結果を待つなんて、そんな悠長なことを考えるはずがないからね」
抽選の結果、運よく当選したとしても、最初に店を出せるのは、南門大通りの一番端の人通りの少ない場所になる。
売上げの最低限度額を達成することができず、継続参加の資格を失う可能性が高い。
それならば、“森緑屋”の推薦を受けることにより、大通りの中心に近い位置で店を開きたいと考えるはずだ。
「タミル夫人も、商工会のメンバーも、当然のように夏の自由市場に出るような顔をしていただろう? “規約”を確認しているはずなのに」
「うん」
「その時点で、確定だよ。自分たちからは言い出しづらいだろうから、こちらから水を向けてやった」
なんだかすごい話になっている。
「どうせ俺たちには、断ることはできないからね。せいぜいが、村長の“切り札”を使わせるくらいさ」
あのとき兄は、テーブルに両手をついて、肩を震わせていた。
その心情を慮って、こちらも心を痛めたものだが……。
そのときの気持ちを返して欲しい。
「タミル夫人は、さすがだよ」
「ど、どういうこと?」
思わず半眼になりかけたマルコだったが、兄の意外な呟きにはっとした。
タミル夫人は、ひとり息子のことが可愛らしくてしかたがないらしい。人前でちゃん付けで呼ばれて、ヤドニも不機嫌そうにしていたが、しぶしぶながらも母親のいうことを聞いていた。
実際のところ、仲のよい母子なのだろう。
しかしヤドニは、村長の跡継ぎとしては現在のところ落第点である。
本来であれば、父親の仕事を補佐する役――“使丁”に自ら志願し、経験を積み、村人たちの信頼を得る努力をしなくてはならない年齢である。
しかし、実際にやっていることは、取り巻きを連れて馬を乗り回しているだけ。昼間から酒を飲んでばか騒ぎすることもあり、村人たちから白い目で見られている。
だが、そんなダメ息子が“豊穣の大地屋”の代表となり、ハルムーニの自由市場で成功を収めたならば、一気に名誉を回復することができるだろう。
すでに“森緑屋”で実績を上げているシャーロを部下とすることで、ある種の格付けを行い、さらに“森林屋”のノウハウを吸収することで、商売の成功率を向上させる。
「春の自由市場に出かける前、タミル夫人は“森緑屋”の自由市場の出店回数を確認してきた。今回の件は、ずいぶん用意周到に計画されていたみたいだ。たいした企画力と、実行力だよ」
マルコの背筋に戦慄が走った。
タミル夫人に、ではない。自分の兄であるシャーロの洞察力に対してだ。
「だからこそ、“豊穣の大地店”が失敗したときの、反動がこわい。どら息子の評判は地に落ちるどころか、地面に潜ってしまうだろう。タミル夫人の怒りの矛先は、俺たちに向かうかもしれない。そんな状況だけは、避ける必要がある」
ゆえに、どら息子がぽかをしないように監視しなくてはならない。
ここまで話を聞いて、ようやくマルコはシャーロの意図を理解することができた。
「できれば、俺が手助けしたいところだけど、こちらにも重要な仕事がある。だから、マルコ――頼むぞ」




