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第三章 (2)

 うまく皮をむけなかった水芋。

 大きさがそろわず、一部煮えきらなかった具材。

 文句を言わずに、しかし会話も弾むことなく、黙々と野菜スープを食べ続ける妹たち。

 すまない。ぼくの実力が足りないばっかりに。

 心の中で謝りつつ、マルコはずり落ちそうになった伊達眼鏡をかけ直した。

 マルコは十二歳。運動が苦手で計算が得意。

 栗色の髪は癖が強く縮れていて、少しだけコンプレックスになっている。


「ごちそうさま。さてと……」


 エルミナが昼食を終え食器を片付けようとすると、メグが急に焦り出した。赤髪の姉が向かうであろう先を予想したのだ。視線をリビングの隅に向けて、慌しくスプーンを皿に置く。


「あ、メグも、ハルと遊ぶ!」

「全部食べてから」

「む~」


 リビングの隅で麦のミルク粥を食べているのは、つい二日前に新しい家族となった子犬のハルだ。

 生後二ヶ月くらいのオスらしい。

 痩せているし、毛艶もわるいし、いわゆる可愛らしい顔つきではない。頭が大きく、耳と鼻が長い。犬というよりも、ネズミとウサギを掛け合わせたような動物だ。

 警戒心と寒さのためか、最初はぷるぷると震えていたハルだったが、温かいヤギのミルクを飲んでぐっすりと眠り、翌日になると元気になった。とはいえ、バスケットの中がお気に入りの様子で、布切れに包まれて眠っていることが多い。

 特にメグがつきっきりで面倒をみており、そのおかげでこの末の妹は――勉強にまったく集中できていなかった。

 文字の書き取りの練習をしていても、「ゴフッ」というせき込むような子犬の鳴き声を聞くたびに、顔を上げて手を止めてしまう。食事中も気になってしかたがない様子である。

 いろいろと問題はあるようだが、とにかく元気になってくれてよかったと、マルコは心から安堵していた。

 リーザが家を出てからというもの、メグは家族全員が気をもむくらいしょげかえっていたのである。

 正直、エルミナがいてくれて助かったと思う。

 お転婆で男勝りのエルミナだが、妹の面倒見はいい。特にここ数日間の言動を見ていると、姉としての自覚らしきものが出てきたような気がする。

 まるで、突然いなくなったリーザの代わりになろうとしているかのように。

 みんな、少しずつ変わっていく。

 リーザはハルムーニで働き、ダンは村の鍛冶屋に弟子入りした。

 メグにしても、おや離れをして、また子犬と接し育てていくことで、どんどん成長していくことだろう。

 最初から変わっていないのはシャーロくらいのものだが、あのひとは例外中の例外だとマルコは考えている。

 さて、自分はどうだろうか。

 家ではおもに家計を担当している。その他にも、食料や生活必需品の在庫管理、そして春の自由市場では、仕切人へ提出する資料なども作成した。今は自由市場の決算を終えて、倉庫の整理に取りかかっている。

 でも、それだけだ。

 シャーロのように次々と商売のアイディアが浮かぶわけではないし、リーザのように料理が上手くて、子どもの面倒見がよいわけでもない。ダンのように物作りができるわけでもない。

 自由市場の売上げや市場税の計算などは、時間をかければ誰だってできることだ。

 シャーロの助手として商売の手助けをしていると、胸を張って自慢できるのかと問われれば、正直、頷けるかどうか微妙なところである。

 現に春の自由市場にしても、自分の代わりにリーザがついていったが、売上げは過去最高を記録した。

 それ自体は喜ばしいことなのだが……。

 もう少し、自分も活躍したかったと思う。


「ごちそうさま、でした!」


 パンと野菜スープを苦労して平らげると、メグは食器を洗面台に置いて、すぐに子犬のもとへ駆け寄っていく。

 入れ違いに、作業場のほうから二人の兄が憔悴しきった顔でやってきた。

 基本、食事は家族全員でテーブルを囲む決まりなのだが、シャーロが帰宅してから二日ばかり、このルールはまったく適用されていない。

 それだけ重要な、今後の家族の生活に大きな影響を与える仕事に、シャーロとダンは取り組んでいるのである。

 難しい顔をしているシャーロを見て、マルコは気遣わしげに言葉をかけた。


「苦戦してるみたいだね」

「うん。昼食がてら、休憩にする」


 シャーロの話によると、“怠け箱”の鉄の歯車と火打石の設置面の制御に苦労しているとのこと。新しく取りつけたネジを回して、歯車を押すことで火打石と接触させてみたが、どうもうまくいかないらしい。


「位置の調整がシビア過ぎる。歯車を強く押せば押すほど火花は出やすくなるけれど、その分ハンドルが重くなるし、磨耗も激しくなる。これじゃあ本末転倒だよ」

「あんちゃんどうする? やっぱり今までのやつを小型化したほうが、安定すると思うんだけど」

「歯車と火打石を固定するか。構造も単純になるし、確かに火花は安定するかもしれない。でも、数ヶ月使っただけで、百台すべてに調整が必要になるぞ」


 おもにリーザが家で使っていた“怠け箱”は、一日数回使用して、三ヶ月くらいで火花の出がわるくなった。

 それで商品として成り立つだろうか。

 ちょっと厳しいなとマルコは思う。

 自分がそう思うくらいだから、“森緑屋”の商品に対してさらに厳しい目を持つシャーロが、簡単に納得するはずがない。


「使い方に慣れてくれば、火はつきやすくなると思う」


 技術屋としての思考が強いダンは、安定重視のようだ。

 答えを保留したまま野菜スープの具材を転がしていたシャーロだったが、スプーンを皿の中に置くと、ふいに聞いてきた。


「マルコはどう思う?」


 話を振られて、マルコはここぞとばかりに考えた。

 確かに、最初のほうはむやみやたらと火花を出していたから、その分、寿命が短くなった可能性はある。たとえば、今のリーザが最初から“怠け箱”を使っていたら、一年くらいはもつのではないだろうか。


「お客さまに、効率のいい火のつけ方を教える、とか?」

「今回は、直接販売するわけじゃないからなぁ。そもそも、客の熟練度に依存するような商品は、売れないよ。誰でも――それこそ、子どもでも簡単に火種を作れるものじゃないと」


 やはり駄目だった。

 この手の話し合いでマルコの案が採用されたことは、ほとんどない。軽く落ち込んだものの、シャーロは自分の呟きにヒントらしきものを得たらしい。


「……火種か。今までは、どれだけ効率よく火花を出すかを考えていたけれど、火種のことはすっかり抜けていたな」


 シャーロはパンを手に取ると、小さくちぎって目の前に持ち上げた。


「火種の元となる素材には、どんなものがある?」


 これは一般的な知識なので、マルコも答えることができた。


「安いものだと、乾燥させたわらやおが屑。高いものだと綿や羊毛かな?」

「油豆はどうだ?」

「あぶら、まめ?」


 その名の通り、油をとるための豆である。その搾りかすは細かい繊維質で食用には向かず、もっぱら家畜の餌や畑の肥料として利用されていた。


「油豆のかすを乾燥させたら、綿や羊毛より燃えやすいはずだ」

「燃え尽きる時間が早い。火種にはならない、と思う」


 ダンが遠慮がちに口をはさむ。

 火種は木片や炭に移して火をおこすわけだが、その前に燃え尽きてしまっては意味がない。火種の元の素材として油豆を使うひとはいないはずだ。

 シャーロはしばらくの間、考え込むように視線を落としていたが、ふいに顔を上げて、指を鳴らした。

 あまりよい音はせず、残念そうに指先を見つめる。


「あんちゃん、なにか閃いたの?」

「食べ終わったら、すぐに作業場に戻るぞ」

「うん」


 仕事の邪魔をしたくはなかったが、マルコは用件を伝えることにした。


「あの、シャーロ兄さん。実はさっき、お客さんがきたんだ」

「誰だ?」

「チムニ村の、ヤドニさん」

「どら息子か」


 ヤドニは村長のひとり息子である。

 年齢は二十一歳。趣味は、無意味に馬を乗り回すこと。

 狩りの真似事もしているようで、ユニエの森にも取り巻きたちといっしょにやってくる。この教会に立ち寄っては、水や食料の補給を要求してくることもしばしば。

 本人曰く、村はずれの警備をしてやっているとのこと。

 だから、感謝しろとのこと。

 弓矢を持った男たちが森の中をうろつくことに対して、当然のことながらシャーロはよい顔をしていない。ヤドニたちが来ている日には、けっして森に入らないようにと家族に厳命していた。

 そして、嫌々ながらも補給を許しているのは、やつらの行動を把握するためだという。

 最近のヤドニは、リーザを目当てに来ているふしもあり、先ほど出迎えたマルコに対しても、苦虫を噛み潰したような顔で悪態をついていた。


「村長の――いや、タミル夫人からの用件かな?」

「商工会の寄り合いがあるから、日暮れ前に村長の家に来て欲しいって」

「商工会?」


 チムニ村にも、商業や工業を生業にしているひとたちがいる。酒場のマスターや鍛冶屋のパリィ親方なども商工会に所属している。

 とはいえ、人口三百ほどの村なので、その数は少ない。

 寄り合いといっても、酒を飲みながら愚痴や噂話に花を咲かせるだけなので、これまで“森緑屋”に対して、召集がかけられることはなかった。


「議題は?」

「春の自由市場の報告を聞きたいって」


 気難しそうな顔をさらにしかめると、シャーロはしばし考え込んだ。


「ダン、覚えているか? 馬車を借りにいったときのこと」

「うん。一番いい馬車を貸してくれた」

「いつもは嫌味のひとつやふたつは投げかけてくるのにな。タミル夫人はやけに愛想がよかった」

「あたし――あのおばさん、嫌いだ」


 会話に割って入ったのは、いつの間にかやってきたエルミナである。

 洗面台の脇にある桶からコップに水を汲んで、一気に飲み干した。


「リザ姉とメグといっしょに村に買い物に行ったとき、偶然会ってさ。難癖をつけてきたんだ。親がいないわりには、しつけがいいとかわるいとか。リザ姉、少し困ってた」

「難癖ね。難しい言葉、知ってるな」


 少し会話を脱線しつつ、シャーロは記憶を振り返った。


「あのときは、馬車か馬に細工でもされたのかと思って、徹底的に調べたんだけれど、結局なにも発見されなかった。実際にハルムーニの往来で、問題はなかったしね」

「そ、そうだったの」


 マルコはあ然としてしまう。

 確かに、出発前に馬車の手入れをするのは恒例の作業だったが、春の自由市場の前日には、シャーロとダンの二人がかりで、入念に調べていたのだ。


「馬車を返すときも、タミル夫人はやけに機嫌がよかった。いつもだったら、どんな商品がどれくらい売れたのか、しつこいくらい聞いてくるのにな。今回はあっさりしたものだった。おつかれさまのひと言だったし、土産に果物まで包んでくれた」


 だからこそ怪しいと、シャーロは断言する。


「マルコ、自由市場の決算は終わってるか?」

「う、うん。いちおう」

「売値を下げたもので、もうひとつ帳簿を作って欲しい」

「……え?」

「夕暮れまでに、利益を半減させた帳簿を作るんだ。商品の一部にも細工をする」

「そ、それって……」


 いわゆる“二重帳簿”というやつではないだろうか。

 動揺が顔に出てしまったのだろう。シャーロは苦笑して、説明を追加した。


「偽の帳簿を使って税金を支払えば、罪に問われるかもしれないけれど、商工会で報告するくらいなら問題はない」


 確かにその通りである。

 ハルムーニの自由市場での商売は、市場税を支払うことで完了しており、チムニ村でさらなる税金を支払う必要はない。本来であれば売上げや利益の報告すら必要ないのだが、話し合いの中で村長に求められてしまえば、容易には断れないだろう。

 それが、村の社会というものである。


「マルコ、やれるか?」

「――や、やるよ」

「よし。出発までに、俺とダンは“怠け箱”の試作品を完成させる。マルコは裏帳簿の作成。商工会には俺とマルコで出かける。ダンは……」

「うん、家で留守番してる」

「いや、徹夜続きで疲れているだろうから、今日は早めに寝てくれ。明日、パリィ親方に挨拶にいこうと思う」


 春の自由市場が終わったら、ダンは鍛冶屋に弟子入りすることが決まっていた。

 馬車をチムニ村に返すときに、シャーロはパリィ親方を尋ねており、その日取りを調整していたのである。


「エルは、メグの面倒を頼むぞ」


 シャーロは赤髪の妹をじっと見つめて言った。

 リーザがいなくなってから、ひとつ変わったことがある。シャーロがエルミナに役割を与えて、頼るようになったのだ。


「わかってる。心配しなくていいって」


 ぷいとそっぽを向いたエルミナだが、頬がわずかに赤い。

 その様子は、どう考えても照れ隠しにしか見えなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 待ちくたびれたぜ、タミル夫人さんよー
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