第二章 (5)
「えーと、あったあった。“カラシバ薬茶”を十袋ください」
「あ、はい。ありがとうございます」
「あと、生姜もいただくわ」
シャーロの作戦がずばり的中したのか、“カラシバ薬茶”は人気商品となり、つられて生姜や砂糖まで売れていく。
「シャーロ兄さん、あと三袋しかありません」
「分かった。今補充する」
秋の自由市場で大量に配り回ったこともあり、在庫が乏しくなってきた。もともとなくても生活には困らない嗜好品だけに、売り切れとなれば、味の記憶も薄れてしまうだろう。
「しかたがないな。ひとり五袋までに制限しよう」
シャーロが看板に追記しているうちに、別の客が手を上げる。
「この焼いた木の実、おいしいねぇ。ひと袋、もらおうかな」
「ありがとうございます」
リーザがきびきびと動き、キチの実を紙袋につめる。
“森緑屋”では、店内に小さなかまどを持ち込み、木の実や肉の燻製などを焼いて試食できるようにしていた。あたりには香ばしい匂いが漂っている。リーザからすれば非常食のような感覚だが、酒のつまみとしてつい手を出したくなるものらしい。
「ねえ、この肩掛け《ショール》、ひょっとして君が編んだの?」
若い男の客の問いに、リーザが困ったようにシャーロを視線を送った。シャーロは目を細くして、無言のまま「そうだと言え」と命令してくる。
「あ、はい。とても暖かいですよ。プレゼントにいかがですか?」
「う~ん、どうしよっかな?」
実は手先の器用なダンが冬の間に黙々と編み上げたものだが、兄からの見えざる圧力を背に、リーザはやや不自然な笑顔で見守ることしかできない。
売り子となったリーザも同じものを身に着けており、若い男の客は可憐な姿をまじまじと観察してから、購入することに決めた。
「編み物は初出品だけど、まさかこれほど売れるとは思わなかったな。今度はレースにも挑戦してみようか。“リーザのレース”って商品名にすれば、売れるかもしれない」
「シャーロ兄さん」
困ったような声と表情で、リーザがシャーロに詰め寄るものの、嘘が苦手な妹の抗議をシャーロは取り合わなかった。
「家族の生活のため」
「ううっ」
そう言われては、何も言い返せない。
立っているものは妹でも使う。シャーロはリーザを“森緑屋”の看板娘として、最大限に利用するつもりらしい。
自由市場は日が暮れるまで続き、“閉門の鐘”とともに終了となる。
商人たちはその日の売上げを計算して、運営事務所の仕切人に報告する。その後、商品を倉庫に保管して、解散である。翌日は早朝から開店の準備があるので、夜の街に繰り出す者は少ない。
七日間の宿は主催者である行政が用意してくれるが、最低ランクの施設である。身体を拭くお湯を出してくれるのが、せめてもの救いだろう。
寝室は男性用と女性用に分かれており、リーザは見知らぬ母子と相部屋になった。家族で行商人をしており、各地の名産品を仕入れては売り渡っているらしい。
行商人の母親は、これまで立ち寄った土地のことをリーザに教えてくれた。興味をそそられ、感心してしまう話ばかりだったが、彼女が最後に漏らした本音はリーザの胸に響いた。
「旅は楽しい。でも、とても寂しいよ。本当はね、この子のためにも、ひとつの土地に落ち着きたいって思ってるんだ」
自分はどうだろうかと、リーザは自問した。
静かな森の暮らしと、賑やかだが目が回るような都会の暮らし。双方を経験してみないことには比較はできないだろうが、自分にはどちらが向いているのだろうか。
リーザの思いを置き去りにして、自由市場は続いていく。
今回は天候にも恵まれ、客足が途絶えることはなかった。特に春の自由市場は、冬の終わりを祝う街の風物詩でもある。夏や秋と比べても来場者数は多い。冬の厳しさに耐え、春の到来を待ち望む心は、田舎でも都会でも同じなのだろう。
冬の間、小屋の中で育ててきた草花の鉢植えも売れた。“森の雫”と呼ばれる蘭の一種など、リーザの感覚からするとびっくりするような値札がついていたが、早々に売り切れてしまった。
「この街の花屋で買ったら、倍以上するからね」
シャーロはさも当然といった様子で説明する。
自由市場の期間内に商品を売り切るためには、価格設定が重要とのこと。
「この街でも買えるものは、より安く提供する。ここで買えないものは値段を高くする。自由市場は期間限定のお祭りだから、相場を壊さないように調整する必要はない。価格設定は自由にできるけれど、うまくバランスをとらないと、売れ残りが出たり、逆に売れ過ぎたりもする。“カラシバ薬茶”なんかは、もう少し値段を上げてもよかったかな」
また、季節も売上げを左右する重要な要素らしい。
「これは花屋さんから聞いたんだけど、鉢植えは春に多く売れるらしいよ」
売れないものがないのではないかというくらいの盛況ぶりに“魚味屋”のパキが何度も顔を出してきた。シャーロには悪態をつき、リーザにはしまりのない笑顔で話かけてきたが、シャーロに「商売の邪魔。お客さん以外と話をする必要はない」と言われ、欲しくもない革製品を買わされた。
一番の反響を呼んだのは、“怠け箱”である。
ハンドルを回すだけで火種がつく画期的なこの箱は、初日から評判となり、客だけでなく他の店の商人たちも見学にくるほどだった。
値段を聞かれるたびに、シャーロは言葉を濁した。
「作る数によって売値が変わってきますので」
「なるほど。道理じゃが、ちと大きいのう。狭い台所では場所をくってしまう。もう少し小型化できんか?」
それは恰幅のよい老人で、好々爺とした笑みを湛えていた。
「まだ商品化していないのは、小型化を目指しているからです。夏の自由市場までには、完成させますよ」
愛想笑いすら浮かべずに、シャーロは断言する。
「では、三百ほど注文するとしよう。できるかね?」
驚いたのはリーザである。値段も聞かずに注文するには、数が多過ぎるだろう。
ここで初めて、シャーロは苦笑らしきものを浮かべた。
「これは、炊事場の要となる火を扱うものですから、品質に問題があっては信用にかかわります。三百は無理ですが、百でしたら――満足されるものをお届けできます。もちろん、前金は必要ありません」
「ほっほっほっ」
老人は懐から名刺を一枚取り出し、シャーロに渡す。
「これじゃから自由市場は面白い。では少年よ、楽しみに待っておるからの」
そう言って、満足そうに去っていった。
「……リーザ」
「は、はい!」
「肉、焦げるよ」
何か大変なことが起こったような気がするのだが、シャーロは気負った様子もなく釣銭用の銅貨を数えている。燻製肉を皿に移しかえるリーザに、いつもの口調で説明した。
「心配はいらないよ。小型化については目処がついているし、さっきの老人が心変わりしたとしても、百台くらいなら完売できると思う。自由市場に出したり、料理屋に持ち込んだりしてね」
それよりも、問題は他にあるとシャーロは言う。
「鉄の歯車も火打ち石も、使えば使うほど磨耗するからね。そのたびに修理に呼ばれるのは困るだろう? 自分で歯車の位置を調節できる仕組みを作らないといけない」
リーザが使っていた“怠け箱”も、火花の出がわるくなるとシャーロやダンに調整してもらっていた。そのたびに箱を分解するのでは、確かに効率がわるいかもしれない。
「ようするに、今の“怠け箱”は、たとえ小型化したとしても未完成品ということさ」
「だいじょうぶなんですか?」
夏の自由市場まで、三か月半しかない。百台もの“怠け箱”を作るだけでも大変だというのに、さらに改良することができるのだろうか。
「――やるよ」
シャーロは迷いなく言い切った。
「絶対に、完成させる」




