あの日を捜せ
この日幌橋を訪ねてきたのは古い知り合いだった。彼の名は平間田、宇宙で指折りの冒険家であり野趣料理でも名が知られた男だ。ただし数年前に一線を退いており、しばらくその名を聞くことはなかった。
「心臓をやってしまってな、ひとつは取ってしまった。それで引退よ。ただまだ心残りがあってな。地球まで出張ってきたというわけよ」
平間田のいう心残り、それは死ぬ前にもう一度羅紋鶏を食べてみたいというものだった。
羅紋鶏はクロワッサンのように層を重ねる肉のきめ細かさから食通たちに珍重された鶏だった。過去形なのは絶滅したと考えられているからだ。
「それがわずかに生き残っているらしい。この日本にお前さんが居ったのもまさに天の助け、【宇宙の虎】に頼むのは少々憚られるが、最後の我が儘と思って付き合って貰えんか」
そう言って平間田は頭を下げた。幌橋はかつて彼の辺境探査にひと月ほど同行したことがあった。その時教わったサバイバル経験は今も血肉となっている。幻の鶏を捜すというのにも心が動かされた。幌橋はあの日の記憶とともに食べた羅紋鶏の味を思い出そうとした。
平間田が探し当てた場所は黒盃島と呼ばれる島だった。頼めば船は出してくれるが、かつては神が住むとされた神域であり今も人は住んでいない。親島である黒盃島の隣には赤盃島という子島があり、こちらには神を祀る神社を中心に50人ばかりの人が住んでいる。そこに幌橋と平間田は寝袋などアウトドアの装備一式を背負って乗り込んだ。
最初に宮司に頼んで黒盃島に渡る許可をもらう。安全祈願の祈祷でそれなりの初穂料を納めた。島で寝泊まりするのを黙認してもらうためでもある。
船着き場の隣の老夫婦から薪を購入する。こういう手合いに馴れているのか手際が良かった。汚したり散らかすつもりはないがチップ代わりに後片付けも依頼しておいた。
二人は黒盃島に渡ったが、平間田は「羅紋鶏がいるのは正確にはこの島ではない。祀られた石船を潜った別の場所だ」と幌橋に告げた。地下道の迷路を2時間35分ほどかかって抜けると、そこは夕暮れの草原だった。体感と違って倍の時間がかかったようだ。
他に誰もいない世界で、幌橋と平間田は険しい岩山に隠れる太陽を見つめた。久々に冒険家の顔に戻った平間田に、幌橋がスキットボトルからラガヴーリンを勧める。「医者には内緒でな」と言い訳して平間田はショットグラスを受け取った。
木陰を選んで寝床を作り野宿の準備をする。幌橋は円筒のサプリケースに繊維くずを入れて握り、スナップを効かせて強く振った。燃えだした繊維くずを種火にして付け木に移し、それを組んだ枝にさらに移して火を熾す。それを見ていた平間田が笑う。
「【圧縮】を応用したファイヤーピストンか。くくっ、まだ覚えておったかよ」
「忘れませんよ。お陰で重宝しています」
平間田の能力は【圧縮】だ。戦闘に特化してはいないものの、探索や料理で練度を磨いたそれは十分な価値を持つ。平間田との探索の間に幌橋はその知識を目で盗んだ。野外での料理もまたそうやって覚えた。
夕食に幌橋はニンニクの効いた焦がしパスタを作り、平間田は野趣あふれる鹿肉ベーコンのポトフを披露した。
「明日はあの山に登る。ちゃんとついてこいよ?」
満天の星を見上げながら、寝袋の中で平間田は隣にいる幌橋に声をかけた。そんな心配は無用と分かっていながら。それでも「はい」という幌橋の短い返事に満足して平間田は目を閉じた。
「ありがとうよ。最後の相棒がお前さんでよかった……おやすみ」
翌朝二人はそびえ立つ岩山に挑んだ。幌橋が先行してロープを張り、平間田が追っていく。崖面をクライミングで3メートルほど進むといくらか平地があり、そこが羅紋鶏が巣を作るポイントでもある。しかし巣は見られなかった。他に小動物の気配はあるが「ヘビかトカゲだろう」と平間田が言う。トカゲと聞いて幌橋の頭に嫌な考えが過ぎったが、平間田も最悪な状況をあえて口にしないのだろうと慮って言わなかった。
クライミングを繰り返してさらに15メートルほど登った。今度着いた平地はずっと開けた場所で、そこに人が入れる大きさの横穴を見つけた。二人が入っていくとその奥には直径10メートルほどの広い場所があり、そこがやつらの餌場になっていると分かった。食い散らかした動物の骨が無残に放置されていたからだ。
平間田と幌橋は手分けしてそれらの骨を調べた。古い下の層には鳥と覚しき骨もあった。仕入れた情報の通りこの山に幻の羅紋鶏は存在したのだと分かった。しかし同時にやつらがここにいるということは、さっきまで口にしなかった最悪な状況を突きつけられることでもあった。
無言で立ちすくんでいる二人に追い打ちをかけるようにやつらが洞窟に集まってきていた。およそ50匹ほどのその魔物、狡猾蜥蜴は羅紋鶏の天敵であり、巣の雛を襲い卵を啜り喰らって絶滅の原因となった。頭から胴の長さ30センチ、尾まで含めると45~50センチ。尾に鉄球のような瘤があり背を向け逃げるふりで攻撃してくるのが名前の由来だ。牙に弱いながら神経性の毒を持つ。人も襲うであろうことは餌場に人の骨が混じっていたことからも分かる。
「さてSOSを気取る柄ではないが魔物退治と洒落込むか。くくっ、おうよ、こうでもしないと鬱憤が晴れんわ!」
平間田が放った征空拳が狡猾蜥蜴をまとめてぐしゃりと押し潰した。幌橋は腰に差した幅広のマチェットを抜いて援護するように背中を合わせた。
「年甲斐もなく無茶をした…まあ反省はしても後悔してはないがな」
「もう喋らないでください。とにかく下に降りましょう」
戦闘中に動けなくなった平間田を背中に縛りつけて、幌橋はロープを垂らし崖を降りていく。
「なに、覚悟は出来ておったよ。最初会った時にお前さんにも分かっただろうがな」
「それでも私が付いていれば何とかなると……軽率でした」
平間田の心臓は本当なら冒険などできる状態ではなかったのだ。
「ベットの上など真っ平御免よ。あの星空の下で死ねるなら……それこそ本望……」
薬が効いてきたか、平間田は目を閉じて眠った。
平間田の回復を待つ間に、幌橋は阿茶伽羅を呼んだ。【ナインライブズ】を頼る気はなかったが仕方がない。「貸しにしておくわよ」と言われても幌橋はなげやりに言葉を返すだけだ。
(後が怖いが緊急事態だ。恩師の命には代えられない!)
「我が儘のついでで悪いが家に帰るまでが冒険だからよ」という平間田の願いで、三人は赤盃島に移動した。老夫婦に戻ったことを挨拶して後始末を頼んだ。
「ちょうど昼時じゃ。あんたらも食べて帰らいや」
老婆はそう言って一椀づつはっとう汁を振る舞ってくれた。小麦粉を練って平たくした生地と根菜と鶏肉を味噌で煮た郷土料理だ。
「あら、美味しいじゃない」
屈託のない感想を口にする阿茶伽羅の横で平間田と幌橋は顔を見合せた。
(これはあの時食べた羅紋鶏の! いや、似てはいるが……)
「これは地鶏の老鶏を潰したんじゃが、やはり口に合いませんだか?」「い、いやそんなことは……」
(地鶏とは在来種の血が半分以上残った雑種のこと。それならばその半分が……ならばこれは……)
平間田もまた幌橋と同じ考えにたどり着く。
「……くくっ、そういうことかよ。こんな形で生き残っておったかよ! 最後にこんな……贅沢すぎて死にそうになるわ」
笑えない冗談をとばす平間田だったが、譲ってくれと頼むと地鶏は島の外に出せない掟があるのだという。それならばと三人は島に泊まることにして、幌橋は地鶏を使った料理を夕飯に振る舞ったのだった。
少し経ってから、幌橋にも平間田の訃報が届いた。最後の旅のことは彼の口から語られることはなかった。
しかしその後、ある料理がきっかけでSOSは宇宙中からの来訪者の対応に追われることになる。幌橋はあの時に阿茶伽羅を呼んだことを後悔したが、すでに遅しというほかない。
アンナからもメールが来ていたことを思い出す。
「今すごく親子丼が流行ってるんだって。また今度作ってよ」




