7.〝蒼天の無限郷(パラパトリア)〟
「……は?」
「〝伴侶〟のリリスです」
「は?」
「で、ですから……。は、伴侶のぉ! リリスですっ!!」
私は、ガタガタと打ち震えながら後退りした。その後で巨大な〝本〟に、ゴン!──と、肉体を失っていたにも関わらず後頭部と背中を激しく打ち付け、目眩によろめきながら、その場に四つん這いになってしまった。目から星が飛び出す程の衝撃だった。どうやら、仮想現実世界においては、コンピュータの演算処理能力のおかげか、生前と同じ感覚を持つことが出来るらしい。私は死後、最も驚愕した。
(……先程まで機械音声のみだった人工知能の〝リリスちゃん〟が? 人の姿を象り顕現して居る──?)
私は激しく後頭部を打ち付けた衝撃で、しばらく四つん這いになったまま蹲って居た。いや、リリスちゃんの言葉による衝撃が重かったのだろう。ハッと我に返った私は、落ちてしまった眼鏡を拾い上げつつ、身体を起こして正座をした。
目の前には──。
聡明で美しい顔つきの若い女性が、黄緑色に光る長い髪をくるくると指先に巻き付けながら、モジモジとした様子で俯き赤面して居る。衣装はと言うと、腕と肩を露出させた白に輝くドレスの様なものを身につけて居た。ただ、耳は長くて尖って居た。肌の色は焼けてもおらず、かと言って白くもなく……健康的と言った感じに見えた。
「あ、あのぉ? り、リリスさんと仰いましたよね?」
「はい。……やはり。憶えておられないのですか? 魔王様?」
「わ、私は蔵前トシキと申しまして、げ、現実世界には妻も居ます。……死別致しましたが」
「では、問題無いですね?」
「はい? な、何がでしょうか?」
「私が、この世界で魔王様の〝正妻〟の座に着くことです」
「は、は、は、はい……?」
パアァァ……と、宙空に浮くリリスさんの身体から黄緑色に輝く眩しい光が発光して居る。辺り一面が、その神々しい光に包まれる最中──。リリスさんは両手を広げて、私に向かってニコリ──と、微笑んだ。私は、そのあまりの神々しさに目を奪われ、再び四つん這いになって眼鏡の縁に手をやった。
「……ま、眩しい」
「では、魔王様。正妻の私リリスが、魔王様の元居た世界──〝蒼天の無限郷〟へとご案内させて頂きますね?」
「え? いや、色々と、こ、心の準備と言うものが……」
「では、参りましょう! 魔王様!! 正妻の私とともに!! いざ、蒼天の無限郷へっ!!」
「ちょ! ちょっと!! リリスさんっ?! えっ?!」
(──ドオォォォン!!)
凄まじい竜巻が音とともに瞬時に巻き起こり、私とリリスさんは遥か上空へと飛ばされてしまった。しかし、巨大な曇の影に覆われたのか辺り一帯が暗くなる。一瞬、天を仰いだ私は──巨大な先程の〝本〟がパラパラと最初のページをめくり上げ落下して来るのを目にした。
「か、カハッ!! ぶ、ぶつかる!! し、死ぬぅっ!!?」
「魔王様! しっかりと目を見開いて居てくださいっ!! 〝本〟の中に参りますよっ!!」
「えっ?! リリスさん?! そんなっ!! わ、私っ!! え?」
◇
(──ドオォォォン……)
「え?」
気が付くと──。私は〝玉座の間〟とでも言おうか……。宮殿のドーム状の遥か天井にある窓の明かりが薄っすらと差し込む──仄暗い場所に座って居た。それも、足が床に届かない程の、身の丈に全く合わない巨大な椅子に。
「おぉっ!! な、なんと神々しいお姿ぁっ!! ま、魔王様が永き時を超え、ご、ご降臨なされたぞぉっ!!」
「フッ。落ち着きたまえ。魔王様を見つけたのは、この私。魔王様の復活に感謝してもらいたいものだな?」
「ふえぇぇぇん!! 魔王様ぁ!! 魔王様っ!! もう、会えないのかと想ったよぉっ!!」
「……皆の者、鎮まれ。魔王様は、長旅でお疲れなのだ。皆、粗相の無き様、言葉を慎め……」
徐々に暗闇に目が慣れて来た私は、驚くべき光景を目の当たりにした。薄っすらと見えて居た、声が聞こえた四人分の人影が私へと跪き──、段々と輪郭を伴って暗闇にその姿を浮かばせる。
しかし、私はその四人の中にある人物を目にして、更に驚いた。
「た、田中さん?!」
「蔵前さん! よくぞ、ご無事で!! あ、こちらの演者さんたちにも紹介を兼ねて説明をしておきますね?」
日の当たる薄っすらとした明かりの下に姿を現した田中さんは、いつもと同じスーツ姿だった。それを見た私は、「あぁ、休日ですが急なお仕事でお着替えになられたのですね?」と言った。田中さんは、ニコリと笑みを浮かべて「そうなんですよ、蔵前さん。ちょっと立て込んでまして」と、眼鏡をクィッと押し上げ口元に手を充てがった。
それを聞いていたのか、一人の武将の様な大男が剛腕と巨躯を持ち上げ、影の中から現れた。頭には、こめかみの辺りから二本の巨大な角が生えており金色に輝く眼をして居た。……この人こそが現魔王様を演じて居られる演者さんなのだろうと思った。ならば、私と同じく中身は幽霊の方なのだろうか?
「演者とは何だ? 霊鬼よ? また、お前の奸計か? 人間の恰好までしおって……。それに魔王様を巻き込むとは何事だ?」
「……説明をすると言って居る。極王、貴様にも分かる様にな?」
「小賢しい……。例の冒険者とか言う人間どもの話か? 弱過ぎて話にならん」
キョクオウさんに、レイキさん……。あぁ、田中さんは〝レイキ〟と言うお名前でしたね?──と、私は段々と状況を理解して行った。それにしても、キョクオウさんのコスプレと言うのか、身体的に施された芸術的装飾には驚かざるを得なかった。私は、仮想現実におけるコンピュータの装飾の凄まじさに目を見張った。まるで、映画さながら本物の魔王様を見て居る様だった。
「ちょ、ちょっとぉっ!! 二人とも、喧嘩はやめて!! 魔王様の久方振りのご帰還だよぉ?! まずは、魔王様をおもてなしの心でお迎えするのが先だよぉっ?! ね?」
田中さんとキョクオウさんは、もう御芝居の中に没頭して居られるのだろう。二人が仁王立ちにして向き合う、一触即発を想わせるビリビリとした空気が肌に伝わる最中──。肌の白い碧き瞳の少女が、金色の髪を振り乱しながら二人の間に割って入った。しかし、この少女の衣装は何処かで見覚えがあった。私は「はて?」と、一考したのだが思い出せなかった。中世ヨーロッパにおける田舎暮らしの少女と言った白の半袖の服に赤いワンピースと言った恰好なのだが──。
「……フィリィ? 喧嘩はしないよ? 魔王様は皆で、おもてなしするから。ね? 泣かないで……。さぁ、顔をお上げ」
「うん。レイキ、ありがとう……」
「フィリィ、やめておけ。芝居じみた真似をして霊鬼に近付くのは。後で、痛い目を見るぞ?」
「そうなの、レイキ?」
「まさか……? フィリィは、そう想うのかい?」
「……ううん。信じてるよ」
「ふん、馬鹿馬鹿しい。……興が冷めたわ」
やはり、迫真の演技とは見ていて心を打つものがあった。果たして、私に新魔王役など、務まるのだろうか? キョクオウさんにも悪い気がするし、いや、何かキョクオウさんには魔王役降板の深い事情があるのだろう。それに、フィリィさんの瞳に溢れる涙。演技とあっても、ここまで出来るものなのかと、そのフィリィさんの演技力に感嘆した。
……私は、身の丈に合わない巨大な椅子に座らせて頂きつつ、居心地の悪さを感じて居た。私も皆さんの足を引っ張らぬ様に頑張らねば──と。
私の目の前にいらっしゃる、田中さん、キョクオウさん、フィリィさんの三人が、私にお手本となる演技を見せてくれた後……。私に跪いて居たもう一人の四人目の物言わぬ人影が、ピクリと動き──。僅かに差し込む日の光の中に、その凛とした立ち姿を露わにした。
まだ、二十歳前後であろうか。その女性はとても若く見えた。ショートヘアにした黒髪が流れる様に肩に掛かり、大きな緋色の瞳には赤く鋭い眼光を宿して居た。服装はと言うと、黒光りした両の肩当てに白いマントを羽織ると言った形で、近代における軍服の様な衣装をお召になられて居た。もし、港町の異人館で撮影したならば、とても写真映えするだろうな……と、私は思いながらその美麗なお姿を見つめて居た。
「三人とも、茶番だな? 魔王様の御前であるにも関わらず、心苦しい……。魔王様、ご帰還直後より大変申し訳ありませんでした。我ら魔族四天王の非礼に、どうか慈悲深き罰をお与えください。この命と魂は魔王様のもの。どうか、何なりとお申し付けくださいませ……」
そう言って──。立ち上がるにも難儀な、居心地の悪い仰々しい椅子に座る私に向かって、静かに片膝と拳を突いて頭を垂れて居る一人の演者さんを目の当たりにした。ここは一つ、即興演技で返すべきだろうか? 台本の無い御芝居──それは、今後、この仮想現実世界における〝蒼天の無限郷〟で求められるものだろう……。私は、ゴクリと、唾を呑み込んだ。……行くか? どうする──。
コンコン……と、指先で思わず〝玉座〟に音を響かせてしまった私は──。
ビクッ!と、思わず反射的に顔を上げて、引き攣らせた表情を浮かべたその女性を目にした。その瞬間、思わず私もビクッ!と、攣られて身体をブルブルと震わせてしまった。チラリと、目を向けると……田中さんを含めた他の演者さんたちも、ビクッ!と身体を震わせて立ったまま固まって居た。
「ハァハァ……。ま、魔王様……。な、何と言う凄まじい威厳。そ、その黒き絶大なる覇気たるや……。み、身動き出来ませぬ。こ、これこそが、魔王様の本領っ!! ハハッ!! 身に沁みて余りある幸せに御座います!! この、ヒノメ……魔王様に一生の忠誠を誓うとともに、涙が止まりませぬっ!!」
私は──。この〝ヒノメ〟と名乗る女性に対して目が点になった。思わず「へ?」と、凄まじい〝本物〟の演技を熟した彼女に対して言葉が漏れ出て……。気が付くと私は、彼女が演技中にも関わらず、賞賛の拍手をこの〝ヒノメさん〟へと送って居た。
(──パチパチパチッ!!)
「……ま、魔王様ぁっ!!」
私の目の前で跪いて居たヒノメさんが、演技中において感極まったのか、突如として涙に溢れた表情を振り乱して、私へと抱き着いて来た。即興演技における本物の御芝居とは、これ程までに凄まじいものなのか──と、私は思った──。が、しかし──。
(──ドオォォォォン!!)
激しい落雷の様な衝撃を身体に覚えた私は、その後、驚くべき人物を目にした。
宮殿のドーム状の天井が突き破られており、モォモォと煙が立ち込めて居る。その場に居合わせた誰もが、その衝撃に言葉を失った。
「あら? ヒノメさん? 何をしていらっしゃるのかしら?」
「り、リリス様っ?!!」
驚いたヒノメさんが、後退りして……リリスさんへと跪いて居た。呆気に取られていた田中さんを含めたキョクオウさん、フィリィさんの三人も同時に頭を垂れて跪いて居た。
私は──。皆さんに笑顔を振り撒くリリスさんだけは、その迫力に、演技ではない様な気がして居た……。
「皆様? 表をお上げになってください。この度、魔王様により封印を解いて頂きました〝正妻〟の〝リリス〟です。ご機嫌よう……」




