6.実在しない現実と世界
「う、うわぁぁぁっ!! ぐっ、カハッ!!」
「到着致しました、……蔵前まおうサマ──」
「ハァハァ……。到着、ですか?」
さながら宇宙空間を彷徨い、浮遊して居た私は──。光の水平線の向こう側へと、〝リリスちゃん〟の力によって吸い込まれた際……。
霊体となる私の身体は、〝く〟の字に折り畳まれ……まさに臍の緒から別世界へと移行するが如く転送され、この仮想現実世界へと爆誕した。……と言うのが、正直な感想だった。
「……な、何ですか、此処は?」
「リリスの仮想現実世界へ、ようこそ……」
何だろう……。小人になって浮遊し、宙を彷徨って居る感覚がした。私は眼鏡の中央をクィッと押し上げ、目を疑う様な光景を目の当たりにした。
「と、図書館っ?! ……ですか?」
「いいえ。蔵前サマ、無限に存在する世界への入り口です」
先程から目には見えない、人工知能のリリスちゃんの声だけが響く。それにしても、驚いたのは──。目の前に見える巨大なビル群が、まさかの〝本棚〟だったことだ。
地上と言うべきだろうか──。俯いた視線の遥か下に臨むのは、まるで、絨毯の様に敷き詰められた〝森林〟だった。そこから、不自然な人工物が巨大なビル群の様に乱立し、遥か天に昇る曇を突き刺す程に天辺が見えない。代わりに、透明なパイプの様なものが血管の如くビルに螺旋状に巻き付いて居て、空高く伸びていることだ。そこから、まるで血液に運ばれた栄養素の様に、人にも見える物体がパラパラと頻繁に行き来して居るのが見える。
「り、リリスちゃん? あ、あれは?」
「〝人〟と、認証致します。〝器〟に入って居る状態もあります」
「どうして、私は浮いて……」
「田中サマから、まおう様には全体を俯瞰して見て頂ける様にと、仰せつかっています」
「そう、ですか……」
青空と曇──。それが、地平線の彼方にまで、果てしなく続いて居ると言うのに。太陽と言った概念は無く……。その代わりに、まるで、図書館の窓を思わせる巨大な四角い物体が、何枚も空高い場所に浮いて光って居る。
「あ、あれは? あの四角い物体の向こうには……何が?」
「名前をお呼びください。リリスです」
「も、申し訳ありませんでした。では、リリスちゃん? あの向こう側には──」
「〝魂の世界〟です。実在する唯一の世界。現実世界も仮想世界も等しく実在しません」
「え、えぇっ?!!」
驚くべき言葉を耳にした。もし、リリスちゃんの言葉が本当なら──、私が元居た現実世界も仮想世界の様に〝創られた仮の世界〟とでも言うのだろうか?
私は広大とも言える空の彼方を彷徨いながら、辺りをキョロキョロと見渡した。天を穿つ程の想像を超える巨木とも見て取れる巨大なビル群が、まさかの〝本棚〟──。その一冊、一冊の〝本〟さえもが分厚くて巨大に感じられる。重厚な装飾や文字が施されているものもあれば、背表紙の題名が読めない謎の文字から、何処かの国の文字を表記したものまで多種多様であった。小人の様に宙に浮く私の大きさと比較すると、その〝本〟の一冊の大きさたるや、宛ら超古代文明の巨大遺跡を見て居る様であった。
「……と、ところで。田中さんは? 先程からお姿が見られませんが?」
「〝蒼天の無限郷〟に居られます。そこは、魂の帰るもう一つの場所とも呼ばれ、転生ファンタジー小説を模倣して創られた仮想現実世界──〝異世界〟に御座います」
無機質なリリスちゃんの返事が、あるはずの無い私の脳内へと直接響き渡る様に聴こえた。傍から見ると、宙に浮く小人の様に見えるであろう私は「はて?」と、独り言を呟き眼鏡のフレームに触れると、ある重要なことに気が付いた。
(──〝蒼天の無限郷〟とは、何処かで聞いた言葉ですね? そう、確か、あれは……)
私は田中さんの会社でパソコンを触って居た際に、偶然辿り着いた画面上の、とある場所のことを思い出して居た。
すると、どうだろう──。
宙に浮く私の最も近くに建っていた巨大な〝本棚〟が、ゴゴゴゴゴ……と、煙を上げて急接近し始め、あわや私と衝突しそうになった。
「ぐあっ?! な、何ですか、急に?!」
弾き飛ばされそうになった私の目の前に、そびえ立つ──。巨大遺跡の建造物の様な一冊の〝本〟。直立したその様子を、私はゴクリと息を呑み込んで見上げて居た。すると、今度はエジプトの巨大ピラミッドにある石棺の蓋が、ズズズ……と開けられるが如く──その巨大な〝本〟が数メートル程……モォモォと土埃を上げて押し出されて居た。
そして、立ち込めた土埃が風と共に消え去ると──。その本の背表紙に刻まれた題名が黄金色に輝き始めた。驚いた私は呆然と、その様子を宙に浮いたまま見つめて居た。
しばらく、呆気に取られて居た私は、ハッとした後に我に返り……。眼鏡のフレームの中央を指先でクィッと押し上げた。
「いけない。茫然自失として居たましたね。ん? ……そうてんの? パラパト……? そう、読めますね?」
黄金色に輝きを放つ巨大なその不思議な文字を、私は何故だか明確に読み取ることが出来た。宙に浮いたままスーツ姿で腕組みをして座る自分を、客観的に見てしまった私は、どうしたってこのファンタジーな世界とは不釣り合いだなと思ってしまう。なのに、何故? 今になって、この習得して居ないはずの古代文字が読めてしまうのだろうか?
「……不思議ですね? 何故、私には読めてしまうのでしょうか?」
「まおう様、自分のお創りになられた世界を……お忘れ、ですか?」
「い、いえいえ! リリスさん!! な、何をそんな突拍子も無いことを?! こ、この世界は我が社の代表取締役である田中さんがお創りになられたのでは?!」
「否。……違います。元々あった世界に入られる様に暗号化し、まおう様の居た現実世界へと繋げたまでです。それは、私リリス及び田中サマ及び他の者たちによる尽力の賜物です」
「そ、そんなはずが……あるはず無いでしょうに!」
姿無きリリスちゃんの声が聴こえた後──。
宙に浮いたままの私は、自分の手をテーブルに置く様な仕草をしたが、そのまま空を切り……ダランと力無く手の先がぶら下がった。信じられなかった。
私は本物の幽霊の様に、何も無い空に浮かぶ様にして、しばらく呆然として天を見つめながら仰向けに寝そべった。
……この広大な仮想現実世界に乱立する〝本棚〟に収納されて居る無限とも見て取れる〝蔵書〟の一冊一冊が〝世界〟とでも言うのだろうか?
(──一体、誰が、何の為に?)
寝そべって居た私は寝返りを打った後、無限に広がって居る空に浮かぶ、四角い窓の様な物体の先を見つめた。
(──魂の世界? 神々の棲まう場所……なのか?)
ふと、目の前に押し出されて居た巨大な〝本〟が気になった私は、身体を起こしてから宙を泳ぐ様にして近寄り、本棚へと降り立った。そっと見上げながら自身の手でその巨大な〝本〟の表面に触れてみる。指先にザラッとした感覚が伝わり、灰色の埃が付着した。その瞬間──。錯覚だろうか。私は自分の心臓が、ドクン!──と、飛び跳ねる様な感覚を覚えた。
「魔王様、この本に書かれし世界〝蒼天の無限郷〟は時を追うごとに結界が弱まって居ります。しかし、同時にそれは人間界より〝人〟を〝冒険者〟として〝召喚〟することを可能にしたのです」
「……ど、どう言うことですか?!」
「主を失い、綻び始めた〝本〟の世界を繋ぎ止めるには、人の生み出す魂の活動エネルギーが……」
「必要だったと?」
「はい……」
その声が、先程まで頭の中で響いて居た感覚とは違い、私の直ぐ後ろから響いて来る様に感じられた。私は、それまで直接〝本〟に触れ、向かい合う様にして語り掛けて居たのだが──。
ふと、後ろを振り向くと……宙空に光の粒の様なものが集まり、人の姿を形成して行く様子が目に飛び込んだ。次第に、その輪郭が鮮明な陰影を象り、明確な姿へと変貌を遂げて行く。
そして、辺りには小さな蛍の様な光が玉の様に飛び交い、まるで物語からそのまま抜け出て来た様な姿を露わにした。
「初めまして。魔王様。お久し振りに御座います。物語における異界〝蒼天の無限郷〟では魔王様の〝伴侶〟として添い遂げて居りました〝リリス〟です。魔王様より授かりし、私の名前……。何度も魔王様自らが、お呼び頂けたことで、再びこの地に降り立つことが出来ました」




