12.最初の晩餐
「はぁ?! ぼ、僕が男の子だって?! 全く、オジサンはっ! この身体と顔を見て、分からないものなのかなっ!!? 仮にも魔王様だって言うから、もっと凄い人なのかと……」
「も、申し訳ありません……。貴方は、フードを深く被って居られましたし……その」
「何……?」
「む、胸が」
「は、はぁっ?! こ、この、セクハラおじさん大魔王っ!!」
──あの後、私は〝空中遊泳呪文〟で頭の中に響くリリスさんの声を頼りに、魔王城へと戻って来ることが出来たのだが。
実は少年ではなく女の子だった彼女は、この魔王城地下にある〝回復の泉〟でリリスさんによる沐浴を兼ねた施術を受けた後、とても元気になられた。
しかし、私たちは冒険者の皆様とは違い、〝本体〟が仮想現実世界にある。その為、攻撃で損傷を受けたり死ぬことは無いにせよ、体力だけは消耗するらしい。
「……凛? およしなさい。先程から私たちの魔王様に失礼ですよ? 魔王様を傷つけることは、私及び此処に居る全ての者たちを傷つけることに他なりません……」
「り、リリス様っ! そ、そうなんですか。……ご、ごめんなさい」
「良いのですよ。私も、遠慮のない貴方の振る舞いが好きです。その内、胸も……」
「は、はい……」
──凛。私の隣に座るその少女の名は、娘の名前と同じ響きだった。だが、赤らめて俯く彼女の素顔は娘よりも幼く、改めて覗き込んで見たのだが……別人であった。
少女は二つ括りのお下げ髪が、とても良く似合い、まだあどけない表情をして居た。
私は彫刻の施された美しい椅子に、リリスさんに言われるがままに、その子とともに座らされて居た。目の前の白く豪華な大理石のテーブルは金に縁取られ、生前に見たフランス料理の様なものが、リリスさんの手によって忙しく運ばれて居た。……何でも、リリスさんは妻らしいことをしたいのだとか何とか。そう仰って居た。
「……あ、あの。リリスさん? 戦闘中は助けて頂き、本当に有り難う御座いました」
「あら、何のことかしら? うふふ。私の想いが魔王様に通じたのかしら? 嬉しくなっちゃうわ……。正妻として」
「は、はぁ……」
リリスさんは背中に黄緑色に輝く長い髪をピンクのリボンで結んで居た。そして、フリフリの純白のエプロンを着て、楽しげに手を動かし微笑んでいた。
「ふふん〜。あ、そう言えば、フィリィとヒノメは、まだなのかしら? それに、キョクオウさんとレイキさんも」
「あ、あの。私、四天王様を呼びに行って参ります」
「良いわ、凛。貴方は魔王様のお傍に居て差し上げなさい。貴方も魔王様との戦闘でとてもお疲れでしょうから」
「は、はい……。分かりました」
そう言って──。有翼鬼魔獣や大海嘯竜など……物々しい怪物たちの石像が立ち並ぶこの大広間を後にしたリリスさんは、フワリと耳元の黄緑に輝く長い髪を掻き上げた。リリスさんの歩いた跡には、何故かキラキラとした光の粒が舞って居るのを目にした。そして、パタン!……と、部屋の扉が閉められ──、私は隣に座る凛さんと二人きりになった。
「……オジサンは、魔王様って呼ばれているけど。どう言うこと? なんで、此処に居るの?」
「そ、それはですね……」
蝋燭の炎が揺らめく──。凛さんは、頬杖をついて大理石のテーブルの上に並べられた料理を、しばらく見つめて居た。そして、ぷぅっと頬を膨らませた凛さんは、黄色いお下げ髪の先端をクルクルと指先に巻き付けて居た。
私は、ふぅっと息を吐いて、何故この仮想現実世界に来たのかを、ゆっくりと大理石のテーブルを見つめながら話すことにした。
「……家族を養うためですよ。田中さんにスカウトされましてね。この世界で魔王役を務めればお金が貰えるんです」
「え? 死んで居るのに? 幽霊なのに? 家族を養うって? それに……オジサンは本当の魔王様じゃないんだ?」
「すみません……」
私が俯くと、掛けていた眼鏡が、鼻先までズルリ……と落ちた様に感じられた。私は、クィッと眼鏡を押し上げてから、纏っていた黒のローブを膝の上でギュッと握りしめた。
「じゃあ、リリス様もレイキさんも、それぞれの役を演じて居るってこと? 仮想現実だから?」
「私は、そう思ったのですが……。田中さんとは、現実世界でお会いしましたし。リリスさんは、ちょっと事情が違う様ですが……」
「ふぅん。僕、皆は本物なんだって感激してたんだけどな。仮想現実だけど、何か存在感がリアルで。レイキさんとは、僕も現実世界で会ったよ?」
「スカウトですか? 幽霊演者としての?」
「……そうだね。でも、レイキさん、僕とオジサン以外は、全然集められていないみたい。難しいよね? 成仏出来ない幽霊を仮想現実世界に連れて来るなんてさ?」
「そうかも知れませんね。私も、幽霊同士でまともにお話出来たのって、貴方が初めてですから」
「だよね? 皆、殻に閉じ籠もって居るって言うかさ? 深い闇の中に居るって言うか……」
女の子なのに、〝僕〟と仰る凛さんは、指先に巻き付けて居た黄色の髪を手離すと、指先にポッ……と赤い炎を灯して見せた。
「──魔法。僕、ゲームの世界が大好きだったんだ。最近のゲームってさ? 世界を自由に旅出来るでしょ? 物語や目的に関係なく……」
「そうなのですか? 生前に少しばかり、その様なお話は聞いたことがありましたが……」
「オジサン、知らないの?! 仮想現実世界で、成りたい自分になれる! しかも、この〝無限郷〟は画面上だけじゃない初の没入型! 本格仮想実体験を実装したゲームなんだよぉっ?!」
「は、はぁ……。そうなのですね?」
「うーん。オジサンには、このゲームの凄さが伝わらないのかなぁ……」
凛さんの指先に灯る炎の魔法がボボボッ……と細く揺らめき、ハート型を描いて燃えて居た。それを、凛さんは頬杖をついてボンヤリと眺めて居る。私は、流石はレベル九十九超えの極限覇者……なんて、凛さんのことを想って見て居た。
「僕、男の子に憧れて居たんだ……。外を駆け回ったりして遊んでさ? 僕は、女の子だし、病弱だったからさ……」
「……そ、そうだったのですね?」
そう言った彼女は顔を上げて、私へと振り向き、あどけない表情をニィッ……と笑って見せた。
私と凛さんの声だけが響く、この大広間──。私たち以外、誰も居ない静けさの中、怪物たちの石像が、蝋燭の炎の明かりに不気味に照らされて居た。
「……触れられるんだよ? この仮想現実世界──、パラパトリアではさ?」
「え?」
「……もしも、会いたい人や忘れたくない人が、この仮想現実世界に冒険者として来てくれた場合──。待って居た僕たちには、会いたい人に触れられる機会がある……」
「……と、言いますと?」
「オジサンも、家族に会えるんだよ……? 本当の意味で」
「え? え? 本当ですか?! な、何と言う……ことでしょう」
「そう言われてさ? レイキさんに口説かれちゃったって言うか……。オジサンは、知らなかった?」
「い、いえ。そうとも、言われて居た様な、言われて居ない様な……」
……初耳だった。いや、何処かで田中さんに聞かされて居たのかも知れないが。
私は、このドーム状の天井が広がる薄暗い大広間をぐるりと見渡した。色鮮やかなステンドグラスの窓には、この世界の月の明かりが差し込んでいる。蝋燭の炎は、大理石のテーブルの上に置かれた料理とともに、私と凛さんを照らして居た。
その時、ギギッ……と大広間の扉が開かれ──。奥からヌッ……と、その角の生えた巨躯の身を屈める様にして、黒い影が現れた。極王さんだった……。
「……失礼する」
武骨にも一言──。そう呟いたキョクオウさんが、巨獣の様な体躯を丸めて、ノシノシとこの大広間を歩く。歩かれる度、その重量のせいか、大理石のテーブルの上に置かれた食器が音を立てて揺れて居た。そして、私の側まで来ると跪き、頭を垂れて静かに話し始めた。
「……大魔王様。この度は、遥々……。冒険者側への遠征に赴かれ、私は心配して居りました。出過ぎた真似かとは想いますが、凛を向かわせたこと、お許しください……」
そう言ったキョクオウさんは、片膝と拳を突いたまま──、龍の様な顔を上げて、ギロリと金色の眼を私へと向けた。
「いえ! きょ、キョクオウさん? 良いのですよ? 凛さんには、結果として貴重な体験をさせて頂きましたし? れ、レベルアップもですね……。それは、それは、凄まじい経験値を賜わりまして……」
私が、纏っていた黒のフードの中で顔を引き攣らせつつ──。あたふたと、身振り手振りで、キョクオウさんに説明していると。キョクオウさんは、顔を凛さんの方に向けて「でかしたぞ。凛……」と、呟いた。
そのまま、ムクッ!と自らの巨躯と頭の角を持ち上げたキョクオウさんは、私の隣の席から椅子一つ分空けて、ズズーン……と、沈み込む様に腕組みをされて座った。そして、瞑想するかの様に静かに深く目を閉じられて居た。
その斜め向かいに座って居た凛さんは──、緊張した面持ちを見せて居た。着用して居た黒いフードを深く被り、黙って俯いて居た。
しばらく沈黙の空気が流れ、蝋燭の炎だけが揺らめいて居た。私は、キョクオウさんと凛さんに何と声を掛けようか言葉を探しあぐねて居た。だが、キョクオウさんが大広間に入られた後、開いたままだった扉の奥から誰かの話し声が聞こえた。
「レイキとキョクオウちゃんの、スペシャル限定コラボぉっ! ミラクルだったよね!? 〝蒼天の無限郷〟始まって以来じゃない? まぁ、二人からの〝二重依頼〟受けてた凛ちゃんは大変だったろうね? その胸中や、如何ばかりか……。なんてねっ!」
「フィリィ……。私は、いつだって魔王様のことを案じて居る。レイキにしろキョクオウにしろ、軽率だ。もっと、魔王様には魔王様に相応しい生活を送って頂き、この世界が隆盛を再び極め……時代を取り戻すことが先決なのだ。そして、人間界を幽界一色に──」
「もぅっ! ヒノメったら、またその話? 野蛮なんだから……」
「フィリィ……。私は、もどかしいのだ。リリス様は秩序を司られ、魔王様はその絶大なる魔力で世界を創造なされる」
「知ってるよぉっ! 神々との戦いに敗れ、幾千年。その年月は……でしょ?」
「そうだ……」
──と、そんな話し声が、開かれたままの大広間の扉の奥から響いて、私は不意に顔を上げた。そして、仄かに蝋燭の灯る先に、真紅の中華服を着たフィリィさんと、艶やかな若葉色の和服を着たヒノメさんの姿を目にした。フィリィさんは長かった黄色の髪をお団子状に二つにまとめ、ヒノメさんは肩に掛かる黒髪に赤い珊瑚の髪飾りをつけていた。
「ま、ま、ま……魔王様ぁっ!!」
「わっ! ちょっと、ヒノメっ?!」
しかし、ヒノメさんは、私と目が合うや否や──。持っていたお盆と、七面鳥の丸焼きらしきものを宙に放り出し、座って居た私へと飛びついて来た。そして、纏っていた私の黒のローブの膝元に──顔を埋める様にして頬擦りをして居た。私は自身の膝元の光景に驚愕し、目が飛び出るかと思う程、万歳をしたまま固まってしまった。
そんな最中、宙に浮いたお盆と七面鳥の丸焼きを、フィリィさんが見事な足さばきでキャッチするのを私は目にした。
「覇っ! よっ! ほっ!! ふぅ。……危ない、危ない。って、ヒノメ!! 魔王様に献上する七面鳥なんだよぉっ!? 私が慌てて、足で受け止めちゃったじゃないっ!!」
「だって、だって……。目の前に大好きな大魔王様が居るんだもん……!!」
「まったく。見境がなくなるってレベルじゃないよね? レイキよりもキョクオウちゃんよりも、ヒノメが一番軽率じゃない?」
「……かも知れないな。し、しかしっ!! わ、私は魔王様のことがっ!!」
「ひ、ヒノメさん? わ、私の匂いを嗅ぐのは、ちょ、ちょっと違うのでは……?」
「魔王様……。申し訳ありません。無礼かとは存じますが、このヒノメ──魔王様から離れ難くっ!! ぐっ!!」
「おやおや……? 良いのかな、ヒノメ君? 魔王様直属の四天王ともあろう者が、そんな不敬を魔王様に働いても?」
「なっ?! くっ! レイキっ?!」
その声の主が──、蝋燭の炎の明かりが灯る、この大広間の石像の影からヌルリと浮かび上がる様にして、姿を顕にした。そこには、いつものブラックスーツをパリッと着こなした田中さんが腕組みをして立っていた。そして、眼鏡をクィッと押し上げた後、不敵な笑みを見せて居た。
「ヒノメは無様だね? そして、蔵前さん──魔王様はいつも寛大にあられる。初めての研修で、とてもお疲れだと言うのに。……魔王様、どうかヒノメを許してやってください。フィリィも一緒に、ね? でないと、また、リリス様が……」
そう言った田中さんは、「すまなかったね、凛……」と、俯いて固まる凛さんに声を掛け、それから、凛さんの隣の空いた席に音も立てずに座った。凛さんが、「いいえ、どうも……」と、小さく田中さんに呟く。ちょうど、その時、白の大理石のテーブルを挟んで真向いに座るキョクオウさんが、閉じていた片眼を開け──、静かに口を開いた。
「レイキよ……。お前の差し金か?」
「……にべも無い。お前だろ?」
その二人の間に座る空気は重く、私は耐え難かった。凛さんもだろう。私にくっついて居たヒノメさんは、いつの間にかフィリィさんから七面鳥が乗せられたお盆を受け取り、テーブルへと並べていた。その後で、フィリィさんは田中さんの隣の席に座った。ヒノメさんは、私の隣の空いた席に座ろうとしたが、「リリス様のお席だが?」と、キョクオウさんの低い声に、ヒノメさんは渋い顔をしてチッ!と舌打ちをした。
「冒険者パーティへの参加。失敗……ですよね? ずっと一人ぼっちだったのです。私は……」
私は──、魔王役としてこの円卓の中央に座らされ、尚且つ自分が何一つ魔王らしいことが出来ていないことに俯いて居た。生前と何一つ変わらない自身の社交性の無さに、涙が溢れそうになって居た。
「く、蔵前さん?! い、いえ、魔王様──。な、何もそこまで思い詰めなくとも?」
「い、いえ。田中さん……。わ、私なんかが魔王だなんて相応しく無いんです。それに、冒険者さんたちからは〝勇者〟だなんて言われてしまいまして……。私がこの世界に居る資格なんて──」
──と、そこまで言い掛けた時。田中さんを含めた四天王の皆さんが、驚きの表情で目を見開き、一斉に私へと顔を向け言葉を失って居た。驚いたことに、皆さん涙を浮かべて居られた。信じられなかった。
そして、円卓の蝋燭の炎が揺らめき、開いたままだった大広間の扉から最後の人影がスッ……と現れた。
「……魔王様。その御空の様な御心が悲しみの涙で濡れる痛み。如何ばかりかと存じ上げます。やはり、このリリス──、生涯を終生に至るまで魔王様に尽くすこと改めてお誓い申し上げます」
この仄暗い大広間に、リリスさんの身体からキラキラとした黄緑色の光の粒が立ち昇る。それは、まるで、生前の子ども時代を過ごした私が、夜の小川に群がる〝螢〟の光を見つめて居る様だった。
それから──、皆さんが驚かれる中、リリスさんは静かに私の肩へと腕を回して寄り添う様に瞳を閉じられた。
「大……ま、魔王様。あ、あの、私、凛のせいですから。だ、誰も悪くないんで、その……」
その時、ずっと俯いて言葉を噤んでいた凛さんが、涙目になりながらもポソリ……と、言葉を詰まらせながらも、私の傍で聞こえる様に呟いた。
(──私は、一体、何をしているのだろう? こんな少女を泣かせて? 私は、死して尚、こんな幼気な少女を傷つけるのか──?)
その瞬間、私は……ぐっと涙を堪え、フィリィさんが差し出してくれた盃を手に取り立ち上がった。
「わ、私は、ま、魔王っ!! 皆さんの魔王ですっ!! 誰にも恥じない!! そして、誰も悪くないっ!! この度は実に楽しかった!! 今宵は宴っ!! さぁ、乾杯ですっ!! 盛大な拍手をっ!!」
たどたどしい私の言葉が、静かなこの仄暗い大広間に響いて、蝋燭の炎がボッ……と揺れた。それを機に、一度に空気が変わった。悲しみの涙が、嬉し涙に変わった。その瞬間──。そうして、緩やかな楽しい歓談のひと時が、大理石のテーブルの上の蝋燭の炎とともに流れ始めた。
私の隣に座る凛さんが、「なんかさ、居場所って言うのかな? 家族……みたいだよね?」と、そっと私に呟いた言葉が、忘れられなかった。




