10.トランスユーザー。一人の少年
(──ドオォォォォン……!!)
「ぐあっ! な、なんだ?! こ、この揺れはっ?!」
「は、初めてなのニャ! 入社して以来……違った! 私がこの始まりの街〝ユートゥ〟に赴任されて以来なのニャッ!!」
……冒険者ギルドと田中さんが仰ったこのお店が、得体の知れない激しい揺れに襲われて居た。店主と猫耳のお姉さんが激しい揺れの最中、身を屈める様にして天井に揺れる吊り下げられたランプをカウンター内で仰ぎ見て居る。他の店員さんたちも「キャーッ!!」と悲鳴を上げながら逃げ惑って居るのが私の纏う黒いフード越しに見えて居た。
そして、カランカランと音を立てては、棚に仕舞われて居た食器やテーブルの上に置かれた皿や骨董品が、次々と振動とともに床に落ちては割れて行くのを目にした。私は心地良く酒に酔った最中、ボンヤリと黒のフード越しにその光景を椅子に腰掛けて呑気に見つめて居たのだが……。「あぁ、これも田中さんが用意されたイベントか、研修の一部に過ぎないのだろう」と、想って居た。その時は、まるっきり、私が〝魔王役〟としてすべきことは何なのか……なんてことは、すっかりと忘れてしまって居た。
(──パリン!!)
「何が起きて居るっ?!」
「外を見ないことにはっ!!」
「くっ! 魔物か魔族の襲来かっ?! し、しかし、あり得ない!!」
「……そうですね。設定上、此処〝ユートゥ〟の街全体が魔族側の依頼〝討伐〟対象になるなんてこと、時期的にも早過ぎますし。……想定外が生じて居るとしか」
皿が割れる音とともに──。一人の黒魔道士風の恰好をした少女が、手に持って居た古めかしい木の杖を天井へと掲げて居た。私は酔いの最中、「おぉ……見事な演出ですね?」なんて想い──伸びて居た顎髭を触りつつ黙って見て居た。
黒魔道士風の少女が全身から青白い光を放ち「〝認識透化〟っ!!」と、叫んだ瞬間……。重そうな鎧を着込んだ重騎士が仮面を外し、獣人風の恰好をした冒険者たちが顔を引き攣らせて驚いて居た。何も無いはずの空間には、この酒場に居た私たち全員に視える程に、敵認定された個体が複数……。立体化された映像とともに情報や記号が目の中に映り込んで居た。
「レベル、六十九……七十五……八十九? な、何体居るのっ?! あ、あり得ないっ!!」
「おいっ!! 〝極限覇者〟は居るのかっ?!!」
「い、いや、〝シーズン1〟は始まったばかりだぜ? そこまで行けた奴なんて居ないだろっ?! レベル九十九超えだぜっ?!」
「集団複数戦に持ち込めれば、或いは……」
「四の五の言って居る暇は無いぜぇっ!! 行くぜ、オラァ!!」
(──ゴゴゴゴゴゴゴ……)
外の建物が破壊されて居る轟音が鳴り響く。時折、魔法か何かで雷鳴が光とともに轟き──その振動とともに、熱波の様な火炎の渦が酒場の窓の外に見て取れた。
……しかし、どうだろう。
床に落ちて割れたはずのグラスや皿の破片は、ジジジ……と音を立てて消え去り、無かったことになって居る。もちろん、先程溢れてしまった私の酒も……だ。
「……此処は、仮想現実世界。よもや、そこまで慌てる必要は無いのでは? 恐らくは、破損した物さえも……」
私は深々と被って居た黒のフードの中で、眼鏡の中央をクィッと押し上げ……今尚揺れ続けるカウンター席を立った。
「だ、旦那っ?! そ、外に出るおつもりでっ?!」
「し、死んじゃうんだニャア!!」
「ふっふっふ。私を誰だとお想いで? 死などと今更……」
店主と猫耳お姉さんが私を心配する最中──。酔いが良い感じに回って来て居た私は、黒のマントをバサッ!と翻しつつ「ウィ〜ッ、ひっく!!」と、しゃっくりをした。内心、本当は先程まで呑ませて頂いて居た、溢れてしまったお酒のお代わりを頼みたかったのだが……。
冒険者ギルド内に居られた、全ての冒険者パーティさんたちがお店の外へと出払い、急襲して来た魔物たちと応戦を繰り広げて居る様子が窓の外に映る。その怒号に満ちた叫び声とともに、魔法詠唱の言霊が空間を引き裂き、ありとあらゆる自然現象を引き起こして居るのが振動とともに手に取る様にして分かった。
私はもう一度「ウィ〜ッ、ひっく!!」と再び、しゃっくりをしながらフラついて──。カウンター内で震えて縮こまる、スキンヘッドの店主と猫耳お姉さんをチラリと横目に見ながらコクリと頷いた。私は、カツンカツン……と木の床に音を立てて冒険者ギルドの外へと出た。田中さんに支給して頂いた丈夫な黒のブーツが、しっかりと私の脚に馴染んで居て、支えてくれて居たのが分かった。
◇
「……弱い。弱過ぎる。キョクオウさんが言った通りだ。ケルベロス、ヒュドラ、ミノタウロス……愛する召喚魔獣たちよ、僕の魔宝石へとお戻り。魔王様は、何処に居るのかな……」
「ま、まだ、私は戦えるわ……」
「お、俺もだ……。くっ!!」
「お疲れ様。もう、休んでて良いよ? 僕の目的は君たちじゃ無い」
「ま、魔族側のプレイヤー……なのか?」
「し、〝シーズン1〟で始まりの街〝ユートゥ〟に来るだなんて……。は、早すぎる!!」
「アハハ! もうちょっと、遊んでたかったんだけどね? まぁ、こんなもんだよね? レベルが高い冒険者でも五十そこそこ。レイキさんが用意した〝ゲーム〟の真骨頂は、これから何だけどな……」
私が酒に酔い、足元をフラつかせながら、西部劇に出て来る様な冒険者ギルドの扉を潜り抜けると──。
三頭犬魔獣、五頭魔竜、牛頭魔人……。まるで、私が生前通って居た図書館にあった〝妖精魔獣図鑑〟に掲載されて居た魔物たちが、星座の様な光を放ち、さながら夜空に消え入る様にして、空に浮遊した一人の少年の携帯する腕輪の中へと消え去って行った。その三体の魔獣たちは、この街のどの建物よりも大きく……巨大であった。それでは、冒険者パーティさんたちも成す術もなく、一溜まりもないであろうと想われた。
(──ビュウゥゥゥ……。バサバサッ……)
風が吹き、静寂が訪れた。紙屑の様な〝依頼〟の紙が何処からともなく舞い、私は半壊した街の様相に驚きつつも、空に浮く一人の少年を見上げた。まだ、高校生にも満たない……十五歳くらいと言ったところであろうか。ここで私は、一人息子の和人を想った……が、違った。その少年が、風の吹き荒ぶ曇天の上空から私を見下ろして居る。
私の眼下には、モウモウと煙が立ち込める最中、倒壊した瓦礫に埋もれた人々──この少年が召喚したであろう魔獣たちに全滅した冒険者パーティの皆様たちが、地面に転がり光の粒へと消え去ろうとして居た。
(──此処は、仮想現実世界。ログアウトして元の世界に還るだけ。本当に死んだ訳では無いのですから)
私は、ザッ……と、砂埃を上げて黒のフードを深く右手で覆い俯き、しばらく立ち尽くしてから呟いた。
「貴方は、〝演者〟さん──なのですか? それとも、魔族側のプレイヤーさん……なのですか?」
「ん? まだ、居たの? 黒魔導士が一人? えっと? ……オジサンって、誰?」
上空に浮遊する一人の少年──。その道化師の様な化粧。
私は酒に酔いつつも、クィッとフード越しに眼鏡を押し上げた。見上げると、少年の瞳の下に描かれた涙の様な青い模様が目に止まった。ただ、少年は黒の半袖のパーカーを着用して居り、両の腕には巻かれた包帯に見え隠れする様に、呪文の様な黒色の紋様が刻まれて居た。
(……脅威的な魔力の証ですよね? 何か、そんな感じがします。 先程までの晴天が曇天に黒く包まれて居て、天変地異でも起きそうな予感がしますね。ただ、象徴的な彼の涙の訳は聞いてみたい気がしますが……)
──波乱に満ちた空。大気が黒い雲とともに渦の様に、うねって見えた。その空に浮く少年の背後で。
私がフード越しに眼鏡の中央を押しやり見上げて居ると、眼鏡のレンズにポツリと水滴が付いた。此処は、仮想現実世界だが、雨も降る……。私は、そんなことを思いつつも目を細め、その少年の嘲笑した眼差しを見つめて居た。
「オジサンって、さぁ? 何で、ビビってないのかな? 僕の魔力──。さっき、目の当たりにしたよね?」
「それは、私が〝死〟を超越した者だからです。ウィ〜、ひっく!! んー。まだ、酒が足りませんね?」
「アハハ! 面白いことを言うね? 何か言って居ることがオジサンだけど、思春期っぽいよね?」
「貴方……名は何と仰るのでしょうか? 私は蔵前トシキと、申します。貴方も、つい此の間までは、まだ中学生くらいだったのでは?」
「……だから? 何だって言うの? 死んだら意味無いよね? けど、仮想現実は、殺し放題……。魔物だろうと、魔族だろうと。……冒険者だろうと。ま、冒険者はさ? 生命力がゼロになるだけで本当に死んだりなんかしないんだからさ? 僕に罪は無いよね?」
「……も、もしかして、貴方は〝演者〟さん──なのですか? わ、私は、そ、その……ゆ、幽霊なのですが……?!」
「え?」
幽霊の者同士が対面した時に働く、独特の直感──。それは、少年の言葉尻に含まれる隠された悲壮感。私は少年よりも幽霊歴が長かったせいなのか、目の前の少年よりも早くそのことに気がついた。
「……この仮想現実世界で、僕以外にも幽霊の人が居たなんて……」
「まさか、ですよね? けど、私は田中さんから〝幽霊演者〟さん募集のお話は聞いて居りましたので」
俯いた少年が私と会話をして居る間……。視線を落としながらも、その包帯に見え隠れする腕の紋様を、ずっと青白く発光させたままだったことに気が付いた。そして、その左腕は私へと翳され、五指からは凄まじい光の大火球が生み出されようとして居る。それは、まるで燃え盛る五つの太陽が、私を上空の光の渦へと巻き込もうとするかの様だった。
「くっ! あ、熱いっ!? りゅ、流星?! い、いや、太陽?! ──メ、隕石っ?!! し、しかし、何故、私にっ?!!」
「炎属性の最上位魔法の一つ、【星落】だよ? ……ごめんね、オジサン。街は消し飛んじゃうけど、止められそうにない。そっか、オジサンって、幽霊だったのか。 僕と同じ……。ま、でも、どの道さ? ……僕らは、もう死んで居るんだからさ?」
「い、いや! し、しかし!! ど、どうして、この街をっ?!!」
「もどかしいよね? キョクオウさんも、レイキさんも魔王様への想いは同じはずなのにさ? そうだ! オジサンってさ、魔王様──知らない? あの二人から別々に、連れ戻すのと、様子見て来るのと両方頼まれちゃっててさ? 魔王様ならさ、この程度の魔法で街が更地になっても……消えやしないでしょ? オジサンも、そう想うよね?」




