ジョイント
困った。
タクト=ハインは頭を抱えていた。
ただ、自身の経緯を述べただけなのに、女性を気絶させてしまった。
「あのう、ミカドさん。驚かれるのは構いませんが、大袈裟過ぎますよ」
タクト=ハインは羽織っていた上着を脱いで、ミカドを扇いでいた。
足場が悪い場所でひたすら横たわったままのミカド。顔を覗いて見ると、血の気が引いており口は半開きだった。
頑丈な鎧甲冑を身に纏っているので、卒倒によっての直接的な衝撃は防げている筈だ。しかし、もしかしたら、本当に体調が悪くなっていたら……。
タクト=ハインは喉を鳴らした。
救護をしなければ。と、全身が緊張感で熱っていた。
先ずは、脈拍。と、ミカドの右腕を左手で掴み、右の人さし指と中指を手首に押し当てた。
呼吸の有無を確認する為に、ミカドの口元に左頬を翳す。
タクト=ハインは眉を吊り上げた。
「起きてください、ミカドさん。僕には本気で大事な用事があるのです。いいですか、僕は容赦なく、今度こそ全速力であなたに挑みます」
「私の負けだ。色々と試すをしたことに詫びる」
タクト=ハインは右の掌を蒼く輝かせていた。
ミカドが笑みを湛え、タクト=ハインの腕を掴んで上半身を起こしていたーー。
***
見上げる空は、茜幻想。
陽は、平等に大地を照らしている。
「陽の温もりを受け止めたのは久しぶりだ」
ミカドは陽が沈む方角を見つめながら、息を静かに吐いていた。
「此処は“忘れられた大地”と、あなたはおっしゃった。僕が訊くのは耳障りでしょうが、どんな歴史が刻まれていたのかを教えてください」
「【オメガグリン】と、呼ばれていた。私は今でも記憶している。翠の微笑み、薫る風。そして、種族を越えた深い絆。私が人の象で生きていた、あたたかい思い出……。」
ミカドは噎せた。
鼻を啜り肩を震わせ、タクト=ハインの視線を反らすかのように、背を向けた。
「思い出を護る為に、あなたはたったひとりで此処にいたのですか?」
「他国の文明によって大地は枯らされた。私は強く願った。この大地に命が息吹くを取り戻したいと、願った」
「ミカドさん。あなたはとっくに“器”が消滅している。でも、僕と同じく代わりの“器”で象を留めている。僕には、そうとしか言いようがない」
ぴくりと、ミカドは全身を震わせた。
「わかりやすい人ですね」
「タクト=ハイン。私が亡骸と思い込んで葬った“器”はおまえのものだった。おまえのことを決めつけるはしたくない。還してあげたいところだがーー」
「上手く、誤魔化された。いいでしょう、女の人のあれこれに踏み込むのは僕の性分ではない。でも、僕の本来の“器”に於いては厄介なことがあると言うところですね?」
「ああ、その通りだ。私のことは訊いてほしくない。ただ、おまえには未来がある。私も手を貸す、おまえが“器”を取り戻すことに、私は援護する」
タクト=ハインは目蓋を綴じて首を横に振った。
「ひとりで“器”を取り戻すのか?」
「勿論です。あなたは、僕そのものと僕の事情を知らなかったから、やったことは当然です。僕が僕を取り戻す。誰が為にではなく、僕が立ち向かわなければならない。だから、あなたは手を出さないで」
ミカドはタクト=ハインの目付きを見た。
威風堂々。勇猛果敢。
ゆずらない意志。負けるは考えないと、心に強く、深く刻める。
男の本気の目。
ミカドは、今では遠くなった時の刻みで遭遇した男を思い出した。
「『あの者』も一見“怪人”だったが、信念を貫いた」
「僕は、ミカドさんがいう『誰か』と似ているのですか?」
「踏み込むな」
ミカドはタクト=ハインを睨み付けた。
「怖いな。では、そろそろ僕は取り掛かりたいので、くれぐれもーー」
「承知だ。蓋を開けば、衝撃からは逃れられない。覚悟はいいな、タクト=ハイン」
「十分、ばっちりです」
タクト=ハインは蒼く輝く“塚”をじっと、見た。
「御意」
ミカドは翻し、タクト=ハインの傍から駆け出して離れた。
遠く、遠く。
沈む陽が照して朱色に染まる大地を行くミカドは、何度もタクト=ハインへと振り返った。
同時に吹く風を頬に受けて、そよぐ翠の囁きに耳を澄ませた。
ーーミカド。あのお方が“器”を取り戻したら、あなたは大地に留まるは出来ない。始まりの始まりを【国】の民の血を受け継ぐあのお方が、成し遂げる。私は、未来を見た。今を護る為に立ち上がったあのお方が、大地を潤すと見た……。
「ええ、私も感じていました。女神よ、貴女も今度こそ、役目を終える。翠の風を薫らせるを、気が遠くなるような長い時の刻みからやっと解放される」
ーー少し、寂しいですね。でも、これもお互いがまだ見ぬ時へと旅立つ為の道標だと、受け入れます。
「いつか、また。お逢いできると、私は信じます」
ーーはい……。
声は風に今一度まじわり、ミカドは大空を仰ぐ。
「“女神”よ。私は始まりの始まりの瞬間をこの目で焼き付けて、未来へと記憶を持って帰る」
ミカドは、タクト=ハインがいる方向へと姿勢を正したーー。
***
「ミカドさん、ありがとう」
目を合わせているだろうと、タクト=ハインは大地で遠くにいるミカドの姿を振り返った。
「さてと」と、タクト=ハインは“塚”に視線を戻した。
蒼い光が瞬く“塚”の中に、本来の“器”がある。
一度離れた“器”と連結させる。当然、タクト=ハインにとっては経験がない。
時間が経過すればするほど“器”は意思を持つ。誰からの情報ではなく、タクト=ハインの直感だった。
間に合ったのかは、わからない。
わかるのは、過去と今の自身が対峙する。
『蓋よ、開け。そして、己の志を示せ』
タクト=ハインは全身を蒼く輝かせ、髪を獅子の鬣のように靡かせる。
ーーそうか、キミは本物の僕。僕と同じ“光”がキミにある。だけど、僕は僕だ。
“塚”が蒼の光を強く解き放す。
光にまじって、声が聞こえる。と、タクト=ハインは耳を澄ませた。
「ああ、そうだ。僕はタクト=ハインだ。あんたは本当の僕ではない、心が僕ではない。そのままタクト=ハインで動かれても僕が困る」
ーー我儘だな。僕、いや、俺はどうでもいい。と、いうよりおまえ、邪魔だ。
「言うと思った」
ーー覚悟はあるみたいだな。
「おまえなんかに言われたくない」
ーー不愉快だ。解った、貴様の粒子を残さず打ち消してやろう。
タクト=ハインは身構える。
足元で地面の隆起と震動、頬に針の先が刺すような空気との摩擦と痺れの感覚。
「消えるのは、おまえだ」
ーー滑稽だ。
「今一度言う。消えるのは、おまえだ」
光に混ざる嘲笑い。聴くタクト=ハインは眉を吊り上げた。そして顎をひき、息を吸っては吐くを繰り返した。
『アオハウマレル』
タクト=ハインは“塚”に両手を翳した。解き放たれた蒼い光は“塚”を覆い、燃え盛るような蒼の炎が色付いた。
積み上がっていた岩がひとつひとつと、溶けるように消えていく。
タクト=ハインはじっとしていた。
瞬間が来るのを待っていた。
目の前の蒼い炎。焼き付ける熱さはないが、岩を溶かしているのがタクト=ハインにははっきりと見えていた。
そして、最後のひとつである岩が溶ける。
ーーとうとう、蓋を開いた。貴様は本来の時を刻むと、頑とした。焚き付けている炎の中に入れば、今の貴様の“過去の器”は消滅する。
「“過去”は要らない。だが記憶は消えはしない。僕の記憶に“過去”は溶け込む」
ーー何を言っても揺るがない、もろそうなくせに強情だな。来るのだ……。
タクト=ハインは、笑みを湛えながら頷いた。
そして、蒼い炎の中にゆっくりとした歩調で入り込んだ。
最初は冷たく、次に温く。一歩一歩と前に進むにつれて気の温度が変化していると、タクト=ハインは肌で確かめていた。
『俺は過去の姿をしている俺と向き合った。貴様は俺なのに、まるで他人と接するような態度。動揺しているさえ、見受けられなかった』
タクト=ハインの目の前に、青年がいた。
「僕は驚かない。今の自分を外側から知る瞬間を味わうは、僕にとってはラッキーだ」
『呆れた奴だ』
「ははは。頭を抱えるのは、あんまり好きではないから。と、いうのは教えてもらったことだ」
『ああ、本来の俺である貴様は今でも“奴”を慕っている。だが俺は“奴”に負の感情を抱いている』
「うん」
『否定をしないのだな』
「キミは僕だ。僕が言葉にしないことをキミが言っただけだよ。誤魔化しが効かない僕の事実をキミは僕に教えてくれた」
青年は、タクト=ハインをじっと、見ていた。
『大地を照らして風を薫らせる。それが貴様の役目だ』
青年が言うことに、タクト=ハインは顔を強張らせた。
『動揺するとは、貴様らしくない』
「キミが口を突いた言葉に、僕はどう解釈していいのかわからない」
『時が訪れたら、解る』
青年は、目蓋を綴じて息を何度も吐く。
一方、タクト=ハインは身動きが出来なかった。
躱すに間に合わない。
足が、手が。まるで縛られている感覚で動かない。
『じっとしてろ、俺』
青年はタクト=ハインに掌を翳し、蒼い光を解き放した。
もう、終わりだ。と、タクト=ハインは思考を膨らませた。しかし、身体に激痛がないと、恐る恐る指先を動かした。
ーー縛っていた“道具”を消した。此れで貴様は自由だ……。
タクト=ハインは左手を見る。
「参ったな。自分そのものに戻ったのと『輪っか』が外れたのは嬉しいけれど、あとが恐いよ」
見上げると、満天の星。
タクト=ハインは、右手の指先で左中指を擦っていたーー。




