錠
タクト=ハインは、本来の時を刻む姿に戻る為に、列車の停車地に降りた。
此処に本来の“器”がある。
“奴”が言ったことを受け止めるしかなかった。
直感だった。
今、目指している先に探すものがある。
道標がない荒野を、タクト=ハインは突き進むのであった。
一方、タクト=ハインが不在の列車の中ではーー。
「うん、タクト探しに行ったよ。よくわからないけれど、此処にあるとわかったみたい。タクトに渡したあれがタクトそのものをガードしたまではいいけれど、大掛かりになっちゃった」
カナコが車内の通路にいた。
カナコは小型通信機を左耳に押し当てていた。
「誰と話しているの」
「ごめん、また連絡するね」
背後から話しかけられたカナコは、焦りながら小型通信機の通話終了ボタンを押した。
「で、誰と話していたの」
「珍しく声を掛けたと思ったら、矢鱈と人に踏み込む。ハビトの本性なのね」
「こそこそと、しかも先生の名前を出しながらの通話。誰だって疑うさ」
「偉そうに言うのね」
カナコはハビトを睨み付けた。
「嫌な態度だね」
ハビトは眉を吊り上げた。
「不愉快だわ」
カナコは鼻息を荒く吹いて、ハビトの肩を押し退けると9両目へと入って行った。
「やれやれ」
ハビトは溜息を吐いて、頭部の後ろを右手で擦った。
***
「アルマ、浮かないを顔していますよ」
「姉上、当然です」
アルマは自宅にいた。
自宅に姉のエターナが来訪して、ふたりでリビングルームにいた。
「タクトさんは守られた。副作用は起きると、覚悟はしていた。アルマ、あなたには何度も説明をした」
「カナコの説明だと想像以上の副作用だ。下車してまで本来の“器”を探す。しかもタクトは単独で行動を始めた。突き進む大地は元々封じられていた。何が待ち受けるのかと、特に今回集められた子ども達には護衛が付いていない。危険が迫ったら、誰が対応するのですか」
アルマはリビングルームの中で右往左往していた。顔つきは険しく、落ち着かない様子。一歩進むごとに息を大きく吐いていた。
「タクトさんは、何の為に子ども達と一緒に【国】に行くと決めたのか。アルマは解らないのね」
長椅子に腰掛けているエターナは、紅茶が注がれているカップをテーブルの上に置いた。
「解っています。心が痛むほど、タクトのことは解っています。ただ、此処でじっと待つのが辛いのです」
「先回りは、特にタクトさんには出来ません」
「ああ、私はタクトが“扉”を開くと消えるが嫌だった。くい止める方法を、姉上に相談したのは私です。姉上は、快く引き受けていただいた。姉上は過去に行き、タクトの“器”を複写した」
「“扉”の錠を外したタクトさんは模写した“器”のおかげで“芯”が消滅するのを免れた。同時に本来の“器”が保たれた。あなたがタクトさん宛にと、カナコちゃんに託した品にはタクトさんを守る為の“保護の力”が注がれていた」
「本来の“器”が飛ばされた。錠が外されて“扉”が開く瞬間の衝撃によって、タクトの“器”は飛ばされてしまった」
「運よく、飛ばされた場所が特定された。私たちでは位置が捉えられない場所にタクトさんの“器”はあった」
「姉上は、タクトが見つけたのだと?」
「いえ、その経緯はさすがにわたしでもわからないわ。それにしても、よく通信が出来たわね」
「そうなのだ。そこが、私でもわからないのです」
「少しは、落ち着きましたか?」
エターナは、呆然としているアルマに声を掛けた。
「はい」
アルマは髪に手櫛をした。
「あなたが淹れた美味しい紅茶、飲み直しましょう」
エターナは、アルマに腰を下ろすようにと促したーー。
***
タクト=ハインは転倒した。
足元が悪い道。突起していた岩を跨ぎ損ねて躓いた。
「はあ、しくじった」
タクト=ハインは強打した膝を擦りながら独り言を突く。
行けども行けども目指す先に辿り着けない。
時の経過がわからない。
停車地は『あの頃』では通過した。よって、踏みしめたはなかった。
『あの頃』は同志がいた。心強くて、どんな難関にも勇気が溢れた。皮肉にも『あの頃』と同じ姿なのに、何故かもどかしい。
『あの頃』と違う。と、タクト=ハインは歯痒かった。漠然とした心の中を今、誰かに見抜かれたらと、身震いもした。
ーー面倒くさいから、そういうことにしとけ。
タクト=ハインは、何時だかそう言い放ったルーク=バースの言葉を思い出した。
考えるより行動が前に出るのがルーク=バースだった。当時は隊長の肩書きがあるにもかかわらず、破天荒な言動を本気で実行していた。
尊敬と嫉妬が隣り合わせだった。
近いが遠い存在だった。
兄のように慕う一方、気はゆるされない。
記憶を辿らせるタクト=ハインは、ルーク=バースに対して負の感情を湧かせていたと、想いを巡らせた。
タクト=ハインは腰を下ろしていた。
何気なく、ズボンのポケットに左手を入れる。
〔己が吹かせる風を濁らせるな〕
皺だらけの便箋をひろげ、記されている一行を何度も目で追った。
カナコがアルマから預かったメッセージ。
受け取って読んだ瞬間は、苦虫を噛むような心情だった。
自ら踏み込んだ、今回の出来事。志しは変わっていない。ただ、思いがけないアクシデントに手間取ってしまった。
今では想い出のアルマ。それでも大切な人だということには変わらない。
そして、ルーク=バースとアルマの間に生まれたカナコとビート。
縁とは不思議だと、タクト=ハインは胸の奥を熱くした。
手繰り寄せられた絆。
世代を越えて、再び【国】を目指すことになった。
見守られる、見守る。
かつての同志がまるですぐ傍にいるようだと、タクト=ハインは心を擽らせた。
「母さん、見ていて。僕は、必ず辿り着くよ」
タクト=ハインは空を仰ぎ、立ち上がった。
視線を前に向け、遠くで瞬く蒼い光をじっと見つめ、まっすぐと歩き始めたーー。
***
時の経過がわからないまま、タクト=ハインは目指していた光の目の前に到着した。
岩がお粗末に何層にも積み上がっている。
例えるならば、塚だ。
タクト=ハインはまるで墓石のようだと、皮肉混じりなことを思った。
積み上がる岩の下に、本来の“器”がある。
光が瞬いているということは“器”は象を留めている。
今すぐに。タクト=ハインは岩に手を差し伸べた。
あと、僅かで指先が触れる。
タクト=ハインは意識を集中させていた。
ーー今すぐ離れろ、愚か者。
凛とした、澄みきる声のあとに、痺れる感覚と息が詰まるような風圧。
タクト=ハインはふたつの衝撃によって、岩が剥き出す地面に背中から叩き付けられた。
「貴様の狙いは、何だ」
タクト=ハインは仰向けの状態だった。
起き上がろうと、体勢を直すところで鋭い切っ先を目の前にしていた。
「ご丁寧な歓迎で、感謝します。だけど、此方も大事な用事があるので、あなたが僕に向けている危ないものをしまってください」
「例え、子供だろうと容赦はしない。今一度訊く。貴様の狙いは何だ」
タクト=ハインはぴくりと、頬を痙攣させた。
「どうした?『子供』と、言われて癪に障ったのか」
「残念ですよ。あなたは、見た目で人を判断する。言い換えれば、ありすぎる自信が裏目に出てしまう」
「負け犬の遠吠えか?」
「安心してください。あなたの綺麗なお顔には傷を入れませんので」
タクト=ハインは膝を曲げて、褄先に“蒼い光”を瞬かせる。
空に、大地にと、辺り一面が蒼い光で照らされたーー。
***
大気が震えた。
軍司令塔にいるルーク=バースは、窓の外に視線を向けた。
「バースさん、ご自宅から通信が入っています」
「解った。此方から繋げ直すと返信してくれ」
ルーク=バースは官部が通信を終了させるのを待って司令塔から退席する。そして、個室に移動をして携帯している小型通信機を作動させた。
「バカちん。軍に通信はするなと、何べんも言わせるなっ!」
『知ったことはないっ! こうでもしなければ、おまえはまともに話しに応じないからだ』
「……。悪かったな」
ルーク=バースが小型通信機越しで詫びる相手は妻だった。
『まあ、それは置いとく。おまえも、先程の衝撃を感じ取った筈だ』
「ああ、はっきりとな。全身がびりびりと、痺れた」
『タクトは、何かと衝突した』
「“力”を思いっきり打っ放すくらいの何かとだろう。タクトの“力”と共鳴した衝撃が大気を揺さぶった」
『バース……。』
「おいおい、俺たちの子供たちそっちのけであいつを気にしてどうするのだ」
『仕方ないだろう。おまえだって、私と同じ思考の筈だ』
ルーク=バースは妻の言葉に反応して、笑みを湛えた。
「今回依頼された任務にマシュを押っつけた。僅かながら、宛にはしている。此方もミッションに向けて準備中だ。早くて、明後日に“紅い風”を逐う」
『《団体》には隠密なのか』
「うんにゃ。奴らはスッポンのような食らい付いたら雷が鳴っても離さない組織だ。ある程度バラして奴らを引っ掻き回す」
『呆れた作戦だ』
「今度こそ《団体》そのものをブッ潰す」
ルーク=バースは目付きを鋭くさせて、声色を低くした。
一方、タクト=ハインはその頃ーー。
「おのれ……。」
「あなたに戦いは似合わない。どうか、心を静かにして対話をしましょう」
タクト=ハインは、刃を剥けた相手から“力”を発動させて退く。そして、鳩尾を両手で押さえている相手を直立不動の姿勢で見据えていた。
「わたしは“忘れられた大地”を保護している。貴様のような不法侵入者から大地を守る役目を担っている。ただし、鎮魂は手厚くする。貴様がその気ならば、安心してわたしの手に掛けられろ」
タクト=ハインは「はあ」と、溜息を吐いた。
「巫山戯るな」
「僕は、あなたが間違いなく女性だとは、解ります。でもですよ、一方的にしかも初対面の人に険相ではあなたの魅力は伝わらない。女性らしい柔和な仕草で相手を取り込むが、あなたにはお奨めです」
相手は顔を火照らせていた。そして、全身を震わせて、握りしめていた剣柄から手を離した。
「やっと、真面に話し合える」
タクト=ハインは地面に落ちている剣を拾うと“蒼い光”を注ぎ込み、剣を消滅させた。
「貴様の。いや、貴方の“光”は、澄みきっている。わたしが先程葬ったお方と同じ“光”の輝きだ」
「『葬った』は、酷いですね。僕、ぴんぴんしているのですよ。あ、あなたのお名前は?」
「ミカドだ」
「もしもーし、僕はタクト=ハインです」
タクト=ハインの足元に、鎧甲冑の姿をしているミカドと名乗った女性が倒れていたーー。




