第58話 ??才 憂う少女
お嬢様が元気をなくなって数日。旦那様との間に何があったのか、お嬢様は語ることはなかった。
そんな中、レミィ様が直接お嬢様の部屋まで騎士と従者を引き連れてやってきた。
「リリス」
この日レミィ様は初めてお嬢様を名前で呼ばれた。
「レミィ様……何の御用でしょうか?」
「いくらお前でも剣王杯は知っているわよね」
「はい。確かここグランドハイド王国で最も強い剣士を決める大会であったと記憶しています」
「そうよ。それが今年は七国主催で盛大に執り行われることになったそうよ。それも武器、魔法、種族、クラス、何一つ制限なく」
人間が統治する『グランドハイド』。エルフが統治する『シルバーフォレスト』。ダークエルフが統治する『ディープブラッド』。オークが統治する『タイタン』。ドワーフが統治する『ダマスカス』。ドラゴンハーフの統治する『竜の巣』。ビーストの統治する『ブルーウォルフ』。『七国』というと基本的にこの七種族が統治する国を指す。他にもフェアリーが統治する『フェアリーガーデン』や魔族が支配する『死の大地』などもあるが、他種族では立ち入ることすらできず、交流は断絶している。
そして剣王杯とはグランドハイド王国で毎年行われている『人間でさえあれば誰でも出場することができる剣術大会』であった。
「え、それって……」
「当然各国から実力者が送られて来るでしょうね。国賓を伴って」
「まさか……」
「そのまさかよ。お父様はその機会にあなたの顔を売り込むつもりのようね」
お嬢様の顔を売り込む…………、一体どういうことだ?
「…………」
「お前を一族として認めることには吐き気を覚えるほどだけれど、これもエーベルハイト家のためと思って我慢してあげるわ」
「…………ぃ」
お嬢様の風の音で消えてしまいそうな小さな呟きが確かに耳へと届いた。
『私は認めない』と。
恐らく聞き取れたのは俺一人だろう。
なるほど。お嬢様はこの方々を家族として認めていないのか。
「何か言った?」
「……いいえ」
「まぁそんなことはどうでもいいのよ。その大会の予選にあなたの奴隷を申し込んであげたから」
「え」
奴隷とは当然俺のことだろう。
「もうすぐ嫁いでいくのだから、もうその奴隷もいらないでしょう。精々最後まで私を楽しませてね」
嫁ぐ?お嬢様が?
「そんな!」
「予選が終わってもし生きていたら私がもらってあげるわ」
戸惑うお嬢様の姿を見て満足そうに笑みを浮かべたレミィ様は、部屋を後にした。
お嬢様の嫌悪する人物に所有されるなどぞっとする話だ。
お嬢様の方へと目を向けると顔を真っ青にしていた。
いけない。
俺はお嬢様が落ち着けるように椅子に座るように促し、暖かいお茶を用意した。
「どうぞ。これを飲んで落ち着いてください」
「ありがとう……」
そう言うとお嬢様はカップに口をつけた。
まるで魂が抜けたかのようなその表情は見ていて痛ましい。
「暖かい……」
お嬢様がカップの半分ほど飲まれたところで俺は先ほどの話を尋ねてみた。
「お力にはなれないかもしれませんが、よろしければお嬢様が憂いでいることをお聞かせいただけませんか?」
「そうなのじゃ!お嬢様が何に悩んでいるのか聞かせて欲しいのじゃ!」
楽天家であるキキさえも心配するほどに今のお嬢様の顔色は悪い。
「お嬢様。もうシノたちにも話されては……」
アルマ様は心配そうに声をかけた。
事情を知っていたのか。
お嬢様はアルマ様の言葉に頷くと、ぽつりぽつりと今回のことについて語り始めた。
「先日お父様にエーベルハイト家の娘として嫁ぐよう言われました」
やはり……という思いが強かった。『嫁ぐ』という言葉から大方の予想はできていたからだ。
「それは……政略結婚ということですか?」
「そうです……」
お嬢様は頷いた。
しかしおかしい。今までこの家の者がしてきたお嬢様への仕打ちを見ると、お嬢様をエーベルハイト家の者として扱うつもりはなかったように思える。
事情が変わったのか?
となると最近お嬢様が塞ぎ込んでいた原因はこの結婚話ということになる。
ならば俺の取る行動は一つしかない。
「ではその話を潰してしまいましょう」
「え!?」
「なんだと!?」
「さすが御前様じゃ!」
約一匹を除いて二人が大きく驚いた。
「もちろんお嬢様がその気があるのであれば結婚も宜しいかと思いますが」
そこまで言うとお嬢様は悲しそうに目を伏せた。
やはり政略結婚は嫌なのだろう。
当然の反応だ。十中八九、いや、お嬢様の政略結婚に関して言うならば、お嬢様の幸せが考慮されないことは確定的に明らかであると言える。
娘が幸せになれるような結婚相手であるならばレミィ様や他の姉妹たちに話がいくことだろう。
お嬢様に話が来たということは、他の娘たちを嫁がせたくないところへと嫁がせるのが目的である可能性が高い。
となればお嬢様にとってその政略結婚はどう考えてもデメリットの方が大きすぎる。
ならば判断に迷う必要はないだろう。
「お嬢様の御心をここまで煩わせてしまうような事柄であるならば、排除してしかるべきだと考えます」
「しかし……これはエーベルハイト家当主である旦那様の決定だぞ!」
アルマ様は悔しげに言い放った。
しかし。
「俺はエーベルハイト家の奴隷ではなくお嬢様の奴隷ですから」
「シノ……」
そう。俺は旦那様に選ばれたのではない。お嬢様に選ばれたのだ。
だから俺が求めるのはエーベルハイト家の利ではなく、お嬢様の利。
「そのためにはまずなぜ旦那様がそのようなことを言い始めたのか知らなければなりません」
「え、屋敷から逃げ出すわけではないのですか?」
お嬢様が目をぱちくりとする。
屋敷から逃げ出す……まさかお嬢様がそこまで思い詰めておられたとは……。
俺はまだまだお嬢様を見誤っていたらしい。
結婚阻止の優先順位を最優先目標に設定。
その上で計画を立て直していく。
「それは最後の手段にしておいたほうが良いでしょう。ただ単純に旦那様に逆らうだけでは怒りを買ってあらぬ罪を擦り付けられるかもしれません。そうなれば命を狙われることになるかもしれませんし、他国に亡命したところで国際問題に発展しかねません」
ここグランドハイド王国において侯爵家というのはそこまでの力がある。下手に藪を突いてはお嬢様の今後の生活に不自由を強いられかねない。それは可能な限り避けたいところだ。
「ではどうすれば……」
「大会を利用しましょう」
「大会を?」
「はい。先ほどの話によるとそれがお嬢様の社交界デビューの日となるようですね。であれば、どういう意図をもって誰に紹介しようとしているのかもそこで分かるかもしれません」
「でもそれだと後手になりませんか?」
「七国主催であるならば大会はかなりの混迷を極めることでしょう。何しろ前例がありませんし、多くの国賓を招くことになります。となると最低でも大会が終わるまでは結婚話も進まないはずです」
「なるほど……」
「そしてそういう状況であるからこそ我々でも政治情報が得られる可能性が出てきます」
そう。今の俺たちは圧倒的に情報が足りていない。
「しかしそう簡単にいくのか?」
アルマ様は難しい顔をして言った。
「当然簡単にはいかないでしょう。俺が予選を落ちてしまえば……の話ですが」
「お前、まさか……予選を突破するつもりか!」
「はい。お嬢様の奴隷が本戦に出場するともなれば、お嬢様が他の貴族の方々や国賓の方々とお話をされてもおかしくはないでしょう?」
現状俺たちに貴族たちへの繋がりが全くない以上、他に有効な手段はないだろう。
「確かにそうだが……いけるのか?」
「問題ありません。俺はお嬢様の奴隷ですから」
「何の根拠にもないってないが……お前ならばいけるかもしれないな」
「御前様ならばちょちょいのちょいなのじゃ!なんと言っても儂のご主人様なのじゃからな!」
「それも根拠になってないけどな」
アルマ様が冷静にツッコミを入れる。
確かにケットシークラスのモンスターをテイムすることは別段珍しいことではない。冒険者クラスで言えば、Aランクのテイマーであれば可能だろう。
と考えているとお嬢様がぽつりと口を開いた。
「……私のシノです」
その言葉に二人と一匹の視線がお嬢様へと集まった。
そしてなぜかキキがそれに対抗して声を上げた。
「儂のご主人様なのじゃ!」
お嬢様も負けじと声を上げる。
「私のです!」
そして俺はそれを迷わず肯定した。
「はい、お嬢様のシノです」
「がーん!御前様がお嬢様の味方になったのじゃ……」
「それはいつものことだろうに……。よしよし」
アルマ様は耳のへたれたキキの頭をゴシゴシと撫でた。
キキはその手から何とか逃れると、目にいっぱいの涙を溜めて上目遣いで俺の方を伺った。
「もしかして儂、捨てられるのか?」
「お嬢様が不要と言うのであれば」
笑顔で以って答えると、キキは涙を滝のように流しながらお嬢様へと飛びついた。
「おじょうおじゃまああああ!捨てないでほじいのじゃあああああ!!!」
ああ、お嬢様のお召し物が汚れてしまう。
「もちろんです。家族を捨てるなんてありえません」
「ぐずっ……かぞく……うれじいのじゃ。お嬢様は神様なのじゃ……」
お嬢様はキキを受け止めると頭を包みこむように抱きかかえた。
さすがお嬢様である。その慈愛に満ちた所作は超一流のご主人様であるといえるだろう。まさしくキングオブマスター。いや、クイーンオブマスターの称号が与えられてもおかしくはないだろう。全く称号を管理する神は何をしているのであろうか。職務怠慢である。
そんなことを考えていると横にいたアルマ様から「鬼かお前は……」という呟きが聞こえてきたがきっと気のせいだろう。
「しかし何でまた七国主催の無差別大会なんて始める気になったんだろうな」
それは俺も不思議に思った。
しかし今年から……ということであれば思い当たる理由は一つしかない。
「どの国も加護が消えたことで有効な戦い方を模索しているのではないでしょうか。我々には共通の敵が存在していますからね」
「魔族……か。先の戦い以来なりを潜めてはいるがこの状況がいつまで続くことか」
「もちろんそういった表向きの理由の裏に、各国の思惑があるかもしれませんが」
「できればそこまでは考えたくはないな……」
「案外こういったお祭り騒ぎが好きなだけかもしれませんけどね」
「そうであることを切に願うよ」




