第55話 ??才 少女獣
「お嬢様、朝なのじゃ!おーきーてーくーだーさーいーなーのーじゃー!」
小さな身体で一生懸命寝ているお嬢様を揺する少女?がいる。
「お嬢様が起きないとご飯が食べられないのじゃー!」
「う……ん…………」
本音を隠そうともしない少女?の揺すりに耐え切れず、お嬢様が布団の中でもぞもぞと動き始める。
「おはようなのじゃ!」
少女?が元気良く挨拶すると、お嬢様が身体を起こしてベッドに正座をした。
「ふあ…………、おはようございましゅ」
そして小さな欠伸をしたかと思うと、三つ指をついて頭を下げた。
どうやらまだ寝ぼけているらしい。
「さ、お嬢様。お顔を洗いに行きましょう」
俺がそう言ってお嬢様の手を取ると、少女?が愕然とした表情をした……ような気がした。
「お、御前様!まさか儂の手柄を横取りして朝ご飯を多くもらうつもりではあるまいな!」
全くこの少女?は……。
「…………こんなものは手柄のうちに入りませんよ。元々は俺が一人でしていた日課のようなものですから」
「なんと!?御前様はやっぱり凄いのじゃ!さすが儂のご主人様なのじゃ!」
朝だというのに少女?が騒々《そうぞう》しく騒ぎ立てる。
いけない。このままではお嬢様の穏やかな朝が損なわれ……。
「……シノは私のです」
「「え?」」
「……な、なんでもありません」
そう言うとお嬢様は顔を赤らめて水場へと駆けていった。
思わぬ反応に唖然となり、俺はその場で立ちつくす。
「御前様が笑っているところを初めて見たのじゃ!」
「え?」
俺は……笑っているのか?
少女?に言われるまで全く気づかなかった。
心の奥底から沸きあがってくる暖かい気持ち。
そうか……。これが嬉しいという感情なのか。
お嬢様の唯一俺に対してのみ見せてくれた独占欲。それはお嬢様がそれだけの執着を持ってくれるようになったということに他ならない。それは所有物として最高の誉れと言っていいだろう。
「御前様が笑ったのじゃ!御前様が笑ったのじゃ!」
先ほどからずっと騒ぎ立てているこの少女。
いや、少女と言っていいのだろうか?
顔も手も足も全身黒く長い毛に覆われ、金色の瞳を爛々と輝かせ、三角でふさふさの耳が頭の上に乗っているその姿はまさに毛長の黒猫。二足歩行でさえなければ……ではあるが。
身長は俺の腰ほどしかなく、声も少女のように高く、ふさふさの尻尾をパタパタとせわしなく振る様は猫娘と言う言葉がぴったりである。
そしてこの猫娘こそがコロッセオで偶然にも俺にテイムされてしまったケットシーであった。
ケットシーはという種族は、生まれながらにしてこちらの姿の方が本来の姿だ。
それが成体になると、巨大で獰猛な猫の姿を取ることができるようになるらしい。
名をキキと言う。
キキはあれ以降本来の姿を取り、メイド服を着て、俺とともにお嬢様の奴隷をやっている。
とはいえまだまだ拙く、まともにこなせる仕事はほとんどない。
しかしその突き抜けた明るさはお嬢様の心を癒してくれている……と思う。
朝食の時間になるとキキも俺たちと同じテーブルに着き、同じものを食べる……のだが、ケットシーとしての特性か、一応フォークは使うものの、ガツガツとあっという間に目の前にあるものを全部平らげてしまう。
アルマ様も結構な大食らいだが、キキのそれはアルマ様をも上回っている。
「もう少し落ち着いて食べなさい」
と俺が注意すると。
「分かったのじゃ!」
と返事だけはいいのだが、一向に直る気配はない。
そしてその様子をお嬢様が微笑ましそうに見ているため、俺としてもきつく注意することができない。
「それにしてもケットシーというのは小さな身体の割に大食らいなのだな」
アルマ様がキキに食いっぷりに感心したように言う。
よく見ると食べた分だけキキのお腹がぷっくりと膨れていくのが分かる。その姿はどう見ても子供にしか見えない。
「ケットシー?」
キキが不思議そうに首を傾げた。
「儂はケットシーではないのじゃ」
「「なに?(え?)」」
キキの口から想像もしていなかった言葉が出た。
しかし言われてみると、こちらが勝手に思い込んでいただけでキキに確認を取った覚えはない。
ケットシーではなかったのか?
「儂はケットシーの中でも最も誇り高き種族!クイーンケットシーなのじゃ!」
「クイーンケットシーだと!?」
アルマ様が勢いよく席から立ち上がり、声をあげた。
「アルマ様。知っているのですか?」
「いや知らん」
がっくりである。
「だったらどうして驚いたんですか……」
「知らんがクイーンと言えば女王であろう。何だか凄そうではないか」
この人も大概適当だな……。
「凄いのですか?」
お嬢様がキキに尋ねると、キキは満面の笑みで答えた。
「凄いのじゃ!」
「普通のケットシーとはどう違うんですか?」
「クイーンケットシーはその名のとおり全部雌なのじゃ!しかも毛並みが女王級だからモテまくりなのじゃ!そして人間からも狙われまくりなのじゃ!」
「それは凄い……のでしょうか……」
「凄いのじゃ!」
「あの、他に違いは……」
「ないのじゃ!」
「ステータスやスキルやレベルが違うとか……」
「ないのじゃ!」
「そ、そうなのですね……」
「そうなのじゃ!…………はっ!?も、もしかしてそれだけじゃダメなのか?儂はもしかして役立たずなのか?」
満面の笑みで自信満々に答えていたキキが突然目に涙を溜めてうろたえ始めた。
その様子に焦ったお嬢様が慌ててフォローする。
「い、いえ!キキは凄いです。キキの毛並みが凄く良いのはクイーンケットシーだったからなのですね!」
お嬢様がそう言うとキキは再び満面の笑みを作った。
「嬉しいのじゃ、御前様!お嬢様に褒められたのじゃ!」
「そうですか。それは良かったですね」
まぁ、護衛にはアルマ様もいるのだからキキにまで戦闘能力を求める必要はないだろう。
とはいえキキはこう見えてもケットシーの成体。戦闘形態になればアルマ様と同じくらいの実力はある。
しかし無邪気に喜ぶその様はどう見ても子供にしか見えない。
「ではご褒美に私の玉子焼きをひとつあげますね」
その様子を微笑ましそうに見ていたお嬢様が自分の玉子焼きをひとつ、キキのお皿へと移した。
「やったのじゃ!お嬢様は神様なのじゃ!」
玉子焼きをもらって大はしゃぎするキキ。
着実にお嬢様による餌付けが進んでいる。
しかし甘やかすばかりでは良くないだろう。
「キキ。こういうときはどうすれば良かったか憶えていますか?」
「そうだったのじゃ!お嬢様!ありがとうございますなのじゃ!」
「ふふ、どういたしまして」
朝食を終えるとこれまでどおりお嬢様の勉強を見ながらキキに人間社会の常識を教えていく。
キキも物覚えが悪いというわけではないが、お嬢様と違って集中力が持続しない。
そのため勉強していてもすぐに他ごとを考え始める。お腹が空いては話が脱線し、鳥が鳴けば話が脱線し、蝶が飛べば話が脱線し、何もなくとも話が脱線する。
そうして話を軌道修正しているところをお嬢様は時折微笑ましそうに見ていることがあるので、これはこれで良いのかもしれない。
昼を過ぎると今までどおり剣術の訓練に入るが、最近ではお嬢様の相手役をキキが務めることが多い。キキも人型のまま爪を使って対峙すればお嬢様とも実力が拮抗するので、お互いに良い訓練相手となっている。
そうして俺が手持ち無沙汰になると、アルマ様に訓練相手へと指名されてしまうのだった。




