第50話 ??才 奴隷
名前がハテナで表記されている。
これでは名前も分からない。
「見せてみるのでおじゃる」
ジャミル様は俺からステータスカードを受け取り、内容を確認するとあからさまに顔をしかめた。
「名前不明。職業不定無職。ステータスも……やはり加護がないのでおじゃる」
「やはり、とは?」
「知らないのでおじゃるか?最近になって神の加護が消失したのでおじゃる。何でも神々が人に加護を与える余裕がなくなるような事態に陥っているらしいのでおじゃる」
「そうなんですか?」
「うむ、王宮に仕える神官殿が神の声を聞いたらしいのでおじゃる。だから今様々な問題が起こっているのでおじゃる」
神官なのに王宮に仕えているのか。
それにしても……。
「問題?」
「そうでおじゃる。加護を失ったのは我々人間だけではないのでおじゃる」
「魔物もですか?」
「うむ、例外はないのでおじゃる。突然そんな状況になったもんだからもう世界中が大騒ぎになっているのでおじゃる。しかし名前がないのは困ったのでおじゃる」
「何でも好きに付けていただいて構いませんが」
「そうでおじゃるか?それなら買い手に決めてもらうのでおじゃる。まぁ心配するなでおじゃる。例えレベルが低くてもスキルがなくともお前のような奴は意外としっかりした奴が買ってくれるのでおじゃる」
「そうですか」
「そうでおじゃる」
「……………………」
「……………………」
「……………………?」
「変わった奴なのでおじゃる」
そう言ってジャミル様はこの場を立ち去った。
それから一週間が経過したが、俺は売れ残った。
そしてその日最後の客が来た。
何でも本日最後の客は貴族だという話だ。
これまでの客は俺のステータスカードを一瞥しただけで素通りしていった。
だけど今度の客だけは違った。
それはまだ幼さを僅かに残した人間の少女だった。
俺のいる牢屋の前に立ち止まると、少女は恐る恐るジャミル様に尋ねた。
「あの……この方は……」
「リリィ様。こやつは数いる奴隷の中でも最も素直な奴隷なのでおじゃりまする」
「素直……」
「はいでおじゃりまする。どのくらい素直かというと制約の魔法を使わなくとも逆らわないくらい素直なのでおじゃるりまする」
「そう……なのですか?」
「はいでおじゃりまする。しかも頭も良いのでおじゃりまする」
「しかしこの者はレベルもスキルもない。あなたが言うように素直であり、賢き者がなぜここまで無能なのですか?」
少女の横にいた女騎士が口を開いた。
「実はこの男記憶喪失だったのでおじゃりまする。多分それが原因でレベルとスキルがないのでおじゃりまする」
「まさかそんな怪しい者をお嬢様に紹介するわけではないだろうな?」
そう言って女騎士はジャミル様を睨み付けた。
「怪しいなんてとんでもないのでおじゃりまする!本当にお勧めなのでおじゃりまする!」
「あの……」
そんなやり取りをしている中、少女は牢屋の中の俺に話しかけてきた。
「何でしょうか?」
「お名前は……何ですか?」
「ありません」
「ないのですか?」
「はい、俺は自分のことを何一つ覚えていないので」
「……不安、ではないのですか?」
不安?それは記憶がないことに対してだろうか?
「不安はありません」
「羨ましい……。私があなたと同じ立場だったら、きっと……不安で押し潰されてると思います」
「そうですか」
「はい……」
そして場が沈黙した。
「お嬢様。もうこの奴隷はよろしいでしょう。次の……」
「あの、アルマ」
「はっ!」
「この人では……ダメ……ですか?」
「はっ!……は?」
「あの、この人が……良いと……」
「り、理由を聞いてもよろしいですか?」
「その……目が自然で……嫌じゃない……ですから」
女騎士が俺の瞳を覗き込んでくる。
「確かに奴隷にしては卑屈さも、怯えも、怒りも感じられませんね」
「なら……」
「お嬢様がこの男で良いというのであれば、私からは異論はありません」
「……ありがとう」
「ではすぐに手続きをするのでおじゃりまする。看守、この者を連れてくるのでおじゃる」
「はいはいっと」
そして俺は初めて牢屋から外に出た。
商談室のような場所で手続きが行われる。
俺の販売価格は三千ゴールド。高いのか安いのかよく分からない。
「それでは制約の魔法を刻むのでおじゃる」
ジャミル様は一枚の紙を取り出して少女に手渡した。
「ここに名前を書いて欲しいのでおじゃりまする」
「はい」
少女は紙に自らの名前を書き込む。
そしてそれを女騎士が受け取り、今度は自分に手渡された。
「さぁここに名前を書くのでおじゃる」
受け取った用紙には奴隷が主に服従するための制約が書き綴られていた。
以下主を甲、奴隷を乙とする。
ひとつ、乙は甲に対し、命令に逆らうことを禁ずる。
ひとつ、乙は甲に対し、危害を加えることを禁ずる。
ひとつ、乙は甲に対し、奪うことを禁ずる。
ひとつ、乙は甲に対し、貶めることを禁ずる。
ひとつ、乙は甲に関し、知り得た情報を漏洩することを禁ずる。
甲 リリス=エーベルハイト
乙
「名前は……」
ないんだが。
「そうだったのでおじゃる。どうぞリリス様に決めていただきたいのでおじゃりまする」
「私が決めて……いいんですか?」
少女が俺の方を見てそう問いかけた。
頷いて答える。
すると少女は俺の顔をじっと見て考え込んだ。
そして不安げに言葉を紡ぐ。
「では……、シノ……と」
「シノ……」
「ダメ、ですか?」
「いえ、いいと思います」
俺は紙にシノと書いた。
すると紙が燃え上がり、炎が俺の右手と少女の右手に嵌められていた指輪に燃え移る。
熱くはない……が、僅かに痛みの走った右手の平に視線を向けると、今までなかった文様が浮かび上がってきた。やがてぼんやりとした光は消え、黒い文様となった。
少女の方を見ると、少女の身に着けている指輪にも同じデザインの文様が浮かび上がっていた。
「これにて制約完了でおじゃりまする」
「これから……よろしくお願いします」
少女はそう言って微笑んだ。
「こちらこそよろしくお願いします」
それから俺たちは奴隷商人の店を出て、お嬢様の住む屋敷へと向かうこととなった。
屋敷へと向かうのは俺とお嬢様とアルマ様という名の女騎士の三人であった。
とはいえこれから奴隷として働くとしてひとつ問題がある。
それは何をすればいいか分からないことだ。
「それで俺は何をすればいいんですか?」
二人に尋ねるとアルマ様が答えた。
「特にこれと言って決まっているわけではない。その都度お嬢様の指示に従うといい」
「分かりました」
そしてこの日から俺の奴隷生活は始まった。




