第18話 五才 生誕
ボクたちはすぐに母さんの下へと駆けつけた。
父さんとエカテリーナ様は通路の途中で止められる。
王妃の出産に立ち入っていいのは、信頼できる産婆と医者と王妃一族の専属メイドとその娘たちだけとされていた。
男は元々立ち入ってはいけないが、王位争いの熾烈さから出産に立ち会える立場はかなり厳選されるようになったらしい。
ボクはテラから殺菌消毒された布を受け取り、母さんから吹き出るように出る汗を拭き取っていった。
「母さん、頑張って……」
「フーッ……ウン……」
母さんは僅かに頷きながら、荒く息を吐きつついきんでいた。
陣痛を何度か繰り返した後、破水を起こし、今まさに赤ちゃんが出てこようとしている。
リーゼと共に母さんの右手を握り締めると、母さんも手に力を入れた。
強い力で握りこまれて手が痛いけど、きっと母さんはこれを遥かに超える痛みに苛まれているのだろうと思うと何でもなかった。
「「「フーッ……ウン……」」」
ボクとリーゼも母さんの呼吸といきむリズムができるだけ狂わないように一緒になって呼吸を繰り返す。
ボクたちを産むときも母さんはこんなにも頑張ってくれたんだと思うと胸が熱くなった。
普段から母さんに対しては畏敬の念を持っていたが、このときほど母さんが凄いと思ったことはない。
「「「フーッ……ウン……」」」
やけに時計の針が速く感じられる。
目の前で起こっている出来事に必死になっているうちに既に出産が始まって、4時間が経過していた。
その間、母さんの僅かな変化すら見逃さないように意識を集中していた。
「「「フーッ……ウン……」」」
やがて見え始めていた赤ちゃんの頭が完全に姿を現し、そこからゆっくりと身体が分娩されていった。
女の子だ。
肌はボクたちと同じ白みがかった青色。目はまだ空いていないが、髪はボクたちと同じ銀髪のようだ。
この世のあらゆる宝石よりも愛しいのに、ガラス細工よりも脆く見える。
僅かな手違いでさえこの愛しい妹の命を奪ってしまうのではないかと、不安に駆り立てられる。
きっとそれは無知……未経験から来る恐怖だろうということは理解しているが、頭で分かっていたところで意味がない。
「先生」
これからどうすればいいのか分からず産婆の先生を見上げると、産婆の先生は用意していたメスを使い、へその緒を切った。
そしてそこからまるで妹の顔へと吸い込まれるように振り下ろされるメスを持った右手。
一体何を…………と思った瞬間に既にボクの身体は動いていた。
しかし必死になって手を伸ばすが明らかにスピードが足りない。
「テラ!セフィ!」
メスが赤ちゃんへと突き立てられると同時に、セフィの振るう短刀が産婆の両手を貫き、すぐ後ろの壁へと産婆の両手を縫いつけた。
テラが妹へとすぐさま回復魔法を発動する。
「『エクストラヒール!』」
その間にメスを突きたてられた妹の左目から血が溢れてくる。
随分深く突き刺さっているようだ。
血が止まる気配は…………ない!
回復魔法ではダメだ!!
「セフィ!リザレクションを使える者を!」
リーゼがセフィに向かって悲痛の声で命令を下す。
しかし、セフィは唇を噛み締めて首を振った。
「リザレクションは伝説の魔法です……。現在使い手は確認されていません……」
「クソッ!!!」
回復魔法が効かないということはボクたちの妹は死に値する傷を負ったということだ。回復魔法は生きている者の傷を治すことが出来るが、失われる命には効果がない。
テラもセフィも動かない。いや、動けない。
みんなの表情が絶望に染まる。理解してしまったのだ。ボクたちの妹を救う手段がないということを。
「ぁぁ……私の……私の赤ちゃんが……」
母さんが放心したかのように赤ちゃんに手を伸ばす。
認めない!こんなもの絶対に認めない!!!
こんな理不尽が罷り通っていいのか!
ボクたちの妹の命がゆっくりと失われていく。
このまま時間が経過すれば魂が肉体から剥離し、復活が不可能になってしまう。
考えろ!考えるんだ!復活の方法を!きっと何か手は残されているはずだ!
ヴァルキリーヘイムで復活する方法は5分以内にリザレクションの魔法を使うか、貢献ポイントを使用して復活させるかのどちらかしかなかった。
仮にリザレクションの魔法を使える者がいたとしても、今から探していたのではとてもじゃないが間に合わない。
貢献ポイントはこの世界にはない。
そんなものは話に聞いたこともないし、使えそうな気配も感じられない。
「打つ手が、ないっていうのか!!!」
どんなに強くなろうと、失われていく命の前ではあまりにも無力だ。
絶望の二文字が頭をよぎる。
しかしそこでリーゼが口を開いた。
「お姉様、一つだけ可能性がないわけではありません」
「本当か!」
「晶さんの使っていたスキルを思い出してください」
「師匠のスキル……」
なぜ今師匠の話が?
復活…………?師匠の…………?っそうか!
今全てが繋がった。
なるほど。確かにその方法なら妹を復活させることができるかもしれない。
師匠はソウルテイカーというアンデッドモンスターを操るサマナーだった。
できることはアンデッドモンスターの召喚だけではない。
召喚したアンデッドモンスターの回復、復活。そしてプレイヤーの回復が可能だった。
それを可能にしたのは『生贄』スキル。
『あるもの』を生贄に捧げることによって回復魔法、またはその他の特殊な魔法を可能としたのだ。
『あるもの』…………それはモンスターの『臓器素材』だ。
師匠は言っていた。このスキルを使えば理論上は全ての回復魔法を使うことが可能だと。
難易度で言えば、アンデッドモンスターの回復が最も簡単であり、プレイヤーの回復が最も困難である。
師匠はこの方法で自らの召喚するアンデッドを回復していた。
時には自分の召喚したアンデッドを生贄に他のアンデッドを回復することもあった。
師匠が何度もボクの命を守った『サクリファイス』もこのスキルに含まれる。
しかしスキルを使うたびに『臓器素材』が必要であるため、一般的なヒーラーにとっては使用効率が悪く、召喚師のために用意されたスキルだったらしい。
しかし師匠ですらプレイヤーの復活はできなかった。
それはスキルレベルが低かったせいではない。
スキルレベルは回復量等の効果にしか影響がないから関係がない。
問題は触媒だった。
リザレクションと同等の効果を発揮する魔法を発動するために必要な触媒は、恐らくラストダンジョンにいたボスクラスの『高レベルな臓器』。
それほどの触媒を使わなければ成し遂げることができない。
つまりリーゼロッテの言いたいのは……。
「『戦神化!』」
黒い闇が身体包み込み、スキルによって身体が作りかえられ、その姿を代えていく。
翼を大きく開くと、そこには姫たちとともに戦った忍の姿があった。
魔剣を振りぬいて短刀で縛りつけられていた産婆の首を絶つと、切り口から血飛沫が上がった。
最近学んで知った話だが、スキルは技能書がなくても覚えることができるらしい。
しかし、そのためには技能書に書かれていることを理解しなくてはいけない。
逆に言えば、それを理解し、意識して発動することでそのスキルを習得することができるというわけだ。
俺は長い間師匠のスキルを間近で見てきた。だから『生贄』スキルがどういうものかその原理を理解している。
「セフィ、これより復活の儀式を執り行う!念のため医者を拘束しろ!」
「か、畏まりました!」
「テラは俺の妹をリーゼに預けて周囲の警戒だ!二度とこんな失態を許すな!」
「畏まりました」
セフィは素早く医者を拘束し、テラは未だに血を流し動かなくなった赤子を恐る恐るリーゼに預けた。
「母さん、俺たちの妹は絶対に助けてみせるから」
「ヴァレリア……」
母さんの目からは光が抜け落ちてしまっている。
許さない。こんな理不尽は絶対に許してはいけない!
俺は持っていた剣を床へと突き立て、妹に突き刺さっていたメスをこれ以上赤ちゃんを傷つけないように真っ直ぐ抜いてセフィリアに渡すと、左眼に装着していた眼帯を外した。
右手をそっと左目へと持っていき、ゆっくりと指を眼球に沿うように入れていく。
指が奥まで達すると、そこから視神経を一気に引き千切り、眼球を刳り貫いた。
「ヴァレリア様!?」
目元に激痛が走り、何かが垂れて来るが、激しい怒りが全てを押し流した。
右手には刳り貫かれてもなお紅く輝く眼球が収まっている。
そう、レベル315のダークエルフの臓器である眼球が。
「『ダークエルフの眼球を生贄に捧げる。代償魔法、レイズデッド!』」
必要な供物さえ捧げればLv1からあらゆる回復魔法が使用可能になる『生贄』スキルの代償魔法。
手の中の眼球が一瞬にして色を失って石となり、砕け散って灰とになってサラサラと消えていった。
そしてリーゼの抱える妹を赤い光が包み込み、受けた傷が僅かに塞がりをみせた。
命が戻ってきたのだ。
しかし、この魔法だけで完治するわけではない。
スキルレベルが高ければそれなりの回復力を見せたかもしれないが、所詮はレベル1。
これではまだ生き返っただけだ。
「セフィ!すぐに回復魔法を!」
「はい!『エクストラヒール!』」
セフィリアが回復魔法を発動すると、赤子が緑色の光に包まれ、受けた傷を完治させた。
これで理論上は大丈夫なはずだ。
しかし、相手は生まれたばかりの赤子。今のやり取りが赤ちゃんに何か影響を与えていたとしても不思議ではない。
それに何より俺たちはまだこの子の声を聞いていないのだ。
「お姉様!赤ちゃんが呼吸をしていません!」
どうして!?やることは全部やったのに!身体は正常に機能しているはずなのに!
「リーゼロッテ様、赤ちゃんのおしりを叩いてさしあげてください」
「お尻を?」
テラに教えられるがまま、リーゼは赤ちゃんのお尻を恐る恐る叩いた。
ぽんぽん。
叩いているというより触れていると言ったほうが正しいかもしれない……。
「もっと強くです」
「も、もっと?」
リーゼが恐る恐る少し力を入れる。
ペチペチ
「……ぅ………ぅ…………おぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
赤ちゃんが……泣いた。
「こうやって赤子は呼吸を覚えるのです」
「そ、そうだったんだ」
緊張が途切れて腰が砕けた。
「ヴァレリア様!」
倒れそうになったところをセフィに支えられる。
「さ、さすがに疲れた」
「すぐに傷を治療します。『エクストラヒール!』」
セフィの回復魔法によって左目の傷が徐々に塞がっていく。
ほっとしたことでぶり返してきた痛みがどんどん薄れていく。しかしそれでも左目が見えることはなかった。
「これは……」
「『戦神化解除』」
スキルを解除すると視線の位置が下がり、いつもの……ヴァレリア・ヴォルドシュミットの姿へと戻っていく。
しかし相変わらず左目は見えない。
予想はしていた。
「代償魔法によって失われた物は二度と戻ることはない」
代償魔法とはそういうスキルだ。
代償にするのはただの物ではない。その存在、その価値だ。
だからどんな奇跡が起ころうとも、二度と左目が戻ってくることはない。
「そんな……」
「いいんだセフィ。ボクには左目なんかよりずっとこの子のことが大切だった。ただそれだけだから」
「お姉様、格好付けすぎです」
「ふふっ、今くらいいいだろ?珍しく格好が付いたんだから」
「言えてますね」
「さて、ボクにも赤ちゃん抱っこさせてよ」
「どうぞ。お姉様がこの世に繋ぎとめた命です」
リーゼロッテから赤ちゃんを受け取る。
思った以上の重みが手に加わってくる。
「よしよし」
未だ泣き声をあげている赤ちゃんを優しく抱くと、母さんのもとへと寄り添った。
「母さん、ボクたちの妹だよ」
ベッドで横になっている母さんに見えるように抱き上げる。
「ヴァレリア、ごめん……なさい。………………ありがとう」
手で口を覆い、呻くように泣き声を洩らした。
「いいんだよ。例え片目が見えなくたってボクは誰にも負けない。だってボクはこの子のお姉ちゃんなんだから!」
だから本当に気にしないでいいんだ。姫だってきっとこの左目を見たら褒めてくれるに違いない。姫はそういう人間だ。
それに大切な人を助けられた。
こんなに嬉しいことは他にはない。
「名前……考えているんでしょう?教えてちょうだい」
リーゼと一緒になってずっと考えていた。
可愛い妹へのボクたちからの最初のプレゼント。
「この子はシャルロット!シャルロット・ヴォルドシュミット!ボクの最愛の妹だ!」
愛する君の誕生を心から祝福しよう。
産まれてきてくれて、本当にありがとう。
「ちょっとお姉様!いくら妹とはいえその言葉は聞き捨てなりませんよ!『最愛』であるべきはシャルじゃなくこのリーゼです!」
相も変わらず世迷言を口にするリーゼはシャルの教育に悪いかもしれない。
よし、この子はボクが立派な淑女へと育ててみせるぞ!




