カルテ34 剣聖との対面
「やあ。待っていたよ。メリック、それにシルベリア嬢。隣の子は憑獣だね」
王都に到着した私達は予定通り、アースディバル公の屋敷に訪れた。
『剣聖』という、この国で最高の称号を得た白銀の騎士アースディバル・エルビア。
薬師教会のトップであるメリックとは旧知の仲らしく、昨年に行われた闘技大会で彼が優勝するまで、私はそれを知る由もなかった。
「若様。こんな夜更けに押しかけて申し訳ございません。しかし、若様でしたら今夜にでも我々が到着すると予想しておいでだと思いましてな」
深々と頭を下げたメリック。
彼がラグレス王以外に頭を下げる人物は、恐らくアースディバル公以外にはいないだろう。
「流石はメリック。僕のことを良く知っているね。……では、早速で申し訳ないがそこに座ってくれ。自己紹介は必要ないね?」
メリックに合わせて頭を下げた私にアースディバル公は声を掛けてきた。
彼の目はまるで宝石のように青く透き通っていて、なるほど、国中の女性が彼に魅了されるのも頷ける。
私は軽く頷き、指定された席に腰を掛けた。
「君のことはメリックから十分に聞いている。辺境の街メシアで積み重ねてきた実績及び開発した医療技術、どれも素晴らしいものばかりだ」
「有難う御座います。勿体ないお言葉、嬉しく思います」
私は正直にそう答えた。
今まで自分がしてきたことは、王や剣聖に認めてもらうためのものではないとしても。
それでもやはり嬉しいものは嬉しいのだ。
「薬師教会でも君を司祭に推薦する者も多い。もちろん僕も、そこにいるメリックもだ。そのためにはあと一つ、大きな功績を残す必要がある。今回、君をここに呼んだ理由のうちのひとつがそれだ」
ここまでは私の予想どおり。
そして、この次に続くであろう言葉もすでに予想をしている。
「もうひとつの理由は、君の『前世の記憶』――。こことは違う別の異世界で君は教師として生き、様々な知識を得た。そうだね?」
「……はい」
「その知識を今回の事件解決に役立てて欲しい。すでに全国から召集した他の薬師や冒険者らは各地に調査へと向かっている。そして、これが現時点で判明している情報だ」
要点だけをまとめて話すアースディバル公に徐々に興味が湧いてくる。
彼が次期国王となれば、この国はさらに豊かなものとなるだろう。
差し出されたラグレス領内の地図と事件の詳細をまとめた紙に視線を落としつつ、私は横目で真剣な表情で話している彼の横顔を見た。
「ここにも書いてあるとおり、不死者の軍勢――通称『黒い悪魔』は、その数を爆発的に増やしている。今朝の時点で報告された数は、およそ二万。我が国の兵力百万には遠く及ばないけれど、不死者である奴らがこのまま増え続ければ、この国は滅んでしまうだろう」
彼が指差すグラフには兵力差が逆転すると予想される日付が記されていた。
黒い悪魔の軍勢が百万を超えると予想される日は、今から約半年後のようだ。
もしもこの予測データ通りになってしまったら、彼の言うとおりこの国はおろか、世界そのものが滅んでしまうかもしれない。
人類滅亡の危機とは、決して大袈裟な話ではなかったのだ。
「最初に奴らが発見された場所はこの赤い丸で囲ってある村だ。村の名前は『クルト』。今から二週間ほど前、近くを通りかかった冒険者が不死者を発見し、ギルドに報告をした」
資料に目を通すと、今から二週間ほど前、北東にある山岳地帯を超えた先にある小さな村で、全身が真っ黒に焦げたような姿をした不死者を発見、と記されている。
その村は国に納めるための税を支払えなくなった者達が集まって作った、無法地帯の村なのだという。
当然のように衛生状態は悪く、行商も立ち寄らないような場所だ。
たびたび街を襲う山賊も、この村の出身者ではないかという噂もあるとのことだ。
「その冒険者から報告があった以前にも、同じような報告例は?」
「一度も無い。過去に不死者が急増した例はあるけれど、せいぜい百や二百といったものだからね。僕が剣聖の称号を得てから、その辺りは徹底してきた自負もある。王都周辺のモンスターも減り、世界一環境の良い国に向かっていた矢先に、この事件だ。正直、頭が痛いよ」
ここまで一気に説明をしたアースディバルは椅子に深く腰を下ろした。
そして彼は真っ直ぐに私の目を見て、私の言葉を待つ。
「他にもいくつか質問があるのですが、宜しいでしょうか」
「どうぞ」
彼はニヤリと口元に笑みを浮かべ、そう答えた。
隣に座るメリックも興味深そうに私に視線を向けている。
「その村は、今はどうなっているのでしょう。人は住んでいるのですか?」
「いや、すでに廃村となっている。脱税者たちも誰も住んではいない」
「一人も、ですか? それはつまり、村の住人は全て不死者らに殺されたということでしょうか」
「そういうことだろうな。だが遺体は見つかっていない。報告では、恐らく皆喰われたんだろう、と」
不死者は人間の肉を喰らい、それを動力源とする。
奴らの活動を停止させるには、焼却するか細切れにして肉片にするしか方法がない。
細切れにした場合は細胞レベルで生き続けるが、もはや無害な微生物とほぼ変わらない。
稀に冒険者らに発見される未知の生物は、不死者らの身体の一部だという説もある。
私は質問を続ける。
「『黒い悪魔』と通常の不死者との違いは、『外見』と『繁殖力』以外に何かあるのでしょうか?」
資料にはこの二つしか記されていない。
奴らが新種のモンスターだとしても、国中の薬師が調査しているのにも関わらず、これしか情報が集まっていないのはおかしい。
薬師魔法の解析魔法は中級レベルの魔法だ。
すでに黒い悪魔と対峙している調査班から、もっと情報が得られていても良いはずだ。
「鋭いね、君は。当然、敵の情報を魔法で得ることは最優先で行った。しかし得られたものは『不死』という情報のみ。それ以外は全て『解析不能』という結果に終わった」
「解析不能? つまり、黒い悪魔は過去に解析されたことがない、ということですか……」
薬師教会に伝わる薬師魔法は長い歴史がある。
その歴史の中で解析されたことがない未知の情報を持つ、新種のモンスター。
これではアースディバル公がお手上げなのも無理はない。
つまり藁にもすがる思いで、異世界の記憶を持つ私を招集したのだ。
「……分かりました。明日、王に謁見した後、そのクルト村に向かおうと思います」
「クルト村に? もう散々調査は済んでいるのに?」
「はい。自分の目で確かめないと気が済まない性質なんです。それに少し気になることもありますから」
「気になること?」
私の言葉に身を乗り出したアースディバル公。
それを見て真似をするカルマ。
「その村に住んでいた脱税者の件です。黒い悪魔に全て喰われたのだとしたら、その痕跡を調べたいんです」
「ほう……?」
「遺体が一人も見つかっていないとしても、血糊や食べ残した肉塊などが残っているはずです」
「それを調べて、どうするんだい?」
彼の目は嬉々としていた。
まるで好奇心が強い少年のような目だ。
「それはまだ分かりません。気になっただけなので、何も見つからないかも知れません」
――これは私の勘だ。
その村に向えば、きっと何かが見つかるはず。
あといくつか情報が揃えば、頭の中でモヤモヤとしているものの正体が判明する――。
「……良いだろう。王には僕からも伝えておこう。メリックもそれでいいかな」
「分かりました。この出来損ないの面倒は、ワシが責任を持って見るとしましょう。ほれ、ミレイ。今夜はもう上がりじゃ。後ろを見てみい」
メリックに軽く背中を突かれ、後ろを振り返る。
そこには扉の隅に隠れるように、ドレスを着た可憐な少女がこちらの様子を窺っていた。
「あの方は……」
あれはこの国の皇女ユフィア・ラグレスだ。
つまりアースディバル公の婚約者である彼女は、深夜の訪問者がこの場を去るのを首を長くして待っているということ――。
「若様。夜分遅くに申し訳御座いませんでしたな。今夜はこれで」
「ああ。また明日、王の間で会おう」
席を立ち、深々と頭を下げたメリック。
私もそれに合わせて頭を下げる。
当然、カルマもそれを真似した。
扉を開けると皇女は慌てたようにその場を退いた。
「ご、ごめんなさい……! なんだか無理に帰らせるような真似をしてしまって……!」
彼女は何度もペコリと頭を下げ、部屋の中に入っていった。
その仕草が可愛らしくて、私は少しだけ微笑んでしまう。
確か歳は私より七つほど下だったように思う。
私が王都にいたころはあんなに小さかったのに、もう立派な大人の女性の仲間入りをしているように見えた。
「これ、ミレイ。あまりジロジロと姫様を見るでない。教会に戻るぞ。ワシはもう眠いんじゃ」
大欠伸をしたメリックの後に続き、私は屋敷を後にした。
今夜は久しぶりに教会にある、昔住んでいた部屋で過ごせるのだと思うと、少しだけ気持ちが軽くなる。
明日からは今までよりももっと忙しくなるだろうから、今夜はもう寝てしまおう。
私は欠伸を噛み殺し、夜空に向かい大きく腕を伸ばした。




