カルテ32 出会いと始まり
宿で一夜を明かした私達は行商の街リグロを出発し王都へと向かう。
決して乗り心地の良い馬車とは言えないが、贅沢は言っていられない。
このペースでいけば深夜には王都に到着するだろう。
「ミレイはどれくらいぶりなんだ?」
「え? 何が?」
馬車に揺られ外を眺めていた私に操縦席からカイトが声を掛けてくる。
一番奥で仰向けで寝ているメリックは昨晩の酒場ではしゃぎすぎたのか、顔に布を被せたまま低い声で唸っていた。
それを見て首を傾げているカルマ。
「王都だよ、王都。あの辺境の街で診療所を開いてから、ずっと王都には戻っていないんだろう?」
「ああ、そういうこと。確か……五年ぶりくらいだと思う」
――五年前に私は、王都にある薬師教会の本部から辺境の街メシアに活動の拠点を移した。
当時はメシアの街を原因不明の嘔吐症状を訴える患者が大量に占め、その原因を突き止めるために薬師教会から派遣されてきたのが始まりだ。
すでに前世の記憶が蘇っていた私は症状の原因が『ウイルス性の急性胃腸炎』だと判断。
消毒薬を各施設に配布、および『手洗い』や『うがい』といった概念を全ての住民に対し教育した。
最初は疑いの眼差しを向けていた人々も、徐々に症状を訴える患者が少なくなるにつれ私の話を聞いてくれるようになった。
それらも全てアーノルド町長の尽力のおかげだ。
町長とメリックは古くからの友人であり、私の行動に理解を示すように人々に粘り強く語り掛けてくれた。
そればかりか、診療所を開設するにあたって資金の半分を援助してくれたり、王都から持ち込んだ大量の薬草を買い取ってもくれた。
ララと出会ったのはちょうどその頃だ。
残りの開設資金を貯めるため、ギルドでクエストを受けようとしていた矢先に発生した、不測の事態。
サキュバス族の王が隠したとされる財宝を探索するというクエストで、『呪いの罠』に掛かり迷宮に彷徨うことになってしまったパーティの救出――いわゆる『救出クエスト』が発生したのだ。
当時の探索メンバーは鍛冶店のザザノ、書士のヴィレンヌ、そして魔術学園オーナーのモルディ伯爵にギルド長のグランといった、一見するとダンジョン探索に不向きなメンバーで構成されていた。
彼らを救出するため、別のパーティと共にダンジョンに向かった私は、彼らの呪いを解き、リンク中にモルディ伯爵の体内に潜んでいたララを見つけた――というのが、今から五年前の出来事だ。
「あの頃はまだケミル神父も私のことを疑っていたし、薬を処方してもきちんと飲んでくれない患者さんが多くて、どうしたらいいのか悩んでいたわ……」
他人に前世の記憶のことを話したところで、誰も信じてくれないだろう。
興味を持って根掘り葉掘り聞いてくるのは、変人と言われているメリックくらいだ。
彼が本当に私の話を信じているかは分からないが、それが理由で私を薬師教会に入信させたのだから。
「お前の持つ薬の知識は、アースディバル公も一目置いているからな。メシアでの医療実績も高く評価されているし、薬師教会でもお前を司祭に推薦しようという話も出ているみたいだが」
「へ……?」
司祭といえば、メリックが持つ薬師教会における最高階級である『大司祭』の次にあたる。
現在で司祭の位を持っている薬師は、世界に十人ほどしかいないはず。
「それ、本当の話かしら。ラグレス王は薬師教会をあまり良く思っていないし、好き勝手に動いている私なんて邪魔でしかないと思うんだけど」
ラグレス皇国はアルテナ教を国教としている。
しかし王の右腕たるアースディバル公はパテカトラ教の教えを広める薬師教会と深い繋がりがある人物だ。
彼のおかげで国民の中にもパテカトラ教の信者が広がり、今は二大宗教として国の柱にもなっている。
だが、私が司祭に昇級するためにはラグレス王の許可が必要だ。
かの剣聖がいくら私を担いでも、国の法律を変えることはできない。
「それも含めて、王に謁見すれば全部分かるさ。メリック殿や他の司祭も推薦しているんだ。無下にはできないだろう」
「そう、なのかしら」
特に階級に興味のない私は再び馬車から外に視線を移した。
もうリグロの街があんなに小さく見える。
乗り心地の悪い馬車ではあるが、スピードは申し分なさそうだ。
「うぅ……。もっと静かな馬車は無かったのか……。まったく眠れんわ」
何度も寝返りをうち、ぶつぶつと文句を言っているメリック。
カルマが面白がって布を捲ろうとすると怖い顔で彼女を睨みつけるが、彼女はまったく動じていないようだ。
これが全世界の薬師の頂点だと思うと、やはり階級に何も意味はないのだと深く納得してしまう。
「カルマ。少し私達も寝ておきましょう。向うに到着したら忙しくなるでしょうから」
彼女を抱き寄せ、そのまま目を瞑る。
するとすぐにカルマも静かな寝息を立て始めた。
このまま仮眠し、夜に備えておこう。




