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薬術剣士ミレイの医療白書  作者: 木原ゆう
診療録 様式第三号 薬師における検査および難病の指定について
28/42

カルテ26 業を背負う者

 ゆっくりと目を開ける。

 するとベッドに横たわり、静かに寝息を立てているジルの姿が見えた。

 私は椅子から立ち上がり彼女の様子を確かめようとした。

 が、足元が覚束ずに転倒しそうになってしまう。


「おい、大丈夫か?」


 私の身体を支えてくれたのはカイトだった。

 彼の逞しい腕がボロボロの白衣を着たままの私を包み込む。


「小娘に掛かった睡眠魔法スリーパーは、まだ切れてはおらんよ。患者のことが気になるのは分かるが、まずはお前さんの身体をどうにかせい」


 診察用の椅子に座っているのは白髪で長い髭を蓄えた老人だ。

 彼が持つ大きな黒曜石が埋め込まれた杖は、薬師教会の長である証の品である。

 薬師教会の大司祭メリック・ローグランド。

 私の特性に気付き、私を薬師教会に招き入れた張本人であり、唯一無二の師でもある。


「ミレイ様ぁ! こんなにボロボロのお姿になるまで戦って……」


 ララが泣きながら私の足に抱きついてきた。

 彼女には本当に悪いことをしたと思っている。

 強制的に彼女だけを外に放り出してしまったのだから。


「ララ、ごめんね。私――」


「言い訳は後でたっぷりと聞かせてもらいます! でも今はミレイ様の治療が最優先です!」


 涙を拭いたララは私を強制的に寝室へと連れて行こうとする。

 恐らくそこで治療をするのだろう。

 診療所には患者用のベッドが一つしかない。

 ジルもまだ安静にさせなければいけないし、これしか方法はない。


「じゃあ、俺らも――」


「男共はそこで待っているのですー! そんなにミレイ様の裸を見たいと言うのですか! カイトさんはー!」


「あ、いや、そういう意味ではなくてな……。ま、参ったな……」


 ララに怒鳴られ、後ろ頭を掻くしか出来ないカイトを見て少しだけ笑ってしまう。

 彼らを診療所に置き、私とララは寝室へと向かった。





 麻酔魔法アネシージャを精神力を抑えて発動し、局部麻酔を掛ける。

 これで私自身の意識を落とさずに、ララに治療の指示を出すことができる。

 白衣と上着を脱ぎベッドに横になった私を確認したララは、机の上に手際よく治療器具を並べた。


「まずはあの忍者さんに斬られた傷口をちゃんとしないとですね。それと……首、肩、背中についた切り傷と噛み傷、手の甲と腕と両膝の打撲の傷と擦り傷……ああ! ミレイ様の綺麗なお肌が台無しですよぅ!」


 ちょこまかとベッドの周りを動き、全身に付いた傷の様子を確認するララ。

 幸いにも深い傷は忍者に負わされたわき腹のみで、他は軽傷だ。

 これならば、特にララに指示を出す必要もないだろう。


「縫合した魔法の糸を解きますね。んしょ、よいしょ……。ミレイ様、痛みますか?」


「ううん、大丈夫。きちんと麻酔が効いているから」


 緊急処置を施した患部の糸を解き、そこを消毒した後に治療で用いる糸と縫い替える。

 体内では様々な雑菌が混入する恐れがあるので、きちんと治療しないと感染症を発症する危険性が高い。

 これはその他の傷でも同じことがいえる。


 手際良く傷口を縫合したララは消毒綿をこまめに取り換えつつ、他の傷の治療を始めた。

 消毒とガーゼ、包帯だけでほとんどの箇所は対応できそうだ。

 肩と背中の傷だけは二、三針は縫わないと出血は止まらないだろうが。


「ミレイ様、ちょっとだけ身体を返しますね」


「うん」


 ララに従いうつ伏せに寝そべる。

 背中にべっとりと付着した血糊を下着ごと切り取り、ララは清潔な布で患部を綺麗に拭き取ってくれた。

 後でベッドも綺麗に掃除しなければ、今夜寝る場所に困ってしまう――。

 そんな些細なことを考えていたら、背中の鈍い痛みについ声が出てしまった。


「……よし! 治療、完了しましたぁ!」


 あっという間に全ての傷を治療してくれたララ。

 簡易的な傷の消毒と縫合だけならば、私よりも彼女のほうが早いかもしれない。


「ありがとう。皆を呼んできてくれる? その間に上着を着ておくから」


「承知しました!」


 敬礼のポーズを決めたララは颯爽と寝室を出ていった。

 そして程なくしてカイトとメリックが入室してくる。

 私は上半身だけ起こし、彼らに対応することにした。


「ほう、ここがおぬしとララの寝室か。まあまあの部屋じゃな」


「お褒め頂いて光栄です、メリック先生」


 私の皮肉を物ともせず、メリックは勝手に椅子を持ち出しそこに座った。

 長年の腰痛はまだ解消されていないらしい。


「……さて、聞きたいことがあるのじゃろう? 何でも質問に答えよう」


 そう言ったメリックはニヤリと笑い、髭を弄りつつ私とカイトを交互に見た。

 あの様子だと、私が何を質問するか予想がついているのだろう。

 私の質問はただ一つ。

 『何故メリックとカイトがここにいるのか』、だ。


 質問にはメリックとカイトの両者が交互に答えてくれた。

 王都に召集されたカイトが、すぐにメリックと合流したということ。

 かなりの大規模な召集で、魔術師だけではなく薬師教会の大司祭まで駆り出されるとはよほどのことなのだろう。

 私からメリックのことを聞かされていたカイトは、魔法針の件をメリックに相談したらしい。

 そして、この街に来た理由――。


「若様からの勅命じゃ。おぬしもワシらと共に王都に渡り、『人類滅亡の危機を阻止せよ』、とな」


「人類滅亡の危機……?」


 『若様』とは、剣聖アースディバルのことだろう。

 メリックは彼のことをいつもそう呼んでいる。


「詳しい話は王都に到着してから、アースディバル公自らお話になるそうだ。……メリック殿。これはまだ機密情報なのですから、そのような大きな声で言われては……」


「五月蠅いわい。どうせ隠し通せるものではなかろう。この街に来る道中でも、様々な場所で噂が広がっておったからの」


 人類滅亡の危機とは穏やかではないが、この辺境の街にはそういう噂は立っていない。

 世界戦争でも起こるのか、国家滅亡クラスの極悪なモンスターの出現を確認したのか。

 私にまで召集命令が下されるということは、恐らく全薬師に通達されているのだろう。


「……分かりました。アースディバル公からの勅命であれば、行かないわけにはいきません。でも、この街のことはどうしたら良いでしょうか?」


「代わりの者を三名、用意してある。そやつらとララがいれば十分じゃろう。教会本部の薬もたんまり用意してきたからの。何か問題でもあるか?」


「いいえ。では明日にはここを発ちましょう。先生もお疲れでしょう? 良い酒場がありますから、カイトとそこで寛いでいてください」


「言われんでもそうするわ。ほれ、カイト。ワシを酒場に連れて行け」


「は、はい……」


 私とメリックのやりとりに目を丸くしたカイトは、言われるがままメリックを連れて寝室を出ようとした。

 しかし扉から出ず、ふと何かを思い出したように私を振り返ったメリック。


「……? どうされましたか?」


 私の質問に答えず、ただじっと目を見据えるだけのメリック。

 彼がこういう目をするときは、大抵何かがあるときだ。


「……ララだけを外部に逃がし、治療不可能とされるほどに異常繁殖オーバーグロウスをした群れに、たった一人で挑んだ。ワシらが到着するまで、数時間も戦い続けた」


「……」


おぬし・・・使ったな・・・・? あの命を燃やす・・・・・薬師魔法・・・・を」


 メリックの表情に変化はない。

 その目に映っているのは、残りの寿命がどれくらいあるのか分からない、一人の薬師の姿だ。


「……仕方なかったんです。ジルを助けるためには、これしか方法が無くて」


 彼に嘘を言っても仕方がない。

 正直に話しておかなければ、私が死んだあとに誰がララの面倒を見てくれるのだろう。


「……はぁ。やはり、そういうことか」


 再び寝室に入ったメリックは後ろ手で扉を閉めた。

 そして扉越しにカイトに先に酒場に向かうように指示を出した。


「先生……?」


「どうしてワシはおぬしみたいな阿呆を弟子にしたんだか……。いいか、もう金輪際、二度とあの魔法を使うな。命を粗末に扱うな」


 険しい表情でそう言ったメリックは幻獣を召喚した。

 ララほどの背の高さの幼女は、目を瞑ったままふわりと宙を舞い、私のベッドに降りてくる。


「この子は――」


 私が言いかけた途端、眩い光が私と幼女を包み込んだ。

 この光は、一体……?


「幻獣の『カルマ』じゃ。捧命魔法ソウルオーバーを司っておる。おぬしの消耗した寿命をこやつが肩代わりしてくれる」


「消耗した寿命を……肩代わり?」


 これもメリックだけが使用できるとされる薬師魔法なのだろうか。

 私の膝にちょこんと座った幼女はうっすらと目を開けた。


「もちろん、タダではないぞ。おぬしは一生、こやつの面倒を見なくてはならん。所詮、この世は等価交換じゃ。どこへ行くにもカルマは付きまとう」


「……」


 カルマと呼ばれた幼女は、透き通った目を私に向けた。

 ララとはまた違った感じの子だ。

 ……当然か。ララはサキュバス族で、この子は幻獣なのだから。


「幻獣ということは、この子も元々は神様ということなのでしょうか」


「いや、カルマは違う。これはワシがアレンジした薬師魔法じゃからの。存在もでっちあげ、過去の聖書にも記載などあらん。まあ、どこかの神の精神体の欠片くらいは入っておろうが、そこまでは知らん」


 ぶっきらぼうにそう答えたメリックはそのまま扉を開け、寝室を出ていった。

 カルマと二人残された私はどうしていいか分からず、カルマも何も発言しない。


「……あの、初めまして、カルマちゃん。その、ありがとう。私の命の誓約を肩代わりしてくれて」


「……」


 何も返事が返ってこない。

 これはかなり厳しいかも知れない……。

 ララみたいに明るい子だったら扱いやすいのだが、どうにもこの子は暗そうだ。


「私はミレイっていうの。これから、ずっと私は貴女と一緒にいないといけないんだって」


「……ミレイ」


「あ、うん。そう。それが私の名前」


「ミレイ。……ボクと命を共にする、業を背負いし誓約者」


「……え? 今、何て言ったの?」


 ほとんど唇を動かさず、カルマは何かを呟いた。

 しかし、もう一度彼女は話す気は無さそうだ。

 ベッドから降りた彼女は自由気ままに寝室内を探索している。


「……はぁ。でも命が助かったんだから、先生には感謝しないと。夜にでも酒場に行って、もう一度お礼を言わなくちゃ」


 ジルの様子が気になり、ベッドから起き上がる。

 まだ麻酔が効いたままなので、多少足元がふらつくが気にしてもいられない。


 私は扉を開け、寝室から出ていった。





 目を覚ましたジルは大きく伸びをした。

 胸の張りはもう感じないようだが、大事をとって今夜はこのまま診療所に泊まらせることにした。

 私の全身に巻かれた包帯を見て驚いていたが、詳細は特に説明をしなかった。

 彼女にガンであったことを伝えようにも、医学用語が多すぎて理解はできないだろうと判断した。


 でもきっと、彼女は分かっている。

 私とララの様子から、自身の体内で何があったのかを。

 術後の経過を見て、いずれ本当のことを話そうと思う。

 でも今はその時ではない。

 彼女は無事に出産を済ませなければならないのだから。


 夕方になり三人で夕食を済ませた。

 そしてジルをララに任せ、私は診察記録を取り出し、寝室へと向かった。


 患者名、ジル・ヴァイオレッド――。

 生理不順を訴え、来院。

 以前にも同じ症状で来院するも、特に大きな異常は見られず。


 診断結果。

 乳腺周囲における悪性腫瘍および乳腺症。

 進行度はステージⅢ。

 脊椎への転移を確認。

 原因箇所を全て切除。

 要、術後の経過を観察。


 そして、その下に補足項目を記載する。


 【補足】

 新たな免疫細胞であるNK細胞を確認。

 忍者型モンスターに扮しており、これを僧侶型モンスターに扮していたレギュラトリーT細胞による免疫抑制作用により沈静化。

 また白衣の付与効果である擬態魔法がNK細胞に効果を及ぼさなかったことから、『擬態魔法はMHCクラスⅠ分子の発現を低下させ、免疫細胞らに狙われない』といった働きがあることが予想される。

 自己性を喪失した細胞であるという免疫側の認識が、今回のNK細胞の襲撃に繋がったと判断。

 今後の治療リンク方針に影響ありと予想される。


 私は診察書を閉じ、大きく息を吐いた。



第三章、完。

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