エピローグ みんなで同じ釜の飯を
空に浮かぶ絨毯のうえ、波打つように動く布の端に陣取ったイーダが声をあげた。
「あ、王都の匂いです! これは串焼きの香り。むむ、この匂いは前回売り切れてた揚げパンでは!?」
「え、もう見えたの? アタシにはまだ見えないんだけど」
驚くラストの上空で、半身を霧と化したエンヴィが宙に飛び上がり首をひねる。
「ボクも見えない。見えるの羨ましい……目が良いの? 羨ましい」
「いえ、見えないですよ」
あっさりした否定に、エンヴィがしゅるりと降りてきた。不思議そうにまたたく魔人を前にして、イーダは自慢げに鼻をひくつかせる。
「見えないですけど匂いがするんです! 食べ尽くせないほどのおいしいものが、私を呼んでる匂いですっ」
「……鼻が良い。うらやまし、い? ううん……?」
胸を張るイーダにエンヴィはぱちぱちと瞬きを繰り返す。何事にも嫉妬してばかりの彼女の珍しい姿に笑いながら、ラストは絨毯の中央でうずくまる男の背を叩いた。
「ほぅら、アナタの相棒がもうすぐ着くって言ってるわよ」
「……そうか。それは良い知らせだな……うぅ」
空飛ぶ絨毯のなかで最も揺れの少ないど真ん中を陣取って、グラトニーはぐったりと弱っていた。懐に入れられていたひな鳥は、潰さないよう彼の顔の横に置かれている。
浮揚板でガンガン飛ばすのもだめなグラトニーは、ゆらゆらふわふわゆっくり進む絨毯もだめであったらしい。乗ってすぐ顔色を青くし、それからずっとうめいている。
情けない彼の姿に嘆息したラストは、王都のおいしいもの談義に花を咲かせるイーダと、片っ端から羨ましがるエンヴィを眺めて目を細めた。
「魔人と人の距離がこんなに近くなるなんて、想像もしなかったわ」
独り言のようにつぶやくラストが思い浮かべるのは、憤怒に駆られて全てを蹴散らしていたかつてのラースか、嫉妬せずにいられない己を厭うて森に潜んだエンヴィか。あるいは権能を拒絶し砂のしたで終わりを待っていたグラトニーだろうか。
どこか遠くに向けられたラストの瞳に映るものを共に思い描く余裕はグラトニーにはない。けれどしんみりした雰囲気を感じ取りのろのろと顔を上げたグラトニーに、ラストは「そうだ」と手を打った。
「アナタ、そのひな鳥の名前は決めたのかしら」
「名前……ひな」
「却下ね! いつまでもひなじゃないのよ。この子は成長するの。立派な成鳥になっても『ひな』なんて呼べやしないでしょ」
うめき混じりのグラトニーの返答は、あっさりと切り捨てられる。
あまりにもばっさりと、けれど正論で返されたグラトニーは青い顔のまま、懐で眠るひな鳥に目をやった。
ふわふわとした羽毛。ちいさなくちばし。頼りない鳴き声。
思い浮かぶ限りの情報をかき集め、乗り物酔いで回らない頭のまま口にする。
「フワ……モフ……チイ……ピヨ……ピィ……」
ほぼ擬音である。そのあまりの安直さにラストは呆れを隠さない。
「アナタ、竜の腐肉を食べたせいで脳みそが腐ったの? 少しは捻りなさいな。相手は魔獣なんだから、長い付き合いになるかもしれないのよ」
「ひねり? ひねり……」
ぼんやりとつぶやくグラトニーの目に、ひなの燃えるような色をした羽毛に散らばる黒い点が映った。卵のときに海水を浴びたせいでできたと思われる模様をつけて丸まって眠るひなは、ちいさな星が輝いているようにも見える。
「黒点……燃える……空の……ソラリス?」
「あら、いいじゃない。太陽の古い呼び名ね、ソラリス。起きたら教えてもらいなさい、あなたの名前はソラリスよ」
寝入っているひな鳥を起こさないよう、指先でやさしくその背をなでてささやくように名を呼んでラストは微笑む。
「アナタも、ずいぶん変わったわグラトニー。ううん、きっともっと変わるのね」
愛おしげに細めた目をソラリスに向けたままラストはつぶやく。
「アナタも良い出会いをしたのね」
「…………さぁな」
長い沈黙を挟んだグラトニーの返事は曖昧なものであったけれど、否定で無かったことにラストは微笑んだ。
「本当に、良い出会いだったみたいねぇ」
話しとも呼べないやり取りをしているうちに、一行を乗せた絨毯はずいぶんと進んでいたらしい。地平線の彼方に王都の建物群が見えてきた。
人の営みが寄り集まり、数を増して広がってできた都は歪で不恰好であったけれど、その不完全さがどこか愛おしさを抱かせる。
「ああ、帰ってきたわね」
「あんたにとってはここが帰る場所か」
ふとこぼれたラストの言葉にグラトニーがつぶやいた声には、かすかな羨望が滲んでいた。
驚いたように振り向いたラストは、顔を逸らしたグラトニーにくすりと笑い目を細める。
「アタシがそう決めたからね、その日からここがアタシの帰る場所なのよ」
「決めたから、か。俺もあの日あいつの誘いを断らずにいたなら……」
空の彼方を見上げたグラトニーが思い描いたのは遠い日の友の姿。新しく作る国に来てほしいと最後まで言っていたアルフの言葉にうなずいていたならば、どんな未来があったのか。
そう思いを巡らせて黙り込むグラトニーの思考を嗅ぎ取ったわけではないだろうに、イーダがくるりと振り向いた。
「だったら今から私が誘うので、どうです?」
「誘う? 何に」
「それはもちろん、ご飯です!」
きらりと輝く笑顔を添えたイーダはぶれない。
「私の故郷では、親しい仲間のことを同じ釜の飯を食う仲、って言うんです」
食べ物に関する成句はなんともイーダらしかった。もしやイーダの故郷の人はみな彼女のように食い意地が抜きん出ているのか、とグラトニーとラストが同じ疑問を抱えるほど。
向かい合った魔人たちがそんなことを思っているとは気づきもせず、イーダはぐんぐん近づく王都の香りに顔を綻ばせる。
「だから、囲みましょう! 同じ食事を。なんなら王様も呼んじゃって、みんなでお腹いっぱい食べましょう!」
「…………」
満面の笑みで誘うイーダに返されたのはグラトニーからの長い沈黙。
黙り込んだグラトニーを見つめるラストは、帝国に使役されていた時代の彼の姿を知っている。そのせいでグラトニーが食うという行為そのものを嫌っているのだと、わかっていた。
そして痩せたグラトニーに物を食べさせたいと思うイーダの気持ちもまた、理解している。
ラスト自身、飢えるに任せたグラトニーが気にかかっていた。血のつながりなど無いけれど、魔人のなかでも一番最後に生み出された暴食の魔人を弟のように思い心配していたのだ。
止めるべきか、背中を押すべきか。
ふたつの感情に挟まれて、ラストはたまらず口を挟む。
「イーダちゃん、誘うのは悪いことではないけれど、でもね」
やんわりと断りの言葉を探すラストをグラトニーがさえぎった。
「……そうだな。それも悪くないか」
予想外の肯定的な返答にラストは驚き、イーダは満面の笑みを浮かべる。
「やった! じゃあ、王都を着いたらすぐ王様を誘わないとです! 王様の力で王都いちおいしいもの盛りだくさん食べるのですー!」
「いや、俺はそんなに大量にはいらないんだが」
食事の席に着くことは肯定しながらも食べることに積極的でないグラトニーに、イーダはきゅっと眉を寄せた。
「何言ってるんですか。王様のお財布で食べられる機会なんてそうそうないんですよ! 食べられるときに食べられるだけ食べないと! 今日、食べそびれたご飯は次のご飯を大盛りにしたって取り戻せないんですからね!」
「そういうものか……?」
「そういうものですっ」
あんまりにもきっぱりと言い切るイーダに、グラトニーは「そういうものか」と頷くほかない。
「人の子、強い。羨ましい」
堂々としたイーダの姿にエンヴィがつぶやくと、ラストもたまらないと言いたげにクスクス笑いだす。
「ほんとね、すごく強いわ。すごく強くてすごく良い子と出会えたのね、グラトニー」
おだやかな雰囲気を乗せて絨毯の魔具は進んで行く。その先にあるのはたくさんの人々が集まって築き上げた王都だ。
悲しみも喜びも怒りも愛おしさも入り混じる人の群れの中へ、魔人たちが紛れ込むのはもう間も無く。
そして囲んだ食卓で暴食の魔人が猫舌だと判明するまで、あと少し。
〈終〉
公募用に書き上げたため、ここで一旦完結となります。
書きたいストーリーはまだまだあるので、いつか続きを書いたらシリーズとして連載させていただきます。




