二十、過去の遺物はたいらげて
「起きなさい、グラトニー!」
本能を揺さぶる野太い声に意識を揺さぶられ、グラトニーは覚醒した。
「う、あぁ」
途端に全身を襲った痛みはジエンに取り込まれ竜核の力を一方的に奪われたせいであり、暴食の欲求のままに振り回された身体が悲鳴をあげたせいでもあった。
「グラトニーさん!!」
誰よりもはやく駆け寄ったイーダがよろめくグラトニーに飛びつき、ともに地を転がる。
ふたりが寸前まで居た場所を貫くのはジエンの伸ばす骨だ。
「グラトニー、さっさと動け! ウチの炎じゃ、このくそ忌々しい皇族の周囲さえ焼けないんだ。ああ、広範囲に有効なのが裏目に出て腹立たしいったら!」
遠方から叫ぶラースは、せめてもとジエンの図体が隠れる場所を無くすために森を焼き続けている。
「色欲の魅了も効かないのよねえ。そんな歪な生き物ともいえないものを支配下に置きたくもないし、アンタに食べさせたくも無いんだけど」
口調こそ穏やかなラストだがその実、権能を発揮できない状況にずいぶんと苛立っているのだろう。グラトニーに望まぬものを喰わせることも不機嫌の一因なのか。
形良く整えた爪の先をかじる姿は珍しく余裕がない。
「あのひと、燃やせないし切っても身が削れて動きが速くなるだけで、困ってるんです。グラトニーさんがいけるとこまで食べてもらいたいんですが」
イーダが遠慮がちに言う。
その向こうではラストも伺うようにグラトニーを見つめ、ラースもジエンの周囲に火を放ちながらチラチラとグラトニーの様子を気にしている。
「ああ、喰おう」
皆の心配をよそに、グラトニーはひとつ頷いた。
文字通り死ぬほど嫌悪していた権能の行使をあっさりと引き受けたことに、誰もが目を丸くしている間に、グラトニーはイーダに横目を流す。
「竜の身体は喰い尽くす。人の身の心臓があるのかわからないが、止めはイーダが刺してくれ」
「了解です! いつでも来いですよっ」
きらん、と目を輝かせたイーダがナイフとフォークを構えるのを横目に、グラトニーはジエンに向けて歩み出た。
グラトニーが意識を明け渡している間にも、イーダやラストが肉弾戦で削いだのだろう。崩れてなお巨大であった竜の体は、今や大柄な人と変わらないほどに縮んでいる。
代わりに、骨ばかりとなった異形の身体は素早さを手に入れたらしい。
「ふはっ、ふはははははア! もウ一度喰ってやるウ! 吾輩の糧になるが良イィ!」
骨ばかりの身体に笑い声を響かせたジエンは、グラトニーめがけて飛ぶように地を進む。
対するグラトニーは構えもせず、自然な様子で立ったまま接敵を待つ。
「人を喰うのはあれで最後にしようと思ってたんだがな……」
ひとりごとめいたつぶやきを耳にしたのは、隣に立つイーダだけ。グラトニーの過去を知らない彼女は、痛みをこらえるような彼の横顔に食わず嫌いの根幹を垣間見る。
けれど、かける言葉を探す必要はないとイーダにはわかった。
グラトニーの目がいつになく強い光を宿し、敵を見据えていたからだ。
「アルフ、今度こそ終わりにしよう。帝国の歴史ごと俺が喰ってやるっ」
「はっはア! お前も貫いてやるウ!」
迎え撃つグラトニーに対し、ジエンは崩れかけた体でなおも高圧的に振る舞う。
けれど竜核を失ったその身は、もはや形を保つことも難しくなっているらしい。
ぶつかる寸前までぼろぼろと腐肉をこぼしながら、それでも歪な骨を伸ばしてグラトニーの顔と言わず体と言わず、抉り貫こうとするのはもはや執念の賜物だ。
「させませんよっ」
ギキンッ!
迫る骨を弾いたのはイーダだ。食にこだわる人間ならば、骨の扱いなんてお手のもの。
自慢のナイフとフォークを手にした彼女に襲いくる骨を任せたグラトニーは、百年ぶりに躊躇を伴わず自らの意思で腹の内の欲求を呼び起こす。
「喰い尽くすぞ『暴食』」
ぐわ、と開かれたグラトニーの口は、自ら飛び込む形になったジエンの身体をずぶりと喰った。腐り、脆くなったジエンの身は喰われた箇所でぼろりと砕ける。
「きひっ、ひイ! 渡すものか、尊い吾輩の身を魔人などに渡すものかア、アァ?」
喰い残された頭部とわずかな骨だけになったジエンはそれでも抗おうともがいたが、そんな抵抗などものともせずグラトニーは骨が伸びるそばからぞぶりぞぶりと喰っていく。
魔人自身の意志が込められた『暴食』はいつになく凶悪な威力を発揮していた。
「すごい……あの子、こんなに強かったのね」
「食欲全開です! 良い食べっぷりですね」
思わずつぶやいたラストに、イーダが得意げに笑う。
味方にすれば心強いが、みるみる身体が削り喰われていくジエンにしてみれば、たまったものではない。
「あアァ!! やめろ、やめろオォ!」
騒いでいる間に、もはやジエンに残されたのは、人であった彼の頭部のみとなった。皇族の血に魔人の力がねじ伏せられるのを感じ、グラトニーは権能を閉じる。かわりに開いた口で呼んだのは相棒の名だ。
「イーダ、あとを頼む!」
「ですね。終わりにしましょう」
ひとつうなずいたイーダは、悲鳴をあげながらも逃げるためもがくことも叶わないジエンのわずかに残った頭部と腐った肉片を前に、ナイフとフォークを握りなおす。
「腐った肉は廃棄処分です!」
振るわれたナイフはグラトニーの鼻先をかすめ、残されたジエンの頭部を真っ二つに切り裂く。
「ア」
目を見開き、わずかな声をもらした皇族の生き残りは、ざらりと砕けて瞬く間に風に散った。
百年の時を経てようやく朽ちたその身は、焼け落ちた森に紛れて名残すら見つけられなかった。
※※※
「終わったわね」
静かになった荒野に風が吹く。ラストは乱れた髪をかきあげて、立ち尽くすグラトニーに視線を流した。
遠くを見つめる彼の横顔には安堵もなく、悲嘆もない。内面の読めない彼に何と声をかけるべきか迷ったのはラストだけではなかった。
ラースはグラトニーを気にしながらもうまい言葉を見つけられずにいる。そんな自身にいらいらとしているのだろう、眉間にしわをよせてはへの字にした口を開いたり閉じたり、百面相をするのに忙しい。
エンヴィはいつの間にか霧と化して、姿を消していた。
しんみりとした空気に身を浸す魔人たちのそばで、そわそわと視線を彷徨わせる人間がひとり。
ぐうぅぅぅ。
その腹が盛大な音を立てて鳴り響く。
「ううぅ、がんばったからお腹空いたのです。極北まで全速力で行って、そのまま戻ってきましたし」
「アンタ、そのままって言ったって村で散々飲み食いしてやがっただろ! 少ない備蓄まで引っ張り出させておいて腹が減っただと?」
青筋をたてるラースに詰め寄られ、イーダは「空くものは空くんですぅ!」とむくれている。
緊張感の続かない連中にあきれるグラトニーのとなりで、ラストが腰に手を当て片目をつむる。
「いいじゃない。食べて動いてお腹が空く、とっても健康的だわ。王都へ帰りましょ。森の向こうにアタシの乗ってきた魔具があるから、みんな乗れるわよ」
「ウチは行かねえ。すこしでも早く村に帰らねえと、村の奴らが死に絶えちま、う……?」
何気なく魔具のある森の向こうへ目をやったラースは動きを止めた。
燃え落ちた森だった箇所に、うらめしげに立つ人影は白くゆらめくエンヴィだ。幽霊めいた立ち姿を見せる彼女の口がゆるりと動く。
「森、が……」
ぽそりとこぼれた声は遠く離れたグラトニーたちのところにもよく届いた。なにせ、間に何もない。
「ボクの森が、ボクの住処がなくなっちゃったよう〜!」
びえええ、と泣き出したエンヴィに、さすがのラースも焦りを隠せない。
「ちょ、おい、泣くなよ! アンタの森を燃やして悪かったけど、仕方なかったんだって。あの化け物野郎がちょこまか逃げやがるからよぅ!」
「うああぁん! ラースの馬鹿ぁ! 自分は帰る村があるからって余裕ぶって、羨ましいぃぃ!」
「ああ!? 馬鹿とはなんだ、馬鹿とはぁ!」
ぎゃいぎゃいと言い争いをはじめたふたりを「あらぁ」と見下ろしたラストは、ぽんと手を打った。
「だったらエンヴィちゃん、アタシのお城においでなさいな。お部屋のひとつやふたつ、何ならお家まるごとだって用意しちゃうわよ」
「ほんと……? 誰も来ない、静かなお部屋……ボクだけのお部屋があるの……?」
「もっちろん! アタシが今日まで王都で築いてきた地位と人脈とありったけの力でもって、アナタの理想を叶えるわよ!」
「ボクの、理想のお部屋……!」
キラキラと目を輝かせたエンヴィに平らな胸をこっそりなでおろしたラースが、グラトニーのそばへとそろりやってくる。
「……今回は、助かった」
珍しいラースの殊勝な言葉に、グラトニーは目を向けた。隣にいたイーダもぱちくりとまばたきする。
幼い容姿に似合わない難しい顔をしたラースは、眉をきゅっと吊り上げ視線をよそにやりながら続ける。
「ウチが目を覚ましたら村の連中、総出で泣いて騒ぎやがってよ……これからはウチがいなくても村が回るように努めるから、そのかわりこれからもずっと村に居ろだとよ。ったく、そこはウチにどこでも好きなところに行っちまえっていうところだろ。まったく、世話が焼けるぜ」
悪態をつきながらもほんのりと目元を和らげたラースに、イーダは後ろから張り付いて「にひひ」と笑った。
「あの男の子、アペオイくんに泣きながら告白されてましたもんねぇ。末永く元気でいないと、ですね!」
「おまっ、あれは告白なんかじゃ!」
ぼっ、と顔を真っ赤に染めついでに、ラースの身体から炎があがる。イーダが「みぎゃ!」と鳴いて飛び退いたそこへ、不死鳥のひながうれしそうに飛び込んだ。
「ピッピィピィ!」
ぱくぱくぱくり。炎を食べたひなは小さな羽をばたつかせ、懸命に宙をゆく。力むあまり「ピィッピッ!」と鳴き声をもらしながら辿り着いたのは、グラトニーの元。
骨の浮いた胸元の服の隙間に転がり込んだ不死鳥のひなは、平らというよりもやや抉れ気味なグラトニーの腹のあたりにもぐる。
「おい」
不満顔のグラトニーが胸元を引っ張り覗き込むが、ひなは羽根を閉じて満足げにおさまって、出てくるつもりは欠片もなさそうだ。
いっしょになって覗き込んだイーダは、くつろぐひなの姿に目を細めた。
「おお、しっかりばっちりなついてますね! ていうかグラトニーさん、私よりお腹周り細いんじゃ……いや、そんな、そんなわけないです。そんな、そんなことあるはずが……」
自分の腹をさすりながらぶつぶつ言い始めたイーダを迷惑そうに見やり、グラトニーは服の上からひなをつつく。
「お前の好きな火を吹く相手は俺じゃない」
「ピィ?」
ひなは服の中で首をかしげてもぞりと座り直す。出て行く気配もないひなにグラトニーがわずかに眉を寄せると、ラースは「ふん」と鼻を鳴らした。
「そんなチビなんざウチにはもう必要ない。もう心を鎮めて落ち着いた暮らしを心がけるのはやめだ。炎の出しっぱなしもやめ。これからは適度に腹ァ立てて、憤怒の糧も生み出すからな」
腕を組み、薄い胸をそらしたラースが不意に視線を落とす。
むすりと唇を歪めた彼女はしばし言い淀み、けれど心を決めたらしく顔を上げた。
「今回は、お前のおかげで助かった。ありがとう、グラトニー」
頭を下げたラースの姿はいつになく素直で、憤怒とはかけはなれている。百年前から彼女のあり様を知っている魔人たちが驚きに目を丸くしているうちに、ラースは続ける。
「礼ついでに言うことじゃねえが、あの馴鹿をもらえないか」
「ディッシュを?」
「ああ」
ぎゅ、と眉を寄せたラースは腰に手を当てた堂々とした立ち姿であるけれど、その小さなつま先は苛立つように地を叩く。
「今回ウチの竜核がイカれかけたのは、ウチが村の連中を甘やかしすぎたからだ。今後はテメェらでもっと気張らせる。そのために、あの気合入った馴鹿が欲しい」
「ディッシュってば私を差し置いて、モテモテなんです! 吹雪が止んでみたら、ディッシュのまわりにふつうの大きさの馴鹿が集まってて」
むくれ気味のイーダはラースの足りない言葉を補っているのか、単にもてる馴鹿をひがんでいるのか。身振り手振りで伝えようとする彼女の動きを見るに、けっこうな大きさの群れがディッシュの元にやってきたらしい。
「つまり、移動や荷物の運搬用の魔獣を村にとどめるためにディッシュが欲しい、と」
「だめか」
じっと見上げるラースに対して、グラトニーは静かにまぶたをふせた。
「嫌ならあいつは自分で村を去るだろう。自分で村に留まったなら、俺がどうこう言うことじゃない」
そっけない物言いに、けれどラースはうれしげに瞳をきらめかせる。
「助かる! 村の連中も喜ぶよ!」
声を弾ませたラースは不意に権能を発揮したかと思うと両手のうえに炎を生じさせ、ゴウと大きく燃え上がらせる。
「チビ鳥、ウチの炎をくれてやる。代わりにウチをぶっとばせ!」
「ピッピィ!」
熱を感知したのか、ラースの言葉を理解したのか。不死鳥のひなはグラトニーの懐から飛び出して、空を焦がすほどに育った大火をバクリとひと飲みした。
途端に小さな身体が燃え上がるように膨れあがり、不死鳥のひなは見上げるほどに大きくなる。そしてそのくちばしにラースをくわえて、空へと飛び上がる。
「じゃあな! 極北に来るときは歓迎してやるよ!」
そう残して空に向かったラースの体がぶわりと燃えた。権能で自身を燃え上がらせたのだろう。
火の玉めいた彼女を連れた不死鳥は空の高くでくちばしを開き、燃え盛る両翼で大きく羽ばたく。
どうっ、と巻き起こされた火の渦に身を預け、燃えるラースは極北の空に光の軌跡を描く。
地上で魔人たちとイーダが突然の熱風に顔を伏せて耐え、熱気が去ったころ。空を見上げた面々が視線を遠くへ向けるけれど、ラースの姿はすでになかった。
「熱い。うるさい。迷惑かけ放題でいなくなるあの図太さ、羨ましい」
じんわりと霧化しながらエンヴィが空を見上げる隣で、ラストはまぶしそうに目を細める。
「良い出会いだったのねえ。あの怒りっぽいラースちゃんが頭を下げて頼むなんて、よっぽど村の子たちのことが大切なんだわ」
うふふ、とラストが笑う。散らばる雲はラースの炎で焼けたのか、不死鳥の翼に吹き飛ばされたのか、すっきりと青い空が広がっている。
ぼんやりと空を見上げていたグラトニーの頭に、不死鳥のひな鳥がぽとんと落ちてきた。
「ケプ」
ぽふんと煙を吐いたひなはグラトニーの手のひらの中で丸くなり、ゆるゆるとまぶたを閉じる。
「ありゃ、疲れて寝ちゃいました?」
「ああ。腹がふくれたのもあるだろうが」
イーダがのぞきこんだときには、ひなは小さないびきをこぼしながら眠っていた。呼吸に合わせて上下する腹がふっくりと丸い。
「……私もお腹いっぱいになって寝たいです」
ぐぅぐぅと腹を鳴らすイーダに急かされて、一行はラストの魔具を目指して森の跡地を踏み越えていった。




