十九、この戦いが終わったらみんなでご馳走を囲むんだ
腐肉の塊が地を這っていた。
首はなく手脚も見当たらない腐肉を前進させるのは、肉の背を破り突き出した幾本もの骨だ。
「ふは、ふははアァ」
歪な肉塊にめり込むように、顔だけが人の形を残すジエンが笑っていた。
「ふふふゥは、食ってやった。食ってやったァ! 暴食の魔人めを食ってやったぞオォォォ!」
雄叫びをあげるジエンの竜体は、岩穴にいたときよりさらに腐敗が進み、崩れて小さくなっている。けれど今や腐った肉の崩壊は止まり、手脚代わりの骨もジエンの思うままに動かせるようになっていた。
竜核をイーダに持ち去られたというのに、なぜなのか。
それは代わりとなる竜核を取り込んだからである。グラトニーの持つ竜核を、魔人のその身体ごと竜の腐肉のなかへと取り込んだからであった。竜の巨体に下敷きにされ、意識を失った魔人を取り込んだ時の高揚感を思い出し、ジエンはぶるりと身を震わせる。
「忌々しイ娘、吾輩から物を奪うなどと忌々しイ限りだがァ。魔人が食えたのはァ、良かったなァア!」
にたにたと笑うジエンはふと脚代わりの骨の動きを止め、鼻をひくつせた。
「んんン〜、におう、におうなア。竜核のにおいだアァ」
よだれを垂らさんばかりの恍惚とした表情でジエンは再び骨を動かし、生い茂る草を踏み荒らしはじめる。
グラトニーを腐肉の合間に取り込み、忌々しい岩の底から這い出てどれほど進んだのか。気づけば、ジエンは竜核の匂いを追って竜の岬からずいぶんと南下していた。
彼の歩いてきた道は竜の腐肉の影響で草木が枯れ朽ちており、よろけ、ふらつきながら進んできた跡が長く残されている。
「竜ゥ核ゥウ、吾輩の竜核ゥゥ」
うわ言のようにつぶやきながら進んでいたジエンは、ふと草の匂いにまじる湿り気を感じて前進を止めた。
気づけばあたりは濃い霧に沈んでいる。生い茂っているはずの草も、背の高い木々も何もかもが白い色をした霧の向こうに呑まれていた。
「核ゥ、竜核ゥ?」
異様な景色のなかにあって、ジエンはわずかに首を傾げて鼻をひくつかせる。長年の妄執に囚われたままの彼は、竜の腐肉との境目を無くし、理性をも失う一方であった。
エサを求める獣のようにうろつく彼の背中に、霧の最中から声が降る。
「ああ、やだやだ。誰にも会いたくない」
「だれだアァ!?」
吠えたジエンの背中から、飛び出た骨が霧を裂いた。ドヅンッ、鈍い音を立てて骨が突き立ったそこに、ジエンはたしかに人影を見た。
けれど。
「ああ、やだやだ。誰のことも見たくない」
声は止まず、骨が突き立つそこにあるのは何の変哲もない木の幹だけ。
「あア?」
あたりを見回すジエンの目には霧越しの人影がたしかに写っている。だというのにどれほど素早く貫いても、一度に見える人影すべてを攻撃しても、声は止まずに聞こえ続ける。
不定形なはずの霧はやがて人の形を成し、真白いそれがジエンの周りをぐるりと飛びはじめる。
「そんな大きな体なんてボクには無いのに」
濃い霧の腕が腐肉をなでた。
「竜の肉体なんてボクは持ってないのに」
ジエンの背中から突き出した骨に霧の指先が触れた。
「自在に操れる骨なんてボク持ってないのに、どうしてキミは持ってるの」
触れられるはずのない霧に肌を撫でられた感触に、ぞわりとジエンの背中に怖気が走った。
「羨ましいなあ、羨ましいなあ、羨ましいなあアァァァァ!」
叫び声につられたように、あたりを満たす霧が爆発的な勢いで渦を巻く。
「ボクもキミになりたいなあああ!!!『嫉妬』!」
絶叫とともに濃密な白い霧が一気にジエンへと襲い掛かる。ジエンが警戒して伸ばした骨を避けて、その目を、鼻を、口を、あるいは腐り落ちた肉の隙間を狙って霧が入りこみかけたとき。白い霧をがっしりと掴んで止める腕があった。
「んもう、だめよエンヴィちゃん。こんなブサイクな皮、あなたに似合わないわ」
腕の主がしなを作ると、鍛えられた筋肉が肌に添う服を盛り上げる。誰もが思わず目を惹かれる魅力に溢れたそのひとは欲の魔人、ラストであった。魅力あふれる魔人を前に、エンヴィと呼ばれた白い霧がぐるぐると回る。
「ラスト、良い体してる。羨ましい」
「あら、ありがと。久々に会うけど、エンヴちゃんも変わらずかわいいわよ」
んふ、と笑んだラストの隣で白い霧が凝集し、形作ったのは白い肌に白い髪、白い上下を身につけた華奢な少女だ。愛らしい顔立ちに不似合いな暗い目をした少女は「羨ましい」とつぶやきながらうつむいている。
「お前ェたち、その顔ォはアァ。魔人ン、魔人だなアァ!?」
ふたりの姿を認めたジエンは目を剥き、うれしそうにニタニタと笑う。
「ふは、ふふはア! 魔人だアァ、竜核だアァァ。吾輩の竜核がふたァつも増えるぞオォォ!」
腐肉に埋もれた顔で叫ぶジエンに、ラストは嫌そうに顔をしかめた。
「うるさい子ねえ。竜の岬が騒がしいから見て来い、だなんて言われて運動がてら来るんじゃなかったわ。魔物と身体を混ぜるなんて、どこの馬鹿かしら」
「わかんない。けど中にグラトニーがいた」
「はあっ!?」
ラストが眉を跳ね上げる横でジエンが跳ぶ。さらなる力を取り込まんと欲にまみれたその身は遅く、難なく避けたラストのそばで半ば霧と化したエンヴィが表情に乏しいまま口をとがらせる。
「あの身体もらいに入ろうとしたらグラトニーがいたから、ボクは入れなかった。グラトニーの竜核にはじかれちゃう。グラトニー、新しい身体、羨ましい」
「いやいやいやいや、ちょっと待ってよ」
指をくわえるエンヴィに、ラストは額を押さえて天をあおぐ。天をあおぎながらもラストはジエンの伸ばす骨を交わし、霧と化したエンヴィは体当たりされたところですり抜けて何の影響もない。
「グラトニーちゃんてば、こんな死にぞこないの腐った肉塊野郎にやられちゃったの!? どうせ食べたくないだなんて駄々こねてふらふらしてたんでしょ、まったく馬鹿なんだから!」
ぷんぷんと怒ったラストは、飛びかかってくる巨体をかわすのをやめて立ち止まる。長い脚をよりしなやかに、胸を逸らし美しい立ち姿をとると突進してくるジエンを流し見る。
「アタシに魅了されなさい『色欲』」
声とともに、ラストの周囲がぶわりと桃色に染まる。
ラストは色欲を集めて生み出された魔人だ。色欲とはつまり性欲。飽くなき性への欲を凝集したその権能は、命あるものすべてを魅了し支配下に置く力を持つ。
はずなのだが。
「がアアァァァ!」
飛びかかるジエンの動きはすこしも鈍らず、醜い声をあげてラストを取り込もうと突っ込んでくる。
「やだ、こいつアタシの魅了が効かないじゃない!! もしかして皇帝の血筋が混ざってるのかしら? だからグラトニーちゃんも食べ損ねて、食べられちゃったの?」
危ういところで身をかわしたラストの上を通り抜け、ジエンはすぐそばの巨木にぶつかった。ずずん、と地面が揺れるほどの衝撃に銛に住む獣が騒めき逃げ出すが、ふたりの魔人はけろりとしたものだ。
「でもボクは弾かれなかった。グラトニーのいる中心部まで行こうとしたら弾かれたけど、あの大きな身体に入るだけなら弾かれなかった」
ラストの権能が発揮される前に、さっさと宙へと飛び去っていたエンヴィがふわりと戻ってきて首を傾げる。
魔人の権能は皇帝一族を害せない。竜核にそう刻まれている。
けれどラストの権能は発揮されず、エンヴィの権能は弾かれなかったのはどういうわけなのか。
「吾輩はァ! 由緒正しい皇帝の子だア! 貴様らにむざむざと殺された愚かな皇帝一族でただひとり生き延びた、選ばれし者。ジエン様だアァァ!」
絶叫とともにジエンの背中から何本もの骨が飛び出した。ひらりと軽い動きでかわしたラストは形のいい唇に長い指をあてて「うーん」と悩ましげな声を上げる。
「あいつの言うことが本当なら中身は皇帝の子で、身体は魔物の腐肉だからかしらね。アタシの魅了は精神攻撃だから弾かれて、エンヴィちゃんの嫉妬は肉体を乗っ取る攻撃だから魔物の肉には弾かれなかった、のかしら?」
「ふぅん。おかしな生き物」
「ほんとそうね。そして、醜く厄介な生き物だわ」
ぺろりと唇を舐めたラストは、好戦的な笑みを浮かべてエンヴィの名を呼んだ。
「ねえ、エンヴィちゃんもいちどあの醜いやつに入ってもらえるかしら」
「? ボク、弾かれる。あのなかにはもうグラトニーが入ってるから」
「そう。そのグラトニーを叩き起こして欲しいの。倒すにしても、あの子ごと刻むのは美しくないでしょ」
言って、ラストは片目をぱちりと閉じた。魔人としての権能を使ったわけではないけれど、その瞳に宿る強い光を目にしたエンヴィは、ふたつを天秤にかけてため息をこぼす。
ラストのお願いを無視して霧に戻るよりも、頼まれたままに済ませてしまったほうが面倒がないと古い付き合いでわかっていた。
「ん。起こしたらボクは帰る『嫉妬』」
これ以上、手に入らないものを前に嫉妬を抱きたくないとばかりにエンヴィは返事を待たずに権能を呼び起こし、霧と化す。王都の北西に位置する森林地帯を覆い尽くすほどの霧がすべて集まり、濃縮されていく。
「竜ゥ核ウゥ!」
諦め悪く叫んだジエンが飛び上がったその瞬間に、エンヴィはジエンの腐肉の隙間に潜り込んだ。
相手の肉体を乗っ取るためではなくこの中のどこかにいるグラトニーに届けるため、エンヴィは全力で突撃をする。
胸の奥に埋められた竜核が反発を覚えた。竜核に刻まれた帝国に都合のいい決まり事が、魔人の本能を刺激して嫌悪感が湧き上がる。その嫌悪感の先に魔人の仲間がいると確信して、嫌がる本能をねじふせ力任せに揺さぶった。
「起きなよ、グラトニー! ボクががんばってるのに寝てるなんて、羨ましいだろぉ!」
その叫びはグラトニーの鼓膜を揺らし、竜核の反発は彼の魔人としての本能を刺激する。
「っぁあああ! 『暴食』!」
取り込まれかけていた腐肉をメリメリと喰らい、グラトニーはジエンの腹部からこぼれ出た。その衝撃にジエンは動きを止め、一拍遅れて腹周りの腐肉がどさりと零れ落ちる。
四肢に欠損のない彼を見てほっとしかけたラストは、グラトニーの目に自我がないことに気がついて眉を寄せた。
「起こしたけど、起きたのは魔人の本能だけ。グラトニーは起きてない、かも」
喰われ、よろめくジエンの身体から吹き出した霧が人型を成してラストの耳元でささやく。
その間にもずるりと身を起こしたグラトニーが、四肢を地につけ首をもたげた。周囲を映すその瞳に理性はない。
「そうみたいね。ほんと、世話の焼ける子!」
言って、ラストは飛び退る。翻る服の裾をグラトニーの口がかすめて空を切る。
発動しっぱなしの『暴食』が、飢えた腹に獲物を詰め込もうと目につくものへ手当たり次第に喰らいつく。
ラストの服の切れ端、空に飛び上がったエンヴィのこぼした霧のかけら、腹に大穴が開き逃げそびれたジエンの下半身を丸ごと。
何もかもを丸呑みにする暴食の魔人は、決して満たされることのない飢えに突き動かされて木や地面までも喰い散らしていく。見上げるほどの大木が瞬く間に姿を消し、寸の間まで立っていた地面がごっそりと消え失せる。それでも暴走した食欲は止まらず近くにいる動く者、ラストとエンヴィを執拗に追いかけまわす。
そこへ。
「『憤怒』の炎に焼き尽くされろ!」
声と共にゴウ、と降った炎がグラトニーの行く手を阻んだ。ジエンは身体の一部が焼けただけで炎が彼を避けるように離れて消え、その隙に焼け残った木の影に身を隠す。
ジエンを避けるように燃え広がる炎に、ハッとして顔をあげたラストの腕のなか、赤い髪を翻した少女が降ってくる。
「ラース! あなたどこから!?」
その答えは空からやってきた。
「グッラトニィサアアァァァァァンンンンッ!」
叫び声とともに垂直降下してきたのはイーダだ。そして彼女がまたがるのは、燃え盛る炎を身体にまとった不死鳥。
「ピィッ」
「あわわ!」
燃え盛る翼が森の木を焼くか、というころに響いたのは幼く甲高い鳴き声。その声と同時に、不死鳥の身を大きく見せていた炎がかき消える。不死鳥は、あっと言う間にひなへと戻っていた。掌サイズのひなが人を乗せて飛んでいられるわけもなく、ひなはぽてころと宙を転がる。
その背から振り落とされたイーダは燃え落ちた森のなかへと墜落していった。「あーれー!」と間抜けた悲鳴を残して消えていくあたり、さほど危機的状況ではないのだろう。
ひなは小さな羽根でぱたぱたと懸命に羽ばたき、ラースの肩に着地する。
「なぁに、その子。ずいぶんかわいらしいわね」
目を丸くしたラストは言わずもがな、可愛いもの好きだ。
「不死鳥のひなだよ。どこかのお節介な暴食の魔人が、死に損ないのウチに押しつけてったのさ。ぬくぬくしながら気持ちよく逝けると思ってたところに新しい竜核まで寄越すんだから、もう許さねえ。アイツだけ死なせてなんてやらねえからな!」
ラースの赤い髪は彼女の心を表すように逆立ち、激しく揺れ動く。
苛立たし気に煌めくその目がグラトニーの姿を追うけれど、理性を失くしたままの彼の痩身は炎を嫌う獣のように焼け残った木立ちに隠れてしまう。
「ちっ、ウチが探しに来てやったっていうのに、隠れるなんざ腹立たしい。いいさ、だったら隠れられないように燃やし尽くしてやる!『憤怒』!」
ごう、と燃え上がるように揺らめいたラースの赤い髪に、森の中からイーダ慌てて飛び出してきた。
「ちょちょちょ、ラースさん! 待ってくださいよ。そんな全力でかかったらグラトニーさんまで燃え尽きちゃいますって! 私、焼き加減を間違えて台無しにするの大っ嫌いなんですっ」
ラースのかざす手を止めたイーダは、代わりに懐から干し肉を引っ張りだして左右に振る。
「ほーらグラトニーさーん、干し肉ですよ~。ただの干し肉じゃないんです、一角海獣の干し肉ですよー。極北の民の方にいただいた、珍しい肉なんです。ほーら、食べたいですよね~じゅるぅっ」
「それで出てくるのはアンタくらいのものね、イーダ」
おびき寄せるエサに視線を奪われ、よだれを垂らすイーダにラストもラースも呆れを隠せない。
暴走したのが彼女くらい単純な生き物だったらよかったのに、とため息をつき、ラストは木陰を飛び出てこちらに向かってくるグラトニーを目で追う。
「完全に暴走してるわね。あの子、百年前だって理性を手放したことなんて無かったのに……ううん、手放せなかったのよね」
つぶやいたラストは、獲物を喰らおうと飛びかかってくる暴食の魔人を避けもせず、理性を無くしたその瞳をじっと見つめる。
「危ないですよ、ラストさん!」
「危ないのはアンタ、ここは任せてウチらは下がるよ」
警告を発したイーダの首根っこをつかんで、ラースが素早く後退した。
周囲に遠慮がいらなくなったラストは、艶やかな唇をにぃっと吊り上げてささやく。
「『色欲』」
ぐわ、と噴き出した桃色の奔流がグラトニーに襲いかかる。
ラストの全力の権能が暴食の力に呑まれたグラトニーの本能を絡め取り、彼はぴたりと動きを止めた。
「アタシを見なさい。アタシの声を聞きなさい。アタシの虜になりなさい」




