十八、腐った肉は魔人も食べない?
どすんっ、鈍い音を立ててイーダは尻もちをついた。
「いったーーー!」
尻から背中に走った痛みに思わず叫んだ彼女の頭を、誰かがぺしりとはたく。
「騒がしい」
「あ、グラトニーさんです? ここ、魔物のお腹のなかとかじゃないですよね!? 暗くて顔が見えないんですけど。ていうか、お尻がすっごく痛いです!」
あまりにも濃い闇にイーダの目はグラトニーの影さえ見つけられず、あたりを見回しながら訴える。いつも通りすぎるその姿にため息を吐きつつ、グラトニーは懐に忍ばせておいた魔灯を取りだした。かちりとかすかな音を立てて、穴の底に淡い光がじわりとにじむ。
「騒がしいと言ってるだろう」
グラトニーの呆れた顔が薄明りに照らし出されると、イーダはうれしそうに跳び起きた。
「やっぱりグラトニーさんです! 聞いてくださいよグラトニーさん、ディッシュってば酷いんです! 私は決意を固めるために精神を統一させていたというのに、あの馴鹿と来たら不意打ちみたいに穴に突き落として……!」
「それはご苦労だったな」
身を屈めたグラトニーは、イーダの落下地点で緩衝材替わりになった荷袋を回収して背負い直す。つぶやくようにこぼれたいたわりの言葉に、イーダは目を輝かせ勢い込む。
「ええ! わかってくれるんです? 次に町に着いたらあの従魔を売り払って、新しいのを」
「ディッシュも苦労する。次の町に着いたら好物でも買って労ってやるか」
「ん?」
はるか頭上に見える穴の入り口をあおいで独り言ちたグラトニーに、イーダは首をかしげた。
「それってどういう……」
問いただしかけたとき。カツン、と高い音が洞窟のなかに響く。思わず声を飲み込んだイーダの隣でグラトニーは魔灯の明かりであたりを照らし、周囲を油断なく睨みつけた。
音が反響するせいで出所はわからない。けれど視認できる距離に魔物の姿が無いのを見てとって、彼は肩の力を抜く。
「悠長に話している時間はない。寄って来た魔物はひととおり喰ったが、また集まってくるかもしれない」
「じゃあ、どんどん移動しなきゃです! 竜が通れるほうに行けばいいから、洞窟の広いほうですよね」
四方をぐるりと見回して広い道を見つけたイーダは意気揚々と歩き出した。明かりも持たず先行する彼女にグラトニーが「おい、先に行くな」と声をかけたとき、イーダの目の前の岩陰から何かがぬうっと顔を出す。
「おォ~やァ~? 魔物が騒ぐから何かと想えばァ、人間ではありませんかァ」
「びゃっ!?」
飛び上がって驚いたイーダのすぐそばで、口を聞いたのは陰気な顔だった。
伸び放題の髪に色の無い肌。目の下の隈の濃さと比例するかのように、落ちくぼんだ眼玉だけが異様にぎらつき暗闇に浮かび上がっている。
「えっ、え? こんなとこに旅人さんです? それとも魔物? ど、どうしましょうグラトニーさん?」
腰が引けながらもイーダが発した声に反応したのは異相の人物だった。
「グラトニーィィィ?」
粘着質な声が奇妙に裏返りながら洞窟の空気を震わせ、生気の薄い顔に粘ついた笑顔が浮かぶ。ぎょろぎょろとした目玉が魔灯の光を受けて眩しそうに細められ、けれど見開かれた瞳がぬらついた光と共にグラトニーの姿を映し出した。
「グラトニーグラトニー、グラァトニィィィィ! 魔人だァ、一番最後に造った味噌っかすのまじぃぃぃんんんん!」
喜色さえ浮かべて指さす人物をまじまじと見つめて、グラトニーが目を見開く。
伸び放題の髪は色が抜け、血の気の失せた姿はあまりに雰囲気が異なっているためわからなかったが、その顔の造形には見覚えがあった。
「お前、皇帝の子か……?」
「へ?」
「あはァァァ!」
イーダは驚き、暗がりの異相には歓喜がにじむ。
「覚えてたかァ、吾輩のことを覚えてるとはなァァ。そゥ、吾輩は帝国の王の子がひとり、ジエン様さァ。よゥく覚えていたなァ、褒めてやろゥかァ」
「……イーダ、こっちへ来い」
ねっとりとした声へは応えず、グラトニーはイーダの腕を引いて背にかばう。その間にもニタニタとした笑いがグラトニーを嘗め回すように見つめていた。
「え、でも、帝国があったのって百年前です。百年も生きてられる人はいないです、魔人ならともかく……」
「百年ン? 百年……あれから百年かァ。百年も経ってしまったといゥのかァ!」
耳障りな怒声とともに洞窟がぐわんと揺れる。衝撃でバラバラとこぼれる石の欠片をものともせず、暗がりから這い出してきたジエンの全容が魔灯の元に映し出された。
「うっ、何ですあれ……!」
そのあまりの異様な姿に、イーダはこみあげる怖気を堪えてうめく。
ジエンが人の形を成しているのは彼の胸から上の部分だけであった。痩せこけた胸部に続くのは鱗に覆われた巨躯だ。ずん、と地を揺らしたその巨躯が竜のものだということはイーダにも理解できた。
太い四肢、硬い鱗を生やした胴体と長い尾。夢物語に描かれた竜の姿に、けれど彼女が目を輝かせることはない。
「この魔物、なんで首が無いの……」
竜には首が無かったのだ。
かつて人びとを震え上がらせ、居間では少年たちの憧れの的となっている猛々しい竜の頭部は、根本から押しつぶされ引きちぎられたように無くなっている。
未だ癒え切らない首の切り口から腐ったようなどす黒い血が滴る先、心臓部にねじ込まれたようにジエンの身体は生えていた。
よく見れば、竜の身体との繋ぎ目にあるジエンの肉体はどす黒く萎び、朽ちかけた箇所から人間の肋骨がのぞいている。その身がぐずりとこぼれ落ちるたび、滴る竜の血の力で形を保っているのだった。
そのあまりに歪な有り様にグラトニーはうなるようにつぶやく。
「竜の身体に取り憑いた、のか? 人の身では生き延びられないからと」
「何のためにそこまでして生き延びたんです?」
イーダの疑問に嗤ったのはジエンだ。
「なァぜ、だってェ? お前たち民草はいつもそゥだ。愚かならば愚かなりに黙って従っていればいィものを、なぜなぜなぜなぜ聞いてくる。聞ィたところで理解できる頭も無いのになァ。だが吾輩は今、気分が良ィからなァ。教えてやるよォ」
にたりと笑ったジエンが、昏い光に満ちた目でグラトニーを捉える。
「魔人は帝国のモノだろゥ? だというのに帝国を裏切った愚かな魔人どもにわからせてやるためよォ。竜核を手にした今ァ、魔人など怖くないぞオォ。ご主人サマが誰かァ、教えてやらないとなアァァァ!」
裏返った叫び声とともに竜の歪な巨躯がグラトニーたちへと襲い掛かった。形相と声の勢いに反して動きは遅い。
けれど、揺れる地面に体勢を崩したグラトニーは逃げそびれて歯を食いしばる。
「『暴しょ』」
「グラトニーさん、逃げますよ!」
権能を発揮しようとした彼の手を引いて駆け出したのはイーダだった。浮揚板を乗
り回していた彼女の体幹の強さに助けられ、ふたりはジエンに背を向け走り出す。
「あんなの食べたらお腹壊します! あの身体、半分くらい腐ってるじゃないですかっ」
食べる前にはきちんと確認です! と力強く語る彼女の背後で、勢い余ったジエンが岩壁に激突した。
ぐわん、と大きく揺れる地面にグラトニーがよろけるが、イーダが引っ張り事なきを得る。
「どこか細い道に入ったらどうです?」
「いや、壁ごと壊されたとき逃げ道がないのは怖い。それに竜核を手に入れるのが目的だ」
首を横に振るグラトニーに、イーダは走りながらひどく嫌そうな顔を隠さない。
「それってあの人を倒さないといけないってことです?」
「腐りかけとはいえ竜の身体が維持されているのは、竜核が作用していると考えて良い。竜の核は心臓のそばにあるはずだから、結果的にあの男の命も奪うことになるか」
暗がりを照らし、ふたりは太い空洞を探して進んでいく。ジエンの追跡を振り切るために細い道を選んで袋小路に追い込まれでもすれば、竜の巨躯を持つ彼に押しつぶされかねない。
入り組んだ道を駆け抜けるグラトニーと胃だ―の背後からは。ずるりぺたりという不気味な音とともに軽い地響きが追ってくる。
「おオォォォいイィィ、逃げても無駄だアァぞオォォォ!」
耳障りな声はまだ遠い。けれど確実に後を着いてきているのを確認して、グラトニーは足を進めた。
「狭い場所で暴れられて、落石に潰されてはかなわない。俺たちが逃げ回れるだけの広い場所まで誘導したいんだが」
言いながら太い岩の柱を回り込んだ先に、空間が広がっていた。
たたた、と駆け込んだイーダの足音がぽっかりと空いた岩の壁に反響する。
「わ、広いです! 地上はずっと上だけどちょっとだけ明るくて視界もいくらか効きますし、ここ悪くないのでは!」
「そうだな……垂れ下がっているのは木の根か。あれを伝って登れば地上にも出られそうだし、悪くない」
洞窟のなかを進むうちに、岬の先端からずいぶんと来たらしい。岩を這い、岩を貫き根を生やす植物があるくらいには、生物の過ごせる環境に近づいていたようだ。
グラトニーとイーダが周囲を見てまわり戦いに備えているところへ、ジエンがずるずると巨体を引きずり入って来た。
空から届くわずかな光に顔をしかめた彼は、けれど木の根のひとつによじ登ってみているイーダを見つけてにたりと目を細める。
「出られないぞォ。この地下の岩場から出るには羽根が無いとなアァ、穴は狭くて通れやしなァいし、地上は遠くて登れやしないィィィ」
「え? 登れますよ」
呪わしい声に反して、イーダはするすると木の根を登っていく。長い年月をかけて作られた自然の綱は、細いながらも力強く彼女の身体を支えていた。
根につかまり中空に浮いたその姿に、ジエンが目を剥く。彼の見ている間にも、イーダは「よいしょ、よいしょ、ほいっ」と妙な掛け声を添えて根をのぼる。
「なぜ……? なぜ落ちない」
驚き見上げてぽかんと口を開けたジエンの全身に視線をやって、グラトニーは彼の百年を察した。
ジエンが寄生する竜の身体には、あるはずの翼が無かった。単に巨大なだけでは覇者とは呼ばれない。大きく頑強な身体で自由に空を飛ぶ空こそ、竜は恐れられ強者であったのだ。その、竜を竜たらしめる翼がごっそりと抉り取られている。恐らくジエンが竜核を奪おうと竜に挑んだ際、何等かの方法で落としたのだろう。飛び回られては手が出せない、と後先も考えず。
鱗ごと抉られた背中からは翼の残骸のような歪な骨が伸びているが、被膜もなく突き刺さった棘のごとき骨の翼で飛べるはずもない。
飛べない身で足掻き、暗い地下の岩穴を抜けようとよじ登っては、地に叩きつけられたのだろう。竜の太い四肢は幾度も折れ、そのたび竜の血と竜核の力で身動きできる程度に傷を癒やしてきたらしい。歪に曲がりひしゃげた四肢がひとつは引きずられ、ひとつは進むたび血をこぼしている。
長く雄々しい尾は、竜核から遠いためか半ばで腐り落ち、白骨化した骨がむき出しになっていた。
「アンタは分不相応な身体を手に入れてしまったんだ」
ジエンが人の身であったならば、小柄な身体を活かしてこの暗がりを抜け出ることができただろう。けれど彼は力を欲して人の形を失った。竜核を得た代わりに、扱いきれない巨躯が彼の身をこの暗い地の底へ閉じ込めたのだ。
「力を諦めれば人として死ねただろう。あるいは完全に竜と同化していれば、人であった記憶は無くとも竜として生きられたかもしれないが」
憐れみを抱きつつ告げたグラトニーにジエンは目を見開き、ぶるぶると震えだした。
「お前たちはァ、出られるのかァ。この暗ァく忌まわしィ魔物の穴から……出られるといウのかアァァァッ!」
ジエンの絶叫は人の声というよりも、獣の咆哮めいて地の底の空気を震わせる。咆哮に呼応するかのように竜の首の切り口から血が噴き出して、背中に突き出た骨がずるりと伸びた。
翼のごとく広げられた骨の合間に貼る膜はなく、骨は骨のまま肉はつかない。
けれど意のままに操ることは可能なようで、ジエンは竜の背中に生えた二対の骨の束を宙空のイーダに向けて繰り出した。
槍のように尖った骨の先端が迫るけれど、宙吊り状態では逃げようがない。
「ひょわあああ!」
「ちっ、『暴食』!」
飢えた権能は喰らい付いた相手を喰い尽くすまで止まらない。竜核を手に入れる目的のある今、竜の身体を丸ごと喰らうわけにはいかないと権能を抑えていたグラトニーだが、そうも言っていられず権能を呼び起こす。
がぱんと開いたグラトニーの口が竜の下半身を喰った。
あわよくば、ジエンの動きが止まった隙にイーダの武器で竜の身体を二つに切り分けてもらえないものかと願ったグラトニーの眼前で、竜の下半身がぼろりと崩れて腹に収まる。崩れたひと塊を腹に治めたことで、獲物は喰い尽くしたとばかりに権能は収まった。閉じていた口を開いてグラトニーはつぶやく。
「腐食がここまで進んでいるのか……」
下半身と共に後ろ足がごっそりと失われたことで、ジエンは体勢を崩し横倒しになる。ドウッ、と鈍い音を立てて倒れた自身の身体が信じられないとばかりに目をやって、ジエンはガタガタと震え出した。
「おま、お前、なんといウことをォ! 吾輩の身体が……! 身体がアアァ!」
「よっ、と!」
青ざめた顔で叫ぶジエンの目の前に降ってきたのはイーダだ。腰のナイフとフォークを引き抜いた彼女は、あまりのことに呆然とするジエンを見下ろしてにこりと笑う。
「いただきます!」
サク、と切り開かれたのは竜の胸あたり。その鱗がいかなる武器も跳ね除けたのは、百年前のこと。長い時をかけて劣化し続けた鱗は、最強の異名などどこへやら。イーダの食器めいた愛用武器で簡単に切り分けられた。
サクサクサク、と手際よく腐りかけた肉を切り分け取り出されたのは、拳大の宝玉だ。
「おおう、これが竜核ですか。良い照りです」
赤黒く光るその玉を手に取ったイーダがじゅるりとよだれを飲み込む姿を目にして、ジエンは自身の腹を見下ろした。
竜翼を犠牲に、歪ながらも癒着を果たした竜の身体のその胸に、ぽかりと空いた穴と流れ出る黒い血。急速に失われていく力に竜体の末端がボロボロと崩れ落ちるのも構わず、彼は激昂した。
「返せエエエェェェ! それは吾輩の竜核だア! 下等な民が触れて良イ物では無アいイイィィィッ」
「あ」
竜核を奪ってしまえば腐りかけた竜の身体はまともに動かない。そう思っていたイーダは反応が遅れた。
竜核を失いながらもジエンが動けたのは執念か、百年という月日の間に竜体との癒着に変化があったのか。
考える余裕などなく、グラトニーはジエンの背から歪に伸びる骨とイーダとの間に身体をねじ込んだ。
突き出た骨が数本、グラトニーの腹に突き刺さる。
「ぐうっ」
「グラトニーさんっ!?」
「行け、イーダ! ディッシュと合流してラースの元へ!」
口の端から流れる血にも構わず、イーダの背を押したグラトニーの腹をドスドスと何本もの竜の骨が貫く。ごぽ、と口から血を溢れさせながらも倒れないグラトニーの目を見返して、イーダはこくりと頷いた。
「行ってきます!」
「待アてエ!」
「させるかっ『暴食』」
イーダめがけて伸ばされる骨をすかさずグラトニーが喰らうけれど、脆い骨はやはり砕けて竜体を丸ごと喰らうには至らない。それでも生まれた隙を逃さずイーダは駆け出した。
「ふっふーん! あなたと違って私たちはどこからでも穴を登れるんです〜」
挑発をするのは、グラトニーから意識を逸らそうとしているのか、生来の気質か。まんまと激昂したジエンは、貫いたグラトニーをひっさげたまま、暗がりへと向かう彼女を追った。
「え、うそ。さっきより速くなってません!?」
残された前脚と伸ばした骨で這い進むジエンの意外な速さに驚きながらも、イーダは岩壁を駆け上がり垂れ下がる木の根に飛びつく。懐に竜核を抱えて、揺れる木の根をするすると器用に登り彼女は地上を目指す。
「止まれ、止まれエェェェッ」
咆哮と共に翼の骨が突き出され、ぶつかって砕けながらも岩に突き刺さる。壁に突っ張った骨を蜘蛛の脚のごとく動かして、ジエンはシャカシャカと壁を登っていく。喰われ、砕けたことで小さくなった竜体は、皮肉にも狭い穴に引っかかることなく登れるようになっていた。
「もうそれ竜じゃないですよね!?」
悲鳴じみたイーダの叫びを聞いて、腹を貫く骨に振り回されながらグラトニーが口を開く。
けれど。
「……『暴しょ』ごぼっ」
振り回され、掻き回された腹から逆流した血に邪魔されてグラトニーは権能を発揮できない。
「やばいやばいやばいやばいですっ」
負けじと蜘蛛顔負けの動きで木の根を這いのぼるイーダの片手が、光の差し込む穴の縁に届いた。希望にイーダが顔を輝かせたとき、彼女のつかむ木の根の先にジエンが食いつく。
歯茎を剥き出しにしたジエンがなりふり構わず頭を振りたくったせいで、大きく揺れた木の根にイーダの身体も揺さぶられる。
「ひょえ! ひょわああ! やめ、落ちますって、落ちたくないですっ」
「イーダ! 根ごと切り落とせ!」
「手が塞がってますー!」
イーダは穴の縁にしがみつくので精一杯、よじ登る余裕はない。グラトニーは腹を貫く骨を両手でつかみ、これ以上身体が抉られないよう耐えながら脂汗を流すばかり。
にたにたと笑うジエンにとっては最高の、グラトニーとイーダにとっては最悪の未来の影がチラついたとき。
「ぶふぅんっ」
力強く鼻を鳴らす声とともに、ぬうっと現れた鼻面がイーダの襟首をくわえて一気に引き上げた。
「わああ! ディッシュ!?」
「ぶるっふぅん!」
引き上げる勢いをそのままに、宙に放られたイーダの身体が着地したのは巨大な馴鹿の上。地上を闊歩する魔物たちとの幾多の遭遇を経てここまでやってきたディッシュは、五体満足で堂々と胸を張る。
突然の闖入者にその場の全員が驚き、凍りついたように動きを止めた。
「……っディッシュ! イーダを連れて逃げろ!」
いち早く我に返ったグラトニーが叫ぶのに併せて、彼の口に溜まった血があたりにばらまかれる。
「え、そんな。ディッシュ、グラトニーさんも乗せて行きますよ!」
「イーダが竜核を持っている。今すぐラースの元へ、頼む!」
イーダとグラトニー、ふたりからの異なる指示にディッシュが悩んだのは、ほんの瞬きの間だった。
「ぶふぅん!」
穴をのぞいて血を吐く主人を見下ろした従順な馴鹿は、ひときわ荒い鼻息をひとつ。力強く地面を蹴り駆け出した。
「ディッシュ! 止まって、グラトニーさんがまだ穴のなかに! ディッシュ、待って、戻って!」
振り落とされないようしがみ付いたイーダが首元で声を枯らして叫ぶけれど、ディッシュは歩を緩めず振り返ることもなく駆けていく。
「待てエェェェ! 吾輩の竜核をヲォォォ!」
その背を追わんとジエンの意識がすっかり地上に向いた、その瞬間を逃さずグラトニーの血まみれの口が告げる。
「『暴食』」
がぱんと開いた飢えた口が喰らうのは、光の下へ這い出ようと岩に突き立てられたジエンの骨だ。
容易く喰われ、砕けてしまうとわかっていながらグラトニーは骨を喰らう。喰いつかれた骨がぱき、と砕けるのを認めてグラトニーはにやりと笑った。
「貴様アッ!」
ジエンが気づいて叫んだところでもう遅い。
支えを失ったジエンの身体は落下をはじめる。その真下にいたグラトニーを巻き込んで、朽ちかけた竜の体躯は再び闇に飲まれていった。




