十六、おもてなしの心だけをいただいて
村の神のため力の結晶を探しに行く。
グラトニーがそう告げたわけではなかったが、村人たちにとっては大切な村の守り神を助けてくれる恩人だ。さっそく出立しようとする彼らを引き留めて、決して豊かでは無い村にできる限りのもてなしをしようと申し出るのは当然だ。
「え、ご馳走が出るんです!?」
もてなしと聞いて顔色を変えたのはイーダである。すでに身支度を整えて村の入り口まで来ているというのに、よだれを垂らさんばかりの期待に頬を染める。まだ見ぬ極北の美食に思いを馳せる彼女を引き戻したのは、グラトニーのぼやきだ。
「自分たちの暮らしもままならないというのに、客と見れば食事を振る舞うのか。難儀な民族だな」
「うっ」
まだ日が昇らない時刻であるため白い村で動くのはグラトニーたち一行とラースのそばに集まっていた老人たちだけだが、イーダの頭のなかではひもじさに指を吸う子どもの姿が浮かびあがっていた。
明々と燃える火を囲み、人びとに称えられる自分たち。周囲に並ぶのは贅を尽くした料理の盛られた皿だ。秘蔵の酒もあるかもしれない。踊りや歌も披露されるだろうか。温かい部屋のなかには笑いが溢れ、さぞかし盛り上がるだろう。なにせ村の守り神を助けてくれる旅人のための宴だ。
その宴を、腹をすかせた子どもがじっと見つめる。雪の舞う戸外で頬や手指を赤くして。幼い子であれば自分も食べに行きたいよ、と親の袖を引くだろうか。それとも腹が減ったと泣いてわめいて、親に叱られるのだろうか。
「ひもじいよぉ、さむいよぉ……うう、そんな子のごはんを奪うなんて私にはできないですっ」
イーダは自身の妄想で涙をにじませ、よだれを拭いて覚悟を決めた。
「もてなしは不要ですっ。どーぞおかまいなく!」
「俺も飲み食いはしない。悠長にしている余裕もないだろうしな、すぐに発つ。ひとりぶんの保存食だけもらっていこう」
グラトニーが飲み食いを厭うのは今にはじまったことではない。けれどそうとは知らない老人たちは「なんという慈しみの御心か」「さすがは我らが神の知己であらせられる」と感動に打ち震えた。褒め称える言葉を受け取るのは胸を張ったイーダに任せて、グラトニーはアペオイの姿を探す。
小柄な少年は、期待と不安に揺れる瞳でグラトニーを見つめていた。目が合うと、おずおずと近寄ってくる。
「アペオイ、ラースを頼む。そばに不死鳥のひなを置いてきた。あの熱があればすぐさま力尽きることはないだろうから」
グラトニーが淡々と告げると、アペオイはしっかりと頷いた。
「うん。あの鳥、薪の火を食べてるみたいだから火を絶やさないようにする。火の番は得意だから、任せてよ」
「そうか。なら、行ってくる」
ディッシュの背にまたがったグラトニーは、誉め言葉の雨に打たれてうっとりしているイーダの首根っこをつかんで引き上げる。「ぐえ」とつぶれた声をあげながらも、馴鹿の背に乗ったイーダは輝かんばかりの笑顔で老人たちに手を振った。
「みなさん! 万事、私たちにお任せください。必ずや村の守り神を助ける手立てを見つけて参りますので!」
英雄気取りのイーダの宣言に、老人たちが湧く。
「お待ちしておりますぞ!」
「おお、救いの神じゃ。天は我らを見捨てておらなんだ」
「ありがたいことじゃ、ありがたいことじゃ」
騒々しい見送りにため息をついたグラトニーは、雪避けのフードを被るとディッシュの名を呼んだ。
「行こう」
「ぶふん」
歩き出した馴鹿の背中にいくつもの視線が送られる。祈るような、願うような視線の熱は雪にも負けず極北の寒さにも負けずグラトニーたちに注がれていた。
視線を送るひとりである少年は、去って行く一行の姿が雪景色の向こうに消えてもずっと、長いこと見つめ続けていた。
***
吹雪のなか、他に村など見つかるはずもなくグラトニーたちは進み続ける。立ち止まるのはディッシュが雪をかき、苔を食うほんのわずかな時間だけ。イーダの食事や睡眠はすべて鞍上で済ませながら進むうち、いつしか凍った地面の向こうにたゆたう海にたどりついた。
「水が黒いです! 氷が光ってまぶしい! 風が冷たい! 未知との遭遇! これぞ旅のだいご味。こういうところには珍味が眠っているはずっ」
久しぶりの快晴のした、はしゃいで海を覗き込むイーダをよそに、グラトニーは広がる海を前に眉を寄せる。
「直線距離なら近いんだが、海が凍っていないとなると沿岸をずっと歩くことになるな。たどり着いて竜核を見つけたとして、ラースの元に戻るまでにどれほどかかるか……」
「ぶふぅん」
つぶやくグラトニーにディッシュが気づかわし気に鼻を鳴らす。
晴れた海の遥か彼方、流れる氷の塊のその向こうにかすかに岬が見えていた。
かつて帝国が隆盛を誇ったころ、魔人を生み出すために竜を狩った。その最後の生き残りが逃げた先が竜の岬だ。数多の魔物が巣くい、しのぎを削る魔の領域にはさすがの帝国も手を出しあぐねたのか、あるいはすでに七体もの魔人を生み出していたためそれ以上は不要と考えたのか。いずれにしろ、竜の魔核、竜核が今もまだあるとすれば、その岬以外にないだろう。
「船でも作れたらいいんだが」
あたりを見回したところで目に入るのは白い氷と雪、黒々とした海ばかり。グラトニーたちの足元の凍った大地と竜の岬とをつなぐはずの地面は遥か水平線の向こうにあるのか、うっすらとも見えなかった。
材料を手に入れるあてもないなか、遠くに見える目的地を眺めていても仕方がない。空の青さに目を細めたグラトニーは、そろそろ出発するぞと告げるためイーダの姿を探し眉を寄せた。
「……あいつ、どこ行った?」
晴れた雪原に着ぶくれた人の姿はない。氷の影にでも隠れているのかとディッシュの高い視点から何か見えないか、視線を向けるけれど賢い馴鹿から返ってきたのは首を横に振るしぐさだけ。不満げに鼻を鳴らすディッシュは「まったく、面倒をかける奴だ」とでも言いたげだ。
「イーダ! どこだ、置いて行くぞ!」
探し回るのも面倒だ、とグラトニーが叫んだとき。すぐそばの海がぼこりと盛り上がる。
「は?」
目を丸くしたグラトニーの眼前に現れたのは、ずぶぬれになったイーダ。そしてイーダの身体を押し上げるように海から顔を出す巨大な魔物。
黒を基調とした頭につぶらな瞳と先のやや曲がったくちばし。どこか愛嬌のあるずんぐりした体型が特徴のその魔物にグラトニーは見覚えがあった。
「ぺ、人鳥、か……?」
それは従魔屋で目にした北国に生息する魔物だ。寒さには強いが魔物のなかでは小型で、騎乗はできないということから縁が無かった、飛べない鳥形の魔物である。
しかし今、グラトニーの目の前に姿を見せた人鳥らしき魔物は大きかった。頭にイーダを乗せて悠々と海を泳ぎ、さらには氷の上へと腹ばいで乗り上がるだけの余裕を見せる。
よっこらせ、とばかりに身体を起こした人鳥らしき魔物がペタペタと歩み寄ってくる。その巨体にグラトニーは唖然とした。
従魔屋で見た人鳥はせいぜいグラトニーの腹ほどの背丈であった。それに対して、今対峙している人鳥らしき魔物は見上げるほどに背丈が高い。大柄なディッシュの立派な角よりさらに上にくちばしがある。けれどずんぐりした体型はそのまま人鳥のそれであった。
「変異種か? いや、それよりもイーダ……!」
思わぬ魔物の異様に気を取られていたグラトニーは、その頭上にいるイーダに目を向ける。ぐっしょりと濡れた四肢は力なく魔物の頭に垂れている。名を呼ぶ声にも応答がないのを見るに、意識がないのか。
血の赤は見当たらないが早く助け出さなければ、と一歩を踏み出したグラトニーの前に立ちふさがる者があった。
「ディッシュ!? どけ!」
馴鹿に怒鳴るグラトニーだが、ディッシュは普段の従順さを忘れたように頑として動かない。押しのけようにも相手は大型の魔物だ。グラトニーの貧弱な腕ではびくともしない。
「ディッシュ、何を考えて……」
苛立つグラトニーをよそに巨大な人鳥を見上げたディッシュは、立派な角が広がる頭をゆったりと下げた。
ディッシュの動きをつぶらな瞳で見つめていた人鳥もまた、巨体を前に傾ける。
脚らしい脚がなく胴体にもくびれがないため優雅さには欠けるが、そのしぐさはあくまで堂々としたものだ。
それはまるで身分ある者同士の会釈であった。
白銀の世界のなか、いっそ神聖さすら漂わせる二頭の姿にグラトニーは戸惑いを隠せない。けれど彼にはおかしな状況をゆっくりと観察する余裕はなかった。
傾けられた人鳥の頭の上から、イーダがずり落ちたのだ。
「っイーダ!」
とっさに駆け出したグラトニーの腕の中にイーダの身体が飛び込んでくる。
イーダは大食らいの割に中肉中背だ。それに対してグラトニーは魔人ではあるが痩せぎすの男である。枯れ枝めいたその腕で頭上から落下してきたイーダを支えられるかと言えば、否だ。
「くっ」
「あぎゃっ」
グラトニーはあっけなくイーダもろともひっくり返った。
凍った地面にしたたかに打ち付けた痛みを吟味する間もなく飛び起きたグラトニーの前で、イーダがぶつけた尻をかばって騒ぎ出す。
「痛いですー! お尻が割れるー!」
「お前……怪我はないのか」
イーダの間の抜けた騒ぎように言葉を失くしたグラトニーだったが、すぐに表情を険しくして問う。
「へ? 怪我? ないです。でも、すっごくさむ、さむい……っくしゅん!」
不思議そうな顔で瞬いたイーダはぶるりと震えてくしゃみをひとつ。そのしぐさに怪我を庇うような動きはなく、間の抜けた受け答えもいつもと変わらない。彼女の身体に異常はないと確認したグラトニーは、一連の出来事を見つめていた人鳥を見上げ、肩の力を抜いた。
「くぅ?」
丸い目でグラトニーを見下ろす巨大な人鳥に敵意は見当たらない。ではどうしてイーダはずぶぬれになり、魔物の頭に乗って海から現れたのか。当然の疑問に答えたのはくしゃみが止まらないイーダだ。
「いやー、海のなかに何か動いた気がして、っくしゅ。手を伸ばしたら届くかなあ、と思ったんですけど、落っこちちゃったんです。うっかりうっかり、っくちゅん!」
「……極北の海に落ちてよく生きて戻れたな」
「ええ。私、運が良いんです。海中でこの巨大人鳥と目があったときは、もうだめだって思ったんですけどね、っくしゅん!」
聞けば、海に落ちたのはイーダの自業自得らしい。巨大な人鳥の魔物はそれを陸に上げてくれた、いわば恩人だ。今もイーダとグラトニーに襲い掛かるでもなくちょっこりと腰をおろし、小首をかしげているばかり。ディッシュが落ち着いていることもあり、敵意は皆無と見ていいだろうとグラトニーはため息をついた。
「まあ寒いだろうな、それだけ濡れてれば」
言って、グラトニーがディッシュを手招く。
先ほどとは違い、おとなしく言うことを聞いたディッシュの背から荷を下ろすと、グラトニーは乾いた木の皮の上で手早く火を熾す。自身の外套を敷き布がわりに広げ、極北の村で手渡された荷物から替えの服をありったけ引っ張り出すとイーダに手渡した。
「さっさと着替えろ。最悪、死ぬぞ」
「はいっ。お色気担当イーダ、脱ぎますっ」
きびきびと答えたイーダが恥じらいもなく上衣を脱ぎ捨てるのを視界の隅に見切って、グラトニーは人鳥の魔物と向き合う。
「あー、ちょっとー。今のは乙女の柔肌に赤面するとこです! ちょっと聞いてるんです? グラトニーさ……っくしょーい!」
色気も何もあったものではないくしゃみをするイーダを無視していれば、ディッシュが動いてグラトニーとイーダの間にどっかりと座りこんだ。巨体は小山のようにふたりを隔て、イーダの騒がしい声がディッシュに向いたのにほっとして、グラトニーは改めて人鳥を見上げた。
「……助けてくれた、んだな?」
「くえぇ」
「感謝する」
生真面目に頭を下げたグラトニーに、人鳥もまたぺこりと頭を上下させる。
「ふう、着替えました!」
じゃーん、と効果音を口にしながらイーダが飛び出した。
「極北の民族衣装も着こなしちゃう、自分の才能が怖いですっ」
得意げに言って、イーダはチラチラとグラトニーに視線を送る。妙な姿勢を決めてはチラリと見て、反応がないと知ると姿勢を変えてまた視線を送る。
「グラトニーさん? なにか言うことあるはずです!」
「なにか……? ああ、着替えがあって助かったな。人鳥がいたことも幸運だ」
「そうですね! 村の人たちと人鳥さんに感謝……って、ちがうんです。そうじゃないです!」
「?」
本気で首を傾げるグラトニーに、イーダがむくれる。
「格好を見てどう思うかってことです! ほら、なにかありますよね? ほら、ほら!」
「格好……服の大きさがあっていて良かったな?」
「あーーー、残念です! 正解は『素敵だね、よく似合うよ』です! 百年ぶりにお外に出たおじいちゃん魔人さんには難題でしたかー」
イーダは仕方ないなあ、とでも言いたげな視線をグラトニーに向けた。反省の色がまったくないイーダに、グラトニーは苛立ちを覚えて低くつぶやく。
「それだけ騒げる元気があるなら、着替えなどやらずに海を泳いで渡らせれば良かった」
「え! この氷の浮かぶ海を乙女に泳がせようっていうんです!? そんな、そんな恐ろしいことを……!」
青ざめてよろけるイーダの仕草は芝居がかっていて、グラトニーの苛立ちを増進させる効果があった。
「食い意地のために海に落ちる乙女がいてたまるか。イーダ、もう一回海に入ればいい。流氷を押して竜の岬まで泳げば、頭もちょうど良く冷えるだろう」
「き、鬼畜です! この、細々魔人っ。食わず嫌い! 死にたがり屋っ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐイーダと口をへの字にしたグラトニー。ふたりが幼稚なやりとりをしているそのそばで、ざぁんと波が高く鳴る。凍った大地を這いのぼり足元まできた波にふと目をやって、ふたりはそろって口をぽかんと間抜けに開けた。
冷たい海水が満ちる海に、小ぶりな流氷が浮いている。凍った海の端が割れて流れたものだろう。そこここに浮かぶそれ自体は珍しいものではない。
けれどその流氷を巨大な人鳥が押してきたとあっては、珍事だろう。
「くえぇ?」
流氷を岸に寄せて人鳥が首を傾げる。問いかけめいた鳴き声が何を伝えようとしているのか、戸惑うグラトニーとイーダをよそに人鳥に歩み寄ったのはディッシュだ。
「ぶふふぅ」
「くえぇ」
鳴き声を交わし、ディッシュは流氷の上に歩を進める。小ぶりな流氷をぐるりとひと回り、四本の脚でしっかりと立った馴鹿はくるりと振り向きグラトニーを見つめた。
「乗れ、ということか?」
「ぶふん」
恐々とたずねたグラトニーにディッシュが頷く。
「泳いで押してくれるんです……?」
「くえっ!」
信じられないとばかりにイーダがつぶやくのに、人鳥が元気に鳴いて返す。
「…………」
「…………」
顔を見合わせたグラトニーとイーダは互いに頷き合い、流氷へと足を向けた。




