憤怒の魔人 ラースが燃え盛っていたころ
帝国の領土が増えるたび、そこに住まう人びとも数を増やしていった。
増えた人びとはどこからか資材を集めてきて小屋を建て寝起きし、どこかへ出かけては食料や物資を運んでくる。そして増えた人びとを目当てに飯屋ができ、物売りが現れ、人がどんどんと集まることによって街が広がっていく。
数多くの建物のなかで一等立派なプライドの住まいの壁に腰かけて、グラトニーは足下の街を見下ろしていた。乾いた風が砂を巻き上げて吹き過ぎるなか、人々は踏み固められた街の通りを行き交い、賑わいを作り上げている。その様が、グラトニーには不思議でならない。
「死が、恐ろしくはないのか」
ひとり、つぶやくグラトニーの脳裏に浮かぶのはプライドの顔。
かの魔人はいともたやすく他者の命を消し去る。だというのに、人々は無理やり連れて来られたわけでもなく、ラストに魅了されたわけでもないのに増えていく。
なぜ恐ろしい魔人の巣窟に集まるのか。理解できないグラトニーのつぶやきに、応える声があった。
「はっ。それが人間ってやつだからだろ」
「ラース」
グラトニーが声のしたほうに顔を向ければ、壁の上にひとりの少女が立っていた。燃えるように赤いに髪を風に遊ばせた少女は、憤怒の魔人ラースだ。
「お前、魔人のくせに人の欲の強さも知らないのか? あいつらはよ、力を持たないくせになんでも欲しがりやがる。お前も食欲以外の欲を持ってたなら、魔人なんざにならずに死ねたのかもしれねえなあ」
神経を逆なでするようなラースの物言いよりも、グラトニーの気にかかったのはその内容だった。
「食欲以外の欲……ひとは、死への恐怖よりも優先される欲を持っているのか」
「そりゃ持ってるだろ。あいつら、欲の塊さ。楽して生きたい。うまいものが食いたい。人より上に立ちたい。気持ちいいことにゃ弱いし、目につくものなんだって欲しくってたまらない。いつだって他人の者が優れて見えて、うらやましい。自分より幸せそうなやつを見れば、なんであいつだけ、どうして自分は、って怒りだすのさ」
吐き捨てるように言って、ラースは肩をすくめた。
聞かされた欲のひとつひとつは、どれもグラトニーが知る欲だった。
怠惰。暴食。傲慢。色欲。強欲。嫉妬。憤怒。
グラトニーと同じ魔人たち、それぞれが持つ欲がそれだ。ならばひとと魔人との違いはなんだ、と首をかしげるグラトニーに、ラースは続ける。
「ウチらがひとつずつしか持ってない欲を、人間はみんなまとめて全部、抱えてんだ。そりゃうっかり欲に負けて命を落としもするだろうよ」
まったくどうしようもねえ、と悪態をつくラースの横で、グラトニーは感慨を覚えていた。
食欲ひとつでもグラトニーはひどく振り回されているというのに、ひとは七つもの欲をその身に抱えているというのだ。幼い者も年老いた者も、強い者も弱い者もすべての者がひとしく、七欲を抱えて生きている。
そう思って改めて街を見下ろしたグラトニーは、道行く人びとがひどく眩しいように思えて、目を細めた。
そのグラトニーの顔に、ふと影が落ちる。
「プライド」
「ちっ」
名を呼ばれた魔人の姿に、ラースが舌打ちをひとつ。明らかに自身に向けられたとわかっているであろうに、プライドはにっこりと笑って見せた。
「グラトニー、七人目の魔人、暴食の欲を抱えたお前。さあ、今日の食事だよ」
歌うような言葉とともに落ちてきたのは、ひと。ひと。ひと。バラバラと無造作に落とされ、重なったままうめくひとの群れ。
「しょくじ……」
「ああ。さらなる魔人を、と思っているのだがね。どうしてどうして。なかなかうまくいかないものだから、処分する失敗作が貯まってしまってね」
プライドはこともなげに言って肩をすくめた。そこに、他者の命を奪うことへのためらいや迷いはかけらもない。そのことが信じられなくて、グラトニーは呆然と傲慢の魔人を見上げた。
「あんたは、俺より頭がいい。いろんなことを知っていて、いろんなものを見聞きしてるんだろう。なのになぜ。なぜ、そんなにも簡単に……」
どうして、と震える声に返ったのは、肩をすくめるしぐさひとつ。
「お前は面白いね。不思議だね。興味深いね。魔人として生まれたくせに、お前は自身の欲よりも他の命に興味関心を示すのか。なぜだろうね?」
笑いながら、プライドは靴の先でグラトニーのうすい腹をぐりと抉る。
「お前が暴食だからだろうか。食欲とは抗いがたいほどの強さを持たない欲なのだろうか。それとも、お前自身に欠陥があるのかな。次に切り開くときは腹だけでなく、頭のてっぺんから足の先まで裂いてみようか。それとも、お前の胃を切り取って頭に詰め込んでやれば、欲に従って生きられるだろうか?」
従え、と。はやく喰え、と言われているのだとグラトニーにはわかった。喰って片付けろ、と言われているのだ。できないのならば失敗作として、グラトニーのことを処分すると言っているのだ。
それがわかっていて、けれどそれでもグラトニーは喰いたくなかった。権能がいうことを聞かないのではなく、グラトニー自身がそうしたくないと思ったのだ。
こんなことは初めてだった。
「い、やだ……」
「うん?」
「く、喰いたくない」
かぶりを振ってグラトニーは顔を伏せた。プライドが恐ろしかった。彼の機嫌を損ねたならば、首輪の力で権能を使わされてしまうだろう。それが嫌で、グラトニーは痩せた指で自身の首に嵌る輪を握りしめた。外すことは叶わない。だからせめて、プライドの目に映らないように。
そんなグラトニーに、プライドが笑顔のまま迫る。
「うん? なにか拾い食いでもしたのかな」
「喰ってない。喰ってないけど、でも、喰いたくない」
「おや、前回食べてから数日は経ったと思っていたけれど。俺様の思い違いだったかな?」
思い違いなどではない。数日どころか、両の手の指を合わせたほどの日々をグラトニーはひどい飢えに苛まれて過ごしていた。それゆえ、久々に腹に物を入れられるというのはうれしいしらせ。そのはずだったのだが。
「喰いたくない……俺は、ひとを喰いたく、ない」
喰えばいっとき飢えが癒えるとわかっていても、ひとを喰いたくない気持ちのほうが強かった。グラトニーはひとをひととして認識してしまった。茫洋と飢えを満たすために腹に収めてきた者たちが、それぞれの顔を持ち意思を持ち生きている者なのだと、気づいてしまったのだ。
いやだ、いやだと頭をふるグラトニーに、プライドが「おやおや」と手を伸ばす。
隠しきれていない首輪に触れようと、暴食の権能を発動させようとしたそのとき。
ごう、と炎が燃え上がった。まばゆいほどに明々と燃える炎のなか、重なり倒れていた人々が瞬く間に灰になる。いまだ燃える灰が風に流されプライド目がけて飛ぶけれど、彼の権能であえなく落ちて、燃え尽きた。
「ほらよ。ウチが片付けてやった。火力が足りなきゃもっと燃やすぜ?」
燃え落ちるひとであったものには目もくれず、赤い髪をごうごうと燃やしたラースがプライドをにらみ上げる。その手のなかでは白熱した火球が渦を巻く。
「待て待て待て。そんなものを放って、俺様の服が焦げたらどうする」
静止したプライドは重力に逆らってひらり。空高くへと舞い上がる。
「俺様はゴミが片付けばそれで良いさ」
それだけ言って、姿を消した傲慢の魔人を待っていたわけではないのだろう。
ラースは掌の上の火球を放って、燃えかすすら残さず焼き払った。
「なぜ……」
グラトニーは焼け焦げた跡を見つめて呆然とつぶやく。ついさっきまでそこに居たはずの人々は誰一人、灰も残さず消えていた。なぜそんなむごいことができるのか。ラースもまた、魔人であるがゆえにひとに対するためらいなど持たないのか、とグラトニーが絶望をしかけたとき。
「お前はバカだ」
ラースが言った。
「お前はバカだ。くそバカだ。落とされた連中に手を下さなかったとして、何時間生き延びられると思う。生き延びただけ苦しい時間も伸びるんなら、お前が感傷にひたる時間につき合わせるだけ無駄だろ」
突き放すように、吐き捨てるように言った彼女だが、焼け焦げに触れる指先はひどくやさしい。憤怒の魔人のいつにない姿に、グラトニーはほんの少し冷静さを取り戻す。
思い返してみれば、落とされた人々はひどく衰弱していた。わずかにうめき声をあげることしかできず、落とされても身動ぎもせず横たわるばかり。虫の息、と言って差し支えがない状態。
そんな状態にあって、ひとが何を望むのか。グラトニーにはわからない。わからないけれど、わかりたいと思った。
ただ言われるまに喰らってた対象のことを、ひとのことをもっと知りたいと、グラトニーは思いじめていた。




