十五、消えかけた炎では希望も灯せない
凍った地面を踏みしめると、降り積もった雪が固く押し固められ氷のようになって足をすくう。そんな滑りやすい地面をすいすいと歩く馴鹿はなるほど寒冷地の旅に向いている。
少年が数日をかけて歩んだ道のりをディッシュは数刻で踏破した。
「見えた! 村の目印だよ!」
弾んだ声で指さした先には大きく湾曲した巨大な骨が二本、天をつくようにそびえている。そのそばに立てられた太い骨は火を置くための燭台がわりだろうか。今は火がつけられておらず、上部の平らな箇所に黒い焦げが見えていた。
雪が止み、ひどく静かな雪景色のなか、集落の姿がほの白い夜の闇にぼんやりと浮かび上がっている。
ディッシュの立派な角が骨に引っかからないよう、慎重に通り抜けた先にあったのは白い集落だった。
地面を覆う白は雪か氷か。先ほどまで降りしきっていたせいだろう、ディッシュの足跡以外に生き物の気配は感じられない。それでも人の暮らす集落だとわかるのは、白い塊で造られた小山のような建物がぽつぽつと建っているためだ。
「あれって家です? ぜんぶ白いのは何か塗ってるんです?」
不思議そうにあたりを見回したイーダは、ひとつ残らず白い色をしている建物に首を傾げている。視界に映る建物はどれも壁だけでなく屋根までも白い。色があるとすれば、地下へと続く開口部に青い影が落ちているくらいか。
「あれは雪だよ。雪を切り出して小屋を作って、その下に住んでるんだ」
「雪の家、ですか!」
雪がとけない地方ならではの建築資材である。イーダが物珍しさを覚えている間にも少年の案内は続き、前方に今までよりも大きな雪の小山が見えた。
「あそこにイレスカムイが」
名を呼ぶ声に応えるかのように、小山のような家屋の開口部から青炎が噴き上がった。
「ひゃあ!」
「わああ!」
地表を舐めるように広がった炎はグラトニーたちまで迫り来る。
彼らにできたのは悲鳴をあげることだけ。身構えたグラトニーが権能を発揮する間もなく、一行は青い炎に呑まれた。呑まれたが、瞬きの間に炎は消え失せていた。いちはやく目を明けたグラトニーが周囲を見回しても炎のあとはなく、誰の服にも焼け焦げひとつ見当たらない。
「幻視か? いや、それにしては温度があったような……」
とっさに少年を抱えていたイーダは、襲いくるはずの熱気が来ないことに気づいて恐る恐る目を開け周囲を見回す。すると、目を見開いた固まるグラトニーの姿に気がついた。
「ぐ、グラトニーさん? 大丈夫です……?」
うめき声ひとつあげない魔人が炎を喰ったのだろうか、とイーダは気をもむ。不死鳥の炎を喰らったあとは黒煙を吐いていた。幽霊船を喰ったあとは腹が冷え、大食渦潮に破られた腹やのどを時おりさする姿も見られた。今の青い炎が彼にどんな影響を与えているのか、わかったものではない。
けれど、グラトニーは呆けたようにゆるゆると首を横に振った。
「何の影響もない。いや、すこし腹が暖かくなった、か? しかし、人の身を焼かない炎、まさか……」
グラトニーが肌をさすりながら首をかしげていると、イーダの腕から抜け出したアペオイが馴鹿の背から飛び降りた。
馬の倍はある背から跳んだ少年は転がるように雪の上に落ち、けれど体制を立て直す間も惜しいとばかりに走り出す。
「どこ行くんです!? そっちは炎が!」
慌てたイーダが叫ぶのに、アペオイは足を止めず声だけで返す。
「今の、イレスカムイの炎だよ! ひとを焼かない、温もりだけくれる特別な火なんだ。燃え尽きそうなのに、なんでこんな火が……!」
「あ、アペオイくん!」
「俺たちも行くぞ」
少年を追ってグラトニーとイーダもディッシュの背から滑るように降り、凍った階段を走り下る。
道中、見かけた家々と違い明るく照らされた開口部をくぐった先は、地上部の大きさからは意外なほど広かった。押し固められた雪をくり抜いて作られたのだろう室内には木の板が敷かれ、数名の老人が輪を作って座っている。うつむく老人たちの前にはいくつも火が焚かれ、揺れる炎が明々と室内を照らしている。
その只中、炎に囲まれるように伏しているのは、燃えるような赤い髪をした幼い少女だ。
「イレスカムイ!」
「構うなっ」
駆け寄ったアペオイの腕を払いのけて、少女は震える腕で身を起こす。長い赤髪が流れ、露わになったのは丸い頬。吊り上がった眦は幼い顔立ちに不似合いながらも、金に燃える意思の強い瞳はひどく彼女らしいと思わせる。
周囲に癇癪をまき散らすその横顔に、グラトニーは見覚えがあった。
「ラース……」
「誰だよ、ウチの名前を気安く呼ぶのは!」
愛らしい声に不似合いな不機嫌をまき散らし、いつでも何に対しても腹を立ててばかりいるその少女は憤怒の魔人、ラースそのひとだった。
「アンタ、グラトニー!?」
叫んだラースの目が大きく見開かれる。
百年ぶりに会っても互いに変わらない容姿のままであったため、彼女のほうでもグラトニーを記憶していたらしい。
驚きに彩られた顔が不機嫌にしかめられるまでは一瞬。金の瞳でグラトニーをにらんだラースの髪が、少女の怒気を映して燃えるように炎のように浮かび上がる。赤い髪を彩るように、青い炎が宙を舐めて広がった。
「何だよ、その不健康な顔は。あれから何年経ったと思ってんだ? もしかしてまだ『何も食べたくない』だなんて言ってるのか。いったいいつまで反抗期のつもりだ、馬鹿じゃない、のっ……」
ラースの身体がぐらりと傾ぐ。そばにいたアペオイが慌てて支え、小さな身体を抱きしめた。
「ごめんなさい、イレスカムイ! 俺、あなたのために薪を手に入れに行ったのに、途中で行き倒れてしまって。けど、代わりにこの兄ちゃんたちを連れてきたんだ!」
「アペオイよ、その方たちは……?」
うつむいていた老人のひとりが顔をあげる。グラトニーとイーダを見るその目はいぶかし気に細められている。
「兄ちゃんたちは旅のひとだよ。吹雪で道を間違えて、行き倒れかけてた俺を助けてくれたんだ。それで、聖女さまを助けるために来たって言ってたから連れてきた。聖女さまって、イレスカムイのことだろ!」
「聖女……?」
少年の明朗な声にラースが弱弱しくつぶやく。説明をしろ、と言いたげな視線を受けてグラトニーは頷いた。
「王との約束でな、聖女を探していた」
「そしたらこの子が倒れてて。聖女って人助けする女の人なんです、ってお話したら『うちの村にいる!』って言うから来たんです!」
イーダの補足を聞いてラースは「はっ」と似合わない嘲笑を漏らす。
「ウチが聖女だなんて。まったく面白くねえ冗談だ」
「そんな、だってイレスカムイは俺たちの村のためにずっと火を絶やさずにいてくれたじゃない! そのおかげで俺たちはここに村を作れたって大人はみんな言ってるし、死なずに済んだ赤ん坊はたくさんいるよ、俺だってそうだもの!」
「そうじゃ、あなた様の火が無ければこの村はとうの昔に無くなっている」
「数十年に一度の大寒波を乗り越えられたのもあなたのおかげです。村がここまで大きくなったのもあなたのおかげに違いありません。あなたは村の守り神だ!」
アペオイに続き、老人たちも口々にラースを称える。けれど彼女は幼い顔を皮肉げに歪めて、弱弱しい動きで身体を起こすとアペオイの腕を抜け出した。
「勘違いすんなよ。別にアンタたちのためなんかじゃねえ。ウチはウチの目的があってやってんだよ」
冷たく突き放す言葉の厳しさに、アペオイが伸ばしかけた手は熱いものに触れたかのようにを縮こまる。
「出てけ。ウチはコイツと話があるから」
「でも……」
「ウチの言うことが聞けないっての?」
金の瞳ににらまれたアペオイは、すがるような目をグラトニーに向けた。老人たちはラースの言葉に口をつぐみ、グラトニーを探るように見つめながらも何も言わない。
「グラトニーさん『ここは俺に任せとけ』って言うところですよ!」
イーダの小声がやかましい。彼女はグラトニーが静かに封印されるために旅をしていることを忘れているのだろう。変にでしゃばりたくはないし、そもそもやらなくていいことならばやりたくない。とは言え、全員に注目されたままというのも彼の好むところではない。「さあ、ほらっ」と急かすイーダを無視してグラトニーは少年に頷いてやった。
ぱっと明るくなった表情は、グラトニーのしぐさを都合の良いように誤解をしたとわかっていたが、グラトニーが指摘することはない。
「兄ちゃん、イレスカムイを助けて」
老人に連れられていく少年が残した願いには振り向かず、グラトニーたちは扉が閉ざされるのを聞く。
人びとの息遣いの余韻が消えるころ、組み上げられた薪がぱちりとはじけた。それを合図に、そわそわと黙っていたイーダが勢いよく手をあげる。
「はい! あの、私イーダです。あなたは聖女さまではないんです?」
静けさをぶち壊すイーダの声に、座り込んだラースが立てたひざに預けていた顔を気だるげにをあげた。
「聖女に見えるわけ? だとしたらとんだバカ女だな。帝国ほど愚かな連中もいねえと思ってたけど、こんなバカを魔人の監視役につけるなんざ今の王国も救いようがねえ」
青い炎が消え、燃える赤髪も力なく垂れた彼女はひどく弱って見える。それでも燃えるような瞳の強さは死なず、吐き捨てる言葉の苛烈さに代わりはない。
しかしその神々しいまでの瞳によだれを垂らすのがイーダだ。
「はわあ、蜂蜜みたいな瞳ですねえ。甘そう……じゃなくて。えっと、私は監視役じゃなくてグラトニーさんに弟子入りしてるんです!」
「はあ?」
意味がわからないとばかりにラースの口から上がった声と向けられた視線に、グラトニーはため息をつく。
「こいつは正真正銘、ただの食欲の権化だ。暴食の力が譲り渡せるものなら即刻、俺から取り出して消えてしまうものを」
「アンタ、本当にまだそんなこと言ってんだな。馬っ鹿みたい」
ふん、と鼻を鳴らした彼女だが、燃える瞳は伏せられた瞼に隠れて曇る。
「……馬鹿はウチも同じだな。帝国を滅ぼして、ぶつける先の無くなった怒りを燃やすために極北の地に住み着いて。ウチの火を目当てに村を作ったようなやつらに愛着を持つなんざ。憤怒の魔人がとんだ笑い草だ」
吐き捨てる声は弱い。
語られた言葉は多くは無かったが、グラトニーはラースもまた死に場所を探してこの土地にたどり着いたのだと知った。
「あなたも魔人さん! 憤怒さんは炎を出すのが特技なんです?」
「ラースと呼べ。特技じゃなくて権能だよ。怒りの炎をまき散らすんだ、誰彼構わず焼き尽くすのさ」
悪ぶって言い捨てるラースに、グラトニーはぼそりと続ける。
「対象はラースの任意だ。さっきの炎も人の肌を焼かなかっただろう」
「ですね! ということは、火事の心配をせずに暖が取れるんです? いつでも誰でも安全に煮炊きもできるんです? 火加減の調節も思いのままってことです? それってすっごくステキな力です!」
掌を合わせて喜色を浮かべるイーダにラストは舌打ちをひとつ。
「グラトニー、もっとましな旅の連れはいなかったのか? イライラする……ぅうっ」
「ラースさん!?」
くずおれた小さな身体をイーダが抱き止める。服越しに触れたラースの身体にイーダは目を見開いた。
「え、冷たい。冷たいです! グラトニーさんっ、ラースさんの身体、氷みたいです!」
「……権能を酷使しすぎたか。竜核の力が尽きかけてるんだろう」
驚くイーダとは裏腹に、グラトニーは確認するようにつぶやく。
魔人同士、隠したところで無駄だろうとラースもまた諦めたように息を吐いた。
「そうだよ。悪い? ウチはさっさと燃え尽きて、くそ忌々しい権能から解放されるんだ。だから放っておけ」
それは懇願だった。憤怒の魔人らしく何に対しても怒りをぶつけ、不機嫌をまき散らしてきた彼女が見せた弱弱しい姿にグラトニーは黙り込む。
「グラトニーさん、魔核の力を吸わせてみては!?」
ひらめいた、とばかりに荷袋から魔核を取りだしたイーダだが、ラースのそばに近づけた途端に魔核は色褪せぱらりと散った。
「無駄だ。ちっぽけな魔核程度、焼石に水さ。干上がりかけた竜核を満たせる魔核なんざない。このまま放っておけよ……」
もはや振り払う力もないのか。小さな手を握られたままのラースは、つぶやくように言うので精いっぱいだったのだろう。眠るように意識を手放した。
「ああっ、ラースさん!」
慌てるイーダに「眠っただけだ」と声をかけてグラトニーが自身の胸に触れる。
「俺の竜核を砕いて食わせられるものならそうするが、魔人は竜核に触れられない。そう造られている。お前が俺の胸を裂いたところで、竜核を取りだす前に肉が修復されるだろうしな。今、できることと言えば、薪を燃やしてラースの熱が消えないようにするくらいか」
「そんな、じゃあラースさんはこのまま……?」
イーダの声が静かな室内にじわりと広がった。声にこもった不安が室温を下げたのか、火を焚いているというのに妙に熱が遠い。終わりに身をゆだねたラースの体温もまた一段と下がったように感じられて、最期の時を迎えるため村のひとを呼びに行くべきだろうか、とイーダが唇を噛み締めたとき。
ぱきん。かすかな音が陰鬱な空気を揺らした。
「いまのは……」
火の爆ぜる音ではない。もっとかすかな、けれど確かな音の出どころを探したイーダはグラトニーに目を向けた。
「なんだ、腹が熱い?」
グラトニーもまた違和感を覚えて懐に手を差し込み、違和感の正体を掴んで引っ張り出す。
「……ひよこ?」
「ひよこです。なんか、派手な色の……」
懐から現れたのは片手でわしづかめる小さなひな鳥だった。身体の前面は黄色く、後部に行くにつれて羽根の色が赤みを帯びている。ほわほわとした羽根の末端に黒をにじませたひな鳥が、グラトニーを見上げてちいさな嘴を開く。
「ぴぃ」
愛らしい鳴き声を聞いてグラトニーの顔が引きつる。
「不死鳥のひな、か」
ひな鳥を掴んだ手とは逆の手で懐を漁った彼は、割れた卵の殻をつまんで取りだした。ばらばらになった殻の色がひな鳥の配色と似通っているのは一目瞭然だ。
予想外のタイミングで孵ったひなに困惑するグラトニーをよそに、イーダが「ああ!」と声を上げた。
「グラトニーさん、その子あったかいんです!?」
「? ああ、まあ、不死鳥のひなだからな。さすがにまだ燃えてはないが、肌が焼けそうな程度には熱い、な」
答えながら、グラトニーはイーダの意図に気づいたらしい。膝をついて、手のうえのひな鳥をラースの胸に下ろす。
「ぴぃ?」
「そこでおとなしくしていろ」
グラトニーの顔を見上げて首をかしげたひな鳥はもぞもぞと居住まいを正していたが、すぐにその場に腰を下ろした。生まれてはじめて見た相手であるグラトニーの指示に従ったのか、憤怒の炎を身のうちに飼うラースのそばが心地よいのか、あるいはラースの胸が平らだったので座り心地が良かったのか。それは誰にもわからない。
「ん……」
「あ、ラースさんの顔にちょっと赤みがさしてきてます!」
小声で喜ぶイーダの膝のうえ、ラースの顔は確かに先ほどまでより明らかに色が乗っていた。とはいえ、気絶するように意識をなくした彼女は、激しい気性を映す瞳を閉ざし静かに眠っている。
あどけない寝顔を壊さないよう、ラースの身体をそうっと敷き布の上に横たえたイーダはグラトニーのそばへにじり寄った。
「う、足がしびれてる。ぐ、グラトニーさん、ちょっと手を貸していただいて……って、どこ行く気です?」
這いつくばったまま手を伸ばすイーダを置いて扉を目指していたグラトニーは、肩越しに振り向いて不死鳥のひなに目をやる。
「その鳥だけでは心もとない。竜核を探しに行く」




