十四、氷はいつでも食べ放題
北上するごとに気温がぐんぐん下がっていく。
ディッシュの背に揺られながら、グラトニーはそれを肌で感じていた。
「ううー。ずいぶん寒くなってきましたねえ。すっかり木も見当たらないし、なんなら昨日から村も見当たらないですし」
手綱を握るグラトニーの腕のなか、着ぶくれたイーダが白い息を吐く。港町で買った外套では足りず、途中の村で泣く泣く食料と引き換えに現地の服を調達した彼女だが、すべて着込んでもまだ寒いらしい。
「王に北のほうを巡歴中の聖女に接触しろと言われているからな。どこかで聖女の訪問した村に行き当たるだろうと思っていたが、甘かったか」
「うううー、大陸のかなり端っこに来てるんじゃないです? 風も強くなって来たし、このままじゃ凍えちゃいますよぅ。グラトニーさんは寒くないんです?」
もこもこに着膨れてなお震えるイーダの後ろで、グラトニーの装備は王都から変わっていない。立ち寄った村はどれも小さく人に譲れる衣服が多くなかったため、手に入った服はすべてイーダに譲っていた。
「寒さは感知しているが、手足が凍って腐る前に異能が働くだろうからな。問題ない」
「問題ない……んです? それ」
イーダは首をひねるも、本人が不要だと言うのならそうなのだろうと思うことにした。実際問題、今この場でグラトニーに「寒い」と言われても服を分けるつもりは彼女には無い。冷えは乙女の天敵なのだ。
「ところで、私たちどこまで行くんです? こんな寒いところには聖女さまもいないと思うんです」
村が途絶え道も絶えて久しい。グラトニーたちに知る術は無いが、ふたりは北上を続けて大陸の端に近づいていた。間もなく海すらも凍ると言われる凍海につく。
人の身で過ごすには辛く厳しい場所だ。進んだところで村があるとも思えない。けれどグラトニーは馴鹿を前に進ませる。
「卵を埋めていきたいんだ」
「不死鳥のです?」
「ああ、熱源が無ければ孵るのも遅れるはずだという話だからな。できれば海が凍っているあたりまで行きたい」
「うう、もっと寒くなるってことですね……」
自分の身体を抱きしめたイーダは、頬を撫でる風の冷たさに身震いした。陽のあるうちでこの寒さである。これから日暮れを迎えればさらに寒さは厳しくなるというのに、より寒いほうへ向かうという。吐いた息も凍るのでは、と暗くなるイーダにグラトニーは思案する。
「一度、最後に寄った村へ戻るか。あの村なら暖炉もあったろう。卵を埋めるだけなら俺とディッシュで事は足りる」
「村でぬくぬく……」
魅力的な提案にイーダが心を揺さぶられたとき、ふたりを運ぶディッシュが不意に振り向いた。
長いまつ毛の下の流し目がイーダを映す。
ディッシュにはむしろ寒いくらいがちょうどいいらしく、気温が下がるごとにその足取りは軽快さを増している。主人とふたりきりで役目を果たしてくるぞとでも言いそうな得意げな目が、暖炉の温もりに揺れるイーダの心を刺激した。
「いいえっ、私も行きますとも!」
イーダがきりりとした顔で馴鹿と張り合う。ふたりの視線がぶつかり、あがる火花はグラトニーには見えていない。
「そうか、ならこのまま進もう」
二人と一頭はわずかに残る大地の緑に背を向けて、北の海へと進んでいった。
***
シャクシャクと鳴るのは凍った大地を踏み締める馴鹿の足音。つけたばかりの足跡をかき消そうとするかのように降りしきるのは雨ではなく雪だ。
傾き始めた太陽は一気に姿を消して、代わりに地面を埋めた雪が夜闇を仄白く見せている。足元は白く凍り、遠景には吸い込まれそうな闇が広がる。地図に記された言葉の通りであるならばふたりは凍海に脚を踏み入れていた。
「グラトニーさん、このあたりでどうです?」
もこもこに着膨れたイーダが布の隙間からもごもごと声を出した。
「そうだな」
同意したグラトニーが止めるまでもなく、ディッシュはゆるやかに足を止める。静かに脚を折って乗り手が下馬しやすいよう手助けする様は、巨躯に似合わず細やかな気配りを感じさせた。
「らくちんでーす!」
機嫌よく飛び降りたイーダに続いて、グラトニーも馴鹿の背中を降りる。
「ディッシュ、感謝する」
「ぶふん」
グラトニーがディッシュの額をひと撫でし、従魔も満足気な息を吐いたとき。
「わ、グラトニーさん! 来てください!」
イーダが叫んだ。卵を埋めるのに適した場所を探しに駆け出していった彼女の姿は、すこし離れた雪景色のなかにある。着ぶくれた腕を大きく振って居場所を知らせる姿は焦っているようで、極寒の地で珍味を見つけたわけではなさそうだ。
グラトニーとディッシュは早足で彼女の元へ向かう。
「何があった、イーダ」
「これ、これ! ほら、人型の雪山です!」
騒ぐイーダの指さす先には、人の形に盛り上がった白い雪の塊がある。イーダが少し掘ったのだろう、削れた雪の間から手袋をはめた指先がのぞいていた。
「行き倒れか?」
「いいえ、動いたんです! さっき、ほんのすこしだけどうめき声がして。慌てて掘ったら指先が動いてて!」
せっせと雪をかきながらイーダが言うなり、グラトニーは雪避けに口元を覆っていた布を引き下げた。
「離れてろ、雪を喰う。『暴食』」
帝国をおさめる人びとに不要なものをすべて喰らうため造られた魔人にとって、抵抗もせず意思も持たない雪を喰らうなど造作もない。腹は少々冷えるが。
グラトニーが権能を発現した次の瞬間、目の前の雪はごっそりと消えていた。凍った大地の上にはひとりの少年が倒れている。民族衣装らしき衣服をしっかりと着こんではいるが、それでも小柄なのが見てとれるほど幼い子どもだ。
「少年、少年! 大丈夫です? 生きてるです?」
イーダが抱き起し少年の肩を叩く。かすかなうめき声に続いて霜のついたまつ毛が震え、青い瞳が雪景色に色を添えた。
「う……あ……」
「なんです? もう一回お願いします!」
青ざめた唇がうっすら開きうめき声をもらす。間近で耳にしたイーダには、それが何かの言葉に聞こえたらしい。イーダは少年の意識を引き戻そうと声を張り上げ、彼の口元に耳を寄た。
「お腹、すいた……」
ぐうぅぅぅ。
間の抜けた音を聞いて呆れたのはグラトニーとディッシュだけ。イーダは一大事だとばかりにいっそう表情を険しくする。
「空腹ほど悲しいことはないです。グラトニーさん、なにか食べ物持ってませんか!?」
振り向いたイーダに請われて、グラトニーはディッシュの背の荷物に目をやった。
「港町でさんざん買ったものはどうした。服を手に入れるのにいくらか手放したとはいえ、途中の村でもあれこれ食料の取引をしていたと思ったが」
「食べました」
きりりとした顔でイーダは応える。
「全部か」
「全部です」
「そうか」
思い返せば、手綱を握るグラトニーの腕のなかでイーダはときおり静かになっていた。身体を丸めて寒さに耐えているのかと思っていたが、どうやら食料を隠し持ち食べていたようだと、グラトニーは今になって気が付いた。そう思えば、休憩のたびに荷物を漁っていたのは食料確保のためであったらしい。
ディッシュが忌々しそうに雪を蹄でかいているのは、イーダの行動を知っていたのだろう。
「なので、私も小腹が空いてきています」
「そうか……」
堂々と宣言するイーダに脱力しつつ、グラトニーは懐を漁って布袋を取りだした。
口を閉じてある紐を引くと、魚の干物がいくつかと、小さな木の樽が出てくる。
「おいしそうな干物です!」
「お前の分はない」
「くう……! 我慢です。我慢するので、こっちの樽をひと舐め……」
すげなく断られたイーダは、すかさず樽を手に取った。止める間もなく栓を抜いた彼女は、立ち上る香りに鼻をひくつかせる。
「グラトニーさん、これお酒です! この子に飲ませれば身体があったまります!」
「なら飲ませろ」
わっと歓喜の声をあげたイーダだったが、少年の口元に樽を傾けかけてはたと手を止めた。
「でも、いいんです? これ、船長にもらったやつです」
「いい。どうせ俺は飲まない。船長と約束したのは飯を食うことだ」
「ですか」
そっけない返事だが後ろ向きな響きのないその声にイーダは頷き、今度こそ樽を傾ける。
「少年、飲むのです! 飲んだら目を開けて干物を食べるのです。余ったらこの私が食べますので!」
結論から言うと干物は余らなかった。樽もすっかり空になり、少年は赤みのさした頬をきゅっと引き締めて頭を下げた。
「助かったよ、俺はアペオイ。兄ちゃんたち、旅の人なの?」
問われて、グラトニーはイーダに目を向ける。
面倒な受け答えを任せてしまおうとしたが、イーダは空になった布袋をひっくり返して干物のかけらを探すのに忙しそうだ。ディッシュの蔑むような視線に気づかず袋を叩く彼女にため息をついて、グラトニーはうなずいた。
「ああ、聖女を探している。北のほうにいると聞いて来たが、もうこのあたりに村はないだろうと引き返すところだった」
「聖女って?」
ぱっちりとした目で見上げてくる少年、アペオイの問いは純粋であるがゆえに、答えるのが難しい。特に、百年ほど砂の下にこもって過ごしたグラトニーには難問であった。
「聖女は……人助けをしている女らしい。自分と無関係の相手であろうと憂いをはらうため親身になって手を貸す女……だったか。その女に援助を申し出たいという人がいてな」
曖昧で歯切れの悪い物言いは、グラトニーが王から聞かされた話を思い出しつつ口にしているためだ。さすがにひどい説明だ、とグラトニー自身でさえも思いながら話していたが、アペオイはぱあっと表情を明るくした。
「聖女ってイレスカムイのことか! だったらうちの村にいるよ」
「イレス……名までは聞いていないが」
「俺たちの村を助けてくれてる神さまなんだ。女のひとだから、きっと兄ちゃんの言ってる聖女さまだよ。だけどずっと無理してたせいで燃え尽きてしまいそうで……兄ちゃん、援助って助けるってことだろ。俺たちの村に来て、聖女さまを助けてくれよ!」
「…………」
アペオイの少年らしい純粋な期待の眼差しにグラトニーは王の言葉を思い返す。
聖女を見つけてどうする、と問うたグラトニーに「民のために心血を注ぐ聖女に感銘を受けその活動を支える少年王。という構図は美しいだろう?」と彼は答えた。
それはつまり、金銭的援助を申し出ることで聖女と王国との対外的なつながりを示す行動をとるということである。が、すべては相手が生きていてこそ。
「物理的な支援も外聞には有効か」
「危機を助けられれば聖女さまの心象もばっちりです!」
つぶやいたグラトニーにイーダも同意する。ようやく袋に残った干物くずを諦めたらしい彼女は、アペオイを抱き上げてディッシュを手招いた。
が、イーダに呼ばれておとなしく従うディッシュではない。
「ディッシュ、俺たちを乗せてもうしばらく進んでくれ」
「ぶふん」
主人のいうことならば、とすかさずやってきたディッシュは大型の魔物だけあって三人を乗せてもびくともしない。
「すごい、高いな! こいつならきっと群れの主になれるね。俺の村はあっちだよ」
「ディッシュ、頼む」
「ぶふん」
「……むう、なんか私の出番が無いです」
馴鹿の背中の高さに驚きながらも、少年はあたりを見回して行き先を示す。グラトニーの声を合図に歩き出したディッシュは、イーダのぼやきを残して悠々と雪の上を進んで行った。




