十三、見送りに道中のつまみを
朝食に三軒、食後の甘味と称して甘い揚げ菓子をつまみ、移動手段を探しているうちに昼近くなったため、イーダは五軒をはしごして昼食をとった。その間、グラトニーは何を口にするでもなくイーダのそばでぼんやりと空を見上げていた。
そうして、移動手段も見つかり、そろそろ町を出ようかと歩いていたふたりの背中に、声をかける者がある。
「待ってくれ!」
切羽詰まったその声に、イーダとグラトニーだけでなく周囲の人々も何事かと振り向いた。船長だ。
声の主が息を切らした強面の男と知って、幾人かはそそくさと去って行く。彼らに紛れて立ち去ろうとしたグラトニーだったが、イーダが彼の腕をつかんで引きとめた。
「話、あるみたいです」
「俺は別に無い」
そっけなく返すグラトニーをイーダが見上げる。
「聞いてみてむかついたら、私が仕返ししておくので」
なだめるつもりは皆無らしい。好戦的な瞳に虚を突かれて、グラトニーはちいさくため息をついた。
話を聞く時間くらいくれてやっても、無限に近い命を持つ魔人にとってはなんてことない。自身にそう言い聞かせて船長と向き合ったグラトニーだが、周囲の視線に気が付いて眉を寄せた。
面倒に巻き込まれたくないと立ち去った者が多かったのだろう。グラトニーたちと船長との周囲に人はなく、にぎわう通りにはぽっかり空間ができている。
けれどなかには立ち止まり好奇の視線を向ける者や、年若い二人連れを案じて様子をうかがう者もいる。雑多な人々が作る輪のなかで、話のネタを提供する必要もないだろう、とグラトニーは身体の向きを変えた。
「場所を変えよう」
「あ、じゃあ従魔屋に行きましょう。お願いした従魔も用意できるころだと思いますし、そろそろあそこの運動場で魔物とふれあえる時間が始まるんです!」
***
飛べない巨鳥、背中にこぶのある砂色の四つ脚獣、小山のような甲羅を背負った老亀。
多くの人が出入りする町らしく、従魔屋にいる魔物たちも多種多様な姿を見せていた。
ふれあいの時間はなかでも気性の穏やかな個体を集めて広場に放す時間だ。町の者も旅人も自由に出入りが許されており、気の合う魔物や気に入った魔物がいれば購入できる場となっていた。愛玩するもよし旅の供にするもよしだが、集まる人々の大部分は町の子どもたちだ。
端金で購入したエサを手に目当ての魔物へ駆け寄るその中に、細切り野菜をくわえたイーダの姿もあった。
「あいつ、魔物のエサまで食うのか」
呆れを通り越していっそ感心さえ含んだグラトニーのつぶやきを皮切りに、並んで柵にもたれた船長が居住まいを正す。
「すまんかった」
深く、深く下げられた頭。無防備にさらされた首には、乾ききらない汗がにじんでいる。
陰鬱な顔をして柵にもたれる青年に大柄な男が頭を下げる光景は、子どもの笑い声がはじける広場に似つかわしくない。グラトニーも、胸にわく煩わしい感情に気づいて眉を寄せた。
「あんたは間違ってない。あんたの奥方もだ」
「だが兄さんが俺たちの命の恩人だってことも間違いじゃないし、あいつは決めつけるべきじゃなかった。俺がこんな傷こさえなかったら。いいや、あいつが傷ついてることに気づいてやれていれば、こんなことにならなかったんだ」
顔をあげた船長が堅い声で言うのを聞きながら、グラトニーは柵に肘を乗せて頬杖をつく。
たら、れば、もしも。
何度も何度も空想したことがあった。
自分が魔人でなかったら、百年前のあのとき心を許した青年王の隣に立っていられただろうか。自分が暴食の魔人でなければ、ラストのように人に囲まれて生きる道もあっただろうか。
もしも自分が普通の人間として生まれてきていたならば―――。
長い、長い終わりを待つ時間の間にグラトニーは幾度となく考えたことがあった。いや、それ以前から、暴食の魔人として生を受けたその瞬間から彼はたくさんのもしもを描いては、現実に落胆してきた。だから、今更落胆に沈みはしない。むしろうすく笑みを浮かべる余裕さえあった。
「過ぎたことだ」
「でもっ」
「あんたが」
言い募ろうとする船長を遮って、グラトニーは穏やかな顔で告げる。
「あんたが俺の力を目にして、そのうえでただの化け物じゃないと恐れずにいてくれた。俺にはそれでじゅうぶんだから」
にじむような微笑はいくつもの思いを飲み込んで、押し隠して、そのうえで浮かんだものだった。そのあまりに人間らしい表情に、その顔をして見せている相手が人ではないことに、船長はなにも言えなくなる。
魔物とたわむれる人びとをながめるグラトニーと、拳を握りしめる船長との間に沈黙が落ちた。
グラトニーは手遊びに懐に入れた不死鳥の卵を転がし、ゆるやかに吹く風に目を細める。ひとりきりで過ごす沈黙はどれほど経とうと慣れることはなかった。他人と共にあって落ちる沈黙はいつだって肌を刺し苦手であった。
けれど、いまこの場にある沈黙はそこまで嫌なものではないと感じていた。
できれば船長には「そんなもんか」と呆れながら言って、恐れを抱かれないまま別れを告げたい。そう願っている自分に気が付いて、グラトニーは俺もずいぶん強欲になったもんだ、と自嘲する。その名を冠する魔人には笑われてしまうほどの欲かもしれないけれど。
「……やっぱだめだ」
おだやかに流れる時間のなか、ぼそりと呟いたのは船長だ。
「やっぱだめだ。あんたを悪者にしてそれで終いにするのはだめだ。いや、俺が嫌なんだ」
不思議そうに顔をあげたグラトニーと目を合わせ、船長は強くうなずく。
「あんたが俺たちのためにどれくらい身を犠牲にしてくれたか、話して聞かせる。兄さんは魔人だけど、ちっとも怖くねえってわかってもらえるまで伝えるよ」
「恐怖は根源的感情だ。そうそう変えられるものではない」
消極的なグラトニーに船長が「いいや」と食い下がる。
「あいつが怖がってるのは未知の化け物だ。兄さんは化け物じゃないし、怖くなんかない。見た目通りに細っこくて後ろ向きで、人付き合いが得意じゃないくせにお人よしな魔人さ」
褒めているのかいないのか。擁護とだめ出しが混在する評価にグラトニーが微妙な顔をすると、船長は破顔した。
「きっとわかってくれる、あいつは俺が選んだ女だからな。だから、いつかまたこの町に寄ってくれ。そのときこそ、きっとうまい飯を食ってってくれよ」
言葉とともに差し出された分厚い掌をグラトニーは見つめる。
甘言、虚言、社交辞令。
魔人として帝国に飼われていたグラトニーを手なずけようとする者は多かった。だからこそ、真っすぐに目を見つめてくる船長の言葉に裏がないことを感じ取れた。
「そうだな。いつか、また」
食卓を囲む船長とイーダ、そしてともに笑っている船長の奥方を想像してグラトニーは差し出された手を握り返す。
甘い未来を夢想しながら終わりを待つのも悪くない。そう考えていると知ったなら、船長は腹を立てるだろうか、それとも嘆くだろうか。そう考えながらも、グラトニーは思いを胸にしまって手に力を込めた。長い時間、終わりだけを望んで過ごしてきた魔人にはその約束だけで十分だった。
「グラトニーさーん! 見てください、見てください! なんかこの子たち追いかけてくるんですよー! 私ってばモテモテです!」
すこし離れた広場の柵のなかから、イーダが走りながらはしゃいだ声で呼ぶ。グラトニーと船長の雰囲気が悪くないのを察してか、あるいは単純に従魔とのふれあいが楽しくてはしゃいでいるのか。
「嫉妬してくれても良いんですよー!」
妙なことを叫びながら屈託のない笑顔を見せるイーダの後ろには大型の四つ脚獣が二頭、ついてきている。ずんぐりとした身体に短い脚でせっせと走る姿に獲物を追いかける緊迫感はなく、むしろ親を追う幼児のような必死さが見えた。追いかけられるイーダが楽しげに逃げ回っているせいかもしれない。
「兄さんたち、従魔を借りるのか? 嬢ちゃんと遊んでるあれは懐っこいが、動くものを追いかける習性があるから旅には向かないぞ」
握った手をするりと離した船長は、船でそうしていたように何気ないしぐさでグラトニーの隣に位置取った。さりげなく戻った距離感に、グラトニーも悪い気はしない。
「いや、行き先も定かでない旅だから買い取った。従魔の身支度も頼んだから、そろそろ来るはずだが」
支度金として王から渡された金は、ここまでの道中ではイーダの食費にばかり消えている。恩人から船賃は取れないと船長から言われたため、ふたりは潤沢な資金を使って移動手段を確保することにしたのだった。
きょろりとあたりを見回したグラトニーは、広場の向こうにある厩舎から近づいてくる影に気が付いた。
「ああ、あれだ」
「ん、おお! ありゃあすげえ!」
ずんずんとやってくるのは、馴鹿と呼ばれる幻獣だ。身体のつくりは鹿に近いが、大きさは倍以上ある。そしてなにより、頭から左右に張り出した巨大な角がそんじょそこらの魔獣とは違う存在なのだと、主張していた。
大きな歩幅で、しかし優雅さは損なわず近づいてきた馴鹿はグラトニーの前に来るとゆるやかに頭を下げる。まるでお辞儀をしているかのようなしぐさに、グラトニーは「よろしく頼む」とつられて会釈を返した。
馴鹿のほうも満足そうに長いまつげを上下させる。
「あ、うちの子! もう来たんですね!」
目ざとく見つけたイーダが柵を跳び越えて、グラトニーの隣に陣取った。グラトニーに向いている馴鹿の視界にぐいぐいと顔を突っ込む。
「私、イーダです。幻獣さん、名前はなんです?」
「……ぶふんっ」
笑顔で見上げるイーダに馴鹿は鼻息をお見舞いした。
「ぎゃ!」
「ああっ、その子はちょっと気位が高いので、はじめの挨拶が大切なんです!」
イーダが悲鳴をあげたところへ、駆け寄って来たのは従魔屋の娘だ。
慌てた様子で走り寄ってきたかと思えば、馴鹿の前で居住まいを正しゆったりとお辞儀をする。馴鹿が鷹揚にうなずくのを確認してから、娘はグラトニーたちに向き直った。
「このたびは当店の従魔をお買い上げいただき、ありがとうございます」
深く一礼、顔をあげた娘は馴鹿を掌で示す。
「先ほど、ご購入の際にも説明いたしましたが、もう一度くわしくお話させていただきます。こちら、魔獣のなかでも幻獣に分類される馴鹿という魔獣です。寒冷耐性の強さが特徴ですね」
「はいです。私たち、ここからずっと北のほうに行くので寒さに強い子をお願いしたんです」
グラトニーの背に隠れたイーダがこくこくと頷いた。警戒するような視線を馴鹿に向けるイーダだが、馴鹿のほうでは彼女に興味がないらしい。執事による紹介を待つ貴族のような佇まいで従魔屋の娘のそばに静かに立っている。
「それで、寒冷耐性に加えて特筆されるのが頭の良さなんです」
その言葉に合わせたかのように馴鹿がいちど頭を上下させた。まるで人の言葉がわかっているかのようなしぐさに船長は感嘆の声をあげ、イーダは目を輝かせる。
「おお、すげえな!」
「わあ! すごいすごい! とって来いとかします? お手とか!」
嬉々として差し出されたイーダの手のひらを見下ろして「ふんっ」鼻息をひとつ。そっぽを向いた。
ぽかんと目と口を開いたイーダに、従魔屋の娘が慌てて続ける。
「あのっ、賢い馴鹿のなかでもこの子は特別に気位が高くて。はじめのあいさつを間違えるとその、相手の方を自分より下に見るところがあって」
「ということは、さっきから私がばかにされてるような気がするのは……」
「気のせいじゃない、ですね」
言いにくそうに、けれどはっきりと従魔屋の娘は言った。
がんっと衝撃を受けたイーダを従魔屋の娘が慌ててフォローする。
「あ、でも付き合いのなかで少しずつ態度は変わっていきますので! 私もはじめ、この子がお店にきたときに対応を間違えて下に見られて、なかなか言うことを聞いてくれなくて困ったんですけど。お連れさまを主人として旅をするうちにきっと良い関係を作れますから!」
「初対面の印象ってのは大事だからなあ。そこは人も魔物も変わらねえってことか」
船長がしたり顔でうなずいた。
「ちなみに、お姉さんはどれくらいの期間で関係改善を……?」
じっとりとした目を向けてくるイーダの質問に、従魔屋の娘の答える声はぐっと小さくなる。
「ええと、その、一年と、すこし……」
「一年以上も見下されるんですぅ……」
しょんぼりと肩を落としたイーダは、はっとしたように飛び起きた。
「そうだ! 今から他の従魔に交換って!」
名案だとばかりに叫んだイーダに従魔屋の娘はゆるく首を横にふり、申し訳なさそうに告げる。
「寒冷地に強い魔物で、人に従うものは少ないのです。愛玩用でしたら人鳥や銀狐などもおりますが、お客様のご要望である移動手段に使える魔物となると今、当店でご用意できるのはこちらの馴鹿しかおりません」
「うぐぅ……」
従魔屋に来る前、町を散策してみたがイーダの乗っていた浮揚板はまだ普及していないらしく見当たらなかった。「あんな扱いづらい魔具、流行らねえよ」と道具屋の主人が言っていたことにイーダが憤慨していたが、それは一旦置いておく。
条件にあう魔物が他にいないとなれば、どうしようもない。
「ううぅ」
「泣くほどのことか。生涯、ばん回の機会が来ないわけでもあるまいに」
ほたほたと涙までこぼしはじめたイーダに、グラトニーもいよいよ呆れてしまった。なぐさめともつかない言葉を口にする彼の横で、未練がましく馴鹿を見つめながらイーダがうめく。
「もふもふ獣と美少女のふれあいの図が無いなんて……間違ってます、こんな世界間違ってますよぅ」
何を言っているのか、と耳を澄ませたグラトニーは、嘆く内容のくだらなさに呆れを通り越して無表情になった。
泣き崩れるイーダをほっぽり、グラトニーは従魔屋の娘のそばへ行き馴鹿と向き合う。
「名はあるのか?」
「ディッシュです。賢い子ですから、別の呼び名でも気に入れば受け入れてくれるとは思いますが」
「いや、いい。ディッシュ」
娘の申し出に首をふって、グラトニーは馴鹿の名を呼んだ。
呼ばれた、とわかるのだろう。グラトニーの挙動を見つめていたディッシュは、巨躯を屈めて鼻先でグラトニーの掌を押し上げる。催促するような動きに逆らわずその鼻を撫でてやれば、馴鹿は長いまつげを満足気に伏せておとなしい。
「こんなに懐くなんて、すごいです。賢い子だから力を貸して、ってお願いして仕事をしてもらったことは何度もあったんですけど。自分から撫でてもらいに行くなんてはじめて見ました。お客さまにとっても懐いていますね。これなら安心して送り出せます!」
従魔屋の娘のお墨付きをもらい、ディッシュを連れて町の外れへ向かう。船長が「見送りくらいさせてくれ」と付いて来た。
引き綱を持つまでもなく、馴鹿はグラトニーの後ろをついて歩く。それどころか、グラトニーが抱える荷物をくわえて取り上げ、自身の背中に乗せるよう促すほどの懐きよう。
代わりにイーダの荷物は運搬拒否をされ、グラトニーからお願いする形でようやく背中に括りつけられる始末だ。
身軽になったグラトニーは、町を出たところで脚を止め振り向いた。ディッシュも共に立ち止まろうとしたが「イーダと先で待っていてくれ」と告げれば、素直に道を歩いていく。イーダがやる気に満ちた様子で手綱を握り歩いているが、ディッシュのゆったりとした足取りと比べればどちらが世話を焼かれているのかわかったものではない。
太陽が一番高いところに来る昼下がり、出歩く人は少ないのだろう。閑散とした町の大門でグラトニーと船長が向き合う。船長は懐から取り出した小さな布袋を差し出した。
「これ、旅人に人気の干物だ。道中つまんでくれ。……待ってるからな」
「別に、もう構わない」
「おい!」
真剣な言葉に対して興味なさげに返したグラトニーに、船長は思わず大声を上げた。その慌てぶりにグラトニーのどを鳴らしながら、グラトニーは布袋を受け取る。
「くくっ、冗談だ。あんたが、そうだな。ボケて俺を忘れる前にはまた来るかもな」
「それでいい。俺の家はずっとこの町にあるからな」
頷いた船長に、グラトニーは返す言葉に困った。魔人として生まれてこのかた、まっとうな別れをする相手などいなかった。王都を出る際ラストに見送られはしたものの、あちらも魔人だ。「またね」「ああ」のやり取りだけで事は済む。
いや、とグラトニーは思い出した。イーダとラストが別れのときに交わしていた言葉を耳にしたのだ。
「……じゃあ、元気で」
慣れない言葉に返ってきたのは驚きの表情。思わずむすりとしたグラトニーだが、自分らしくないことを言った自覚はあった。ラストならば「ちょっとどうしたの?」と笑っただろう。
船長も笑った。けれどそれは慈しむような笑みだった。
「そうだな、兄さんも元気で」
向けられた笑顔と言葉がくすぐったくて、グラトニーは「うん」と子どものようにつぶやき船長に背を向ける。
すこし進んだ先でイーダとディッシュが待っている。背中に乗ろうとするイーダと、乗れないように動きながらもイーダが転ばないように配慮する器用なディッシュは、案外と良いコンビになりそうだ。
急かす者の居ない道を、振り返ることなくグラトニーは歩いていく。
ふと撫でさすった腹のあたり、彼の懐のなかには不死鳥の卵と干物が入った布袋がある。いつだって空腹ですかすかする胸が心なしか暖かいのは、どちらのおかげだろうかと考えながら町を後にした。




