十二、化け物を食う化け物
翌朝、甲板で寝こけていたイーダの意識を覚醒させたのは眩しい朝日、ではなかった。着港に向けて忙しく動き回る二日酔いの船乗りがよろけて蹴飛ばしても起きず、邪魔だからと甲板のすみに押しやられてもまだ起きない。いよいよ近づいてきた港の喧騒にもぐっすり眠り込み身動ぎひとつしなかった彼女は、風の流れがふいにかわった瞬間、飛び起きた。
「朝ごはんです!」
目もあかないまま、的確に港町のほうを向いて叫んだ彼女にグラトニーは呆れ果てる。
「お前、まさかとは思うが町の煮炊きする匂いを嗅ぎつけて起きたわけじゃないだろうな……」
「何がまさかです? もしや、グラトニーさんにはわからないんですか! 朝のさわやかな空気のなかに漂う干し魚を焼くこの香りが! 潮の香りとはまた違う塩味にまじる青菜の茹でられる薫香がっ!」
岸に広がる港町は、水平線のあたりにようやく見えてきたところ。はっきりとした形すら見えないうちから香りが伝わるはずがない。はずがないのだが、イーダの食への欲望は計り知れないものがある。
寝起きであるにも関わらず、曇りの無い眼で力強く語りだしたイーダに、グラトニーは目を閉じ頭を振る。
頭痛がしてきたのは寝不足のせいというより、目の前で騒ぐ少女のせいだろう、と確信できた。
「わかったから、はやく下船準備を済ませろ」
「ですね! どの店とどの店とどの店で朝ご飯を食べるか決めねばですからっ」
きりりとした顔で頷いたイーダだが、言っている内容があまりにも食い意地に満たされており、加えて口のはしによだれのあとがついている点で台無しだ。
寝ぐせとよだれのあと。身だしなみにうるさいラストならばどちらをより気に掛けるだろう、と思いながらグラトニーは今にも駆け出そうとしている彼女を呼び止めた。
「その必要はない」
きょとんとした顔でイーダが振り向いたとき、通りかかった船長がグラトニーの肩に腕を乗せてにかっと笑う。
「そうだぜ。今日の朝飯は俺の家で漁師飯をご馳走するぞ。船と船員を守ってくれた礼だ」
「漁師さんのご飯……家庭料理……お店にない味……!」
つぶやきながら、イーダの目は面白いように輝きを増していく。その顔を見たグラトニーが断らなくて良かったと胸を温める間もなく、イーダは船べりに脚をかけて身を乗り出した。
「行きましょうグラトニーさん! おいしいご飯がわたしたちを待っているのです!」
「待て待て待て。さてはお前、寝ぼけてるな? 船から飛ぶな、せめて着岸を待て!」
慌ててイーダの肩をつかむグラトニーの後ろで、船長は楽しそうに笑っている。
「ははは! そんなに楽しみにしてもらえるとはなあ。嫁さんも喜ぶぞ」
「あんたも、笑ってないでとめてくれ!」
ぎゃあぎゃあと騒がしい客を乗せて、船は港に帰ってきた。
***
大きな港だった。
海沿いの港町だけでもかなりの広さがあるうえに、内陸に向かって町が広がっている。
「ここは大型の船が入れる港の北限だからな。人も物も集まってくるんだ。珍しい物も色々あるから、あとで見て回ると良いさ」
船長が言うと、下船するなりそわそわし始めたイーダがこっくりうなずいた。
「そうですよ、グラトニーさん。町もお店も逃げませんからね、あわてず騒がず……ああ、なんです、あのおいしそうに湯気をあげる屋台わあぁぁ! え、あれ売り切れちゃいません? 飛ぶように売れてますよ、あれ後でなんて言ってたら売り切れちゃうのでわ!?」
きりりとした顔で諭していたそばから、大慌てで騒ぎ出したイーダにグラトニーはため息をつく。正直に言って、知り合いだと思われたくなくなる域の騒がしさである。懐にある不死鳥の卵でも顔にぶつけてやろうか、と思いながらもグラトニーはイーダを捕まえて船長の横に並んだ。
「それを言うなら、はじめて行く町の家庭料理こそ今を逃したら食べられないものじゃないのか」
「ぐうっ、正論です!」
「なら、おとなしく歩け。その前によだれをふけ」
静かにしていろ、と言って聞く相手ではないとわかっていた
「乙女はよだれなんて垂らさないんですー」
「ならお前は乙女じゃないということだ」
「ひどい! それはひどいですよ、グラトニーさん!」
顔色を変えずすたすた歩くグラトニーと、彼にまとわりつくように百面相を披露するイーダは周囲の喧騒に負けないほどににぎやかだ。
ふたりのやり取りを見ていた船長がくつくつとのどを鳴らす。
「魔人って言ったってふつうの人間と変わりねえなあ」
ぎくり、とグラトニーの肩が揺れたのは過去にも聞いた言葉だったからだ。
わずかに顔をうつむかせたその反応を気分を害したせいだととった船長は、すぐに言葉をつづけた。
「ああいや、悪い意味じゃなくてよ。そうやって嬢ちゃんと言い合いしてる姿なんか、町の若い連中と変わらないからさ」
「お、良いですねえ。生まれは百年以上前なのに、いつまでも若いままなんてうらやましいです!」
茶化すように言ったイーダが笑いかけた先、グラトニーが返したのは微かな微笑みだ。珍しい表情に驚いたイーダは、そのあまりにもさみしげな笑顔に言葉が出てこない。
「俺はお前たちがうらやましいよ」
グラトニーの口からぽつりとこぼれた声は小さかったけれど、ひどく実感のこもった響きがイーダと船長の耳に確かに届く。
「お前さんは……」
船長が何事か言いかけたとき、グラトニーは不意に足を早めてふたりを追い抜いた。
「朝食の材料は本当に何もいらないのか? こういう場合、奥方に手土産のひとつも買うべきか」
左右に目をやり気の利いたことを口にする姿は、付き合いの短い船長から見てもグラトニーらしくない。けれど踏み込んで欲しくないのだろう、と船長は言葉を飲み込んだ。かわりに、大きく一歩を踏み出して彼に並ぶ。
「礼をするために招くってのに手土産なんて買わせられるかよ。材料って言うんなら、食ってみたいものを買って帰ればいいさ。この町にある食材ならだいたい何とかなるからよ」
「なんと! それは素晴らしい奥方をお持ちですね!」
イーダは空気を読んだのか食べ物に釣られたのか。すかさずあたりを見回してさっそくあれこれと物色し始める。
数軒目でグラトニーが「いい加減にしろ」と止めたものの、船長の家に着くころには買い求めた食材は三人がかりでようよう運べる程度には山盛りになっていた。
「おーい、帰ったぞー」
船長が戸口をくぐりながら声をかける。大柄で強面の船長からは想像できないかわいらしい家屋だ。家の前の道はきれいに掃き清められ、窓の外に並ぶ鉢に咲く花は生き生きと咲き誇っている。真新しさはないがよく手入れされた家特有の温かみが、そこかしこから感じられた。
「おかえり、あんた」
そんな家の奥から顔を出したのは恰幅の良い女だ。家同様に落ち着きと温かみを感じさせる彼女は、夫の後ろに立つ若者ふたりを見つけて「おや」と声を上げる。
「お客さんかい? ずいぶん大荷物を抱えてるねえ」
「おはようございます! 船長さんの船で運んでもらった旅人です。奥方はとっても料理上手だって聞いて、ぜひいろんな料理をお願いしたいと気になる食材を厳選してきたんです!」
厳選した、というわりにイーダは目につく店すべてに立ち寄りあれこれと買っていたが、グラトニーも船長もわざわざ指摘しない。
その食材の多さに「これ全部かい」と驚いていた奥方だが、イーダの口から聞かされた夫の褒め言葉はまんざらでも無いらしい。
恥ずかしげにしながらもその顔は笑っている。
「あんたったら、また料理上手だなんだって言って歩いてるの。恥ずかしいからやめてって言ったのに」
「ほんとのことなんだからよ、良いじゃねえか」
船長も傷のある顔を甘くやわらげて、ふたり寄り添う姿は似合の夫婦だ。
見守るイーダは微笑ましげに目を細め、グラトニーは慣れない雰囲気にやや居心地悪そうにしながらも機嫌が悪いわけではない。
そんなふたりににっかり笑い、船長は大きくうなずく。
「命を助けられた礼だからな、とびきりうまいやつをたっぷり食わしてやってくれよ」
「命?」
「そうさ、死の海の海域で大食渦潮に襲われてな。それもとびきりでかいやつ」
その名を聞いた途端、奥方の表情が曇る。けれど船長は気づかずに続ける。
「それだけじゃねえ。バカでかい大食渦潮に絶望した船員がいたんだろな、幽霊船まで寄ってきてよ。こりゃいよいよダメかと思ったとき、幽霊船をやっつけてくれたのがこの兄さんよ」
船長は親しげにグラトニーの肩に腕をまわす。
「近づいてくる幽霊船に青ざめる若いのを押し退けてな。『こっちは任せろ』って言って、幽霊船をぱくりだ」
「ぱくり……?」
「ああ、ひと飲みよ。冗談だと思うだろ? ところがどっこい、この兄さんは昔話に出てくる暴食の魔人でな! 幽霊船だけじゃねえ、船よりでっかい大食渦潮の化け物の脚をみぃんなまとめて飲み込んでよ。そりゃもうすごかったのなんのって」
流暢に語っていた船長は不意に言葉を切った。気づけば、奥方の顔が青ざめている。
「どうした、お前……」
「帰っておくれ!」
金切り声が窓辺のやわらかな花びらを震わせた。
おだやかな顔を一変させた奥方が、船長の腕をつかんで後退りながらグラトニーをにらみつける。
「化け物を食うなんて、とんでもない化け物じゃないか!! そんなやつを家にあげるなんてとんでもないっ」
目を見開いたイーダと船長が何も言えずにいるうちに、奥方はさらに叫ぶ。
「船も化け物も食うんだ、あたしらだっていつ食われるかわかったもんじゃ無い!」
「おいおい、落ち着けよ。ほんとにどうしたって言うんだ。この兄さんがいなかったら俺たち、船ごと海の底だったかもしれないんだ。いや、十中八九そうなってた。命の恩人にそんな口をきくなんてお前、どうかしてるぞ」
船長が厳しい顔で諌めるが、その思いは届かない。
「どうかしてるのはあんたのほうよ!」
肩をつかもうとした船長の手を払いのけ、奥方はかぶりをふった。にじむ涙で赤くなった目で船長をにらみ、唇を噛み締める。
「その顔の傷! 大食渦潮と戦ってできたその傷のせいで死にかけたのを忘れたの!? あのとき、結婚したばかりなのにあんたを失うかもしれないって、意識の戻らないあんたのそばであたしがどれだけ心配したか……!」
とうとうこらえきれなくなった涙が彼女の目からこぼれ落ちる。
今は抉れた傷跡となって残る船長の顔の傷は、奥方にとってはまだ治りきらない心の傷となっていたらしい。
惚れていっしょになった女に泣かれると船長も弱いようで、奥方を叱りつけた剣幕もどこへやら。「あれは俺が若くて、お前にいいとこ見せたくて調子に乗って。悪かったよう……」とおろおろと彼女の肩を抱いてなだめている。
ふたりの姿を無表情に眺めていたグラトニーは、手にしていた食材の数々をそばの出窓に無造作に下ろすと、不意に踵を返した。
「グラトニーさんっ?」
イーダが呼び止めるもグラトニーは足を止めることなく、にぎわう朝の通りを歩いて行く。
慌てて追いかけたイーダの後ろで、船長も「兄さん!」と声を上げたが、腕にすがる奥方を振りほどくこともできず、後を追えずに歯噛みする。
「グラトニーさん、あんな好き放題に言われっぱなしで良いんです!?」
追いついたイーダがふくれ面で声をあげるが、グラトニーは歩調を緩めないまま前を見据えている。
「事実だ」
短い返答には悲嘆も憤りもなく、ただ諦観だけが詰まっていた。
横から顔を覗き込んだイーダはいつも通りに気だるげなグラトニーの顔を見て、いつもよりも丸まって見える彼の背中に気づき、口にするはずだった胸のもやもやをごくんと飲み込むことにした。
かわりに、すねたように口をとがらせる。
「ちえー。いいですけどー。これだけ町が大きければ、まだ見ぬ珍味や美味はいくらでもあるはずですしー? いくら私が努力家だっていっても食べきれないくらいの種類の魅惑の食べ物を出してるお店があるわけですしー」
食べ損ねた家庭料理に未練たらたらなイーダに、グラトニーはちらりと視線をやった。
「お前だけなら警戒もされないだろう。今からでも戻って、調理を頼んでみたら……」
「あー、そういうこと言うんです? 私は今やグラトニーさんの旅のお供ですよ! 仲間なんです。仲間なら、いっしょの食卓を囲んでなんぼってもんですー!」
頬を盛大にふくらませたイーダの言葉に、グラトニーはわずかに目を見開く。すぐに視線を前に向けた彼は、困ったように眉を下げながらもわずかに上がった口角でつぶやいた。
「……悪いな」
「いーってことです! てなわけで、この食材が入る袋を買いましょう。ちょうどいいから旅のお供にしちゃいましょう。非常食は多いに越したことはないですから。それから屋台で朝食です! 昨日は船のうえで盛り上がりすぎましたからね、軽く三軒くらいにしときましょうか」
にひっと笑ったイーダがはずむ足取りで店を物色しはじめるのを追いかけながら、グラトニーは首をかしげる。
「軽く……? あいつ、また胃袋の容量が強化されたのか……?」
グラトニーは懐の卵をなでながら、誰にともなくつぶやいた。




