19 後日談と風呂
騒動のあった日、私は気絶している間に保健室に運ばれた。内側に異常はない。
外側も重力攻撃で打ち付けたところが内出血していたり、擦り傷なんかは沢山あったが、あとに残る様な酷いものは手の焦げ跡だけだったので大きな痛手ではなかった。
「それ、痛くないの?」
いつもみたいに談話室でふたりソファに座って話す。ナズナは私の手を見てそう言った。私は少し手を見つめて首を横に振る。
「うん。一回熱で焦げたんだけど、その表層は剥がれたから、むしろ痛くないよ。中指の爪は未だ生えてこないけど……」
その痕は指先から前腕中頃まで広がっていて、腕の皮膚を墨色に染めていた。
「あたしと東雲さんを救ってくれてありがとう」
改まって言われるとむず痒いけど、あの時は無我夢中だった。だから、ふたりが無事でいてくれただけで充分だった。
「それで、相談したいことって?」
私はちらっと辺りを見回して、誰もいないのを確認すると、少し前のめりになって話す。
「あの日、私誘拐されてたんだ」
「誘拐!?」
「うん。不死鳥紋寮の1年生。乙女カルラって男子に」
「男子に!?」
「あ、いや、催眠かけられた以外は何もされてないよ」
「いや催眠されてるじゃん!?」
うん、確かにされてるわ。
まあ、あの乙女の感じを見るに、そういう目的で誘拐したんじゃないだろうから、心配はないけど。
「そ、それでどうなったの?」
「乙女カルラは私のことを『蛇使い座』だとかって呼んで……。あと定期考査には出るなって」
「へびつかい座……。それって13星座占いのやつだよね」
「13星座? 12星座じゃないの?」
「うん、90年代とかに一時期13星座だった時があるんだ。ほら、あたしって占いとか好きそうでしょ?」
うん、好きそう。
「黄道十二星座にひとつ足して13星座。その足したのがへびつかい座なんだ~。ちなみにあたしは12星座ならいて座で、13星座ならへびつかい座!」
「そうなんだ。でもなら、なおさらなんで私が蛇使い座なんだろう。私しし座だし」
「うーん……。そもそもその人ってシオンちゃんの誕生日知ってるの?」
「知ってたら間違わないだろうし、知らないんだと思う」
「なら、誕生日以外の要素で『蛇使い』って言ったのかも!」
「それ鋭い……」
確かにナズナの言う通りだ。蛇使い座は私の何らかを指して言ったこと。そしてそれは誕生日とは関係がない。
「でもそれ以上はわからないから深めようがないかな」
「他にそのカルラって人は何か言ってた?」
「私の中に何かが『居る』って」
「え、こわ」
どん引きするナズナ。いや、うん、普通そうだよね。ちょっと傷ついたけど、うん。
「でも『居る』ってなにが?」
「教えてくれなかった」
「なにそいつ! 匂わせとか今時流行んないかんね~!?」
「変な怒りのベクトル……」
「何がいるんだろ。アニサキスとかエキノコックスだったらやだね」
なんでそんな寄生虫に詳しいの? そっちのが怖いよ。
「そういう物理的な感じでもなさそうだったけど……。でもね、たしかにあのデカいのと戦ったときに感じたんだ」
「どんなふうに?」
「自分の内側に、別の誰かの声が響いてる感じ」
「え、霊的なやつはあたしやだ。こわい」
寄生虫の方がこわいよ。
「霊……。なのかな。意識がぶっ飛んだときとか、その声とつながることがあって。あの血刻みの時もそうだった」
「たしかにあの時のシオンちゃん変だった。出会って間もなかったけど、初対面の印象と全然違う話し方したから」
「ある種のトランス状態なんだと思う。でも、それがいったいどういうものなのか、わからない」
──そして、なんで私なのか、それがわからない。
その不安そうな顔を察してか、ナズナは私の墨色の手を取って、優しく握ってくれる。
「大丈夫。ほら! けっこー突飛な話だけど、あたしは引かない。私は、シオンちゃんの親友だから」
その言葉が何より嬉しかった。
「シオンちゃんは特別なんかじゃないと、あたしは思う」
「そ、そっか……」
「あ、や、悪い意味じゃないよっ!?」
わたわた慌てた表情の忙しい彼女は、もう一度手をきゅっと握って優しい声で言った。
「誰よりも頑張れるだけの、普通の女の子だよ」
──誰よりも、頑張れる。
「あたしね、頑張るって言葉、あんまし好きじゃないの」
「どうして?」
「割と計算高いというか……。無駄な努力は、無駄でしかないって思うタイプだったんだ」
「……そうだね」
「でもそれは間違いだって思った」
彼女の手に少しだけ力が入った。
「シオンちゃんは頑張れる人で、その頑張りは無駄なことも多い。でも、その無駄なことまで大切にできるのがあなただよ」
──あたしはそんなところが、そう言いかけて彼女は口をつぐんだ。
「だから色んな難しい問題がシオンちゃんに立ちはだかっても、あたしは驚かないし、この手を離すつもりはないよ。きっとそれは全部、なるようにしてなったことだから」
因果律は平等で、この現状は、過去からつながった私の歴史。
そう言われているような気がした。
運命論的で、自己責任論的な言葉だったけど、今はそれが、私という平凡な人生への温かい肯定の言葉に聞こえた。
「ちょっと突き放すような言い方になっちゃった……。でもね、違うよ。突き放さない。あなたがその壁に押しつぶされそうになったら、あたしが一緒に押してあげるから──」
自然と、微笑んでしまった。
「ありがとう。また、いっぱい迷惑かけちゃうかもしれないよ?」
「いーよ。だって、迷惑をかけてもいい存在が、親友ってものじゃない!」
にっと笑った彼女は素敵で、私は本当に心を許せる人を見つけることができたのだなと、嬉しくなった。
***
その後の出来事。
「それで、あれは何だったのよ」
大浴場。先に上がったナズナ。残されたのは私と東雲さん。長い髪を上でまとめて湯船に浸かる彼女は私にそう聞いた。
「あれって……?」
「とぼけないでよ。テミスを斬ったあの光」
あの時東雲さんは目の前で見ていた。
「あれは……たぶん、不刃流なんだと思う」
稲穂の構え──魔剣を持たないで使ったのは初めてだった。両掌を表向きにし、身体の前でクロス。精神的な強さを重視し、力を身体部位の極に持っていく業。
そして、発動した不刃流は、私が人生で初めて目にした魔剣技。
『不刃流九十九式。果てのない憧憬』
その実感は、墨色になった両腕に残っていた。
「じゃあアンタ、今まで実力を隠してたってわけ? アンタも折紙と同じじゃない」
「ち、違うよ! あれはたまたまで──」
──たまたまで十三獣王の眷属を斬った? ……冗談じゃない。
そう言った彼女はざばっと風呂を上がった。その余波が私に当たる。立った彼女の背は、どこか遠くに見える気がした。
「初心を忘れていたわ。馴れ合いはもう終わりにする。春の定期試験──。全力で行かせてもらう。……アタシは強くなる。それを妨げるのなら、たとえ命の恩人でも容赦はしない」
「わ、私は妨げたりしな──」
「妨げてるんだッ!」
どこか悲痛な叫びにも聞こえたその声は震えていた。
彼女がその背に背負うのは、一体何なのだろう。
「……どうして強さにこだわるの?」
「──強くないと、存在する意味がないからよ」
そう言った彼女は髪をまとめていたタオルをばっと取り腰に巻いた。彼女がいつも使っているリンスの残り香だけがその場に滞留している。
明日、春期定期考査についてのアナウンスがある。
何かが起きるとは思っていないけれど、何も起きないでいてほしいと、静かにそう祈るしか、私には方法がなかった。
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