18 魔刃学園の不刃流
悲鳴の現場は、乙女カルラに連れていかれたカフェからはそう遠くはなかった。
逃げ惑う人を避けて逆方向に走り、そして相対する。
目の前の光景に目を瞑り、私は驚いて考えるのをやめそうになったが、今私が考えるのをやめては絶対にダメだと思い、目を開く。
そこには、宙に浮いた5m級の人間の形をした何かがいた。足元には3匹の巨大な狼を従えている。
来訪者だ。
私は魔剣師名鑑に載っていた、歴代魔剣師が討伐した来訪者のことを思い出す。
あのヒト型は「指揮官」だ。十三獣王には及ばずとも、下級の来訪者を従える存在。
目を布で隠し、黒衣を纏っている。その手には天秤。
私は5年前に円卓騎士が6人がかりで討伐したテミスという個体を思い出した。酷似している。
確かテミスは十三獣王の一柱である純情女王の眷属──。
そして、今最も重要なことはテミスの攻撃可能圏内に気絶した綾織さんと東雲さんがいるということ。
襲われた……? 害意がないんじゃなかったのか?
さっきの絶叫は東雲さんの声だった。彼女は足を怪我していて、綾織さんを抱えながら来訪者の前にへたりこんでいる。
人々は泣き叫び逃げ惑う。穏やかだった日々を、来訪者は破壊する。6年前がフラッシュバックして足が震える。呼吸が荒い。
──私に何が出来る?
先生たちはこのことを知っているか? イーストパークに突如来訪者が出現した。
何らかの通報は魔刃学園に入っているかもしれないが、現在戦える人間はほとんど出払っている。
──KIIIIIIIIIIIIIIIIN。
高周波をまるで音楽のように奏でながらそれはただ浮遊している。
だが、その高周波は周囲の物体を物理的に破壊する。近くのブティックが倒壊し、鼓膜も破れそうだ。
害意があるかないかはわからない。でも、驚異であることに変わりは無い。
それにテミスは、その当時の円卓騎士6人を皆殺しにしている。──相打ちだったんだ。
「逃げなさい!」
悲痛な叫びが私に向かって投げられた。
東雲さんだ。
眼だけがない巨大な黒い狼のその足元は高圧高温によってドロドロに溶解している。
単獣型は単純行動理由しか持たない──だから下級の来訪者という扱いをされている。でも私にはそれが下級には見えない。
東雲さんは震え、泣きそうになりながらも、綾織さんを守ろうと、自分の倍以上の大きさの狼に相対していた。
自分が怪我をしていて、魔剣も持たず窮地にあるのに、東雲さんはそれでも私に逃げろと言った。
その姿勢が、私の心を動かした。
──KIIIIIIIIIIIIIIIIN。
その音ともに、テミスの天秤が傾く。
同時に、重力方向が変わる。
「っ! ──がはっ……」
私は天秤が傾いた方向にあった建物に激突する。何とか受身をとったが、東雲さんはそれを見て驚いていた。
重力攻撃を受けたのは私だけだ。だけどそれは幸いだ。私だけでいい。
それと、これでもう害意があるとかないとか言っている場合じゃないとわかった。
私は膝をつきながらも、建物の側面を地面として立ち上がる。
「浅倉! 何してんのよ!! 逃げろよッ!」
魔剣師には来訪者を駆逐して人々を守るという使命がある。
人を守りたい。私が剣聖になりたいのは剣聖になりたいからじゃない。
剣聖と呼ばれるくらい強くなって、人を守りたいからだ。
人を守りたい。初めてできた大切な友達を守りたい──。
考えろ。守りたい人は傷つけず、敵だけを屠る方法を。そんなことが出来るとすれば──。
そうだ。
ここに魔剣はない。
でも私は知っている。
魔剣を使わない、魔剣術のことを。
神楽先輩、約束を破ってごめんなさい。でも今はこれにかけてみるしかない。
私は少し伸びた中指の爪を、奥歯で挟む。魔剣がないのなら、痛みをトリガーにして、断層をこじ開ければいい。
アレンみたいな集中じゃ間に合わない。付け焼き刃でも、これが最善手だ!
私は腕を振り抜いて、爪は指から音を立て剥がれる。いっ──ッ!!
「──……でも、明瞭だ」
ドクン。
身体の中に、何かを感じる。
ドクン。
それが『居る』のを感じる。
ドクン。
あの血刻み時の感覚は間違いじゃなかった。
ドクン──。
『お主からこちら側に干渉するとはな』
「力を、貸して」
『代償に、何が渡せる?』
「何が欲しい?」
『──ただ、自由』
「わかった。保証する」
『即答か。……よかろう』
「私に、力を貸して」
『かかか。約束は果たせよ』
一瞬だけ意識が永遠図書館につながった。その夢の中の白い部屋で出会った、鎖の少女と契約を交わす。それが一体なんなのかも分かっていないし、乙女カルラがするなと言っていたことだけど。
今はそんなのどうでもいい。
「身体が動いちゃったんだよ、しょうがないでしょ」
アレンの言っていたことの意味が少しわかった。言葉にできないけれど、技の名前が勝手に頭に流れ込んでくる。
私は私が得意な構えでそれを使う。きっとそれが私の形だから。──稲穂の構え。
両手の平を上に向けたまま、腕をざっと体の前に伸ばし、手首の辺りで交差させる。
それが、わたしの「形」だ──!
できるかな。でも、やってみよう。
考えるのは、後でいい。
そして私は、あの日見たその背中を、まだ忘れていないのだと、理解する。
「不刃流九十九式。果てのない憧憬」
──SHINE。
私の腕先からスパークし放たれた超高温の光は先ず狼を一瞬にして飲み込んで蒸発させた。
「くっ──」
そのまま光は、テミスを飲み込んだが、テミスの体細胞の再生速度は早く、消しきれない。
持たない──。腕が内側から沸騰して皮膚がボコボコしている、蒸発しそうだ。
テミスを光の檻に閉じ込めだけど、本当は倒すつもりだった。
駄目だ──、持久戦なら勝ち目がない。身体が持たない……。
……でも、逆に言えば「心」は持つ──!
耐えろ! それがお前の得意分野だろ!!
──TAN。
その時、轟音の中でも確かに響いたひとつの足音。それは私の隣から聞こえた。
「やあ。遅くなってごめんよ」
八神ライザの声はいつもより大人しく、それでもこの場では何より頼もしかった。
「ライザ、先輩」
「交代だ後輩。よく頑張った」
そう言って私の肩に手を置いた八神ライザはいつもの調子でテミスの方へ歩いていく。私はそれがきっかけで力が抜ける。
「テミス。裁判は終わりだ。大人しく隠世に帰りな」
──KIIIIIIIIIIIIIIIIN。
「交渉決裂か。じゃあしょうがない」
言って、八神ライザはザッと右腕を伸ばした。
その指先を、弾く。
──SNAP。
パンッ。──テミスが、消える。
一瞬、私の不刃流よりも輝度の高い何かが弾けて、視界を覆った。
少しだけ見えたのは、テミスを囲うように空中に配置された幾千もの魔剣──。
たったのスナップ一回で、あれだけの断層を開いて、あれだけの魔剣を──。
けれど、そこにはもう再生するような何かがないのを見て、私はテミスが完全に消滅したことを理解した。
後に残ったのは、幾千の魔剣で斬られ、分子ごと破壊されたなにかの塵だった。
私は膝から崩れ落ち、黒く焼け焦げた指先を震わせて倒れた。
「よく頑張った。今は休みなさいな」
八神ライザの静かな声が耳の奥に響いて、私のまぶたは重く閉ざされた。
響くサイレンの音を、私の耳は拾わない。
***
保健室で、私はぼうっと考えていた。
私の中に何かが「居る」と言う乙女カルラ。拉致されて、力を使うなと忠告された。それと、蛇使い座という呼び方。
その後すぐに現れた十三獣王の一柱である純情女王の眷属、テミス。
そんな上級来訪者を前にして、自分が使ったあの不刃流。
鎖の少女と行った契約。自由を保証した。
……考えなければならないことが多い。多すぎる。こんなの、私に背負い切れるの? パン屋の娘でしかない私に、何が出来る──。
重いまぶたを持ち上げると、そこには綾織さんがいた。
泣きそうな顔で、こっちを見ている。
「起きた……、起きた──!」
「おはよう、綾織さん」
「ありが、とう……ごめん、ね」
もう泣いてしまっていた。私は手を伸ばしてその涙を拭おうとする。
その指先が、黒々と変色していることには、さほど驚かなかった。
「ごめんな。医療ってのは限界があんねん。治せるもん、治せへんもんがある。それは、ウチでは治されへん」
養護教諭さんがそう言った。
「ごめんね、ごめんね……女の子なのに……大事な手が、あたしのせいで──」
私がお嫁に行けるか心配してくれているのかな。もし無理なら、この子に貰ってもらおう。
私は彼女の涙を拭って、答える。
「違うよ。あなたのせいじゃない。それに、手が黒いくらいで諸々判断するやつはろくでもないもの」
笑いながら私が言うと、それでも彼女は泣き続けた。
それを見て、泣くつもりなんてなかったのに、怖くて──本当は怖かった記憶が蘇ってきて、私はそれが悔しくて、もうぐちゃぐちゃで叫ぶように、子どものように泣いてしまった。
しばらくして落ち着いた後に、養護教諭さんがココアをふたり分持ってきてくれた。話によると、ライザ先輩と東雲さんは事情聴取を受けているらしい。ふたりが無事でよかった。
綾織さんは私の手をきゅっと握っていた。
そこで私は思い出す。私は別に、もうひとりじゃない。
問題にぶつかっても、ひとりで抱える必要なんてない。
綾織さん──ナズナは、親友だから。
私が気絶して目を覚ました時、いつだって隣にいてくれるのは彼女だったんだ。
「ナズナ」
「えっ?」
「相談したいことがあるんだ。少し突飛な話。
私ひとりでは、抱えられそうにないような」
「……名前」
「うん」
「わかった……! あたしバカだし、何が出来るかわかんないけど、聞く。それを、一緒に背負わせて」
ふたりつないだ指先は冷たくて、でもそれは別のなにかかが温かい証左であると、私は感じた。
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