101 真実①
ふと薬品の匂いが鼻を通った。決して嫌な臭いではなく、薬草由来の自然な薬の香りだ。騒いでいた血が少し落ち着いた。
ぴとっ。
「(痛い──)」
右眼に、何か冷たいものが被せられ、それが薬草だと分かると、途端に痛みが湧いた。絶叫する程では無いが、そもそも力が入らず叫んだり動いたりができない。
私はそっと無事な左目を開けると、そこには降神オリガがいた。
「おはよう、浅倉シオン」
オリガ先生──。
みんなは、無事ですか。
「無事だよ。授業も終わらせて、解散した。今は夜。ここは私の私室だ」
オリガ先生は淡々と言った。
そして、変わらず何を考えているのかわからない瞳で告げた。
「じゃ、ことの真相を話そうか」
***
第一に、あの山羊座を出したのは私だ。おっと慌てないで。大丈夫大丈夫、あれにはわざと敵っぽく振舞って欲しいとだけ伝えて、ああなっただけだから。
傷は幻視だよ。奴が消滅したと同時に学生の傷もなくなっている。皆無事、誰も死んでない。
第二に、なぜそんなことをしたのかは、君の中に在る「魔王」を顕現させられるかと思って、つついてみたんだ。
ここで言う「魔王」はとある「箱」を開けるための権利のようなものだと思って欲しい。
聞きたいことは多いだろうが、今はひとまず大人しく聞いて欲しい。
君が強い怒りを覚えれば、それは降りてくると思った。相対的でない絶対的な正しさを見定める、その真実の目を持つ君だから。君をテストしたんだ。
だがそれは失敗に終わった。今、君の中に魔王は居ない。──だが、いつ宿るとも分からない。だから、君に今動かれる訳にはいかない。
その「箱」も魔王も、いずれ必ず私たちには必要になる。今回授業中にこんなことをしたのはいささかバカをしたと思ったけどね。
幼女学長にも久しぶりに叱られたよ。もっと学生にかかる心的ストレスに関して考慮しろとね。
ごめんごめん。
だが実際誰も死んでない。
良い腕をもつ調律師の彼女もね。妻鹿さんだっけ。
それにしてもこれは良い魔剣だ。
鍵型の魔剣。十徳魔剣と言うそうだが、これがなきゃ君は今頃肉片だ。
君がありとあらゆる因果に引き裂かれそうになった時、肉体を留めたのはこの魔剣に能力を分散収納出来たからだね。
このリングに連なる七本の鍵。
それぞれに莫大な余剰エネルギーが蓄えられている。常に持ち歩くといい。暴発をしなくなる。
牧野だっけ。彼だけは自分に狂化系の魔剣を使ったせいでリアルの怪我してるけど、養護教諭さんが治したってさ。
なぜ君にこだわるのか?
再三言わせるなよ。その目だ。
よく言われる? だろうね。
別にそれは努力の産物でもなんでもない。賜り物なんだから、君を褒めたい訳じゃない。
私はね、責任を果たして欲しいと思っている。それだけだ。
大いなる力には大いなる責任が伴う。
はは。アメコミの読み過ぎかな。
だがね、それを承知で君はこの学園に居るんだろう?
なら、その「目」で誰が救えるのか、知りたいとは思わないか?
***
私が何を答えずとも一人で完結して喋り続けていた降神オリガだったが、最後の問いだけは、真剣な眼差しをしていた。
私の答えは決まっていた。
「しり、たい」
ボロボロの身体が、その言葉だけを絞り出した。降神オリガは笑った。
「それでいい」
その一言は、とても優しい言い方だった。
「ライザ辺りが準備をしていると思うが、もうじきに戦争が始まる」
やっぱり、それは起こってしまうのか。
「複数勢力が、ひとつのものを取り合い、殺し合う戦争」
「は、こ?」
言うと、彼女は頷いた。
私はその箱に覚えがあった。
「ア、ーク」
言うと、降神オリガは驚いて振り返ったが「龍王から聞いているか」と納得した。
聖櫃。それが何なのかは分からないけど、莫大な力があると聞いた。
「ただね、勘違いしちゃいけないのは、もうとっくに戦争なんて始まっているんだ。悪魔と人間のね。この戦争で、それが表側に露出するだけさ」
確かに、悪魔は人間界にもう何千年と侵攻を続けていると聞いた。
「聖櫃は戦争を引き起こすが、終わらせるためにもある」
「つかう、のは、おわらせる、ため?」
オリガ先生は否定も肯定もしない。
「どうなんだろうね。結局のところ、私はただ、本物が見たいだけなんだ」
──本物が見たい。
その答えだけはずっと見つけられないでいる。
「君の目はさ、姉さんに似ているんだ」
私を救った、あの剣聖に?
「幻想を押し付けるのは、良くないとは知っているんだけどね」
そう静かに笑った横顔はどこか寂しく、さっきまで見せていた狂気的な一面はなりを潜め、今はただ、肉親を亡くした女性のような、そんな脆さがみてとれた。
「かわり、には」
オリガ先生はこちらを見る。
「なれない、けど」
まっすぐ、見つめて──。
「ひとを、すく、いたい」
私はただ今言えることを言った。
すると彼女は笑った。朗らかに。
「そんなズタボロでよく言うよ。全く馬鹿だね。でも、君ならできるよ。きっと」
そう言って彼女が退くと、反対側にあるベッドに、イオリが眠っていた。
「右目は持ってかれたけど、王庭十二剣を手にしたね。魔眼のおまけ付きときた」
そうだ、私はレーヴァテインを。
「明日の朝から、授業とは別に特別メニューを組もう。魔王の器になったとき、君が死なないよう。或いは、戦争のさなかに君が守りたいものを守れるように」
「あいが、とう」
「無茶苦茶をしでかしたことを少し反省しているんだ。これくらい──」
「みん、なにも」
「え?」
「みんな、にも、とくべ──」
拍子抜けだという顔をしてから、ニヤッと笑った降神オリガは、私の唇にそっと指を置いた。
「最後まで言わなくていい。君は全員で強くなりたいんだな」
こくりと頷くと、意地悪な顔をする彼女。
「私の兵隊になるつもりはない?」
ふるふると首を振る。
「どこにも、はいらない」
花火大会の日、ライザ先輩の誘いを断った。そしてまた、彼女の誘いも断る。
「じゃあなぜ強くなりたいんだ?」
「──きょうかい、なき、きしだん」
「……ふふっ。そういうことか」
戦時中、誰の味方にもならず、決して民間人の死者が出ないように動く、きっとそういう戦争もある。
だったらば私はそうでありたい。
戦争に参戦する立場はもう決まっている。
境界なき騎士団。
きっとそれが、私が魔剣師として今できることだから。
「わかった。尊重するよ。だが、間違っても悪魔堕ちなんてしてくれるなよ?」
「もう、はんぶん、どらごん」
「ははははは。それもそうだったね」
「うけた」
「なら、もう魔法は解かなくちゃね」
そして降神オリガはレーヴァテイン受容の副作用でズタズタになった私の身体を治療しながら、気晴らしに世界の話をしてくれた。それが心地よくて、私は少しずつ微睡みの中に溶けて……──。
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