100 双刃と神様
その光景は、まるで今が授業中だとは思えなくなるほど、凄惨なものだった。
どさっ。
ヤギ頭の男が目の前で妻鹿モリコを抱きしめ殺した。彼女は力無く落ちて、私はただ叫ぶしか出来なかった。
周囲は焼け野原で、そこはもう実習場とは言えなかった。
「あれは、悪魔だ」
ヴァチカンでエクソシズムを修了したと言っている千原ロナンの言葉だ。
それに、あれが人間では無い、敵意のある何かしらであることなど、問うまでもない。
「……クラスは」
「一騎当千──超上級悪魔だ」
それも、諸王クラス。そうロナンは付け加える。
千原ロナンが体を借りている白銀の鱗を持つ破竜でさえ中級。その上である上級すら超えるとなれば、もうそこの位は王しかいない。
そして、ヤギの頭。
そんなの、十三獣王しかいないじゃないか──!
「竜に変わる人間様と、龍を宿した人間様ですか。はてさて、ヤギとは神であり供物。龍神様にはとてもとても及びませぬ」
「悪魔の身体で言葉を喋るのか」
「ええ、このような身ですが、一応、王をしておりますゆえ」
「なんで……こんなことをするの」
言葉が話せれば、意思の疎通がとれると期待してしまう。でも、相手が悪魔であることを忘れてはいけない。
「人間様は──果たして、他の個体を傷つけないでいることが出来ましょうか」
「それとなんの関係があるのよ」
「いやはや。我は人間様と対等でありたいのです。他の野蛮な十三獣王は人間様を低く見積りますが──我はあくまで、対等に、癒し合い、傷つけあう、そんな仲でありたいのです。だのに人間様は何故そこまで脆弱であらせられるのでしょうか。我の愛が、この人類愛がなぜ伝わらない? 抱きしめようとしたら細胞レベルで損傷してしまう、嗚呼、そんな所もまた愛しい──」
怖気がする。この悪魔は、人を殺すことを、ただのキュートアグレッション程度にしか考えていないのだ。
私は敵が積極的悪意を持たないのを確認すると、ロナンから飛び降りて、近くの牧野コウタのところへ走る。
牧野の息は浅い。だが、生きている。傷口には軽く焼いた痕──。
彼が弱々しく指を向ける先に、それはあった。
濃いバーガンディの魔剣がひと振り、地面に突き立てられている。
その色は覚えがある。寝起きの私の瞳をいつも覗き込んでくる、少女の瞳の色だ。
私は一瞬で、それが魔剣レーヴァテインであると、そして藤堂イオリその人であると理解した。
彼女は私に「彼女」を託すと言った。
魔剣は権利者以外の使用を認めない。果たしてその資格が私にあるのかは分からなかった。
でも、藤堂イオリは私に託した。
ならばそれに応じて、私も試されなければならない。
右手にはBlack Miseryを持つ。
両手でBlack Miseryを扱えるよう、左手での剣は練習した。
今はただ、集中だけをそそげばいい。
左手のガントレット越しに、バーガンディの魔剣の柄を握る。
──VIIIIIIIIIIIIIIIIIIIN。
「はがっあっ!!」
浅倉ッ! とロナンが叫ぶ声が聞こえたが、次にはもう何も聞こえない。鼓膜が破れたんだ。だが、静寂が集中を加速させた。藤堂イオリと、レーヴァテインという魔剣の人生の全てが、腕から雷撃のように──否、業火のように腕を走る。
ああ、皮膚が焼かれるみたいだ。本当に焼かれているのかもしれないけど、分からない。
そしてその業火が私の右側の瞳を包み、蒸発させる。眼球の水分から、水晶体、そして網膜、全てが蒸発し、新たに瞳に変わる業火がそこに熾火として残る。
──魔剣に右目を持っていかれた。
それが代償だった。王庭十二剣を持つものとしての代償。だけどその分、紅蓮に輝く右の魔眼は、魔力の流れを見せてくれた。あちら側を見通せる瞳。
私は激痛に臥せる身体を操られるように起こし、左腕の重いガントレットを持ち上げる。レーヴァテインをサッと「山羊座」の十三獣王に向ける。
「おやおや、その瞳は。本物を見ていた瞳が、真贋を見極められる程の審美眼になられた……。おお、諸王の王よ。かの瞳は、そなた様の瞳よりも余程、本物をうつし──」
「──本物とか偽物とか馬鹿馬鹿しい」
右の魔眼から猛る炎が心臓を通って左腕に充填される。
「ですが、それらがなければ如何にして聖櫃は傾くのです」
「知らない。でも、心を疎かにする者に、勝利を委ねる訳にはいかない──」
耳元で藤堂イオリが囁いた。詠唱の言葉を。
レーヴァテインとBlack Miseryを少しだけ触れ合わせ、山羊座に向ける。
一撃、撃滅。
「Lost Magic──To say Good bye is to die a little.」
SHINING──BRAAAAAAAAASH!!
山羊座の存在だけがその空間から消し飛ばされ──。
──そして世界は目を醒ます。
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