89 いこーよ
■SIDE:折紙アレン
ハッハッハッ──。
蝉の鳴き声は降神マユラとの訓練を思い出すから嫌いだ。
ジジジジジ──。
それを耳から遠ざけるように、第一訓練場のトラックをひたすら走る。
夏の日、何度も魔力の訓練をした。
それ自体は、変わらずいい思い出なんだ。ただ、失ったもののことを思うと、胸が痛くなる。
ハッハッハッ──。
日本では七年間失踪すると、死亡の申し立てができる。
降神家はマユラ姉さんを死亡扱いにして、カナンを養子にし、跡継ぎにするらしい。
降神家にとっては、マユラ姉さんは剣聖でありながらその任を全うしなかった出来損ないだという。
彼女がいなければ、あの日東京は無くなっていた。
そんな事実など、周知ではあるが、それよりも体裁の方が、我が家にとっては大事なんだ。
俺がアイツらを我が家と呼ぶのが正しいかは除いて──。
継承に関して、カナンはどうでも良いと思っているだろう。カナンは本当の意味で、何も考えていない。あいつは昔から、切れるものがあれば切った。天性の魔剣師だった。
だが俺はそうじゃないし、マユラ姉さんの二度目の死に際して、それがどうでもいいなどとは、思えない。……その日が近づくにつれ、苦しさは増した。
まるで、全ての人間が、マユラ姉さんのことを忘れたがっているみたいに思える。
だから、そんな現実が嫌で、俺はただ走ったり、勉強に視線を逸らすしかできない。
ハッハッハッ──PITA。
ふと足を止めて、服をまくって顔の汗を拭う。そちらを見ながら荒い息を落ち着かせる。視線の先に、見慣れた人がいた。
ベンチに座って、二本、スポーツドリンクを持っている。
俺はその人に、こんな馬鹿みたいな顔を見られたくなくて、もう一度軽く手で汗を拭った。
そして、その人に会いに行く。
──浅倉シオンはいつも、居て欲しい時にそこにいる。
「……?」
なんで、そんなふうに思ったのかは、分からなかった。
ただそう思って、言語化出来ないのが少しもどかしい。
「シオン」
「精が出るね。こんなに暑いのに」
「夏は運動と相場が決まってる」
「どんな相場なのさ……」
彼女が、んっと突き出したスポーツドリンクに甘えて、半分ほど飲み干した。
「カラカラなんじゃん」
「そうみたいだ。俺はやっぱりバカだな」
俺はほんとに、馬鹿だ──。
「そうかな」
すっとどこか遠くを見たシオン。
彼女の視界にはどんな世界が映るのだろうか。きっと俺とは違って、透き通っているんだろうな。
いつもなら、バカだねとからかってくる彼女が、今日は異を唱えた。
「まあ、アレンは勉強ダメだし、常識からちょっとズレてるのもバカっぽい」
やめろ、刺さる。
「でもさ、それが違うって気付いたらさ、ちゃんと直すじゃん。バカはバカでも、馬鹿じゃない。留まるだけの、馬鹿じゃないよ」
そうか。
「そうだな」
こういうことを、言ってくれる人なんだ。
だから、俺はシオンのことを──。
「だからまた、決闘しよう」
「……え?」
彼女は模擬魔剣を一振り投げて寄越す。
「どっちかがぶっ倒れるまで、炎天下デスマッチ」
「ん???」
何を言ってるんだ……? 馬鹿なのか?
「アレン悩んでる顔してた。勉強中も、今も。それを理由に、私逃げてたんだ。でも、逃げんなって親友に言われて、逃げないことにした」
浅倉シオンは変わってる。
「この勝負に勝った方がなんでも言うこときくの。この前と同じ」
普通の人とは違う。特別だ。
「でね」
何を考えているのか、何にもわからないのに、お前といると、なんでこんなにもほっとするんだろうな。
「私が勝ったら、花火いこーよ!」
つい油断して笑ってしまう。
「──ああ、面白い提案だな」
いつだって彼女は考えないことを許してはくれない。
ただ言葉で甘やかすんじゃなくて。
文字通り、身体に染み込ませてくる。
脳みそまで魔剣で出来たやつだ。
ほんと、特別だな。
「じゃあ、俺が勝ったら花火はなしで、その間ずっと勉強に付き合ってくれ。微積」
シオンは予想していなかった返しに、あたふたと動揺した。はは。変なやつだ。
「……そりゃ、負けらんねーっすね」
そんなことをおどけて言うシオンは、夏の日差しに焼かれて、汗を流した。
「あの模擬戦から数えて、第三回戦だね」
いつの間にか、ギャラリーとしてラタトスクの連中が、ワイワイガヤガヤ見に来ていた。
「そういえば、俺たちは引き分け続きだな」
「そーだよ。いい加減、決着つけないとね」
「入学式の日のこと覚えているか?」
「忘れるわけないじゃん」
「どっちが次の剣聖になるか、決めようか」
「でも今日重要なのは花火ですから」
「ははは。変なヤツ──」
ふたり離れて、魔剣を握る。
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