96 覗き見しているのはだあれ?
夕闇迫る空の中。残心という訳ではないけれど、ボクは【龍の咆哮】を放った姿勢のまま虚空を睨み据えていた。
……完全に気配もなくなっている。自身の存在を誇示するかのように少女悪魔はその気配を隠そうともしていなかった。これほど綺麗さっぱりなくなってしまったとなれば、完全に消滅させたと言い切ってしまえる。
フェルペに比べると言動も幼い印象を受けたし、戦いも力任せで拙かった。悪魔の生態は不明だが、まだまだ年若く未熟な個体だったのかもしれないね。
まあ、だからといって生かしてはおけなかったけれど。攫ってきた女性に対する仕打ちにに激怒していたのは騎士たちだけではなかったのですよ。
見上げれば一番星が名乗りを上げていた。眼下には黒々と樹林が広がっている。どうやら二人も無事にゴブリンどもを殲滅できたようだ。
まあ、正規の騎士なのだから当然か。巨大魔物撃退の追加要員として砦にも派遣されることもある訳で、冒険者の等級で言えば五等級以上の実力者だからねえ。一人だったとしても易々と倒しきっていたと思う。
「んう?」
不意に何者かからの視線を感じる。
いや、見られている訳ではないようだからこの例えは適切ではないね。探られている、とでも言うべきかしらん。
問題なのは完全に同一のものででありながら、それが眼下の至る所から飛んできていることだ。これでは樹林そのものがボクのことを観察しているようではないか。
「……え?うそ?もしかして本当にそういうことなの?」
ふと閃いたその説に、ボクは我がことながら戸惑ってしまう。
だって、それでは樹林に意識と意思が存在しているということになるではないですか!?
「いやいや、落ち着こうかボク。さすがにそれは飛躍がし過ぎてるってもんですよ。せめてその土地に根差した精霊的な何かくらいにしておこうよ」
確か樹林の中心地であるデイナ山にはそういう伝承があったはず。作中での登場自体はないものの『野薔薇姫物語』シリーズでもいくつかの作品でその旨が言及されていた。
「だけど、こっちの世界に顕現できてなおかつ居着いてしまうほどになると、自我がかなり強くなっているはずなのよね。同時に複数の場所に遍在するような真似はできなくなっているような……?」
正確には互いが同一存在として認識することで意識等の共有ができるとかなんとか?
しかし、全にして個のような自我の薄い精霊は基本的に未熟であり世界の壁を超える力がない。よって召喚でもされない限りこちらに現れることはできないのだ。
うーむ……。どれも正解にはあと一歩届いていないという感じよね。今すぐにでも排除!といった過激な行動に出る様子はないので、放置で構わないかな。ああ、でも一応釘だけは刺しておきましょうか。
「心配しなくても明日にはここから出ていくよ。だからさ、おかしなことを考えたりしないでね」
お山の頂上付近を睨みつけてやれば、たちどころにこちらを伺う気配は消えてしまったのだった。
「ふう。これでヨシ!……あ」
しまったー!女性の回復状況の分からないのに明日出て行くって言っちゃったー!?
ど、どうしよう?
麦がゆを食べているときも座っているのがやっとという調子だったから、立つのも難しいくらい弱ったままかもしれない。それに仮に歩けるようになっていたとしても、自力で抜けられるほど体力が回復してはいないだろう。
「それを相談するために慌てて帰ってきたと」
「い、いえす」
「デイナ山の精霊のことは私も聞いたことはありますが、ディナルの貴族による作り話だとばかりに思っていましたよ。本当にいたのですか」
恩恵があるのが当たり前の状態が長らく続いてしまっているのであれば、他国の人たちからは「俺たちの所には精霊様がいらっしゃるんだぜ、スゲーだろ!」とマウントを取るためのホラ話だと思われても不思議ではないか。
「いやあの、相談したいことは精霊についてではなくてですね?」
「エルネ殿、普通はそこが一番気になるところですよ」
「あれ?そうなの?」
「はい。眉唾で信憑性に欠けるものはともかく、精霊を見たとか感じたという正式な証言はディナル農耕国はおろか大王国時代にもありませんので」
「なんと!」
本当に民間伝承だけの存在だったとは。
ああ、でも、ディナル農耕国の王族となったカール家は、ロザルォド大王国の頃には有力貴族の一つでしかなかったのよね。確か侯爵位で現国土の大部分を所領としていたから十分に大貴族と言えたのだろうけれど、だからこそそれ以上の権力と求心力を持たせないようい精霊の存在を公には認めようとしなかったのかもしれない。
「ということは、ドコープ連合国としても過去に倣うことになるのかな?」
「報告をして終わりでしょう」
「そもそも他国の土地ですから、言いふらすようなものでもありません」
ドコープ側に何かメリットがあるならいざ知らず、それもないものねえ。それどころか、これを理由にますます見下してくることだろう。スルー一択となるのも当然か。
「話を戻すけど、明日出発できるかな?」
「そちらは問題ありませんよ。野外での活動に慣れていない女性の足では、この樹林を抜けるのは難しいだろうと話していたところです」
「座れるのであれば背負子を、それも無理なようであれば担架を作って運びましょう。幸い、材料には事欠きませんよ」
そう言って廃屋になりかけている小屋を指さす。
完全に放棄されているようだから、壁を引っぺがしても文句は言われないだろうね。
「彼女の体力はもつと思う?」
「エルネ殿の薬が効いてるようですし、今もしっかりと眠っていますから明日の朝には大分回復していると思います。何より樹林から出られる、助かると聞いて気持ちが前向きになっていますから、我らが運ぶのであれば十分もつでしょう」
その分移動速度は落ちるし、魔物の対処はボク一人ですることになってしまうけれど。まあ、そのくらいであれば問題ない。
「ところでエルネ殿、一つお聞きしておきたいことがあるのですが?」
「んう?なにかな?」
「空、飛んでましたよね?」
あー、戻ってきた時にはゴブリンの死体の後始末まで終わっていたくらいだものねえ。上を見る余裕くらいはあって当然かな。それとあの悪魔がことあるごとに叫んでいたからそれが聞こえたのもあるのかもしれない。
うん。二人ともすごく良い笑顔だね。
……これは誤魔化せそうにもないなあ。
〇エルネを探っていた者の正体とその方法
正体 … (本編中の予想通り)デイナ山の精霊
方法 … 眷属化させた複数のトレントやムービングツリーを通して。
デイナ山の精霊は周辺に住む人々を始め多くの崇拝や畏怖を受けて土地神のような存在にクラスチェンジしている。そのため樹林を含むこの一帯でのみ様々な力を振るうことができるようになっている。
ただし、豊穣をもたらす神という扱いなので人間種には極めて友好的。通行する人が激減しているのに街道がしっかりと残っているのもこのため。
あと、戦闘力は皆無。




