93 悪辣な監禁
彼女が落ち着きを取り戻したのはおよそ十分後のことで、そこから泣き止むまでには更に二十分以上が必要となった。幸いにも喉を痛めてはいなかったが、体力の消耗を懸念したボクたちは再度液状の体力回復薬を飲んでもらい、麦がゆを食べるのは様子を見てということになった。
それというのも彼女はここに監禁されて以降ほとんど食事をとっておらず、胃腸の機能も弱まっている可能性が高かったためだ。無理に食べても体が受け付けずに戻してしまっては余計に疲弊してしまう。
幸いにもドワーフの里から出発する際に餞別としてもらったから、体力を回復させる薬と傷を癒す薬ならばアイテムボックスにたんまりと入っている。最悪の場合はそれらでしのいでもらうとしよう。
「お見苦しい、ところを、お見せしました……」
「このような場所に捕らわれていたのですから仕方のないことです。どうぞお気になさらず」
かすれた声で言う彼女に寄り添い慰める二人の騎士。一人がそっと背後から支え、もう一人が柔和な笑みで話し相手となっている。ママンたちが見れば喜びそうな絵面です。
まあ、それもこれもボクを彼女の視界に入れないためなのだけれどね。
女性はかなり精神的に不安定になっていたようで、その後もたびたび泣き出すことになる。二人の優しい言葉に泣き、麦がゆの温かさと味わいに泣き、ようやく助かったのだと実感できて泣いていた。
監禁生活の過酷さは言葉の端々からも伺えた。どうやら犯人は度々ここを訪れていたようなのだが、その度に彼女を嬲るように虐げていたようだ。
断片的な情報をまとめてみると、そのやり方は陰湿で、人格の否定や人としての尊厳を汚すことを目的とするものであることが浮かび上がってきたのだった。
正直に言って気分が悪くなるレベルの外道っぷりだわ。それは騎士の二人も同じだったようで、いつブチ切れてもおかしくないほどに怒り狂っていた。彼女を怯えさせないように我慢していたけれど、怒気がにじみ出ていたからねえ。
逆に言うと、そんな至近距離での感情の揺らぎにすら気が付かないほど、女性の心は疲弊していた証明でもあった。
「……腐れ外道が!」
「腸が煮えくり返るとはこういうことを言うのですね。例えどんな事情があろうとも、この犯人だけは許すことができないでしょう!」
小屋の外に出た瞬間に、堰が切れたように毒づく。
日暮れ間近な時間となっていた上に背の高い木々に囲まれていることですっかり薄暗くなっていたが、それでもなお二人が憤怒の形相をしているのが見て取れた。
「はいはい、そのくらいにして。気持ちはとてもとてもよく分かるけど、音量を下げないとせっかく落ち着いて眠れた彼女を起こしちゃうよ」
ボクのことだって時間をかけたことでようやく眠る直前になって、「怖がらないでも大丈夫な人かもしれない?」程度には思ってくれるようになったのだから。
さすがにあれをやり直すのは辛い、というかキツイ。
「それにしても……、彼女の扱われ方は人質のそれじゃないよね?」
「はい。あれではまるで死んでも構わないとでも言うようなものですよ」
極端な言い方をするならば、人質とは身代金を始め何らかの目的を達成するための取引材料だ。だが、彼女の話の通りであればその扱いは粗雑が過ぎた。
もっとも、そういう扱われ方をされていると分かっていたから、救出を急いでいたとも考えられなくはないのだけれど。
「もしかして、犯人の独断だったのかな?」
「どういうことでしょう?」
「依頼もしくは指令は殺すことだった。だけど実行犯は女性に価値を見出して誘拐することにした、とか?」
金髪碧眼という外見的特徴に加えて、王宮の文官という社会的地位もある。高位貴族家に縁があることは間違いないだろう。
「彼女は実家に食い込むための足掛かり、という訳ですか」
「ですが、それならばもっと丁重に扱うのではありませんか?このように虐待していたことが知られてしまえば、かえって逆効果になってい舞うと思うのですが?」
「心身を衰弱させて徹底的に上下関係を叩き込んで、逆らえなくするつもりだったんじゃないかな。人って極限状態になると何かに依存しようとするらしいよ」
貴族女性としてはあり得ないほどに彼らとの距離が近かったのも、そのせいと言えるのかもしれない。
まあ、あくまでも推測だけれどね。
「ともかく、あの人の調子が良くなり次第ここから離れるべきだろうね」
「ええ。彼女の話によれば犯人は最低でも数日おきにはここへやって来ていたようですから」
「この樹林をたった一人で難なく行き来できるほどの強者ですか……。にわかには信じ難いですが鉢合わせないに越したことはないでしょう」
そんな調子でボクたちの方針は決まったのだけれど……。いや、どこにでも空気の読めないやつはいるものなのだね。
「んうっ!?」
不意に気色の悪い気配を感じ取り、ゾワリと背筋が震えて肌が粟立っていく。
この感覚!?似たようなものに覚えがある。……ドラゴンの生誕の地で戦ったフェルペ。つまりは悪魔だ!
「気を付けて!やばいのが近づいてきてる!」
ボクの変化に戸惑いつつも二人は小屋の中に置いていた剣を取りに走る。下手に聞き返したりはせずにすぐさま最適な行動に移れるのは高評価だ。
ただ、相手が悪魔となると彼らでは手も足も出ないかもしれない。
「あれあれ?チビどもじゃない?なんだよ、せっかくちょうどいいのを見繕ってきたのにさ」
じりじりと近付いてくる気配を睨みつけることしばらく。何かを引きずるようにして現れたそいつの第一声がそれだった。
外見は体格顔つきともに十代前半のヒューマン少女を思わせるものだが、フェルペと同じく病的なまでに肌が白い。更に身にまとっているのは情婦のような真っ赤で薄いドレス風の衣装とちぐはぐ感が否めない。
このどこか世間ズレしたような感じ、悪魔に間違いない!
「お前たちは何?たまたま運悪く道に迷った訳じゃないよね?……って鬱陶しいな。もうすぐ放してやるから大人しくしてろ!」
握っていた鎖だろうか?ジャラジャラと鳴り始めたそれをぐいっと引っ張ったことで、引きずられていたものが薄明りの元に晒される。
「ゴブリンだと!?」
濃緑色の肌にヒューマンの子どもほどしかない小柄な体格。『胎借り』の種族特性を持つことからオークと並んで忌み嫌われている人型の魔物、ゴブリンが鎖に繋がれていたのだった。




