92 まさか裏目に
さて、無事が確認できたことで次なる疑問が湧いてくる。
そう、彼女の恰好です。
「なにゆえ男物の服を?」
代わりがなかったから仕方がなく、といった感じではないね。だって、緩められているとはいえネクタイまでしているもの。捕まっていたのが女性であるにも関わらず、騎士の二人に近付いてくるよう促したのはこのためでもあった。
「……む?これは?」
「どうした?……いや、まさか?」
突然二人が慌て始める。どうしたのかと思えば、フロックコートの襟付近を凝視していた。
「エルネ殿、彼女のコートの襟に模様が描かれているのが分かりますか?簡略化されておりますが、それはディナル農耕国の紋章です。彼の国ではこうした簡略化した紋章を用いて所属を表していまして、これは確か……、王宮で働く者、主に文官たちに与えられるものだったと記憶しています」
言われてみれば礼装っぽいし制服のようなものなのかも?
「つまり彼女は王宮で働く文官?でも女性だよね?」
「珍しくはありますが、大王国時代から優秀な女性が政務に携わっていたという事例は随所に残されています。彼女はその、貴族のようでもありますから特例的に認められていたのではないでしょうか」
「なるほど。ちなみに、性別を隠していた可能性はあるかな?」
「いえ、さすがにそれは無理でしょう。最悪国に対する背信とも取られかねませんから、例え本人が乗り気でも周囲が止めていたはずです」
国に対する背信イコール一族郎党処刑だから、止めない方がどうかしているという話だった。
「ところで二人とも、彼女のお顔に見覚えがあったりはしませんか?」
「……いえ」
「申し訳ありませんが私も……」
残念。金髪碧眼と貴族の特徴を持った女性だったから、あわよくばあっさり身元解明といくかと期待したのだがダメでしたか。細かいことは彼女が目覚めるまでお預けとなったのだった。
その間に小屋やその周囲を調査してみたところ、魔物が近寄ってこない一種の安全地帯であることが判明した。
「まあ、小屋が壊されずに残っているのだから納得よね」
「魔物避けとなる何かが封じられているのか、それとも魔物が嫌う何かがあるのか?」
「樹林の中の拠点としてはちょうどいいと思って整備したんだろうね。ただ、ここまで労力には見合わなかったのかな」
「表層部はまだしも、奥はかなりの魔物がひしめき合っているようでしたから」
多分、至るところにトレントやムービングツリーの群生地があるのだと思う。やつらは普段は身動きもせずに普通の樹木に擬態しているのだが、何らかの拍子に一体でも傷つけられると群れ全体が襲い掛かってくるという罠じみた生態をしているのだ。
故意かどうかも関係ないから、例えばロングアームなど他の魔物と戦っている最中に流れ弾的に傷つけてしまっても迎撃スイッチが入ってしまうこともあるのだという。
「いずれにしても、安全が確保されているのはありがたいね。主に寝ずの番をしないですむという点で!」
「同感です!」
「夜半の警戒任務は辛いですから」
土地勘も何もない場所だから心配事が一つでも減ればそれだけで随分と気が楽になる。それが生命の危機に直結するものとなればなおさらだった。
そんな訳で落ち着いてきたら空腹を感じるようになった。
「彼女も体力を回復させるために滋養の良いものが必要だろうし、久しぶりになにか作ろうかな」
森歩きに慣れているらしい二人に山菜等追加の食材集めをしてもらっている間に、土間の隅に魔法で竈をこしらえていく。料理自体は侍女さんたちが行ってくれていたのだけれど、こうした準備は手伝っていたから慣れたものだ。
鍋をかけてお湯を沸かす一方で、以前狩ったボアローボアのお肉を取り出して薄切りにしておく。お湯が沸いたらサッとくぐらせるようにして、余分な脂と灰汁を取り除く。
一旦汚れたお湯を捨てて軽く鍋を洗い、再度水を入れて竈へ戻す。お肉数枚を刻みハーブ類と一緒に投入して、更に粉にしていない粒状の麦をさらさらさらー。あとは焦げ付かないよう混ぜ混ぜしていれば麦がゆの出来上がり。
分量は適当でもなんとかなるし、味付けも塩を足せばそれぞれの好みに合わせられるので野外活動では割とおすすめだね。
さて、彼女はまだ目覚めていないので、騎士の二人を呼んで先に食べてしまう。
「まさかこんな場所で温かいものが食べられるとは」
「本当にありがたいですな」
屋外での活動中はどうしても食事に制限が出てくるからね。温かいだけでご馳走なのです。
「う、ううん……」
おや、ちょうどお姫様もお目覚めかな?匂いに釣られたとか言っちゃダメよ。
男性の騎士二人を遠ざけて、ボク一人で近づく。同姓の方が安心するだろうというごく一般的な配慮だったのだが、まさかこれが大きなミスだったとは。
「大丈夫?どこか痛いところはないかな?」
「……ひっ!い、いやああああああああああああああ!!」
努めて優しい声音で尋ねたのだが、返ってきたのは拒否の大絶叫だった。暴れ出しそうな気配を感じてすぐさま背後に周り羽交い絞めにする。
「ああああああああああああああああああああああああ!!」
「二人ともこっちに!なんだか分からないけどボクを怖がっているみたいだから交代して!」
「はっ!」
「了解です!」
ギリギリセーフ、とは言い難いなあ……。暴れて自傷するのは防げたけれど、これだけ大声で叫んでいたら、せっかく回復した体力をすぐに消耗してしまうよ。
「エルネ殿、あとは任せてください」
「錯乱した者を落ち着かせた経験もありますので」
なんで?
まあ、今はその経験だけが頼りなのだが。
「お願い。ボクは離れて薬とか食事の用意をしてるよ」
二人に女性を託して急いで距離を取る。小屋の外にまで出ておくべきかとも思ったのだが、上手くボクがいる方は見えないようにブロックしてくれていた。
そうして根気よく「安心しなさい」「もう大丈夫だ」と宥め続けたことで、徐々に叫ぶ声は小さくなっていき、やがてすすり泣きへと変わっていったのだった。
とはいえ、そろそろ平気だろうと勝手に判断して近付いては元の木阿弥になるかもしれない。歯がゆく感じないではないけれど、受け入れてくれるまで待つ外ないだろう。
それにしても正体をなくすほどに錯乱するだなんて。どれだけ辛い目にあったのか。心が痛むよ。




