88 出発、できない……
近くを見回ってみたところ、男以外にも数人分の死体が転がっていた。全員ピグミーだからボクたちを捕縛しようとした連中の仲間、あの時こっそり森の奥側に展開しようとしていた者たちだろう。中には運悪くロングアームどもに囲まれたのか、損壊が大きな遺体もあった。
後で埋葬が必要だなと考えながら、とりあえず遺品――要は死んだという証拠だわね――になりそうな物を一つずつそれぞれから集めておこうか。
そうして街道へと戻ってみれば、こちらの戦いも既に終わっていた。縄でぐるぐる巻きにされているピグミーの男たちが三人に、事切れてしまっている遺体が二つ。訓練の成果が出たのかかすり傷程度の人はいたようだが、騎士の側に重篤な怪我人はいないようだ。とりあえずは一安心といったところかな。
「エルネ殿!ご無事で何よりです」
厳しい顔つきのまま近づいてくる隊長に手を挙げて応える。
「うん。この通り怪我もなし。皆も大丈夫そうだね」
「殿下方をお守りしているとはいえ、こちらは人数差もありましたので。最初こそ小柄な体と俊敏な動きに手間取りましたが、目が慣れてしまえばどうということはありませんでした。ところで魔物の方は?」
「腕の長い猿の姿をしていたから、ロングアームで間違いないと思う。三体倒して後は追い払ったよ。あとはそいつらの仲間っぽい死体が四つだね」
軽くだけれど森の中での戦いについて説明しておく。
「上手くやつらが囮の役割を担ってくれたということですか。なんというか不幸中の幸いといった感じですね……」
「まったくだよ。あ、遺品になりそうな物を持ってきたからあいつらに見せて確認させて」
「分かりました。他に生き残った者がいないかも含めて聞き出すことにしましょう。……おい!」
隊長が読んだ騎士の一人に遺品を渡す。どうやらこれから尋問が始まるようだ。
「アルスタイン様とシュネージュル様の様子はどう?」
「戦闘前にエルネ殿が声をかけてくれたこともあってか落ち着いていますよ。今はもしもの場合に備えて交渉担当官殿も同じ馬車に乗ってもらっています」
実務レベルでの話し合いはほとんど交渉担当官に一任されているようなものだからね。それだけの能力と胆力の持ち主だから、彼が一緒なら上手く気を逸らせてくれていそうだ。
「それじゃあ何人か貸してもらえる?早めにロングアームの解体とあいつらの仲間の死体を埋葬をしておかないとね」
傷を負ったロングアームを追い払ったことで血の匂いは拡散しているだろうが、新たな魔物が近づいてくる確率がなくなった訳ではないからね。処理できることは素早く行っておかないと。
そして借り受けた三人の騎士と一緒に後始末を終えて戻ってきた時には、一通りの尋問も終わったのか出発の準備が進められていた。主に車体に異常がないかの確認と、襲撃と戦闘でショックを受けているかもしれない馬たちのケアだね。
ボクもこの旅でずっとお世話になっている『ダヴァン』号の様子を見ることにする。さっきは網の中に残してしまったから、情緒不安定になっていてもおかしくはない。
「よしよし。怖がって……、はいないみたいだね」
撫でても特に反応を示すことなく、気を遣って騎士の誰かがあげてくれたのだろう飼葉をもっちゃもっちゃ食べ続けている。相変わらずマイペースな子だわ。
思えば最初の顔合わせというか馬選びの時からこんな調子だった。他の子たちはボクが乗馬初心者だからなのか、それともドラゴンの圧的なものを感じ取っていたのかどこか緊張気味だったのだけれど、ダヴァン号だけはぽややんとした顔のままだったのだよねえ。
「お前、将来は大物になるかもね」
苦笑しながら言うボクの言葉が聞こえているのかいないのか、ダヴァン号は我関せずな調子で飼葉がなくなるまで食べ続けたのだった。
「貴様ら!自分たちの立場が分かっているのか!」
不意に響く騎士の怒声。ビックリした……。思わずビクンチョ!と肩が跳ねてしまったよ。ダヴァン号?半眼で眠そうな顔をしていますが何か?
さて、なにが起こったのやら?さすがに気になったのかアルスタイン君が馬車の窓を開けている。
「ボクが見てくるから窓は閉めておいて。今はまだ下手に君たちの顔を知られない方がいいから」
「師匠……。分かった、りました。お願いします」
「減点一です」
「ぐはっ……」
閉じた窓越しに笑い声が聞こえてくる。シュネージュルちゃんたちを笑顔にさせるとは彼もなかなかやるね。まあ、言い間違えたのは素だったけれど。
さてさて、騒ぎの元になっているのは……、やはり捕らえられた連中か。
縛られて地面に座らされているが悪びれた様子は一切なく、それどころか逆に揃いも揃って三人ともがニヤニアニアニタと不快な笑みを張り付けている。その正面には怒り心頭になった騎士たちが立っていて、今にも剣を抜き放ちそうだ。
「はいはい、どしたの?」
「え、エルネ殿!?」
ニョキっと生えてくるように斜め下からの登場です。よしよし、驚いたことで場の空気もリセットできたようだね。
「実はこいつら、こんなものを持っていまして」
と見せてくれたのは方位を知るための道具のようなものだった。
「んう?これって北とか南が分かる道具じゃないの?」
「おお、『方位芯』をご存じでしたか。ですが、これは少し異なるようなのです。方位芯は中の針が常に北を指すのですが、こちらは全く違う方角を向いています」
言われて見直してみれば、お日様の位置――木の影で確認した――から察したおおよその北と針の向きが全く異なっていることに気が付く。
余談ですが、騎士の人がちょっと驚いている様子だったのは方位芯がほとんど出回っていないためだ。まず需要がない。この世界では大半の人が生まれ育った場所から移動するという機会がほとんどないからだ。更に街や村同士は基本的に道で繋がっているので、方角が分からなくなって困るような状況に陥ることは普通ない。
あと、先ほどのボクのように日中なら太陽の、夜なら月や星の位置でだいたいの方角は知ることができるからねえ。そのため必須アイテム扱いされていたのは、東の内海を行き来しているという船乗りたちか、南の砂漠越えをしている商隊くらいなものと言われていたのでした。
加えてお値段の方がね……。ズバリぶっちゃけますとかなりお高いのだ。なんでも珍しい魔物の素材が必要になるそうで、最低でもソードテイルレオの尻尾剣一本分くらいの値がついているとのこと。
なお、珍しい物好きなコレクター向けの豪華な装飾を施した物ともなれば、更に桁が二つほど跳ね上がるそうですわよ奥様。あらー、うちの宿六の稼ぎじゃ死ぬまで働かせても無理だわー。
そんな小ネタが脳内で繰り広げられるくらいに一般人には縁遠い代物ということなのです。
〇方位芯
誤字じゃないです。造語です。
いわゆる方位磁針のようなものです。




