85 難所を迎える
ディナル農耕国に入ってから四日目。既に王都シャルルまでの道のりのおよそ三分の一を消化していた。
普段ならばそろそろ疲れや慣れから油断が生じてきてしまいそうなものなのだが、今回に限ってはそれはあり得ない。
なぜなら、今回の旅において最も危険だと考えられている場所に近付きつつあったからだ。
デイナ山とその裾野一帯に広がるナルノ樹林は王国随一の水源地であり、国の名の由来にもなっている重要な地域だ。ここから流れ出した複数の河川と大王国時代に築かれた水道によって、ディナル農耕国全土が潤っていると言っても過言ではないらしい。
そんな場所だからなのか古くからナルノ樹林の開拓は禁じられており、今日では唯一ほぼ手つかずの大自然が残されているのだ。そして自然のままということは魔物が多く生息しているということと同義でもある。
ちなみに完全に手つかずではない理由、それは外延部をかすめるようにして一本の道が通っているためだ。『ナルノの道』という正式名称は有れど、迂回路ができて以降は通る人が少なくなっており、今では『南方旧街道』という俗称で呼ばれることがほとんどとなっていた。
ボクたちはその道を通り、今まさに樹林の外延部へと足を踏み入れようとしていた。
さて、どうしてそんな危ない道をわざわざ通っているのか?
理由その一、思わず悪態を吐いてしまいたくなるほどに、迂回路が大回りなこと。どれくらいの大回りかと言うと、地図を見せてもらった瞬間思わず「あほかーーーー!」と叫んでしまったくらいだ。日程的にもおおよそ倍になるとあっては、いくら安全だと言われても選び難いものがあった。
理由その二、民の扱いが悪い貴族領をいくつも通り抜ける必要があること。先にも話題に上った民草を消耗品のように扱っている領地だ。反面教師にするとしても改善させるにしても、いずれはしっかりと目を向ける必要が出てくるかもしれないが、現時点でアルスタイン君やシュネージュルちゃんに見せるのは酷だと判断されたらしい。
理由その三、本当に安全なのか疑わしいこと。こちらも話題に上ったが、酷使された民草が逃げ出し野盗化しており治安が急激に悪化しているのだ。
しかも領主は悪徳貴族だ。盗賊を撃退しても「迷惑をかけてごめんなさい」と謝罪するどころか、逆に「我が領の人間を殺しやがって!賠償金を支払え!」と言い出しかねないという。
以上の理由から、危険な個所が一つだけの南方旧街道を通る方がマシ!となったのでした。
樹林手前の休息所で車座になり、全員で隊列等の最終確認を行う。こういうことは役割道の徒か言わずに全員で共有しておく方が、いざという時に動きやすくなるからね。
「生息している魔物はフォレストウルフとボアローボアに腕延び猿、他にはムービングツリーやトレントもいるし、ニェコヴァスとかいう化け物山猫も目撃情報もあるんだっけ。それに加えてゴブリンやオークが集落が作っていてもおかしくはないと……。多いね!?」
なお、どこにでもいると言われるスライムやホーンラビット、ビッグウスといった小型の魔物も当然のように生息しているそうです。
「特に危険なのはいつの間にか接近しているというムービングツリーやトレントだと言われています。とはいえ、これらの魔物は地元の猟師たちが奥地で出会ったという話ですので、一応頭に置いておく程度で問題ないかと」
これまでにドコープの使節団が接敵した経験があるのはフォレストウルフにボアローボア、そしてロングアームの三種だけなのだとか。あ、スライムとかは馬で跳ね飛ばして終了となるので除外してます。
余談だが、ニェコヴァスは見かけると幸運が訪れるだとか逆に不幸の前兆だとか色々言われていて、謎な存在扱いとなっているとのこと。一体どんな魔物なんだ……?
「樹林内を通り抜けるのにかかる時間は徒歩でおよそ一日と言われております。これまでの移動ペースを考えると、我々であれば昼過ぎの明るい時間帯に抜けることができると考えております」
ただし昼食は抜きとなる。今休息を取っているのは、お昼ご飯代わりの軽食をお腹に入れておくためでもあるのだ。
「もしも魔物に囲まれてしまった時には、前方に展開する一斑が道を切り開いた後に足止めに徹します。二班は側面及び後方に展開したまま背後からの攻撃に備えつつ殿下方を逃がすことを最優先に行動すること。エルネ殿には申し訳ありませんが、先導をよろしくお願いいたします」
「了解。樹林を抜けて安全が確認でき次第戻って来るから、危険な相手であれば時間稼ぎに徹していてね」
と、ここでボクが予定にはなかった提案をする。
「い、いえ、しかしそれは……」
「騎士の矜持とかがあるのだろうけど、今回に限っては忘れて。例えどんなに無様だと思われようとも生き残ることを一番に考えなさい。アルスタイン様とシュネージュル様の外交デビューを台無しにしたくないらならね」
自分たちを守って騎士が死んだとなれば、二人にどんな心の傷が残るか分かったものじゃないよ。
「それにボクたちが向かっているのは権力に溺れた腹黒共が跳梁跋扈する異国の王宮だよ。まさかあなたたちはそんな場所に成人前のお二人だけを放り込むつもり?」
「う……」
「最も危険な場所がどこなのかを考えて。あなたたちの力が本当に必要とされる場所はどこ?」
例の寵姫を直接見ることができるよう手を打ってくれているはずだけれど、平民のボクは用がすみ次第城から放り出される可能性が高いのだ。「素性の分からぬ者をいつまでも置いてはおけない」という具合にね。まあ、国によっては定住しない冒険者を流民扱いするところもあるようからねえ。
ともかく、そうなればアルスタイン君とシュネージュルちゃんを守ることができるのは、騎士たちだけということになるのだ。
「隊長、エルネ殿のおっしゃる通りです。騎士の面子を建前に殿下方を残して死ぬなど、本末転倒というものです」
「……承知しました。どのような事態になろうとも命を粗末にするようなことはしないと誓いましょう」
副隊長の後押しもあって、隊長も折れてくれたようだ。
張り詰めていた空気が緩んだことで、子どもたちがホッと安堵している。うんうん。二人のトラウマ化回避のためにも、全員無事にドコープ連合国に帰らないとね。
〇騎士の隊長と副隊長
隊長 … 将来が有望視されている若手の一人。ガルデン領出身。
副隊長 … 体力は落ちてきたが経験豊富な初老の騎士。レドス領出身。
実は今回の旅では若手の育成という裏目的があり、侍女たちも同じような人員配置となっている。
四家の当主たちが揃って「エルネ嬢がいるから大抵の事態はなんとかなる!」と判断したため。当人が知れば「信頼度が高過ぎて辛い……」とこぼしたことだろう。




