33 エルネの覚悟
前話に引き続き流血表現があります。
苦手な方はご注意ください。
左腕の引っ掻き傷から血が流れていく。そっと腕を傾けてやればポタリポタリとコップの中へと滴り落ちていった。
「お、お嬢……。いきなりなにを……」
「なにって、血を取っているんだよ。皆また忘れているみたいだけど、ボクだってドラゴンだからね。これなら触媒に使えるでしょ」
これぞ究極の血産血消!……色々と何かが違う?あれ?
「す、すぐに手当てを!?」
「ストップ!まだ足りない。止血はもう少ししてからね」
「何を悠長なことを!?」
慌てる弟子さんたちをなだめながらコップの中に赤い液体がたまっていくのを待つ。痛いし血が流れ出ていくのは気分のいいものじゃない。でも、我慢がまん。
「……どうしてそこまでする?少しくらい妥協すれば触媒になる物なんて他にもあるんだぞ?」
問いかけるターホルさんの瞳は真っ直ぐにボクを見据えていて、まるでその真意を見抜こうとしているかのようだ。これは生半可な答えでは満足してくれなさそうだね。
「正直に言うとね、はぐれドラゴンたちを叩きのめした後は、ちょっぴり調子に乗っていたんだよね」
十一体もの数だったからね。あいつらが油断していたとはいえ、今から思えば出来過ぎだったよ。「世界で最強の一角であるドラゴンを難なく倒せるボクってば最強じゃない?」なんて勘違いしかけても仕方がないという話でございますですよ。
「でもね、悪魔は一味も二味も違った。フェルペの猛毒はドラゴンの強靭ささえ上回っていたんだ」
あの時感じた悪寒は命の危険を察知したためで、間違いなく恐怖からくるものだった。対応できたのは彼女が直接戦闘を得意としていなかったから、これが大きい。
それでも攻めあぐねていたのは事実で、だからこそ煽って怒りに我を忘れさせようとしたのだ。そう考えるとこちらの手の内の一つを見せてしまった訳で、返す返すも逃げられたのは大失敗だったなあ。
「ボクだけじゃ届かないんだ。だからね、どんな相手が邪魔立てしてきても、どんなやつらが立ち塞がったとしても、ボクの想いと願いを貫くための武器が欲しい。そこに妥協なんてしていられないよ!」
つまるところ、全てはボク自身のためでしかない。さてさて、この回答は彼のお眼鏡にかなったかな?それとも幻滅させた?
「ちっ。そこまで覚悟を決められていちゃあ、何も言えねえぜ」
「うえっ!?」
「お、親方!?」
「お前らもいい加減に腹を決めろ!……最高の素材が手に入るんだ。量が確保でき次第すぐに始めるからな!炉の準備をしろ!それと、お嬢の傷を治す薬も用意しておけ!」
「は、はいっ!!!」
ターホルさんが指示を出すと弾かれたように弟子たちが動き出す。その動きは機敏そのもので、ついさっきまであたふたしていたとは思えないくらいだ。さすが現役で一番の職人が切り盛りしている工房だけのことはあるね。
「ふう。「大義も何もないのか!?」って怒られるかと冷や冷やしちゃったよ」
「ぬかせ。俺だってそんなものに興味はねえよ。……まったく、それだけ血を流しておいてよくそれだけの減らず口が叩けるもんだぜ」
それはまあ、お母さんの影響だろうねえ。
おや?頬を膨らませて拗ねているママンのお顔が見える?そこに通りがかったお母さんが勝ち誇った笑みを浮かべて……。やめて。それ以上煽らないで。あー、あー。人化を解いてドラゴンに戻ったママンとお母さんの追いかけっこが始まっちゃったよ。
……うん。割と血を流し過ぎているのかもしれないね。
「ねえ、ターホルさん」
「なんでえ?」
「……死なないでね」
髭もじゃおじさん、目を見開くの巻。直後に「しまった!?」という顔になったけれどもう遅いよ。
ああ、やっぱり魂を削ような命懸けの作業になるのだね。
「かまをかけやがったのか?」
「失敬な。本心ですよ。まあ、確認の意味もあったけどね」
「いつだ?なぜ気付いた?」
「昨日の夜。いくらスランプで鬱憤がたまっていたからって、ドワーフが酒に酔い潰れるだなんて、どう考えてもおかしいでしょ」
理由は恐らくあの巨大剣だろうね。雛形とはいえ、文字通り全身全霊をかけて槌を振るった結果、ごっそりと体力を持っていかれたのだろう。
幸か不幸か昨日の一件でしっかりと睡眠が取れたのか調子の方は回復していたようだけれど、今度の対象はそれ以上の難物だ。体力どころか生命力を注ぎ込むことになっても不思議ではない。
「まさか、俺たちが命を懸けるからそんな無茶をしたのか!?」
「ふふん。皆にばっかりいい格好はさせないから」
「おまっ!?この大バカ――」
「炉の準備ができましたぜ!」
「親方!薬持ってきました」
ターホルさんが怒鳴ろうとしたちょうどそのとき、弟子たちが戻ってくる。
「ナイスタイミング。ちょうど血もいい感じにたまったところだよ」
ススッとコップを差し出し、持ってきてくれた液状薬をパシャリと傷口にかける。なかなか質の良いものだったようで、引っ掻き傷は見る見るうちに塞がってしまった。
「ちっ!お嬢、終わったら説教だからな!」
「はいはい。しっかり覚えておくから、頑張ってねー」
これくらいで彼らの命に楔が打ち込めるのであれば安いものだ。ヘロヘロと力なく手を振って鍛冶場に向かう職人たちを見送った。
「……はふう。きっつ」
扉が閉じられその背中が完全に見えなくなったところでぐったりと椅子に背を預ける。傷口は癒せても失った血はすぐには戻らない。さすがに大ジョッキ並みのコップに一杯はやり過ぎだったか。
ドワーフの工房だものね。しかも職人ばかりの所帯なのだ。炉の近くで肉体労働となれば水を飲むのも大きなコップになるのは当たり前のことだったよ。
「はひー。ふらふらするう……」
ぽてっとテーブルに突っ伏せば、ムギュッとお胸様がつぶれてクッションになってくれる。あはは。今度はママンが勝ち誇って、お母さんが「ぐぬぬ……」と悔しそうにしているよ。
……今のボクって割と重症かもしれない。
まあ、ボクにできることはこれでやり尽くしたからね。あとはターホルさんに全て任せるしかない。
しばらくはここでダラダラさせてもらおうかな、とか思っていたところに妙な気配を感じた。
「うぬう……。一体なんなのさあ……」
今一体に力が入らないこともあって不機嫌丸出しで呟く。……しんどいながらも意識を集中してみれば、なにやら街全体がざわついているようで?
「もしかして放置していると、ターホルさんたちの邪魔になっちゃう?」
得てしてこういう嫌な予感というものは的中してしまうものだ。血が足りずに重たい身体を起き上がらせると、ボクは街の入り口側へ向かって歩き出したのだった。
〇エルネの想いと願い
× 悪魔を倒して平和を勝ち取る!
〇 自由に大陸中を巡って、面白いことや美味しいものを見つけたい!
降りかかる火の粉は払いますが、率先して悪魔を倒すつもりもなければ、世の中の不正をただすつもりもない。というのが現時点での彼女のスタンスです。




