108 目指せ、沿岸海洋交易
大陸の各所に魔物がはびこっているのだから、当然のように海にも多くの魔物が潜んでいる。大陸東方に広がるセトゥラ内海では、何十、何百メートルにも連なる長大な海蛇らしき影が目撃されていたり、角を持つ巨大な魚によって大型の船が丸のみにされたこともあるそうだ。
このように魔物の脅威が確かに存在している一方で、それらの事例が報告されているのは陸から大きく離れた場所でのことばかりだったりする。
……陸から遠く離れた場所で丸のみにされたのに、どうして目撃情報があるのか?というツッコミはなしの方向でお願いします。
話を戻すと、意外にも沿岸部ではそれほど魔物の被害は起きていなかったりするのだ。実際に都市国家群のとある国は沿岸貿易によって巨万の富を得ているそうだ。まあ、比較的小型の魔物は生息しているので、絶対に安全とは言い難いようだけれどね。
この沿岸部は比較的安全という点は、内海以外にも該当している。ディナル農耕国でも海沿いにいくつもの小さな漁村があり、そこで捕れた小魚は干物にされて国内だけでなく西方諸国に広く流通しているのだ。
が、従来はここまでにとどまっていて、大型の船による輸送や交易は行われていなかった。
なぜか?海そのものが強大な敵として立ちはだかっていたためだ。穏やかなセトゥラ内海とは異なり、外界は波も高く潮流も激しい。加えて大陸西岸には岩礁や暗礁も多くあり、船が大型になるほど沿岸から離れなくてはいけなくなっていたのだ。
そして岸から離れれば離れるほどに魔物に襲われる危険性が高くなり……、ということで海の活用はとても限定的なものとなっていたはずだった。
しかし、数日前のことだ。許可を得てシャルルの街に繰り出した侍女たち数名の護衛として同行していた騎士の一人が、眼下に広がる海上に変わったものを見つけてしまった。丘に沿って作られたシャルルの街は、北と西の各所から雄大な海が一望できるようになっているのだ。
騎士が見つけたもの、それは馬車数台分もの大きさになろうという船が、文字通り縦横無尽に動き回っている様子だった。
「他国の人間から見える場所で重要な実験を行うべきじゃなかったね」
「なんてこと……」
話を聞き込み上げてくる頭痛をこらえるように頭を抱える王太后様です。多分、悪魔が寵姫に化けて王を傀儡にしていたことで、相互の連絡と意思の疎通ができなくなっていたのだろう。
「かなりの速度が出せるようだし、岩礁地帯を迂回する時間を大幅に減らせそうだね」
迂回で大陸沿岸から離れる時間が少なくなれば、それだけ魔物に襲われる危険が減ることになる。「うぐっ……」と言葉にならない悲鳴が漏れる。当たりだったようだね。さしもの王太后様も立て続けの秘密漏洩に取り繕う余裕がなくなっているみたいだ。
「ですが、どうして今わたくしにそのことを話したのですか?使い方次第では我が国に対してとても強力なカードとなったはずです」
「その計画に一枚噛まさせて欲しいから、だそうだよ」
ドコープ連合国にも一部海岸があるのだが、こちらも小さな漁村が二、三あるばかりの貧困地域なのだそうだ。もしも大規模な海上輸送が可能となれば、新たな交易拠点として繁栄するかもしれない。更に新たな交易路ができれば国全体が活性化するかもしれないのだ。
「寄港地が増えればその分船旅の安全は増していくもの。改めて話し合いの機会を設けたいとお伝えください」
「はいはい。伝言承ったよ」
「……それにしても、あの実験のことを聞いただけで大型船での交易を目指していることまで見抜かれてしまうとは」
「ああ、他の皆は小舟で岩礁を抜ける新技術とその習熟訓練だと思っていたみたいだったね」
それを聞いて彼女は眉をひそめる。
「なぜエルネ殿はそう考えなかったのでしょう?」
「え?だって小舟だと緊急の伝令くらいにしか使えないもの。まあ、それはそれで有効なのだろうけれど、さすがにそのためだけにお金も労力もつぎ込めないかなと思って。ちなみに、交易の相手は南方の国だと考えているのだけど、いかがですか?」
「……あなたでなければ、城内にドコープの間者が巣くっているのかと疑ってしまうところでした」
こちらも大正解だったもよう。不凍湾より先の北方の海岸は冬になると氷に覆われてしまう上、そこは古くから敵対しているコルキウトスの支配地域だ。対して南方は砂漠越えの交易路が寸断――フェルペの仕業らしいよ――されて以降は、命知らずな者たちがごく稀に訪れるだけとなっていた。
「あはは。そう思われるだろうから、この件はボクから話すように言われてたのよね」
「冒険者を優遇する大胆な策といい、ドコープ連合国は優秀な人材に恵まれているようですわね。それなのにいつまでも南方の田舎者と侮り続けるなどと……。まったくもって嘆かわしい」
先日の一件で好戦派だった大貴族たちの力を削ぐことになっただろうから、少しは変わってくることになりそうよね。ある意味、ようやく遷都の目的の一つが果たせたということになるのかも。
ドコープ側からしても、場合によっては交渉が難しくなることもあるかもしれないが、それでも対等に扱われる方が利点は多いだろう。
「悪評を一身に受けるようにするだなんて、先々代の国王陛下は随分と肝の据わったお人だったんだねえ」
「いいえ。あの方はどちらかと言えば小心者でしたわ。ただ、病にかかり余命いくばくもないと悟ったことで覚悟を決められたのですよ。それだけわたくしの夫となった先代国王の能力をかっていたこともあるのでしょう」
後に託したということか。ただ一つ誤算だったのは後継となった先代が早逝してしまったことかしらね。現王も頑張ってはいたのだろうが、年若く経験不足の彼では大貴族たちの力を削ぐどころか、逆に協力を得なければ支配を盤石にすることはできなかったようだ。
今回悪魔に付け込まれたのも、根底にそういったままならかった過去の無力感があったためなのかもしれない。
こうして密やかに行われたボクと王太后様との対談は、ディナル農耕国とドコープ連合国との新たな関係を形作る基盤となっていくのだが、この時のボクはそんなことを予想だにしていなかったのでした。
いや、一介の冒険者にそんなことを気付けという方が無理ですから!




