百七十六話 たまには
そしてそれから数時間後。
とっぷり夜も更け、もうあと少しで日付が変わるというころになって――。
「つ、疲れた……」
アレンはリビングのソファに腰を落とし、ぐったりとしていた。
少し前まで賑やかだった屋敷はすっかり静まりかえっている。
リビングにいるのはアレンひとりで、あたりは大小様々な箱や紙袋の残骸が溢れていた。ディナーに使った皿も出しっぱなしだし、盛大なパーティの痕跡がそっくりそのまま残っている。
祭りの後の静けさが漂う中、アレンは天井を仰いでぼやくしかない。
「まさかここまでドタバタするとは思わなかったな……」
リディがここで暮らすこととなり、当然ながらあれこれと必要なものができた。
日用品や着替え、勉強道具や絵本など。
多少は予備があるものの、幼児用の服など我が家にあるはずもない。
そのため、アレンは明日にでも街に繰り出そうと思っていたのだが――シャーロットがやる気全開でこう切り出したのだ。
『それじゃ、今から買い出しですね! 今ならまだフローラさんの黄金郷が開いてるはずですし!』
『おおっ、いいねえ! 行こっか、おにい!』
『お、おう……?』
そういうわけでみなが乗り気となったので、街へと急遽向かうこととなった。
そうしてシャーロットやエルーカ主導で服やら何やら選んでいた。
アレンはそれを後方でぼんやり見守っていたのだが――。
『かわいいです、リディさん! こっちの服も着てみてください!』
『さすがはねえさまのセンスです。わたしも色違いを買ってもらうとしましょう』
『う、うむ。じゃが、あんまり無駄使いはどうかのう……支払いはアレンじゃろ……?』
『はあ? バカを言え、我が家の経済状況を甘く見るなよ。おまえひとり分の爆買いなんぞ痛くもかゆくもないわ!』
リディが変に遠慮を見せたので、アレンの闘志に火が付いた。
『よし! 次はここにある幼児教育本、棚ごと全部もらおうか!』
『毎度ありがとうございまーす♪』
『そろそろミアハさんを呼びましょうか? どう考えても、皆さんだけで持って帰れる荷物じゃないので……』
店主のフローラやバイトのジルが、金に糸目を付けずに買い物するアレンのために閉店時間を延ばしてくれたので、存分に買い物してしまった。
『のう……あやつやっぱり、女で身を滅ぼすタイプじゃろ』
『それは儂だけでなく、誰もが知るところでございますぞ』
会計時、山と積み上がった商品を前にしてリディとゴウセツが何やらコソコソ陰口を叩いていたが、広い心で聞き流しておいた。
そんなわけで、買い物のあとは家に戻って開封作業。
作業の合間にはファッションショーやらお茶休憩を挟み――気付いたときには、シャーロットらは風呂を済ませていた。
『それじゃおやすみなさい、アレンさん』
『ママ上ー、今日はこっちの絵本を読んでほしいのじゃ』
『いいチョイスですね、リディさん。なかなか分かっているじゃないですか!』
『わーい。今日はみんなでぱじゃまぱーてぃだね!』
『お、おやすみ……?』
ちびっこふたりとルゥを伴い、シャーロットは自室に戻ってしてしまった。
エルーカはバイト終わりのジルを捕まえて夜食を食べに行ったし、ゴウセツはゴウセツでまた飲みに行った。自由人どもは今日も元気だ。
そんなわけで、アレンはひとり閑散としたリビングに残されたのだった。
時計を見上げて頭を抱える。窓の外に広がる闇はすっかりその濃さを増していた。
「おいおい、あいつの誕生日はあと一時間もないぞ……! どうする、今から部屋に行くか……!?」
しかし部屋にはちびっこふたりとルゥがいる。
さすがにもう寝たと思うが、万に一つも起きていた場合『何しに来たのか』と怪訝な目を向けられてしまう。
怖い物なしで我が道を行くアレンとはいえ、そんな場面で『シャーロットとイチャイチャしたいから譲れ』と臆面もなく言えるほど強くもなかった。
うんうん悩み続けるものの、そこでハッと疑問を抱く。
「いや待て、そもそもシャーロットはあのときのことを覚えているのか……?」
誕生日プレゼントにキスを送る。
そんなことを申し出たのはたった一日前の出来事だが、その間に起こったハプニングは異様に濃厚なものだった。
シャーロットが忘れてしまっていてもおかしくはない。
「もしも忘れていた場合……変なタイミングでがっつく男、ということにならないか!?」
娘が出来た夜に早速キスを迫る。
事実だけ抜き出してみるとがっつきようが凄まじかった。
海より広い心を持つシャーロットでも「それはちょっと……」と難色を示すだろう。いざキスしようとして、やんわりと断られてしまった日には死ぬしかない。
アレンは顔面蒼白となって頭を抱える。
ここで諦めるのは簡単だ。誕生日プレゼントは、明日にでもまた別に用意すればいい。
だがしかし――アレンはどうしても、それだけはしたくなかった。
「うっ、うぐぐっ……しかし、こうなったら……一度でいいから、キスしてみたいだろ……!」
もはや誕生日プレゼントは建前となりつつあった。
大好きな恋人とキスをする。今日一日ずっとそのことを考えていたせいで――もちろんリディの処遇もちゃんと考えていた。本当である――欲求がどんどん膨らんでいたのだ。
しかしそこに至る道がまったく見当も付かなかった。
あれこれ悩むアレンだが……突然背後から声をかけられて、飛び上がることとなる。
「あの、アレンさん?」
「っ……!?」
ばっと後を振り返る。
はたしてそこには、寝間着姿のシャーロットが立っていた。
すこし眠たげに目をこすっていたものの、アレンを見てにっこりと笑う。
「まだ起きてらしたんですね。後片付けならお手伝いしますよ」
「あ、ああ、いや……」
あれだけ会いたいと願っていたはずなのに、はたまた願っていたせいか、上手く言葉が出てこなかった。アレンはもごもごしつつも言葉を絞り出す。
「今日はもう遅いし……それは明日にしよう」
「そうですか? それじゃ、あの……」
シャーロットは少し口ごもりってから、ほんのり頬を染めて小首をかしげる。
「隣に座ってもいいですか?」
「う、うむ……」
アレンはぎこちなくうなずくだけだった。
こうしてシャーロットが隣にそっと腰掛ける。ちょうど昨日の夜もこうして並んで話をした。あのときは話が弾んだものの、今回はどちらも黙り込んでしまって、ひとりでいたとき以上の静けさがリビングに満ちる。
(待て待て待て! 何を、いったい何を話せばいいんだ……!?)
こんなときにどうするべきなのか、まるで分からなかった。
ガチガチになって固まっていると、不意にシャーロットがアレンの方に顔を向ける。そうして、柔らかな笑顔を浮かべてみせた。
「ありがとうございます、アレンさん」
「……は?」
まるで予想もしなかったその言葉に、アレンはぽかんとする。
頭の中を埋め尽くしていた煩悩や葛藤はその瞬間に消え去って、かわりに浮かぶのは純粋な疑問だった。
おもいっきり首をひねって考えるも、感謝される覚えはなかった。
「……いったい何の話だ?」
「今日はずっと考えていたんです」
アレンの質問をはぐらかし、シャーロットはくすりと笑う。
「もしもアレンさんと会えていなかったら、どうなっていたかなって」
「どう、か」
アレンはふと考え込む。
春先のあの日、倒れたシャーロットを屋敷のそばで拾った。
しかし、もしも彼女が無事に森を抜け、アレンと出会わなかったのなら――。
「危機が降りかかってもリディが出てきて切り抜けただろうし……どこかの町でひっそり暮らしている内に、ナタリアが迎えに来たんじゃないのか?」
リディはシャーロットのことを、密かにずっと見守っていた。
ナタリアは学園で、ひたすらシャーロットの行方を探して魔法の腕を磨いていた。
だからきっと、アレンと出会わなかったとしてもシャーロットは無事だった。そんな気がした。
そう告げるとシャーロットは「そうかもしれません」とうなずく。
「でもそれだったら……三人一緒に笑うことなんて、できなかったと思うんです。あの子たちと分かり合えたのはアレンさんのおかげですから」
「まあたしかに、あいつらも気難しいからなあ」
リディはひねくれたままだろうし、ナタリアは姉への罪悪感を抱えたままだっただろう。
「だが、それも時間が解決したかもしれないぞ?」
「そうだったとしても、こんなに自然には笑えなかったと思います」
シャーロットはかぶりを振ってから、目の前――どこか遠くに視線を向ける。
「私、昨日言いましたよね。アレンさんは私に家族をくれたんだって。でも本当は……私だけじゃなく、みんなに笑顔をくれたんですね」
「何を言う。俺はただ好き勝手やったに過ぎないぞ」
「……例え、そうだったとしても」
シャーロットはふんわりと微笑んで、アレンの手をそっと握る。その手を胸に抱いて、彼女は満面の笑みを向けた。
「私は、あなたに出会えてよかったです」
「……シャーロット」
アレンはまた、上手く言葉が出てこなかった。
そしてふと、こんなことを思った。
(俺は、シャーロットと出会わなかったら……今ごろどうしていただろう)
きっと、今でもこの屋敷にたったひとりで住んでいただろう。
人付き合いを避けて、何の代わり映えのしない日々をぐだぐだと送っていただろう。
そんな面白みの欠片もない人生を想像するも――何故か、それだけは違うと直感した。
確固たるイメージが脳裏に浮かぶ。
(シャーロットと出会わなかったら…………俺は、ここにはいなかった?)
何故か、そんな確信があった。
何故か、何かが引っかかった。
得体の知れないかすかな違和感が胸の中で広がって行く。
そのせいで――シャーロットが身を乗り出して、ぐっと距離を縮めたことにギリギリまで気付けなかった。
「だから、あの……アレンさん!」
「は」
はっと気付いたときには、すぐ目の前にシャーロットの顔があった。
瞬く間もなく、唇に柔らかなものが重なる。
その瞬間、アレンの心臓は完全に停止した。
ただ分かるのはその柔らかさと、鼻先をかすめる甘い匂い、自分の頬にかかった彼女の髪の感触、握られた手から伝わる火傷しそうなほどの熱さ……。
そうしたものを脳に刻み付けるには、たった数秒でも十分すぎた。
シャーロットはそっと体を離し、真っ赤な顔を向ける。羞恥にうるんだ瞳は、ぽかんとしたアレンだけを映している。
「アレンさんは、みんなにあげてばかりだから……たまには私から、プレゼントさせてください」
いくぶんこわばった声でそう告げたかと思えば、シャーロットは慌ただしく立ち上がってばたばたとリビングを去っていく。最後にぺこりと頭を下げることも忘れなかった。
「そ、それじゃおやすみなさい! また、明日……!」
「…………」
そんな彼女を見送っても、アレンはソファに腰掛けたまま一切動くことができなかった。
ただ時計の秒針が進む音だけを聞き、窓の外に広がる闇がだんだん白んでいくのを見つめていた。やがてリビングが朝の光に包まれて、小鳥のさえずりが響くようになったころ――。
「アレン氏~!」
玄関扉を乱暴に開け、無駄に元気よく屋敷に入ってくる者がいた。ドロテアである。まっすぐリビングまでやってきて、アレンの前で好き勝手に喋り出す。
「何か聖女の件で色々大変だったみたいっすけど……ボクも今原稿が大ピンチなんすよー。もうほんと全然ネタが浮かばなくって、これ以上はマジもうヨルさんのドラゴンブレス待ったなしで……そこでアレン氏に相談なんすけど……って、あれ?」
ドロテアはきょとんとしてアレンの顔を覗き込む。
「どうしたんすか、アレン氏。顔が真っ赤っすよ。あっ、ひょっとしてラブコメ? シャーロット氏との胸きゅんラブコメ展開があったんすか!? 詳しく聞かせてもらっても――」
「うおわあああああああああ!?」
「ひえっ!?」
バリーーーーン!!!
アレンは絶叫とともに駆け出して窓をぶち破り、転がるようにして外へと飛び出した。
そのまま全速力で森を駆け回って半日以上帰らなかったので、シャーロットからかなり心配されてしまったのは言うまでもない。他の面々からは「何やってんの?」と冷たい目を送られた。娘ができて早々、家庭内での地位の危うさを痛感することとなった。
それはともかく――アレンの絶叫に驚いて尻もちをついたドロテアは、割れた窓を見てため息をこぼす。
「はあ……やっぱり素直に話してくれるタマじゃないか。こうなったら、こっちからラブコメを作ってやるしかないっすね!」
ニヤリと笑い、彼女は懐から一枚の封筒を取り出した。何の変哲もない白封筒。そこにはこう書かれていた。
竜宮郷・特別招待券――と。
これにて聖女編終了。次回は来週木曜更新。動乱家族旅行編となります!
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