百五十九話 特別な日①
そのとんでもない騒動は、秋の終わりが近い、ある朝から始まった。
朝はめっきり冷え込むようになって、動植物は長い冬の準備を始める季節。
アレンらが住まう屋敷の周りも落ち葉まみれだ。
しんとした静けさが満ちる中――屋敷のリビングに、軽やかな鼻歌が響く。
「ふん、ふんふふ〜ん♪」
「おや?」
新聞から顔を上げ、アレンは目を瞬かせる。
目の前に座るシャーロットが、パンにバターを塗りながらにこにこと歌を奏でていたのだ。
あまりに微笑ましい光景に、ついつい相好がゆるむ。新聞を畳みつつ、シャーロットに問いかけてみた。
「どうした、シャーロット。今日はずいぶんとご機嫌だな」
「あっ、すみません……うるさかったですか?」
「まさか。もっと聞いていたいくらいだ」
それを邪魔してまで話しかけたのは、理由が気になったからだ。
「おまえがそんなに嬉しそうにしているなんて、珍しいこともあるものだと思ってな。何かいいことでもあったのか?」
「えっと、あったと言うより……もうすぐいいことがあるんです。個人的なことなんですけど」
『ほう、それは初耳ですな』
シャーロットがはにかみながら答えたところで、テーブルのすぐそばで朝食を取っていたゴウセツが餌皿から顔を上げる。
人間に化けられるものの、平時はいつものこの格好だ。あの姿はそれなりに肩が凝るらしい。
丸っこい前足で顎を撫でつつ、小首をかしげてみせる。
『ミアハどのやエルーカどのと遊びに行かれるのですか? でしたら儂が護衛に参りましょうぞ』
「いえ、違います。ほんとに個人的な、些細なことなんですけど……」
『なになに、ママがうれしいと、ルゥもうれしいよ!』
「ふふ。ありがとうございます、ルゥちゃん」
ひざに顎を乗せて甘えてくるルゥの頭を、シャーロットはよしよしと撫でる。
ほのぼのとしたその光景に、アレンとゴウセツはますます目を細めてみせた。
(うむ、庭の花が咲きそうだとか、小鳥が巣立ちそうだとか……そういうささやかな幸せなのだろうな)
小さくとも幸福は幸福だ。
そうした幸せを噛みしめることなんて、今年の春先までの暮らしぶりではとうてい叶わなかったことだろう。
それが分かるからこそ、シャーロットが幸せそうにしているとアレンもまた胸が温かくなるのだった。
だがしかし……そんなほのぼのとした空気は、一瞬で消え失せることとなる。
シャーロットが両手のひらを合わせて、こう告げたからだ。
「実は私……明日が誕生日なんです。十八歳になるんですよ」
ドゴビチャバリーーーーーン!!!
アレンが椅子のまま勢いよく後ろにひっくり返り、ゴウセツがすっ転んで餌皿に顔を突っ込んだ。
リビングをしばしの静寂が支配する。
やがてルゥが目を丸くして、小首をかしげてみせた。
『なに、ふたりとも。どうかしたの?』
「だ、大丈夫ですかアレンさん! ゴウセツさん!?」
「シャーロット……それは、本当か……?」
シャーロットが慌てて、床に転がるアレンのもとに駆け寄ってくる。
その手をアレンはがしっと掴んだ。
顔からは血の気が引いているし、全身の震えがひどい。それでも彼はかすれた声を絞り出した。
「ほんとうに……明日が、おまえの誕生日なのか……!?」
「は、はい。そうですけど……?」
シャーロットは目を白黒させつつも、しっかりとうなずいてみせる。
おかげでアレンは言葉を失ってその場に凍りつくしかない。
そこに、ルゥがとことこ歩いてきてシャーロットの袖を引く。
『ねえママ。たんじょーびって、なあに?』
「生まれた日のことですよ。ルゥちゃんはご存知ないんですか?」
『そうだねえ、ルゥたちフェンリルは長生きだからね。あんまり暦なんか気にしないかも』
ほのぼのと会話するふたりをよそに、ゴウセツもよろよろと起き上がった。
顔にリンゴの欠片が貼り付いたまま、アレン同様の震えた声を絞り出す。
『たしかに我らのような魔物には馴染みのない文化ですが……人間は誕生日を祝うものだったと記憶しております。ひょっとして、今は廃れた風習でございますか……?』
「いや、ある。今も現役で盛大に祝うものだ」
「そうなんですか?」
アレンが力強く断言すると、シャーロットはやっぱり小首をかしげるだけだった。
一部の地域では新年の初日に、みながいっせいに年を取るという。
しかしこの国も、シャーロットの故郷も、誕生日はわりかし盛大に祝うのが常識だった。
プレゼントを贈ったり、ささやかなパーティを開いたり。アレンも実家にいたころは毎度毎度大袈裟なくらいに祝われたものである。
そう説明するが、シャーロットはぴんと来ていない様子だった。
「お母さんと一緒に暮らしていたころはお祝いしてもらいましたけど……ああいうのって、小さい子供とか、特別な人だけじゃないんですか? ナタリアとか、お父様やお義母様の誕生日には盛大なパーティがありましたし」
「おまえ、一応公爵家の令嬢で通っていたんだろ……? さすがにパーティとかしたんじゃないのか、他の家への体裁もあるし……」
「ええ……そんなこと一度も…………あっ!」
シャーロットはしばし考えこんで、はっとした顔をする。
「この時期決まって、お屋敷で大きなパーティがあったんです。でも私は毎年『風邪』っていうことで自室に籠もるように言いつけられていて……あれが、ひょっとして……!?」
「そういうことかあ……」
アレンは顔を覆ってうなだれるしかない。
(たぶん妾腹の娘を祝うのが癪だったとか、そういうのだろうなあ……)
一応はそれらしい催しを開きつつ、社交場がわりにでもしていたのだろう。
最初のころの引っ込み思案や自己肯定感の薄さはかなり改善され、シャーロットはずいぶん前向きになった。
とはいえ長年の奴隷じみた生活のせいか、世間に疎いところは相変わらずだ。
たまにそうした一面を垣間見てはいたものの、これはさすがに予想外だった。
非常にムカムカするアレンだが……すぐにため息をこぼす。
「いや、今まで聞かなかった俺も悪いな……すまない、本当にすまなかった……」
「ど、どうしてアレンさんが謝るんですか?」
『アレンどの、今からでも遅くはありませぬ。一発ここでぶちかましてみませんか? 儂も協力は惜しみませぬぞ』
「いや待て。それよりまずは目の前の任務に集中しよう、な?」
ゴウセツがぽんっと肩を叩いてくるので、アレンは真顔で諭しておいた。
ここで一発殴り込みに行くのも悪くはないが、今は一分一秒も時間が惜しい。
ゆっくりと立ち上がり、アレンは腹の底から声を出す。
「よし! 決めたぞ、シャーロット!」
「へ? なにをですか?」
きょとんと首をかしげるシャーロット。
そんな彼女に、十八年分のお祝いをしてあげたかった。
だからアレンは宣言しようとするのだが――。
「明日はおまえの誕生日を盛大に――」
「ねえさま遊びに来ましたー!」
「いわお、っっ!?」
ばーんと背後の扉が開くと同時、殺気の塊が飛びかかってきた。
続きはまた来週木曜日。
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