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太陽を抱く君へ  作者: 雛子
第2章 王の息子
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告白


 父と兄、タニイに付き添われてテーベの屋敷に戻るなり、ラジヤが心配して駆け寄ってきた。


「まあ、どうなさいました」


 予定よりも遅い真夜中に、父やアネン、宰相の娘と一緒に帰ってきた異様な雰囲気に彼女は耐えきれなかったらしい。私の憔悴しきった顔を見て、もともと大きな目を更に大きく見開いている。


「こんなに青ざめて……とにかくお部屋へ」

「私も行くよ」


 そう告げたタニイにラジヤは大きく頷き、私の手を取って「こちらです」と部屋へ促した。

 二人に連れられて部屋へ入ると、見慣れたいつもの光景が現れる。


「早く準備を。お嬢様がお休みになられます」


侍女たちに寝床を準備させようとしたラジヤに、私は首を横に振った。


「いいの、気分が悪いわけではないからこのままで大丈夫。それより何かタニイにお出しして。お客様よ」

「いいよ、そんなの。それより座りな」


 タニイは私を寝台に座らせ、その隣に自分も座ると、ラジヤに何か飲み物を持ってくるように命じた。ラジヤが慌てて水差しをもってきて水を注いだ杯を私に差し出す。


「ほら、お飲み。ひどく動転していたからね。顔も真っ青だ。見ていてこっちが可哀想になるくらいに」


 タニイに言われたとおり水を飲み込むと、自分の胸の中を冷たい水が流れていくのを感じて、ようやく少しばかりの落ち着きが戻ってきた。


「悪かったね。大ごとになって」


 タニイはラジヤ以外の侍女たちを下がらせてから、眉を八の字に下げて告げた。


「ティイが最後に別れを告げられるかも心配だったし、その男……まあ王子だったわけだが、ティイに別れを告げられてどう出るかも心配だった」


 実際、あの時私はどうしたらいいか分からなかった。あの場にアネンとタニイが来てくれていなかったら、私はどうなっていただろう。


「それでアネンに相談したら、アネンが血相を変えて妹を探すと言い始めてね。余程ティイのことが心配だったらしい。それで一緒について行ってみれば王子が倒れてたって訳だ」


 何故アネンとタニイがあの場にいたのかが分かって、ようやく腑に落ちるものがあった。二人とも私を心配して来てくれたのだ。

 彼女がいつものように笑ってくれているのに、気が動転したままの私の頬は固まったように動かせない。

 しばらく沈黙していたが、それでも彼女は私の言葉を待っていてくれた。


「タニイ……」


 うん、と低めの声が返ってくる。

 膝元に流れる衣を掴み、意を決して向かい合う人を見つめた。

 今回のことは自分一人で対処できる事態ではない。誰かに相談しなければならなかった。


「……好きだと言われたわ」


 ラジヤが「まあ」と口元に手を当てながらも「誰に?」と首をかしげたのに対して、タニイは息を飲んで私を見つめていた。


「それは……まさか、あの男に?」

「正確には、お前に惚れていると言われたの」


 声が震えた。


「ティイ、」

「きっと私も好きなのよ」


 自分の口から自分の想いを告げた。相手は本人ではないけれども。

 それでもそのことは、自分の想いをさらに確信させるものとなった。


「でも、でも……あの人が、あの御方が王子だったなんて私知らなかったの……」


 ここで察したラジヤが悲鳴じみた歓喜のような声を上げて、こちらを覗いている。そんなラジヤをタニイが「静かに」と戒めた。


「タニイ、私、どうしたら良かったのかしら」


 初めから彼が王子だと知っていたらどうしていただろう。

 好きになっていただろうか。

 私は彼の何を好きだと思ったのだろう。

 私を理解してくれたところ。そのままでいいといってくれたところ。優しいところ。飄々としているところ。あの笑顔。何もかも──。


 私は、こんなにも彼のことが好きだったのだ。


「ティイ、それで王子になんて返事を?」


 タニイが私の両手を取って尋ねた。

 その手は柔らかく、暖かい。私の頬に触れた彼の手とはまた違う。


「返事は、してないわ……何も言えなかった」


 肩から力が抜ける。


「好きだと言われても、私が好きでも、私にはもう決まった人が、夫になる人がいたから、それで私……ああ、タニイ。私どうしよう。彼が王子だなんて知らなかったの」


 王族を殴って失神させるなどあってはならないことだ。死罪にだってなり得る無礼だ。


「それで今回のことになったんだね。もう大丈夫。何も気にしなくていい。あとは他に何かあった?」


 落ち着けるように彼女は優しい声をかけて私の肩を撫でた。


「それで……それで彼が、私に口付けをしようとして、それで」


 『口付け』に対するラジヤとタニイの反応は正反対だった。

 ラジヤは「王子様から口付け!?」と顔を真っ赤にさせて隅で黄色い悲鳴をあげているのに対し、タニイは「は?」と軽く舌打ちをした。


「あのひょうきん者、ウブなティイになんてことを。それは殴って正解。めっためたにしてやれば良かったんだ」


 背もたれにこれでもかと身体を預け、足を組みながら、苦虫を噛み潰したような表情で彼女は悪態をついた。


「あの人、大丈夫かしら。私、すごい勢いで殴ってしまって」


 何せ失神するほどの衝撃を与えてしまったのだ。不安で仕方が無い。


「ちょっとやそっとことでへばる奴じゃないよ。ティイは心配することなんてなーんにもない」

「だと、良いのだけれど……」


 ここでタニイがこちらに母のような優しい眼差しを向けているのに気づいた。どうしたのかと尋ねると、「いや、ねえ」と返される。


「頭は良いのに、本当に恋愛は初めてなんだねえ。可愛いくらいにころころと表情を変える」


 タニイは楽しそうにしている。私はそれどころではないのに。


「ティイのことが好きになった王子の気持ちも分かる。それに口付けとなれば、父君や兄君にはおいそれとは言えないか。乙女の一大事だ」


 良い子だと私の髪を彼女は撫でた。


「もう大分夜も更けたから、ティイは支度して休むと良い。明日には一度ムノに戻ることになると思う」


 タニイがそう言いつつラジヤに視線を送ると、ラジヤは透かさず肯定した。


「はい、その通りで御座います。先程旦那様が仰せでした」


 ラジヤの言葉に耳を疑う。そんな予定ではなかったはずだ。


「待って、ラジヤ。明日縁談のお相手とお会いする予定じゃ……」


 今夜の宴の前、父が意気揚々としてそう言っていたのだ。だがラジヤは首を横に振った。


「旦那様がそれはまた次の機会にと」


 愕然とする。

 また、私はやらかしてしまったのだ。宰相からの縁談を駄目にしてしまったのだ。


「ティイ、もう何も考えず休んだ方がいい」


 呆然としている私の肩を撫でて、タニイがラジヤを振り返った。


「さっきの話は他言無用だよ」

「はい、もちろんで御座います」


 ラジヤの返事を聞き届けたタニイは椅子から立ち上がった。


「このことは私から父君たちや宰相に話しておこう。ティイは何も心配することはない。ただ、色々な覚悟だけは必要になると思うけれど」

「……覚悟?」


 何の覚悟だろうか。

 王子を殴ったことに対する罰を受ける覚悟か。


「あとの話だよ」


 疲れただろうから休むと良い、と残してタニイはラジヤに案内されながら部屋を出て行った。

 一人残された部屋で窓から外を見た。曇った銀のような薄白い明るみが広がっていた。

 私の寝支度をしようと侍女たちが部屋へ入ってくる気配がする中、夜明けがすぐそこまでやってきていた。




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