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解決編



「そうです閣下。真相をつかめたと思います……いえ、きわめてデリケートな事件であることが判明したので、直接お話をすることが適切かと存じます。はい。では直ちに」


 淡々と第11軍参謀長・シュルツ大佐への電話を終えたカウフマンは、周囲の視線を気にする風もなく、ハウプト中尉を訪ねた。司令部というのは大なり小なり、機能が一度に麻痺しないよう、一ヵ所にオフィスを集中させることを避けるものである。本来はブロッホ少佐のオフィスである大隊本部から、ハウプトの管理中隊本部は3軒ほど向こうであった。


 どうも村人の様子がおかしい、とカウフマンはおぼろげに感じていた。近隣のパルチザンが一掃されたのだから、ダミニスコエの住民にとってはその中に縁者がいないはずもなく、怒りと悲しみが村を覆うならまだわかる。それを押し隠すような緊張が道行く男女に見られるのは、面妖で不気味なことであった。しかしカウフマンが現に負っている緊張があまり大きかったので、カウフマンはそれに対処しようという気が起きなかった。


 中隊本部の歩哨が型通り敬礼したので、ハウプトへの取次ぎを頼んだ。あたふたと現れたハウプトに中へ通されると、カウフマンは薄い封筒を取り出した。


「今日の夕刻、マンシュタイン上級大将閣下に復命します。もし私たちに何か事故があった場合」


 カウフマンはいささかの感情も口調に込めないよう、特に注意した。


「この内容を読んで、閣下の手に渡るよう取り計らっていただきたいのです」


「読んで、よろしいのですか」


「はい、中尉殿」


 カウフマンははっきりと言った。


「いま読んでは、いけませんか」


 ハウプトは思わず言った。


「もしお読みになると、あなたを大きな問題に巻き込んでしまうことになります、中尉殿」


「では、読まずに郵送してもよろしいのですね」


「はい、中尉殿」


 カウフマンは即座に答えた。


「その通りです。ここに書かれているのは、そうした種類の問題なのです」


 ハウプトが忙しく情報を反芻していることが、カウフマンにもはっきりわかった。裕福な生まれで、嘘への警戒心が小さいのであろう。


「わかりました。必ず閣下にお届けするようにいたします」


 ハウプトは初めて、カウフマンをまっすぐに見た。愛想笑いはもうなかった。


「ダミニスコエ駅から移動する第333装甲列車に便乗して、夕方に出発する予定です。こちらは、まもなく出発します。様々な便宜を図っていただき、ありがとうございました」


 カウフマンは敬礼した。


----


 実のところ、荷物というほどの荷物は持ってきていなかったから、整理はすぐに済んだ。マイネッケの運転するキューベルワーゲンはふたりを乗せて、ダミニスコエ駅への長くもない道を、そろそろと進んだ。何かを待ちながら。


 程なく、路肩に停まっていた大型の軍用乗用車が動き出し、砂埃を上げてキューベルワーゲンに追いつくと、乗っていた親衛隊の兵士が「停まれ」と言った。憲兵に対するものの言い方を教えてやろうとしたマイネッケをカウフマンは無言で制した。


「秩序警察のハウタッカー大佐が、お会いしたいといっておられます。ご同行願えますか」


 かろうじて疑問文にはなっていたが語尾は下がっていた。カウフマンのわずかなうなずきを十分な返事と取ったのか、そもそも返答不要と考えていたのかわからないタイミングで、頭だった下士官は言った。


「車を乗り換えて頂きます」


 カウフマンは無言で腰を上げたので、マイネッケも従った。ディーターからもらった短機関銃をカウフマンが携行しているのを見て、マイネッケは何か言おうとしたが、秩序警察の兵士が小突くように急き立てるので何も言えなかった。カウフマンが短機関銃など持っていたら暴発が危ない、とマイネッケは言おうとしただけなのだが。


 ちょうどこの時期は、占領地区の広がりに合わせ、急増した治安警察大隊を三個ずつ束ねて警察連隊が置かれる時期にあたっていたので、カウフマンの耳には、警察大佐というのはほとんど前線でお目にかからない人物と響いていた。大隊長ならせいぜい中佐だからである。その重要人物の待ち受けているのが、ぽつんと立ったただの農事用作業小屋なのは奇異な話だった。マイネッケは不安を表情に出してちらちらとカウフマンを見たが、カウフマンは動じなかった。


 立ち上がって椅子を勧めるその重要人物を一目見て、カウフマンはうなずき、マイネッケは目を見張った。


「お客人にコーフィを」


 ハウタッカー大佐は"コーヒー"をロシアなまりで発音すると、カウフマンに笑顔で話しかけた。


「もう少し驚いてくれると思っていたのだが」


 連行されていったはずの、アンドレイがそこにいた。


----


「さて、先に君の知っていることを話してもらうのが正しい順序だと思うのだが、軍曹」


 ハウタッカー大佐は言った。


「そのあとで、話して差し支えないことを私が話して聞かせよう」


「私がクリポにおりました頃も、耳寄りな情報というものはありました。しかし警察はそれを信じることもあり、信じないこともありました。振り返ってみると真実であり、信ずべきであった情報もありました」


 淡々と話すカウフマンの言葉に、ハウタッカーは微笑を浮かべて聞き入っていた。


「大事な情報を漏らしたか、漏らしていないかをスパイに尋ねるとします。漏らしていないと言えば罪は軽くなります。漏らしたと正直に言っても、いいことは何もありません。それを順々に細かく問い詰めてゆくうちに、新たな情報や、特定の者しか知らない情報が出てきます。それが尋問の値打ちというものですが、情報を漏らしていないことを自白だけで信じるのは無理な話なのです」


 ハウタッカーはもう顔いっぱいで笑っていた。


「秩序警察は、アンドレイの口から情報が漏れたかもしれないことを知っていたのです。アンドレイが情報を漏らしていないと口で言っても、信じてはいけないのです。ところが、情報が漏れたことを警戒するような指示はまったく出されず、パルチザン掃討作戦は予定通りに実施されました。これは治安警察が担当した攻勢軸も、国防軍が担当した攻勢軸も同様でした」


 カウフマンはコーヒーをすすったが、代用コーヒーだった。


「ですから秩序警察はアンドレイが、ああ、大佐殿には何度も失礼しますが」


 カウフマンは呼び捨てを詫びた。


「情報を漏らしていないことを確信していたのです。何らかの理由で」


「驚いてもらえないわけだ」


 ハウタッカー大佐は苦笑した。


「アンドレイが実際にはパルチザンと接触を持っていなかったとすると、クネヒト少佐は何を探っていたのか、という問題が振り出しに戻ります。しかし私は考えたのです。ではアンドレイがクネヒト少佐を監視していたとしたら、どうかと」


 ハウタッカーは沈黙した。


「クネヒト少佐が何らかの理由でパルチザン組織と連絡を試み、警察がそれを内偵していたという仮説を私は持っているのです、大佐殿」


 カウフマンは、ハウタッカーをじっと見つめた。


「国家に対する犯罪が企てられようとしていたのだ、軍曹」


 ハウタッカーはアリアを歌うように言った。


「ウクライナのパルチザン組織は、他地域のパルチザン組織と根本的に違っていることがひとつある。彼らはドイツとソビエトの両方から独立しようと企んでいるのだ。背後からの一刺し(第一次大戦末期、まだドイツ本土が戦場とならないうちに反乱から革命に火がつき、降伏に至ったことを非難して言う)だよ、軍曹。国防軍の腐った士官どもは、ウクライナのパルチザンと連絡がつけば、イギリスともアメリカとも和平交渉ができると踏んだのだ」


 ハウタッカーの口調から冷静さが失われようとしていた。


「それで彼の身柄確保に失敗して殺してしまい、彼の仲間を見つけるために目立つ殺人事件に仕立てたのですか」


 カウフマンの口調は逆に氷点下の冷たさを帯びてきた。


「任務中の不幸な出来事だ。それは認める」


 ハウタッカーはなじるように言った。


「狙い済ました一発が、不幸な出来事でしょうか」


「背中から撃ったところで、謀殺とは限るまい」


「背中?」


「ああ、いや、もちろん私は、グラーフのところでそれを知って」


「あなたはこの一件で、現場の最高責任者であったことは明らかです、大佐殿」


 カウフマンは言い放った。


「誰が手を下したかは、実際のところ、あまり問題ではない」


「君は自分の立場がわかっておらんようだ」


 ハウタッカーの表情が一変した。その眼光は、雌を守って雄雄しく戦う鷲のそれではなく、爪の下のネズミを見下ろす鷲のそれである。


「余計な電話などしなければ、逃げるチャンスもあったものを」


「どうしてもわからないことがありましてね」


 カウフマンの口調は落ち着いたものである。


「どうして少佐を殺したのです」


「いいだろう、軍曹」


 ハウタッカーはゆっくりと言った。


「奴はウパ(ウクライナ・パルチザン軍。ドイツ、ソビエト、ユダヤ、ポーランドをウクライナから排斥しようとするパルチザンの一派)とコンタクトを取ろうとした。それが私の狙いだったが、奴は気づいてしまったのさ。私が使うロシア語は、ときどきジェンダー(文法性)がドイツ語風になると」


 単語が男性・中性・女性のいずれになるかは、同じインド・ヨーロッパ語族でも、言語によって食い違うことがある。


「確かに親衛隊の高官が身分を偽って、制服を着用せずに国防軍部隊に潜り込んでおれば、問題になりますね」


「そういうことだ。じつに気の毒に思うよ。じつにね」


 ハウタッカーはゆっくりと立ち上がった。


「先ほど無線で、ここに来ると連絡をつけておきました」


 カウフマンが言うと、ハウタッカーはせせら笑った。


「キューベルワーゲンには、近距離用の無線しか積んでおらんだろう」


「通信した相手は、装甲列車部隊です。駅で私たちを待ってくれていますのでね。あなたの人相と階級も伝えてあります」


 さすがに不安を感じたハウタッカーは、確認のために部下を呼び入れた。ドアが開いた瞬間、カウフマンは全力で壁に体をぶつけた。


 壁にかけてあったカウフマンの短機関銃が床に落ち、数発の弾丸を吐き出した。ひるんだ秩序警察の兵士にマイネッケが体当たりし、床に転がすと外へ走り出した。それを追うカウフマン。


「助けが来るなら待ってりゃいいでしょう」


「ただの脅しだ」


「暴発なんかさせて自分に当たったらどうするんです」


「俺が自分で撃つよりましだろう」


 早口で叫びあいながら、ふたりは民家の外に出たとたん、外に残っていた兵士たちに銃を突きつけられた。マイネッケは首を振って目を閉じた。


「はかない希望だったな」


 ハウタッカーが兵士に処刑を命じようとしたそのとき、遠くから銃声がとどろき、ふたりに銃を突きつけていた兵士が倒れた。そして周囲の畑から、とりどりの服を着てとりどりの銃を持ったパルチザンが十数人、身を起こしてゆっくりと近づいてきた。ハウタッカーたちもカウフマンたちも、一様に武器を捨てて手を上げるしかなかった。


 突然ハウタッカーは、カウフマンたちのわからない言葉でパルチザンたちに話しかけた。「アレクセイ」と名乗ったことで、カウフマンにも話の大筋が読めた。パルチザンへの連絡役としてモスクワからやってきたという話を、リサイクルして使っているのだ。


 パルチザンの頭らしい屈強な中年男は、にやにやとそれを聞いていたが、いきなりハウタッカーをののしり始めた。パルチザンはパルチザンで、ダミニスコエでパルチザンらしい男が捕まった直後に掃討作戦が始まったことを深刻に受け止め、その男を裏切り者と捉えているのだ。


 そのことをカウフマンがおぼろげに感じ取ったころには、パルチザンの頭は短銃の引き金を引いていた。パルチザンたちの雄叫びとともに、ハウタッカーはうつむけに地面に倒れこんだ。そのハウタッカーに群がったパルチザンたちは、死体を蹴飛ばし、唾をかけた。


 興奮は、エンジン音で破られた。道をやってくるのはトラックとキューベルワーゲン。ドイツ軍だ。パルチザンたちは足早に麦畑に消えていった。もう発砲すれば位置を知られる。ひとりがカウフマンたちにナイフを振るおうとして止められ、ひとにらみを残して仲間たちの後を追った。


「お怪我は」


 キューベルワーゲンの運転席から声をかけたのは、ハウプト中尉であった。


「装甲列車の戦闘班に事情を話して、私たちのトラックで応援に来てもらったのです」


「おかげで命拾いしました。こういう危険は頭の隅にあったのですが、他の人を巻き込む理由も思いつきませんで」


 カウフマンはかろうじて礼を言ったが、マイネッケは何も言えずにくたくたと地面を向いてしまった。


「なに」


 ハウプトは澄まして言った。


「市民の義務ですよ」


----


「あとひとつだけ、わからないことがあるのです」


 ブロッホ中佐にカウフマンは尋ねた。報告書を書かねばならないことが山ほどできて、まあどうせ真実を書くわけには行かないのだが、ふたりは補給所に戻ってきてしまっている。マンシュタインのところへは車で復命することになりそうだ。


「中佐殿はなぜ、私にヒントを与えるようなことを、何度もおっしゃったのです」


 ブロッホは笑った。ブロッホが笑ったのを、カウフマンは初めて見た。


「イギリスの最も許しがたい犯罪は、ジャック・フットレルを殺しおったことだ。そう思わんかね、探偵殿」


 言い終わってブロッホは、照れくさそうにまた微笑した。


「思考機械シリーズ」で知られる推理作家ジャック・フットレルが、イギリス客船タイタニック号に乗っていて、金庫の未発表短編一冊分とともに大西洋に沈んだことを思い出したとき、カウフマンは真相に到達して言葉をなくした。


 ブロッホは、推理小説マニアなのだ。


「死あふるる中に」完

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