12 ハンマー少女
大きな翼で空中に浮かんだ子供は、まるで感情のないような瞳で俺たちを見下ろしている。年はリルカと同じくらいだろう、声と顔からは男とも女とも判別がつかなかった。
俺はその姿に既視感を覚えた。あの翼といい、しゃべり方といい、どこか昔のリルカに似ているような気がしたのだ。でも、今はそんな事を考えてる場合じゃないのかもしれない。
「ななな、なになに!? 何でこんな所に子供がいるんだにゃ~!?」
「知るか! おいてめえ、こんなところで何やってんだ!? 危ないから早く逃げないと……」
メーラは子供にそう声を掛けたが、子供は宙にとどまったままだ。しかしその声に反応したのか、その視線がメーラに向けられる。そして、
「目標確認。攻撃開始」
「え…………?」
そう呟き、子供は何かを投げるようなしぐさをした。もしここが明るい場所だったら、メーラにもそれが何なのかわかったのかもしれない。だが、彼女が持つ小さなランタンの明かりだけでは、彼女が危険性を認識するのにあまりに不十分過ぎたのだ。
「くそっ!!」
「うわぁっ!!」
テオが瞬時にメーラの方へと駆け寄り、その体を引き寄せたのが見えた。それと同時に、ドシュッという何かが地面に突き刺さるような音が響く。それが何なのか確かめようとしたが、テオに引っ張られた衝撃でバランスを崩したメーラはランタンを放してしまったらしく、ランタンの不安定な明かりはそのままふわふわと空中を漂い、見当違いの場所を照らし出していた。
「クリス、明かり!!」
「わ、わかった……!」
テオの声で、俺ははっと我に返った。そうだ、あたりを照らす魔法なら俺だって使えるじゃないか! 何で今まで思いつかなかったんだろう。さっきまでの自分を殴りたい気分だ。
「照らせ、“小さな光!”」
そう唱えると、杖先からしゅっと小さな光の球が飛び出てくる。光の球は俺のすぐ近くを漂い、周辺を明るく照らし出した。
そうして見えたのは、地面に突き刺さる銀色の刃だった。ただ、普通のナイフとは形状が違った。真ん中に穴の開いた、人の顔くらいの大きさの円形の刃であり、見ただけでも切れ味がすごそうなのが伝わってくる。
こんなのをいきなり投げつけてくるなんて、やっぱりあの子供は……
「ちっ、まだ暗いな……。クリス、明かりを増やせないか!?」
「えぇ!?」
またもや子供が投げつけてきた円盤のような刃を剣ではじき返しながら、テオがそう叫んだ。確かに、俺の作り出した光の球はこの辺り照らしていたけど、上空にいる子供の動きを捕えるのにはまだ暗すぎたのだ。
明かりを増やす、今まで試したことはなかったけど、この呪文は二回唱えれば光の球が二個出てきたりするんだろうか。こうなったらやってみるしかない!
「もう一回照らせ! “小さな光!”」
今度は上空に杖先を向けてそう唱えると、またもや杖先から光の球が飛び出し、上空を飛ぶ子供の近くをふわふわと漂い始めた。最初の明かりと合わせて二つの光の球がふわふわ漂っているので、あたりはかなり明るくなっている。
なんだ、この魔法って二回使えたのか、知らなかったぞ。
「よし、行けるな!」
そう言ってテオが剣を構えなおした、その時だった。
ごぉん! と鈍い音がこのだだっ広い空間に響いた。思わず音の出所へ視線をやった俺は目を見張った。
薄暗くてよくわからないが、この空間の中央にやたらとでかい岩がそびえ立っている。たぶん、あれがドワーフ達の言う護岩なんだろう。そして、その岩の傍らで、大きなハンマーを振り上げる小さな人影が見えた。さっきの音は、あのハンマーが護岩に振り下ろされる音だったのだろう。
「もう一人いたのか!?」
慌てふためく俺たちなど意に介さないように、小さな人影は護岩に向かってハンマーを振り下ろし続ける。大きさからして、向こうの人影もおそらく子供なんだろう。
「泣いてる、誰か……精霊さん……?」
「え?」
俺の隣にいたリルカが、ぽそりとそう呟いた。俺にはハンマー振り下ろす音しか聞こえないが、リルカには誰かの声が聞こえているんだろうか。だとしたら、この護岩に精霊が憑いているというのも本当なのかもしれない。……もしそうなら、やばくないか?
「ここは俺が抑える! お前たちはあいつを何とかしろ!!」
ついには円盤を投げつけることをやめて、直接斬りかかってきた子供をいなしながら、テオはそう叫んだ。
「わかった! 任せて!!」
意外にも、真っ先にそう答えたのはシーリンだった。シーリンはさっと愛用のレイピアを抜くと、ものすごい速さでハンマーを振り下ろす子供の元へと走り出した。
「おい、シーリン!!」
「俺たちも行こう!」
慌てるメーラに声を掛けて、俺もシーリンの後をついて駆け出した。さすが獣人とでもいうべきか、シーリンはめちゃくちゃ足が速い。すぐにハンマーを振り下ろす子供の元へと到達した。
子供も走ってくるシーリンに気づいたようで、岩を傷つけるのをやめてシーリンに向かってハンマーを構えた。
「……邪魔」
子供は自分の身の丈ほどもあるハンマーを軽々と振り回し、シーリンをつぶそうとした。だが、シーリンは転がるようにしてハンマーを避け子供の足元まで近づくと、足を振り上げ思いっきりその小さな体を蹴りあげた。
辺りが暗くてよく見えなかったので、俺は慌てて三個目の光の球を出現させた。光に照らされた先で、シーリンに蹴っ飛ばされて転がった子供がむくり、と起き上がるのが見えた。
背中のあたりまで伸びる若草色の髪に、人形のような端正な顔。さっきの子はよくわからなかったが、こっちの子はおそらく女の子だろう。
「次は刺すよ。何が目的か知らないけど、早くここから出ていって」
レイピアの切っ先を子供に向けながら、シーリンは冷たくそう言い放った。だが、子供はシーリンの言葉を聞いているのいないのか、ぶつぶつと何事か呟いている。
「障害物出現。制限解除確認……問題なし。……はああぁぁぁぁ」
子供はいきなり雄たけびをあげると、ハンマーを滅茶苦茶に振り回しながらシーリンの方へと突っ込んでいった。さすがのシーリンも不意を突かれたのか、横っ飛びにぎりぎりの所で子供の突進を避けた。子供はそのまま突進して、すごい勢いで護岩へとぶつかった。
辺りに轟音が鳴り響き、リルカの肩がびくりと震える。
「精霊、精霊さんが……!」
「リルカ!? どうした、大丈夫か!?」
リルカはいきなり頭を押さえてうずくまった、俺が慌てて肩を抱くと、リルカの全身が震えているのが分かった。息も荒い。すごく苦しそうだ。
「生命の息吹よ、どうか彼の者に力を。“癒しの風”」
早口で呪文を唱えると、優しい風がリルカの体を包んだ。少しだけ、リルカの表情が穏やかになった気がした。
だが、護岩に突っ込んだ子供はまたもや体勢を立て直し、ハンマーを構えなおした。岩に突っ込んだ時に傷ついたのか、顔や体から血が垂れている。
その子供の瞳が、俺たちの方へと向いた。
「……! そっちは!!」
シーリンが悲鳴を上げる。だが、子供は止まらない。ハンマーを滅茶苦茶に振り回しながら、リルカを抱きかかえる俺の方へと突っ込んできた。
リルカを抱えて逃げることはできない。俺はせめてリルカだけでも守ろうと、子供に背中を向けるとリルカに覆いかぶさった。
「阻め!」
覚悟していた衝撃は訪れなかった。振り向くと、俺たちと子供の間にヴォルフ立っており、分厚い氷の壁を出現させ子供の攻撃を阻んでいた。
やった! と思う暇もなく、子供は再びハンマーを振り上げると、思いっきり氷の壁に向かって振り下ろした。その衝撃で、分厚い氷の壁は呆気なくばらばらに砕け散ってしまった。
「嘘だろ……」
ヴォルフにとっても想定外だったのか、顔が引きつっている。今一度ハンマーを構えた子供の方へ、今度はシーリンが突っ込んでいった。
「私の友達に手を出すなああぁぁぁ!!」
いつものおどけた雰囲気はそこにはなく、獣の荒々しさをむき出しにしたシーリンがそこにいた。目にもとまらぬ速さで子供の方へと近づくと、子供が反応する前にその小さな肩へとレイピアを突き刺した。
それで勝負がついたと俺は思った。だが、違った。
レイピアが刺さったことなど気にも留めていないように、子供はハンマーを勢いよく振ってレイピアを突き刺した格好のままのシーリンを思いっきり吹っ飛ばした。
「シーリン!!」
メーラが悲鳴を上げる。吹っ飛んだシーリンは地面に叩きつけられたが、すぐによろよろと起き上がった。
「何だよ、あいつ……」
メーラの声が震えている。無理もない、シーリンを吹っ飛ばした子供の肩からは、確かにおびただしい量の血がだらだらと流れ出している。だが、子供は痛みに呻くこともなく、表情一つ変えずにまたハンマーを掴みなおしたのだ。鍛え上げられた歴戦の戦士だって、ああはいかないだろう。
「リルカちゃんは精霊の声を聞いて! メーラさんも一緒に! それで何とかできるかもしれない! クリスさんは二人を守ってください!」
子供に向かってナイフを投げつけながら、ヴォルフがそう叫んだ。それを聞いて、メーラは混乱したようだ。
「精霊の声って、私はそんなの聞いたことないぞ!?」
「いいから、なんとかなります! よそ者の僕たちよりも、あなたの方が精霊も話しやすいはずです!」
「だがっ……」
なおも渋るメーラに対して、リルカはすくっと俺の腕の中から立ち上がった。もう大丈夫なのかと聞こうとして、リルカの顔を見た俺は言葉に詰まった。リルカは今までに見たこともない顔をしていた。何かを決意したような、ひどく真剣な顔をしている。
「リルカはやります」
「おい!?」
「メーラさん、どうかリルカを手伝ってください。みんなを、この場所を、守れるかもしれないんです」
リルカはそう言うと、メーラに向かって手を差し出した。メーラは最初、戸惑っていたが、やがてはぎゅっとリルカの手を握った。
「言っておくけど、うまくいく保証なんてないからな!? 私は精霊なんて見たことも聞いたこともないんだからな!?」
「大丈夫です」
リルカは大きく頷くと、二人で手をつないだまま護岩の方へと走って行った。
きっと大丈夫。根拠はないけど、そんな気がした。
あとは俺だ。ぎゅっと杖を握りしめると、俺は子供とリルカ達との間に立った。正直、俺にできることなんてそんなにないだろう。でも、二人を守る盾くらいにはなれるかもしれない。いや、やらなきゃいけないんだ!
「随分と舐めた真似をしてくれたなぁ?」
立ち上がったシーリンが、顔についた血をぺろりと舐めながらそう低く呟いた。なんていうか、かなりハイになっているようだ。獣人は怒ると手が付けられなくなる、そう聞いたことがあったが、もしかしたら今がその状態なのかもしれない。
「状況確認……問題なし」
子供は俺たちの位置を確認すると、再びハンマーを振り上げた。




