ミルターナ小紀行(3)
明け方になってやっとうとうととまどろみが襲ってきて、次に気が付いたらもう朝日が昇っていた。
俺が起きたのに気付くと、ヴォルフはまた死にそうな顔で謝ってきた。
「まぁいいじゃん。結局大丈夫だったんだし」
「でも、もう少し遅かったらあなたは……」
「お前なら絶対に止めてたよ」
何度も何度も俺は気にしてないし大丈夫だと伝えて、やっとヴォルフは謝るのをやめてくれた。
どこかぎこちない空気の中で朝食をとりつつ、俺は昨夜の出来事に思いを馳せていた。
……俺だったら、たとえ殺すつもりで相手が寝込みを襲ってきても、きっと反応できずにそのまま殺されてしまうだろう。たぶん、普通の人はそうだろう。
そうでないってことは、きっと……そういう訓練を受けているんだろう。
ちらり、と正面でパンにバターを塗っているヴォルフに視線をやる。
思えば、俺はヴォルフのことをよく知らないのかもしれない。
小さいころに母親が亡くなり、お兄さんたちとは別に、極北の閉ざされた城で育った。
そこでどんなことがあったのか俺にはわからないし、なんとなく聞けなかった。
でも、ヴォルフの叔父であるグントラムの態度や、昨晩の出来事みたいなのを考えると、きっと俺には想像もつかないくらい厳しい環境で育ったんだろう。
貴族っていうのはみんなそうなんだろうか。それとも、ヴァイセンベルク家やヴォルフの生まれが特殊なんだろうか。
……俺には、わからなかった。
◇◇◇
時間かけて、南へと進んでいく。
「わぁ、海だ!」
遂には海岸線が見えてきた。
きらきらと光輝く海、カモメの声、潮の香り。
グラーノ島で過ごしていたころは日常的な光景だったけど、ここ最近はお目にかかっていなかったものだ。
自然と、心が弾む。
初めて訪れた海沿いの町で、ヴォルフが様子を確認する間に俺は自由にぶらぶらしていた。
屋台で買ったサラミを齧りつつ、海岸の方へと足を進める。
「わぁ……」
泳ぐ人、遊ぶ人、魚や貝を採る人など海岸には様々な人がいた。
ふらふら散策しながら、吸い込まれそうなほど美しい水平線を眺める。
ヴァイセンベルク領も北は海に面しているらしいけど、氷海でとても泳いだりできるものでもないらしい。
どうせなら、と靴を脱いで裸足で砂浜に足をつける。
「熱……」
足元の砂からじんじんとした熱さが伝わってくる。
二、三歩進むと、足の裏にちくりとした痛みが走った。
なんだなんだと足を上げると、そこには割れた貝殻が埋まっていたのだ。
残念ながら割れてしまって形は崩れているが、なかなかに美しい色合いをしている。
視線を落とすと、あちこちに似たような貝殻が埋まっているのが見えた。
なんだか嬉しくなって、しゃがみ込み貝殻を集めていく。
気が付けば、時間を忘れて貝殻集めに夢中になっていた。
「クリスさん、ここにいたんですね」
背後から声をかけられ、そっと振り返る。ヴォルフが汗をぬぐいながらこちらへと近づいてくるところだった。
「何か面白いものでもありましたか?」
「おもしろいかどうかはわかんないけど、ほら……」
かき集めた貝殻を見せる。
ヴォルフは物珍しそうに淡く光る美しい貝殻を眺めていた。
「グラーノ島にいた時にはさ、よくこんな風に貝殻集めてたんだ」
あの島の海岸も、こんな風にきれいな貝殻がよく採れたものだ。
そう思いだすと、懐かしさに襲われる。
自然と海の方へと目を向けていた。もちろんここからでは見えないけど。この海の向こうにあの親切な人たちが暮らす島は、確かに存在するんだ。
「……行ってみますか?」
「えっ!?」
ヴォルフは俺と同じように、真剣な顔をして水平線を見ていた。
「で、でもグラーノ島は行く予定にはなかっただろ……?」
「別に構いませんよ。あの島がルディス教団に襲われたのは確かです。その後の様子を確認するという意味では問題ないかと」
無茶苦茶だ、と思ったけど、俺だってあの島のことが気になって仕方がないんだ。
「あそこに行くと、時間……かかっちゃうし」
「別にいいですよ。いつまでに帰ってこい、なんて指定されてませんし」
「…………いいの?」
おそるおそる問いかけると、ヴォルフは優しい顔で頷いた。
◇◇◇
久しぶりに訪れたその島は、相も変わらず優しい風が吹いていた。
緊張しつつも足を進めていく。
「シレーネ! 戻ってきたのか!!」
「お久しぶりです……!」
何人かの村人が、俺に気づいて声をかけてくる。
駄目だ、もうすでに目が潤んできた……!
涙をこらえつつ、見覚えのある道を進む。
優しい夫婦が住む、小さな家へ向かう道を。
そして、ついにたどり着いた。
だが、そこで足が止まってしまった。
だって、いったいなんて言えばいいんだろう……?
玄関の扉をノックしようとした手も、そこで止まってしまっている。
戸惑う俺の手を、ヴォルフがそっと握ってくれた。
「……大丈夫ですよ」
その一言で、少し気分が落ち着いた。
意を決して、扉をたたく。すぐに、中から声がした。
「はーい!」
懐かしい声と、ぱたぱたとこちらへ走ってくる足音がする。
それだけで、喉の奥から熱いものが込み上げてきた。
「どちらさまーって……ぁ……」
俺の姿を見たマルタさんが、驚いたように目を見開いた。
「お、お久しぶりです……!」
俺は、つっかえつつもなんとかそう言うのが精一杯だった。
マルタさんはぎゅっと何かを耐えるように顔をゆがめた後、泣きそうな顔で笑った。
「おかえりなさい…………クリス」
その優しい声を聴いたら、もう駄目だった。
みっともなく嗚咽を上げてなく俺の体を、マルタさんが優しく抱きしめてくれる。
やがて仕事から帰ってきたパトリックさんも交え夕食を取り、今晩はこの家に泊まらせてもらうことになった。
ここを出てからのこと、二人に色々話した。
もちろん言えないことの方が多かったけど、大陸に戻って家族や仲間に再会できたこと、死んだと思ってたやつが生きていてまた会えたこと、世界が平和になって、今も楽しく暮らしていること。
「そう、よかったわ。ずっと心配してたのよ」
「初めて君を拾ったときはどうなることかと思ったが、幸せそうでなによりだよ」
「はい、ありがとうございます……!」
二人にはどれだけ感謝してもし足りない。
あぁ、やっぱりここに来てよかった。
その夜もなかなか眠れずに、俺はぼぉっと窓の外を見ていた。
海から涼しい風が吹き寄せる。その風を浴びていると、どうしようもなくなってしまった。
家人を起こさないようにそっと外へ出て、浜辺へ向かって走り出す。
夜の浜辺は、昼とは違い穏やかな空気に包まれていた。
月明かりと星明りでぼんやりと海が照らされている。
靴を脱いで、素足でひんやりとした砂に触れる。そのまま、波打ち際をふらふらと歩いてみる。
吸い込まれそうな夜の海は少し怖かったけど、不思議と穏やかな気分になった気がした。
しゃがみ込んでそのままぼぉっと海を眺めていると、背後からじゃり、と砂を踏みしめる音が聞こえた。
「……眠れないんですか?」
「ごめん、起こした?」
なんとなく予想はついてたけど、そこにいたのはやっぱりヴォルフだった。
こうやって俺を探しに来るのはいつもお前だな、と今更ながらにそう思う。
「……そういえば、あなたここで人魚姫なんて呼ばれてたみたいですね」
「海から流れ着いたからな、あと喋れなかったし」
人魚姫どころか中身は元男です。
なんてことはできれば知られたくない。
「伝説の人魚姫は、最後に泡になって消えてしまうそうですよ」
「らしいな」
波打ち際の泡を眺める。
これも哀れな人魚のなれの果てなのだろうか、と柄にもないことを考えてしまう。
「……あなたは、消えないでくださいね」
ヴォルフが抑揚のない声でそう口にする。
軽く答えようとして、俺はその顔を見て思わず息をのんだ。
ヴォルフはどこか寂しそうな、あきらめたような顔をして海の彼方を眺めていたのだ。
……その手から零れ落ちていった人たちのことを考えているのだろうか。
そっと立ち上がり、冷えた体温を取り戻すかのように体を寄せた。
「俺はしぶといからな。泡になってもまとわりついてやるよ」
「それは楽しみだ」
そのまま、顔を見合わせて笑う。
俺は消えないよ、と伝えるためにぎゅっと手を握る。
……きっとヴォルフは、過剰なほどに喪失を恐れている。
だから、俺はまだまだ消えるわけにはいかない。
最後にもう一度夜の海を振り返る。
相変わらず、波は静かに寄せては返してを繰り返していた。
次回もちょっと懐かしい人と再会します!




